死神天使の救済劇
二回、首吊りに失敗した。原因は自分の意思の弱さだった。それから、もう何度目かになるODをして、救急車に運ばれた。目が覚めたら、病院のベッドで横になっていた。
「カミナリ レイラさーん、聞こえますか?」
「ん?」
「ここ、何処だか分かりますか?」
ぼやーっとする頭の中で真っ白の天井を見つめていた。焦点が合わない視界の中で全てのものが二重に見えた。
「……びょーいん?」
看護師のような人が僕に声をかけてくれていた。顔は分からない。
「何で運ばれたか分かりますか?」
「ODして、」
「何を何錠飲んだか分かりますか?」
こんな質問がうざったかった。ただただ静かに寝かせて欲しかった。
「んー、マイスリーを……たくさん……」
処方されてた薬を死にたくて全部飲んだ。数なんてどうでもよかった。死ねればそれで、全部良かったのに。
「何でODしちゃったんですか?」
「死にたかったから」
「何で今回は死にたいと思ったんですか?」
その質問に言葉を詰まらせた。特段つらいことがあった訳でもないのに、ただ息をして、この世界で生きているだけで、死にたくなってしまって、気づいたらODをしていたからだ。
「さあ、何ででしょうね?」
そして次に目が覚めると、朝になっていた。
「死ねなかった……」
脳内をいっぱいに埋め尽くす、死ねなかったという事実。それに伴う絶望感に、苦しさで吐きそうだ。点滴が、サチュレーションが、心電図が、僕の身体に繋がれていた。
「邪魔くさ」
こんなことされてまで、生きたくないのに。
ふと目線を上げると、ベッド脇にスーツ姿に天使のリングと翼を付けた男が座っていた。何なんだろうと思い、じっと見つめていると、その熱視線に気づいたように、その男は目を丸くしてからニッと微笑んだ。
「俺のこと、見えるんだね!」
嬉しそうな顔でそんなこと言われた。見えるんだね、ってことは幽霊か何かそのような類いの奴なんだろうと思って、何もないところに話しかける変人にはなりたくないので、その声を無視した。
「あ、無視した。悲しいなぁ」
悲しんだフリをして、僕の反応を伺っている。
「……まあ、良いよ。これからよろしくね!」
誰がお前となんかよろしくするか、さっさと消えろ。と思ったが、そんな言葉さえ声にできなかった。
「カミナリさん、起きてたんですね」
看護師の方が見回りにきた。
「気分はどうですか?」
最悪ですよ。死に損なったので。
「普通ですね」
と笑顔を貼り付けて言った。
「そうですか。まだ目眩とかしますか?」
「いえ、もう大丈夫です」
「本当は気持ち悪くて、吐きそうなくせに」
誰の声だ?とバッと横を向くと、先程の男が僕の耳元でそう囁いて、悪そうに笑っていた。
「どうしましたか?」
「あ、いえ。何でもないです」
本当に看護師にはこの男が見えてないんだな。そう思うと、深いため息が出た。
一通り、質問をし終えた看護師は、
「それじゃあ、何かあったら呼んでください」
と僕にナースコールの場所を教えて、立ち去ろうとした。
「あの、紙とペンくれませんか?」
「え?」
「僕、文章を書くのが大好きなので、紙とペンが欲しくって……」
文章を書くのが大好きってどんな嘘だよ。なんて思いながら、看護師に頼み込んだ。そしたら、ボールペンとコピー用紙を何枚か持ってきてくれて「これでいいですか?」とテーブルの上に置いてくれた。
「ありがとうございます!」
「入院中って退屈ですもんね」
なんて笑ってくれた。
早速、貰った紙とペンを活用して、
「お前は何なんだ?」
とその男に質問した。
「俺は死神天使だよ。死神でもあり、天使でもある存在」
恍惚そうな顔で自惚れているような彼。僕は死神も天使も分かっているけど、死神天使は分からなかった。
「どっちなんだ?」
「死神天使は死神天使だよ。死神のように人間の命を奪い、天使のように人間を救う。それが俺だ」
そいつの首には首吊りロープのようなものがかけられていて、手にはこの世には存在しないような奇形な鎌が握られていた。天使のリングは真っ赤で血が滴るような形をしている。
「僕のことを殺しに来たのか?」
「いいや、君のことを救いに来たんだよ」
と僕の首に鎌をかける。僕は思わずニヤけてしまった。
「そういうことか。僕にとって、死は救済だ。一思いに殺してくれ」
こいつはきっと死神なんだ。でも、死は救済だと思う奴の前にしか現れないから、こいつはきっと天使なんだ。だから、その天使の翼は動かない創り物なんだね。
死神天使が鎌で僕の首をかっ切る。けど、鎌は透明になって僕の首をすり抜けるだけで、痛くも何ともなかった。
「あれ?すり抜けちゃった」
彼はそれが何だか嬉しいことのように笑って、そうとぼけたように言った。
「え?こんなことあるの?」
僕は切られた首に手を添えたが、血の一つも出ていない。
「俺の鎌が『生きろ』ってお前に言ってるんだ。今のお前には、その言葉で絶望感を味わうだろうが、鎌の判断だ。悪いな」
僕は衝動的に死にたくてたまらなくなって、点滴のコードを首に巻いた。
「そんなことでは死ねない」
死にたくて死にたくて、たまらないのに。死神天使は冷徹にもそう言う。点滴が滞ってアラームが鳴った。僕は看護師にバレることを危惧して、すぐさまコードを首から解いた。
「あーこれ、よく鳴っちゃうんだよね」
慣れた手つきで駆けつけた看護師はアラームを止める。
「……すみません」
僕は決まりが悪く目を逸らした。
「大丈夫ですよ。また何かあったら呼んでくださいね」
看護師に笑顔を向けて、大丈夫だと繕った後で、僕は静かに泣いていた。ここでは死ぬことすらできない。
「お前のつらい気持ちはよく分かる」
死神天使の寄り添うような言葉。それに僕はイライラしてしまって、
「じゃあ、殺せよ」
と紙に書き殴った。彼は困ったような顔をするだけで手持ち無沙汰な様子だった。
「……ごめん。まだ殺すことはできない。君の魂はまだ何処かで生きたいと願っている」
そう僕の頭を撫でる彼の手を振り払った。
「こんな僕の何処が生きたいと願ってるんだ。僕の意思の弱さを言っているのか?首吊りを二回も失敗した僕の弱さを……!!」
そうぐちゃぐちゃの頭で震える手で書き殴った。字が涙で歪んでしまった。もう汚さなんてどうでもいい。その紙を死神天使の胸にぶつけるように突きつけた。彼はそれを読むと、僕のことを抱きしめてこう言った。
「それは弱さじゃない。君の中にある生きたいという意思だ」
「離せ、そんなのいらない」
涙ぐんだ小声でそう言って、彼の腕の中で彼の胸を叩いて、暴れていた。彼はそれをただ優しく受け止めるだけだった。
「この世界は残酷だって、人間からたくさん聞いたよ。俺は苦しんでいる人間をどう救えば最適か、いまだによく分からない。俺は死神天使失格だな」
情けない顔で彼は笑っていた。
「そんなことな……」
咄嗟にそんなことないなんて言ってしまいそうだった。僕は死神天使のことなんかよく分からないのに。そんな表面上の慰めなんて、効果ないって一番よく分かってるのに。
「君は優しいな。そんな君に俺は死んで欲しくないかもしれない」
死神天使は天使のような微笑みを僕に向けた。それが何ともこそばゆかった。
「もう一回」
僕は泣き止んだ後、死神天使に命令して鎌で首をかっ切って貰っていた。何度も何度も試しても、鎌は透明になって、僕の首をすり抜けるだけで死ねなかった。
「もうやめにしよう。今は死ぬべきじゃないと鎌が言っているんだ」
彼はだるそうに僕の常同行動に付き合ってくれていた。
「じゃあ、その鎌貸して。自分でやる」
「ダメだ。この鎌は人間の手に渡ると、ただの鎌になってしまう」
彼は大事そうにその鎌を握って、僕から遠ざけた。
「それもっと早く言えよ。それで死ねんじゃん」
僕は心底、死の魅力に取り憑かれていた。脳内が死にたいで埋め尽くされて爆発しそうなほどいっぱいだった。僕はベッドから起き上がって、彼から鎌を奪い取ろうとした。
「やめろ!これは俺がご主人様から貰った大事な鎌なんだ」
彼は酷く抵抗した。僕はそんなことお構いなしに彼の腕を掴んで、鎌を寄越すように引っ張っていた。そんなこと関係ない。僕が死ねればそれで良い。と何とも自己中心的な考えで。
サッと鎌の刃先が僕の首を撫でた。僕の首から血が滲んだ。
「痛っ……」
「あ、ああっ……!!俺の鎌が……!!」
何度もやっても今まで切れなかった鎌が、壊れた。死神天使は酷く悲しんだ顔をしていた。
「僕の首を切れ。今なら死ねる気がする」
「ダメだ。ご主人様に頼んでメンテナンスしてくる」
彼は鎌を大事そうに抱きしめて、もう一瞬たりとも僕に触れさせないようにしている。
「何で?殺してよ」
そして、僕を救って。
「俺はご主人様から頼まれてるんだ。君を救うように」
「だから、僕にとっては死が救済なんだって」
それを見ると、死神天使は迷ったように鎌を手に握った。
「……君は言ったよね?文章を書くのが大好きだって」
「それは……」
「君の文章が読みたくなった。君の物語を読ませてくれたら、この鎌で首をかっ切ってあげるよ」
軽くついた、ただの嘘。それを交渉材料にされてしまった。死神天使は言った。「今すぐ死ななくても良いんじゃないか?」って。それもそうだな。入院中はそこそこ快適で、でもとても退屈なので、暇つぶし程度にやってやろうと思えた。壊れた鎌ではきっと僕の首はかっ切れるから。
「ふふっ、楽しそうだね!」
死神天使は紙に向かって、夢中でペンを走らせる僕にそう声をかけてきた。
「タイトルが決まったんだ。タイトルは『遺書』だ。僕が最期に書く文章だから」
「君らしくて面白いじゃないか」
僕のことを知ったような口ぶりで彼はそう言った。僕は初めて褒められた時みたいにワクワクした。
「僕のこれまでの人生の経験を活かして、この世界がいかに無慈悲でクソで残酷か、これを読んだ奴に思い知らせてやるんだ!」
「それで?」
「それで……僕が死ぬのを許して欲しい。自殺はダメだとか、僕が死んだら悲しいとか、言わないで欲しい。僕は僕の人生を全うに生きたと思っている。僕はもう充分なんだ。もう、苦しみも悲しみも味わいたくない。充分なんだよ」
そう紙に書きながら、僕は泣きそうになってしまった。気持ちを吐き出すのって、こんなにもつらくて苦しくてたまらなくなるんだ。今まで知らなかった。でも書き終わった後は、こんなにも清々しい気分になるんだな。僕はこれが言いたかったんだ、って。
「そっか。たくさん頑張ってきたんだね」
彼は病院の窓を開けて、煙草を吸い始めた。僕の苦しみが移ったように、自分も苦しそうな顔をしてから。
「僕は、創作ってのが苦手なんだ。嘘に感動できないから。だから、僕は僕の人生をそのまま書こうと思う。君のことも書いていい?」
「俺のことを?……良いよ。格好良く書いてくれ」
そう言って、彼は格好付けたように髪をかきあげた。神が創ったような顔の造形美は人間のものとは違っていた。彼が吸う煙草の匂いは何だかクラクラする甘い匂いがした。
「人生は、悲劇の連続である。僕は生まれ落ちた瞬間、この世界で生きるのが嫌で泣いていた」
導入が中々、決まらない。こんな格好付けた文章が書きたい訳ではなかった。紙を真っ黒に塗り潰した。
「人類みな死刑になればいい」
思い思いの言葉を紙に書き殴った。人間への恨みつらみばかりだ。あとは、死にたいという感情だけ。
「あーーーーーーーーーー」
思い詰めてしまって、こんなものしか書けなくなった。全部黒く埋め尽くされた紙。インクの無駄遣いとしか思えなかった。
「はやく死にたい」
死にたい死にたい死にたい死にたい、そればっかで埋めつくした紙を、死神天使は手に取って笑った。
「君の脳内そのまんまだな」
返せ!見せるもんじゃない!と乱雑に奪い取ってその紙をぐしゃぐしゃにして捨てた。
「焦らなくていい。時間はたっぷりある」
彼はそう言ったが、僕は不満気な顔をして、
「そしたら、僕の死期が遠のくじゃないか」
と反論した。むしゃくしゃする時は自傷行為が止められなくなる。自分の頭を何度も強く殴っても、全くスッキリしない。カッターが欲しい。薬が欲しい。ストレスが溜まる一方で、僕はその発散方法を見失っていた。
「落ち着いて。深呼吸して。今一番、何が嫌だ?」
「僕が生きているのが嫌だ。僕は僕のことが嫌いだ」
「自分の何処が嫌いなの?」
彼は優しく僕の怒りを宥めるような声でカウンセリングするように僕に聞いてきた。
「僕は出来損ないだから。みんなみたいに上手くできないから……」
「何が上手くできないの?」
「勉強も仕事も人生も、みんなみたいに上手くできない。僕って生きてる価値ないよな?」
文字を書く手が震える。その字を目で認識して、生きている価値がないことを再確認してしまう。
「自分が生きている価値くらいは、自分で決めていいと思うけどね」
「え?」
「周りが求める価値基準に合わせようとするから苦しくなるんだよ。俺は俺のこの顔が美しいから、俺には価値があると思っている。例え、俺が最低なクソ野郎だったとしても」
死神天使はガラスの反射に写る自分の顔を見て、にっこりと笑った。
「じゃあ、僕の価値は何?」
「んー、俺が思うに君の価値は、自分の感情を文章にできるところかな?」
「そんなのが、僕の価値?」
誰にでもできるようなことじゃないか。僕じゃなくたって。文章を書くぐらいみんなできる。僕はそう思って、素直にその言葉を喜べなかった。
「君はそんなの、って思うかもしれないが、君の死にたいという感情は君にしかないものだろう?例えばこれ、『頭蓋骨かち割って、ぐちゃぐちゃの脳みそジュースを人間達に飲ませたい。そして、僕の死にたみを味わい、みな悶え苦しんでくれ』こんな詩的で残酷な憎悪は君にしか書けないよ」
彼はぐちゃぐちゃに丸めて捨てた紙を拾い、そこに書かれていた文章を読み上げた。そして、僕にしか書けないと言ってくれた。僕は僕自身で自分の価値を捨てていたんだと気づき、そのぐちゃぐちゃの紙を受け取ると、大事に抱きしめた。
「宝物だ。これが僕の価値なんだ。気づかせてくれてありがとう」
「ふふっ、一つ聞いてもいい?」
「何?」
「君が死にたくなったきっかけは何なの?」
ぎゅっとペンを強く握った。手のひらに爪の跡が残るくらい。それを言葉にするのはまだ難しかった。思い出したくなかった。でも、それを書かなければ僕の遺書は完成しない。
「中学生の頃、教師にいじめられたんだ」
「教師に?」
「うん。部活の顧問で僕にだけ当たりが強かったんだ。何度も理不尽に説教されたし、僕だけ何故かコートに入らせて貰えなくて部活もろくにさせて貰えなかった」
書いてる途中にその時のつらさを思い出してしまって、涙が流れてきてしまった。
「そうなんだ。それは、……何かきっかけがあったの?」
気遣ったように聞くかどうか悩んでから彼はそれを聞いてきた。無理に答えなくてもいいよ、と言いながら。
「特に何もない。ただ外周のタイムが遅いとか、シュート率が悪いとか、そんな理不尽な理由で怒られ続けた。僕が小柄だから、いじめやすかっただけだよ」
僕はそれを書き終わってから、手首の傷跡をつねった。その頃から、ストレス発散方法が痛みしかなくなっていた。
「そっか。つらいことを思い出させてごめんね。話してくれてありがとう」
「ううん。別にいいんだよ」
僕なんかに気を遣わなくて。こんな底辺な人間に優しくしなくて。僕は微笑みの仮面を彼に向けた。
泣き止んだ後に、このつらさと苦しみをぶつけるように書き殴った。
「アンタは言ったよな。本当に優しい人間は自分のことを優しいって言わないって。だから、お前は自分のことを先生って言うんだな。お前は先生失格だから」
「自己陶酔と自己嫌悪の繰り返し。陶酔してるときは自己破壊のためにリスカするし、嫌悪してるときは自己懲罰のためにリスカする」
「この世界は他人を傷つける人間が傲慢さで生存でき、他人に傷つけられた人間が生きずらさで淘汰される。淘汰されるべきなのは、きっと他人を傷つける人間側なのに」
「お前のために死ぬわけじゃないけど、お前のせいで死にたくなってる。目障りだから消えて欲しいんだろうけど、僕だって同じ事考えてんだよ」
「アンタが僕に刻み付けたトラウマのせいでバカな僕はいつもアンタのことを考えてるよ。そしたら、アンタが自殺する夢を見たんだ。きっとアンタの死体は犬も食わない」
このように吐露した苦しみが、僕の心をちょっぴり軽くする。そして、この憎悪と呪詛の文章を誰かに見て欲しくなって、僕はキョロキョロと死神天使を探した。
「死神天使……?」
彼はいつの間にかいなくなっていた。その夜、僕はうまく寝られなくて、また何度も強く自分の頭を殴りつけた。このまま気絶しちゃえばいいのに。なんて願って。
「あれ?寝られないのか?」
パッとまた現れた。彼は僕のおでこを撫でて、腫れていると悲しそうな表情をした。
「今まで何処に行ってた?」
「少し、散歩をしてたんだ。そしたら、フラペチーノという美味しそうなチョコレートの飲み物を見つけてな。あぁ、飲んでみたかった……」
と残念そうに唇を尖らせた。
「飲めないのか?」
「俺は生死の境界線上にいる人間にしか見えないからな。注文ができないんだ」
「じゃあ、退院したら僕が買ってあげるよ。そしたら、飲めるのか?」
「え?そんなこと、本当にしてくれるのか?」
彼は吃驚した様子で僕にキラキラした目を向けた。
「それくらい、殺してくれるならやるよ」
「あぁ、君は本当に良い奴だな!」
と僕のことを抱きしめて、彼は目一杯の喜びを伝えてくる。
「死神天使にも好物なんてあるんだな」
大型犬のように飛びついて喜ぶ彼の可愛さにふっと笑みがこぼれた。
「俺も、元はと言えば人間だからな」
「え?」
「本当だよ」
彼は疑いの目を向けている僕に妖しげにそう微笑んだ。
「じゃあ、名前があるのか?」
「あぁ、名前はイル・ディラストだ。きっと検索したら出てくるよ。俺は超有名人だったから」
彼の言うようにイル・ディラストの名前を検索してみると、何件もの検索結果が表示された。
「愛ある死神、イル・ディラスト」
そのウェブサイトを開いてみると、数十人も殺害した殺人鬼。老若男女、誰でも虜にする美貌で、みな彼に愛されながら死んでいく。その殺害方法は主に絞殺で、たまに刺殺された遺体もあった。そんな彼に惚れた警察官が彼を匿っていたが、最終的に絞首刑にされて死亡した。
「何だか、恥ずかしいね!」
照れたように目を泳がせている彼の顔はウェブサイトに表示されている写真のままだった。
「超格好良い!!!」
僕はそんな彼の過去を知って、うっかり惚れてしまいそうだった。僕を殺してくれそうだからだ。
「ありがとう。でも、後悔してるよ。地獄に居場所がないからね」
「それで、死神天使やってるの?」
「そうだよ。俺なりの贖罪だね」
と彼は自分の首に巻かれている首吊りロープを触った。絞首刑で酷く苦しんだだろうに。
「偉いね、イルは。死んでもなお、前を向いて頑張ってる」
そう紙に書くと、彼はその紙を手に取り、その文字をじっと見つめて唇を噛み締めた。
「この言葉、貰っていい?」
「え?」
「俺、大事にするから」
少し目を潤ませながら、その紙をぎゅっと掴んだ。僕の言葉が、こんなにも彼の心を掴んだなんて、信じがたくて
「そんなので良ければ……」
と決まりが悪く、目を泳がせてしまった。
「ありがとう、レイラ」
ふわっと僕を包み込むように抱きしめて、彼は初めて僕の名前を呼んだ。僕の死んだ心が動いたように心臓が強く跳ねた。他にもたくさん書いた文章があったけど、純粋な彼の綺麗な瞳を汚してしまうみたいで見せられなかった。
「イルは愛される才能があるよ」
「君にもあると思うけど?」
「僕の何処に……?」
と自嘲すると、彼は両手で僕の首を包み込んでニッと笑った。
「じゃあ、俺が愛してあげる」
首が締まる。けれど不思議と苦しい感覚はない。ただ脳に血液が回らなくなって、ごちゃごちゃしていた頭がスーッと何も考えられなくなった。
「おやすみ」
と彼は僕の頬に軽くキスをした。そこからの記憶はない。
気がつけば朝になっていた。ぐっすり寝たという感覚があるだけ。悪夢すら見なかった。僕は昨夜のことを思い出して、イル・ディラストのことをスマホで徹底的に調べた。
イル・ディラストは乳幼児期に実母からのネグレクトを受けて、叔母に引き取られた。だが、幼少期にその叔母の性的虐待を受け、その叔母を殺害。少年院に入り、出所後は工場で働き始めて更生したと思われたが、当時付き合っていた彼女を殺害。その後、海外逃亡をして殺害を繰り返し、奪った金品で生活をしていた。そんなある日、警察官に捕まりそうになったが、その警察官をも惚れさせ、匿われながら暮らしていたが、他の警察官に存在がバレてしまい、最終的に絞首刑になる。
「きっと彼は愛が何だか分からなかったんだ。首を絞めることが愛だと教わったんだ」
破綻的な愛しか教わらなくて、でも愛に飢えていて、捨てられるのが怖くて、どうせ捨てられてしまうのだから、その前に幸福の絶頂で殺してしまえ。というように殺害を繰り返していた。
「何を熱心に書いてるの?」
突然、ふわっと現れたイルに僕はビクッとしてしまった。書いていた紙を彼から隠すように腕で覆った。
「別に、なんでもない……」
「そっか」
彼は僕が隠したがっていることは無理に聞かなかった。ただ、そこに寄り添っているだけで、何もしてこなかった。
「イルも僕もきっと誰かから求められたかったんだ。生きてていいよ、って認められたかった」
勉強も仕事も人生も、何も上手くいかない僕だけど、それでも、生きていてくれてありがとう、って誰かに言って欲しかった。だって、クズだとか死ねだとか他人に簡単に言ってしまうこの世界で、生きてていいよ、なんて重い言葉は誰も言ってくれないんだ。
「イル、僕の傍にいてくれてありがとう」
「何?最期のお別れでもないのに」
と彼は茶化したように笑う。
「いいや、ただ伝えたかったんだ」
僕は自分の気持ちを伝えるのが、こんなにも恥ずかしいこととは知らなかった。でも、伝えられた満足感から心の中は穏やかだった。
「今からイル・ディラストとして個人的な意見を言う。この腐った世界では生きていくのは非常に困難だと思うが、君が生きていることで救われる人間がいることを忘れないでいて欲しい」
そう落ち着いた声のトーンで真剣な目で僕のことを見つめて言ってきた。
「もしかして、君がそうなのか?」
「恥ずかしながらね。君の言葉に救われている」
彼はスーツの胸ポケットから僕が昨日渡した紙を取り出して、そこにある文章に目を通してはニコリと笑った。
そして、ついに僕の退院の日。
「今日でこの入院生活も終わりだな。君のおかげで退屈しなかったよ」
「ふふっ、君のために花を摘んできたんだ。本当は花束でもあげたかったんだが、やはり俺では難しくてな」
と小さくて綺麗な青い花を一輪渡された。
「可愛い。大切にするね!」
「そうしてくれると嬉しい」
そう微笑む彼はやはり天使だった。
「それで、やっとできたよ。僕の文章が。君に読んで欲しい」
二つ折りにしたコピー用紙を彼に渡した。
「『親愛なる死神天使へ』?タイトルは『遺書』じゃなかったのか?」
そのコピー用紙に書かれたタイトルを読んで、彼は首を傾げた。
「君に読んで貰うにはこのタイトルのが良いと思って」
「なんだか、手紙みたいだな」
そう言いながらも、彼は僕が書いた文章を目線を動かしてじっくりと読んでいく。そして、最後まで読み終えると、はぁ、と深いため息をついて、その手紙を胸に当てて抱きしめた。
「どう、かな……?」
僕は恥ずかしくて目が合わせられない。でも、彼は
「君は、あぁ、もう……!!」
と言葉にならない言葉を発して、赤面して目を潤ませながら、僕を見つめていた。
「何?」
すると、死神天使は僕の首に鎌をかけてきた。とても苦しそうな顔をして。
「約束だからな」
「イル、もういいよ。僕を救ってくれてありがとう。僕はそれを、君に言いたかったんだ」
そう言うと、彼はキラリと一粒の涙を零して、サッと消えていった。
「幸せになってね」
最後に彼の唇がそう動いたように見えた。
祖父が病院まで迎えに来た。僕の両親は共働きで忙しいって。僕はまだ死神天使がいなくなってしまった悲しみに溺れていて、病院のベッドで布団にくるまっていた。
「イル・ディラスト。お前さんも会ったのか」
そんな祖父の声が聞こえてきて、僕はガバッと布団を剥いで飛び起きた。
「おじいちゃん、イルのこと知ってるの!?」
「知ってるも何も、ワシのお父さんはイル・ディラストのことを匿った警察官だったんだよ。だから、幼い頃はイル・ディラストが嫌いだった」
「何で?」
「殺人鬼を匿った落ちこぼれ警官の息子。そう近所の人から罵られた。でもな、一回だけワシもイル・ディラストに会ったことがあってな」
「え!」
「ワシが警察官だった頃、犯人に銃口を向けられて、もう死ぬって時に、アイツはワシに膝カックンしやがってな。本当、お茶目な奴だよ」
「守ってくれたんだね。イルは」
「あぁ、だからその後、お母さんにイル・ディラストのことを聞いてな。そしたら、ワシのお父さんは愛を知らないイル・ディラストに愛を教えて更生させようとしてたんだと聞いたよ。イル・ディラストは本当は純粋で良い奴だからって」
「そうなんだよ。イルはとっても純粋で良い奴なんだ!」
「ははっ、レイラには分かるんだな。それもそうか、お前さんは先祖返りなのか、ワシのお父さんにそっくりだ。だから、イル・ディラストもたくさん、レイラとお話したかったんだろうな」
「イルとおじいちゃんのお父さんのお話、もっと聞かせて!」
とお願いすると家に行けば、僕の曽祖父が残していた本や資料があると教えてくれた。僕はワクワクした足取りで病院から出た。
退院した僕は、たくさんの面接に落とされながらも、小さな出版社に勤めることができた。イル・ディラストと僕の曽祖父の本当の物語。そして、死神天使になったイル・ディラストの物語を僕の言葉でこの世界に伝えたかったからだ。そのために、文章を取り扱う仕事をして、文章の書き方についてたくさん学び、つらくて苦しいことも死ぬほどあったが、今日、やっと自費出版することに成功した。
「僕が書いた文章が本になってる……!」
その達成感と喜びで僕は涙が出てきた。僕はその本を大事に鞄に入れて、チョコレートフラペチーノを二つ注文した。
「イル、読んでくれるかな?」
カフェのイートインスペースで対面にフラペチーノと本を置いて、イルを数時間ずっと待っていた。そしたら、強い突風が吹いて、本のページがパラパラとめくられていった。突風が止むと、僕の対面に置かれた、さっきまでいっぱいだったフラペチーノが空になっていた。
「え?」
不審に思った僕は、対面に置いた本を手に取り、中身を読んでみると、その裏表紙に
「Thank you. Il Dilust」
とイルの字で感想が書かれていた。
「イル、読んでくれたんだ。ありがとう」
もし君が人生に絶望して、生死の境界線上にいる時、君の前に死神天使が現れるかもしれない。でも、安心して。彼は君に寄り添い、絶望の奥底で、弱く、でも微かに灯っている。君の『生きたい意思』を救ってくれる。そして、きっとこう言うだろう。
「君が死ぬのは、今じゃない」と。




