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アンヌの策略1

 エリーズとアンヌの一件は、瞬く間に学園中へと広まった。

 これまで生徒たちから向けられていた羨望と尊敬の眼差しは、いつしか侮蔑と嫌悪へと変わっていく。


 廊下を歩けば、背後からひそひそと囁く声。

 振り返れば、露骨に逸らされる視線と、遠慮のない後ろ指。


「……わたくしから、一言申し上げましょうか?」


 心配そうに、フィリシテが口を開いた。

 王女である彼女がエリーズの味方をすれば、陰口は一時的に収まるだろう。


 だが――。


 それは決して、根本的な解決ではない。

 下手をすれば、その矛先はフィリシテ自身や、友人のマリリーズ、シルヴィにまで向けられてしまう。


 エリーズは、ゆるく首を振った。


「いいえ。そんなことをすれば、フィリシテ様やマリリーズ、シルヴィまで悪く言われかねませんわ」

「でも……!」


 マリリーズが眉尻を下げ、悔しそうに言う。


「エリーズは、何一つ間違ったことを言っていませんのに……悪者のように扱われるなんて、わたくし耐えられませんわ」

「アンヌ嬢の言い分は、あまりにも偏向的です!」


 シルヴィも声を荒らげた。


「少し考えれば分かりますわ!エリーズが、あんな意地悪な言い方をなさるはずがありませんもの!」


 三人の言葉に、エリーズは小さく微笑んだ。


「……ありがとうございます。ですが、彼女の受け取り方を考慮しなかったわたくしにも、非はありますわ」


 本当なら、方法はいくらでもあった。


 ステファーヌに直接、アンヌと関わるな、と告げれば彼は迷うことなく、その言葉に従っただろう。


 けれど、それでは。

 彼らに言われた通り、自分がただステファーヌを“支配”しているだけになってしまう。


 ――いいえ。


 エリーズは、胸の奥で思い直す。


 ――わたくしは……ステファーは「自分のもの」だと、彼女に分からせたかったのだわ。


 それが、どれほど独りよがりで、醜い感情だったとしても。


 ここ最近のステファーヌとアンヌは、誰の目にも親しく映っていた。

 学園中がそれを認めるほどに。


 ステファーヌも、満更ではないのではないか。

 そんな噂が囁かれ始め――


 やがて話は、

 「本当は愛し合っている二人が、親に決められた婚約者のせいで引き裂かれている」

 という、哀れな悲恋譚へと姿を変えていった。


 エリーズは、静かに目を伏せた。


 そんな中で起きた、アンヌとの一件。

 この出来事は、エリーズを“悪役”に仕立て上げるのに、十分すぎる材料だった。


 純愛の二人を引き裂く冷酷な婚約者。

 それが、生徒たちの目に映るエリーズの姿だった。


 噂とは、真実よりも、人の感情を好んで喰らうものなのだから。


「……三人に、お願いがございます」


 エリーズは、いつもよりも静かな声で言った。


「わたくしと、距離を置いてくださいませ」

「エリー!? 何を言ってるの!」

「噂のことなら、気にする必要ありませんわ!」

「そうです! 私たちはエリーズの味方です!」


 三人の声が重なる。

 それだけに、エリーズの言葉は残酷だった。


「わたくしのせいで、フィリシテ様やマリリーズ、シルヴィまで悪く言われるのは……耐えられませんの」

「そんなこと――」


 言いかけた言葉を、エリーズは柔らかく遮る。


「噂が収まるまでのことですわ。人の噂も七十五日、と申しますでしょう?」


 そう言って、無理に微笑む。


「大切な友人に、迷惑をかけたくありませんの」

「……迷惑だなんて……」


 三人は否定したかった。

 だが、エリーズの纏う空気が、それ以上の言葉を拒んでいた。


 ――もう、決めてしまったのだ。

 彼女は、そういう人間だった。


「ですが……噂が収まりましたら」


 エリーズは、少しだけ声を和らげた。


「その時は、また仲良くしていただけたら嬉しいですわ」


 一瞬の沈黙の後、三人は同時にエリーズへ抱きついた。


「当たり前よ!」

「もちろんですわ!」

「私たちの友情は、不滅ですもの!」


 シルヴィの言葉に四人は顔を見合わせ、涙を浮かべながら――それでも、笑い合った。


 エリーズは、一人で行動することが多くなった。


 噂など、じきに収まるだろう。

 そう思っていた予想は、完全に外れた。


 原因は、ステファーヌにもあった。

 彼は、噂など意に介さず、変わらずエリーズに声をかけ続けた。

 どれほど冷たくあしらわれようと、どれほど避けられようとも。


 誰の目から見ても、それは、ステファーヌがエリーズを追いかけている光景だった。

 だが、先入観に囚われた周囲の目は、事実を事実として捉えなかった。


 ――エリーズが、まだ彼を縛っているのだ。

 ――公爵令嬢の権力で、彼を独占しているのだ。


 そんな解釈が、噂に拍車をかけた。


 さらには、エリーズの“横暴さ”に嫌気がさし、友人たちも彼女のもとを去ったのだ、という話にまで尾ひれが付いた。


 真実など、誰も求めていなかった。

 求められていたのは、分かりやすい悪役だった。


 ――そして。


 エリーズを、決定的に悪役へと押し落とす事件が起こる。


「エリーズ様。社交礼法の教員より連絡がありまして、本日の講義は礼法講義室から饗宴実習室へ変更になったそうですわ」


 そう告げてきたのは、アンヌだった。


「フィリシテ殿下たちにも、お伝え願えますでしょうか」

「……承知しましたわ」


 エリーズは一瞬だけ視線を伏せ、頷いた。


 エリーズはフィリシテ、マリリーズ、シルヴィの三人に変更を伝え、指定された饗宴実習室へと向かった。


 だが、教室には誰もいなかった。


「……?」


 静まり返った室内。

 机も椅子も整然としており、使用された形跡はない。


 予鈴が鳴る。

 それでも、他の生徒が来る気配はなかった。


 集まっているのは、エリーズと、フィリシテ、マリリーズ、シルヴィの四人だけ。


「……おかしいですわね」

「確かに、変更と聞きましたのに……」


 不自然な沈黙。


 エリーズの胸の奥で、言葉に出来ない違和感が、静かに膨らんでいく。


 ――これは、ただの行き違いではない。


 そう直感した瞬間。


 背後で、がちゃり と、重い音が響いた。


「お前たち、こんな所で何をしている?」


 入室してきたのは、次の授業準備のために訪れた男性教諭だった。


「一年生だな。一年生は今頃、大礼儀堂で社交ダンスと公式作法の実習を行っているはずだが?」


 その言葉に、四人は顔を見合わせた。


「……え?」


 一瞬、理解が追いつかない。

 次の瞬間、全員がはっとして息を呑んだ。


「そ、そんな……」


 慌てて礼をして教室を飛び出し、四人は大礼儀堂へと走った。

 廊下を抜けるにつれ、扉の向こうから流れてくる音楽が、否応なく耳に入る。


 ――もう、始まっている。


 嫌な予感が、確信へと変わる。


 重厚な扉を開いた瞬間。

 演奏が止み、ホール中の視線が一斉にこちらへ向けられた。


「……あなた達」


 眼鏡をくい、と押し上げた女性教諭が、冷たい声で言い放つ。


「十五分の遅刻ですわ。場所の変更は午前中には決まっていたことでしょう?」


 凍りつく空気。


「五分前行動も出来ないなんて……今年の一年生は、随分と気が緩んでいますのね」

「申し訳ございません……」


 エリーズが一歩前に出た。


「ですが、饗宴実習室へ変更になったと伺っておりましたので……」


 女性教諭の視線が、すっと鋭く動く。


「その言伝を頼んだのは――ミス・ビロンでしたわね」


 一斉に、アンヌへ視線が集まる。


「そ、そんな……!」


 アンヌは目を見開き、震える声で言った。


「わたくし、確かに“大礼儀堂”とお伝えしましたわ。その証拠に、他の方々は皆、授業前に大礼儀堂へ集まっていましたもの」


 ざわ、と小さな囁きが広がる。


「……後ろの三名も、ミス・ビロンから饗宴実習室だと伝えられましたの?」


 問いに、フィリシテたちは言葉を詰まらせた。


「いえ……わたくしたちは……」


 その瞬間。


「三人には、わたくしからお伝えしました」


 エリーズが、はっきりと告げた。

 驚きに満ちた視線が、再び彼女へ集まる。


「ですから、間違った教室を伝えた責任は、すべてわたくしにございます」


 女性教諭は、深くため息をついた。


「……まったく。“大礼儀堂”と“饗宴実習室”を、どうすれば聞き間違えるのかしら」


 その言葉と同時に、生徒たちの間から、押し殺した笑い声が漏れた。


 くすくす、と。

 まるで当然の結果であるかのように。


「今回は初回ですので、大目に見ましょう」


 教諭は淡々と続ける。


「ですが罰として、あなた達四名はドレスに着替えず、制服のまま授業に参加なさい」


 ホールの中央で、華やかなドレスに身を包んだ生徒たちの中――

 四人だけが、制服のまま立たされることになった。


 その光景は、誰の目にも“罰を受ける側”として、はっきり刻まれた。

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