野獣抹殺
◆
多符市役所。三階。市長室。
鬼切殺牙太郎は応接ソファに沈み込んだまま差し出された茶封筒を見下ろしていた。表書きはない。厚みからして三十万。
「足りねえな」
牙太郎は開けもせずに言った。
市長の伊能恒雄は禿げ上がった額から脂汗を垂らしている。三期目。五十九歳。選挙ポスターでは鷹揚そうだが、牙太郎のむせ返るような殺意を前にしてドンと構えるほどタフではないらしい。目が泳いでいる。
「じゅ、十分ご用意しますので。まずはその、着手金として」
「公園はいくつある?」
「三つです。中央公園と東ヶ丘公園と多符川緑地」
「全部か」
「全部です。どこも深夜になりますと……その」
伊能は声を落とした。壁に耳あり障子に目あり。市役所という箱は噂話の発酵槽のようなものだ。
「男たちが集まって公然と……わいせつな行為に及ぶのです。トイレは深夜じゅう占拠され遊具に使用済みのゴムがぶら下がっている。朝の散歩で老婦人の飼い犬がそれを咥えて帰りましてな。精神的ショックで救急搬送されました」
「チッ……カス共め。犬は?」
「犬は元気です」
「そうか」
牙太郎は犬は好きだ。犬は家畜だからだ。家畜は従順で人の益になる。しかし野獣は別だ。ハッテン野獣のせいで牙太郎の人生は狂ったのだ。ならばこの話、受けないわけにはいくまい──牙太郎は封筒を上着のポケットにねじ込んだ。
交渉成立だ。金額の多寡は問題ではない。銭湯の一件以来、体の中で何かの蛇口が壊れている。閉め方を忘れてしまった。漏れるのは殺意か、それとも覚悟か。
「完了したら連絡する」
「よ、よろしくお願いいたします」
伊能が深々と頭を下げた。禿頭に怒張した血管が青く浮いている。
◆
夜の多符中央公園。
牙太郎はベンチに座って煙草を吸っている。番台に座るのと同じ要領で気配を殺し目だけを動かす。午前零時を回った公園は街灯がまばらで樹木の影が地面を黒く塗りつぶしていた。昼間は子供たちが走り回る広場も日付を跨げば別の生き物が棲みつく。
口コミサイトは事前に確認済みだ。
『多符中央公園。深夜帯はトイレが熱い。G穴あり。管理甘め。月金は大漁』
『東ヶ丘公園は藪が深くて◎。遊具エリアの街灯が壊れてるのがいい。死角多数』
『多符川緑地は上級者向け。ガチ勢オンリー。初心者は中央公園からどうぞ』
星五つ。星四つ。あの銭湯のレビューと同じ空気がする。親切なガイドの皮を被った獣の道標。
なお口コミには初心者向けのマナーガイドも掲載されていた。公衆トイレでの行為中に一般利用者が来たら一旦中止して退出せよ。使用済みのゴムは必ず各自持ち帰ること。そのゴムを持ち帰らなかった結果が犬に咥えられ老婦人の救急搬送に至ったわけだがその教訓は共有されていないらしい。マナーの良い獣も悪い獣もいる。だがどちらにせよ獣だ。
十五分もしないうちに動きがあった。
駐車場にワンボックスカーが滑り込む。ライトを消す。ルームランプもつかない。闇に沈む鉄の棺桶だ。
自転車で若い男がやってきた。公衆トイレの前でスマートフォンの画面を確認している。GPSの座標に呼び寄せられた虫である。トイレに消えた。
ジャージ姿の中年が現れる。夜のジョギングを装っているが靴底は綺麗だし息も上がっていない。こいつもまた虫だ。
藪の奥で衣擦れの音。少なくとも二組。
遊具のエリアではブランコに座ってスマートフォンを弄る男。東屋のベンチで足を組む男。各々が獲物を品定めしている。目が合えば頷き暗がりに消えていく。
推定二十人弱。金曜の深夜。獲物は腐るほどいる。
牙太郎は煙草の煙を吐いた。二十人を一人で処理する。銭湯の時は設備があった。電気風呂に高電圧をぶち込みサウナの出口を塞ぎ床にガラス入りのローションを撒いた。公園には電気も湯もない。だが公園には公園の武器がある。
牙太郎は煙草をもみ消した。
公衆トイレの構造を見る。コンクリートブロック製の古い箱。男子側に小便器三つと個室が二つ。仕切り壁にはすでに穴が開いている。直径五センチの丸穴。縁がガムテープで保護してあった。常連の仕事だ。
公園管理用の物置。南京錠を剪定鋏の先で捻じ開ける。中に刈込鋏と高枝切鋏。肩掛け式の草刈り機に除草剤のポリタンク。ロープとブルーシート。公園管理課の備品がひと通り揃っている。
「道具はある」
園芸の基本は剪定だ。伸びすぎた枝を切り不要な芽を摘み木全体の形を整える。枝にとっては災難だろうが木は健やかになる。人間社会も同じことだ。腐った枝を放置すれば幹まで腐る。
牙太郎は首を鳴らした。
◆
まずトイレだ。
個室に入る。便座に腰掛けて壁の穴を眺めた。反対側の個室ではスマートフォンの青白い光がちらちらしている。何かを待つ男の気配だ。
長く待たせることはなかった。
隣の個室に誰かが入ってくる。ベルトのバックルが鳴り衣擦れがし、やがて壁の穴から肉の塊がにゅるりと差し出された。
牙太郎は剪定鋏を構えた。枝を切るのと手順は同じだ。刃を当て力を込め断つ。
パチン。
園芸としては正確な音である。太さも小枝ほどのものだった。
隣から引き裂かれた悲鳴が上がった。恐怖と苦痛が同時に声帯を絞ると人間は人間離れした和音を出す。穴から血が噴き出し壁を伝って牙太郎の手元を赤く染めていく。床に落ちた肉片がびちゃりと音を立てた。
男は股間を押さえて個室を飛び出した。血の道が暗闇へ点々と続く。
「うるさい奴だ」
牙太郎は反対側の個室を覗いた。血の海に携帯電話が落ちている。画面がまだ光っていた。
『いま向かってる! 待ってて♡』
返信する者はすでに走り去った。大事なものを二つ置いていって。携帯電話と、もう一つ。
小便器の前で一人の男が立ち尽くしている。悲鳴を聞いて固まったのだ。逃げることも動くこともできず便器を掴んだまま震えている。恐怖で漏らしたのか足元に水たまりが広がりつつあった。
牙太郎はその背後に立った。
「終わるまで待ってやる」
やがて震える手が便器から離れる。
牙太郎は剪定鋏を突き立てた。延髄を一撃。男は小便器に顔から突っ込み自分が垂れ流した水溜まりに沈んで事切れた。
トイレの掃除は完了である。
◆
次は藪だ。
物置から草刈り機を引っ張り出した。業務用の肩掛け式。チップソーの二枚刃が装着されている。竹を断つ切れ味を持つ刃の前に人間の脛骨は枯れ枝と大差ない。
スターターを引く。
ブルルルルル。低い唸りが夜の公園に響き渡った。
「な、何だ」
藪の中から男たちが顔を出す。ズボンを下ろしたまま。
牙太郎はスロットルを全開にした。回転刃が金属の悲鳴を上げる。
「深夜の公園管理だ。草を刈る」
チップソーが水平に振り抜かれた。最初の男の脛を草ごと刈り取る。立っている人間の足が野球のスウィングで打ち返されたボールのように闇へ飛んでいく。
膝から下を失ったことを男が理解するのに一秒かかった。見下ろし、足がないことを確認し、血が噴く。それから倒れた。
六人の男たちが一斉に逃げ出す。だが暗がりで互いにぶつかり転び踏みつけた。半裸の体では足場が悪い。脱ぎ散らかした衣服に足を取られる。
牙太郎は追わなかった。
藪の出入り口にはロープを張ってある。足首の高さだ。先頭の男が引っかかって地面に叩きつけられ後続が将棋倒しになる。裸の男たちが折り重なって泥だらけの肉の山を作った。
牙太郎は草刈り機を降ろして高枝切鋏に持ち替えた。全長二メートル。松の高い枝を落とすための道具だがリーチの長さは肉の山に上から刃を落とすのにあつらえ向きだ。
一人目の首筋。二人目の肩口。三人目の脇腹。骨に当たるとガチリと金属音が響く。血飛沫が夜露のように草葉を濡らした。
六人。一人残らず。
藪の地面が赤黒い泥濘に変わっている。物置のブルーシートを引っ張り出して被せておく。朝まで見つからなければ十分だ。
◆
ブランコに一人残っていた。
三十代半ばの男がイヤホンをつけたままスマートフォンの画面を睨んでいる。マッチングアプリの画面が顔を青白く照らす。周囲の惨劇にまるで気づいていない。耳を塞いで出会いに没頭する姿勢だけは大したものだ。
牙太郎は隣のブランコに腰を下ろした。
「待ち人か」
男がイヤホンを外して振り向いた。背後の藪からはもう何の音もしない。五分前まで六人の男が折り重なっていた場所だ。沈黙は死体の数だけ深くなる。だがイヤホンの男にその沈黙の重さはわからない。返り血まみれの牙太郎の顔を見て一瞬たじろいだが夜闇のせいだと思ったらしい。すぐに愛想笑いを浮かべた。
「もしかしてこの辺初めてですか」
「ああ」
「じゃあ案内しますよ。トイレの個室にG穴あるし藪の奥も穴場で……あれ、今日なんか静かですね」
「静かにしたんだ」
「え?」
「トイレは掃除したばかりだ」
「え?」
「市長に頼まれてな。公園の手入れをしている」
男の笑みが固まった。意味を理解するより早く剪定鋏の刃が喉笛を裂いた。
ブランコの鎖がきしみ男の体が前へ傾く。座面から滑り落ちて砂場に突っ伏した。砂が血を吸って黒い染みを広げていく。
イヤホンからはまだ音楽が漏れている。陽気なポップスだった。こうみえて牙太郎はポップスが好きなので、男が獣であった事をほんの少しだけ残念に思った。
◆
残りは駐車場だ。
ワンボックスカーのドアをノックした。規則正しく三回。
沈黙。息を殺す気配だけが伝わってくる。スモークガラスの向こうで何人が重なっているのかは知らない。だが車の揺れ方からして少なくとも三人。後部座席を倒した空間はラブホテルの代用品だろう。走る個室。機動力のある獣の巣穴。ナンバープレートの泥は意図的に塗りつけたものだ。常習犯の知恵だけは回る。
牙太郎は草刈り機の燃料タンクからガソリンを抜き車体の底に撒いた。
マッチを擦る。
火は車体の底から這い上がるように広がった。タイヤが溶ける甘い臭いが最初に来る。次にガソリンに引火する轟音。内側からドアが殴りつけるように叩かれた。チャイルドロックか何かで内側からは開かない仕様らしい。
まあ落ち着けばそんなものはいくらでも解除できるのだろうが、この状況で落ち着けというのは無理な相談である。
フロントガラスを炎が舐め回した頃に車内から破裂音がした。スプレー缶だろう。悲鳴はもう聞こえない。煙が声帯を焼いたか酸欠で落ちたか。
燃える車を背に牙太郎は立っていた。
炎に照らされた影が地面に長く伸びる。鋏のシルエットが角のように突き出して、どこか──鬼の姿に見えた。
◆
牙太郎はベンチに座って缶コーヒーを飲んでいた。
遠くで消防車のサイレンが鳴り始めた。駐車場の火を見つけた通行人がいたのだろう。来た頃には鎮火しかけているはずだ。死体のほうは朝の散歩組が発見するのを待てばいい。どうせ顔の判別ができる状態ではない。
携帯電話を取り出す。
「終わった。中央公園は片付いた」
『は、早いですな……。残りの二つは』
「来週やる」
『追加の報酬を──』
「いらねえ」
電話を切った。
犬を連れた老婦人が公園に入ってきた。朝の散歩だろう。ゴールデンレトリバーが尻尾を振って芝生を駆け回る。ブルーシートの端からはみ出した何かに鼻を突っ込んだ。
「コラ、チロ! 変なもの触っちゃ駄目!」
老婦人が犬を引き戻す。
牙太郎は缶コーヒーを飲み干すとベンチから立った。近所のホームセンターで替え刃を買わねばならない。あれだけ使えば刃こぼれしているはずだ。道具の手入れは職人の基本である。
あと二つ。東ヶ丘公園と多符川緑地。
そしてその先には河川敷が待っている。高速のサービスエリアのトイレも。映画館の最後列も。
虫はどこにでも湧く。殺しても殺しても湧いてくる。
際限なく湧いてくる虫をすべて殺せばどうなるというのか──牙太郎は一瞬そんな事を考えたが、すぐにやめた。
殺す前に考えてどうするのか。
殺してから考えれば良い。
(了)




