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アンヌの策略4

 アンヌは、ステファーヌから向けられた冷たい視線を受け止めきれず、胸の奥で言い訳を探した。


 ――この人が、こんな顔をするはずがない。


 悪いのは、エリーズだ。

 彼女が、ステファーヌを縛っているのだ。


 幼い頃から、アンヌは常に注目されてきた。

 一目惚れをされ、告白を受け、ただ言葉を交わすだけで異性は嬉しそうに頬を染めた。


 自分が声をかければ、誰もが振り向く。

 それが、当たり前だった。


 そんな自分に、冷たい視線を向ける男がいるなど、信じられなかった。


 だからこそ、アンヌは結論づけた。


 ――ステファーヌ様は、縛られているのだ。エリーズ様に、心を支配されているのだ。


 そうでなければ、説明がつかない。


 ――わたくしが、本当の愛を教えて差し上げなければ。


 それは使命感に近いものだった。

 自分が“選ばれなかった”という事実を、どうしても認められないがゆえの歪んだ救済願望。


 ――魔の手から、必ず救ってみせますわ。


 その思考が、どれほど独りよがりで、どれほど傲慢か。

 アンヌ自身は、まだ気づいていなかった。


 曲に合わせて踊る中、男爵家の生徒のリードによって、エリーズは少しずつアンヌたちの方へと近づいてくる。


「……わたくし、またステファーヌ様のお気持ちを害するようなことを言ってしまいましたでしょうか」


 控えめな声。

 不安げに揺れる瞳。


「もし、そうでしたら……謝りますわ」


 その言葉に、ステファーヌははっとして我に返った。


「ああ……いや。俺も、怖がらせてしまってすまない」


 一拍置いて、しかしはっきりと続ける。


「だが、エリーのことを悪く言うのはやめてくれ。彼女は、君の言うような女性じゃない」


 アンヌの胸が、きゅっと縮む。


「わ、わたくし……エリーズ様を悪く言うつもりは……」


 視線を落とし、かすかに首を振る。


「ステファーヌ様の身を案じるあまり、つい……あんな言い方をしてしまうなんて……」


 自嘲するように、アンヌは小さく息を吐いた。


「……こんなことでは、嫌われてしまっても仕方ありませんわ」


 震えた声。

 今にも泣き出しそうな、儚い横顔。


 ――その時だった。


 ドン。


 不自然なほど軽く、しかし確かな衝撃がアンヌを襲った。


「きゃっ――」


 小さな悲鳴と共に、アンヌの身体が傾ぐ。

 バランスを崩した彼女は、とっさに縋るようにステファーヌの手を強く引いた。


 次の瞬間。


 二人の身体はもつれるように床へと倒れ込んだ。


 ざわり、と空気が揺れる。

 演奏は途切れ、ホールに緊張が走った。


 倒れ込むアンヌとステファーヌ。

 そのすぐ傍に――エリーズが立っていた。


「……何事ですの?」


 騒ぎを察した女性教諭が、人垣をかき分けて現れる。


「申し訳ございません、先生」


 エリーズと踊っていた男爵家の生徒が、すぐに前へ出た。


「エリーズ嬢と踊っていたら、アンヌ嬢とステファーヌ殿に近づきすぎてしまい……その際、エリーズ嬢がアンヌ嬢とぶつかってしまったようで……」

「……何度も申していますでしょう。社交ダンスでは、周囲への配慮を最優先しなさいと」

「申し訳ございません……」


 エリーズも、男爵家の生徒も、静かに頭を下げた。


「ミスター・ギャロワ、ミス・ビロン。お二人とも、怪我はありませんか?」

「俺は大丈夫です」


 ステファーヌは即座に答え、立ち上がる。


「わ、わたくしも……」


 アンヌも立ち上がろうとした、その時。


「……いたっ……」


 顔を歪め、足首を押さえる。


「……足を捻ったようですね」


 女性教諭は冷静に判断し、言い渡した。


「ミスター・ギャロワ。パートナーであるあなたが、医務室まで運んで差し上げなさい」

「……承知しました」


 教師の指示に逆らえる者はいない。


 ステファーヌは一瞬だけ視線を彷徨わせた後、アンヌをそっと抱き上げた。

 ――いわゆる、お姫様抱っこで。


 その光景に、女生徒たちの間から小さな歓声が漏れる。


「……まるで、王子様とお姫様ですわ」

「とても……絵になりますわね」


 囁きが、波紋のように広がる。


 アンヌは頬を紅潮させ、恥じらうようにステファーヌの首へと腕を回した。

 その仕草が、あまりにも自然で――あまりにも“絵”になっていた。


 そうして、二人はホールを後にする。


 残された空気は、重く、張りつめていた。


「……どうして、このような事故が起こったのです?」


 女性教諭の低い声が響く。

 その視線は、エリーズと、彼女のパートナーである男子生徒へと向けられた。


「周囲を把握するよう、何度も指示してきましたわよね?」

「も、申し訳ありません……」


 男子生徒は一歩前に出て、言いづらそうに視線を逸らした。


「僕は、エリーズ嬢とアンヌ嬢が近づきすぎていることに気づき、距離を取ろうとしました」


 一瞬の間。


「ですが……」


 彼は、続けてしまった。


「エリーズ嬢に引かれる形になり……その時には、もう遅く……結果的に、エリーズ嬢がアンヌ嬢にぶつかっていました」


 その言葉が落ちた瞬間。

 教室の空気が、はっきりと変わった。


 エリーズは目を見開き――

 次の瞬間、ゆっくりと視線を床へ落とした。


 違う。


 喉まで出かかった言葉を、必死に飲み込む。


 体の前で組んだ指先が、微かに震える。

 冷たい感覚が、掌から心臓へと伝わってくる。


「……ミス・ラブラシュリ」


 女性教諭の声には、失望が滲んでいた。


「わたくしは、貴女を高く評価しておりました。ですが、本日の遅刻に続き、この事故……」


 一拍置いて、淡々と告げられる。


「これでは、貴女への評価を見直さざるを得ませんね」


 その言葉は、宣告に等しかった。


 周囲がざわつく。

 向けられる視線は、もはや好奇や同情ではない。


 ――“悪役”を見る目。


 否定すれば、言い訳になる。

 感情を露わにすれば、自己弁護と取られる。


 何をしても、状況は悪化するだけだと――

 エリーズは、痛いほど分かっていた。


 ゆっくりと目を閉じ、深く息を吸う。


 泣いても、何も変わらない。

 ここで崩れれば、すべてを失う。


 ――大丈夫。


 そう、何度も自分に言い聞かせながら。


 エリーズは、精一杯の気丈さで、その場に立ち続けていた。


「そんな……!」

「エリーズが、そんなことをするはず――」


 マリリーズとシルヴィが思わず声を上げる。

 だが、その言葉は途中で遮られた。


「……やめなさい」


 フィリシテが、低く、しかしはっきりと告げた。


「フィリシテ様!?」

「どうしてですの!」


 二人は信じられないといった表情で王女を見る。


「私たちは、ぶつかる瞬間を見ていませんわ」

「ですが、エリーズが周囲に配慮しなかったなんて、あり得ません!」

「そうです! あるとすれば、あの男子生徒のリードが下手だっただけですわ!」


 感情を抑えきれず言い募る二人に、フィリシテは静かに首を振った。


「……分かっているわ。全部、分かっている」


 その視線は、エリーズの背中に向けられていた。


「けれど、エリーは耐えているの――反論すればするほど、自分の立場が悪くなると分かっているからよ」


 マリリーズとシルヴィは、はっと息を呑んだ。


「私たちがここでエリーを庇ったら、どうなると思う?」


 フィリシテの問いは、冷静で残酷だった。


「遅刻の一件……あれは、エリーズや私たちがアンヌ嬢を貶めるために仕組んだものだと、周囲は考えるでしょうね」

「そんな……どうしてそこまで……」

「話が飛躍しすぎですわ!」

「いいえ」


 フィリシテはきっぱりと否定した。


「噂とは、そういうものよ。理屈よりも、納得しやすい悪役を求める」


 一瞬の沈黙。


「私は、何を言われても構わないわ」


 その言葉に、二人が振り返る。


「でも、エリーは違う。自分のせいで、私たちまで悪く言われることを――彼女は、何よりも恐れる」


 マリリーズとシルヴィの脳裏に、同じ結論が浮かんだ。


 三人は、誰よりもエリーズの性格を知っている。


「……わたくしたちと、完全に距離を置こうとしますわね」

「ええ。エリーは、私たちと距離を置くでしょうね。それも、迷惑をかけないために――自分から“悪役”になる形で」

「間違いありませんわ。自分が傷つくことを選んででも、他人を遠ざける。それが、エリーズの優しさですもの……」


 三人の視線の先で、エリーズは一人、背筋を伸ばして立っていた。


 誰にも助けを求めず。

 誰にも縋らず。


 ――ただ、すべてを引き受ける覚悟を決めたように。


 フィリシテは、その横顔を目に焼き付けた。

 胸の奥で、静かに、だが確かに、怒りが燃え上がる。


 ――どうして、こんなやり方しか出来ないの。

 ――どうして、あなたばかりが傷つかなければならないの。


 王女としてではない。

 友として。

 幼い頃から彼女を知る、一人の友人として。


 フィリシテは、強く唇を噛みしめた。


「……アンヌ・ビロン」


 その名を呼ぶ声は、怒りに震えていた。


「――絶対に、許さない」


 誰にも聞こえないほど低く、しかし、決して消えない誓いとして。


 その瞳には、この国の王女が持つべき優しさではなく、友を傷つけた者を決して見逃さぬ覚悟が宿っていた。

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