レディースファイト
「アンヌったら、最近ステファーヌ様と本当にいい雰囲気ですわよね」
「ええ。ステファーヌ様も、アンヌ嬢には少し態度が違うように見えますわ」
「そ、そんな……気の所為ですわ」
アンヌは友人たちと並んで廊下を歩いていた。
興奮気味の声が、否応なく耳に入ってくる。
「気の所為なんかじゃありませんわ。だって、最近ステファーヌ様とエリーズ様がご一緒のところ、あまりお見かけしませんもの」
その言葉に、アンヌは小さく息を呑んだ。
――確かに。
ここ最近、二人はどこか距離があるように見えた。
ステファーヌが声をかけても、エリーズは素っ気なく、避けるような素振りを見せることが増えた。
ポロの試合にも、彼女は姿を現さなくなっている。
「今も、ステファーヌ様に勉強を教えていただいているのでしょう?」
「放課後に、少しだけですわ」
「それでも羨ましいですわ……。今まではエリーズ様が怖くて、声をかけたくても出来ませんでしたもの」
「あら……でしたら、今日の放課後、ご一緒にいかがです? ステファーヌ様も、きっと快く受け入れてくださると思いますわ」
アンヌの誘いに、友人は慌てて首を振った。
「そ、そんな……! ステファーヌ様と同じ空間に、長時間なんて……心臓が止まってしまいますわ」
その言葉に、くすくすと笑い声が上がる。
「それに……お二人の邪魔なんて出来ませんもの」
「ですから、違いますってば!」
アンヌは慌てて否定する。
「そういう関係ではありませんわ」
けれど、友人たちは楽しそうに目配せした。
「ふふっ。そう思っているのは、アンヌだけですわ」
「そうですわ。最近のお二人の仲睦まじい様子は、学年中に知れ渡っていますのよ」
「えっ……!?」
「お似合いの美男美女だって」
「それに――」
声を潜め、囁く。
「“魔の手からステファーヌ様を救った聖女”ですって」
「……っ!」
アンヌの頬が、みるみる赤く染まる。
「も、もう……からかわないでくださいまし! それに、そんな噂を立てられたら、ステファーヌ様だってご迷惑ですわ」
「そんなことありませんわ」
「ええ。もし婚約者がいなければ……」
友人は、悪気なく続ける。
「きっと、アンヌ嬢を選んでいましたわ」
その言葉に、アンヌは思わず足を止めた。
「……やめてくださいまし」
そう言いながらも、否定の声音はどこか弱い。
視線を落とし、胸元で指を絡める。
「そんなこと、あるはずありませんわ。ステファーヌ様とエリーズ様は……幼い頃からのご関係ですもの」
口ではそう言い切りながらも、先ほどの言葉が耳の奥で何度も反芻されていた。
――婚約者が、いなければ。
その可能性を思い描いてしまった瞬間、胸の奥が、じんわりと熱を帯びる。
「……でも」
小さく零れた声は、友人たちには届かない。
アンヌはそっと顔を上げ、誰にも気づかれない程度に、口角をわずかに上げた。
「アンヌ嬢。少し、よろしいかしら」
その時――
背後から、凛とした声がかけられた。
「……エリーズ嬢」
呼び止めた人物を認めた瞬間、アンヌの肩がぴくりと強張る。
「二人きりで、お話がありますの」
その声音に、有無を言わせぬ圧があった。
アンヌの友人たちは、思わず不安げな表情を浮かべる。
「場所を移しましょう。着いてきてくださいませ」
「……はい」
公爵令嬢であるエリーズに呼び出されて、伯爵令嬢のアンヌに拒否権はない。
二人は人目を避けるように、人気のない非常階段へと向かった。
足を止めたエリーズが、アンヌへと向き直る。
真っ直ぐな視線が、逃げ場を塞ぐ。
「単刀直入に言いますわ」
一拍。
「ステファーに、これ以上近付くのはおやめなさい」
あまりにも遠慮のない物言いに、アンヌの胸がかっと熱くなる。
「ど、どうして……そんなことを仰るのですか」
「……」
「ステファーヌ様が、貴方様の婚約者だからですか?」
「そうですわ」
短く、断定的な返答。
それ以上、説明する気はないらしい。
アンヌは俯き、拳をぎゅっと握りしめた。
「……ステファーヌ様が、可哀想です」
思わず零れた一言。
けれど、一度口にしてしまえば、もう止まらなかった。
「ステファーヌ様は、エリーズ様の所有物ではありませんわ! 誰と親しくするかは、ステファーヌ様ご自身が選ぶ自由があります!」
その言葉に、エリーズの表情は微動だにしない。
「彼は――」
一歩、距離を詰めて。
「わたくしのものよ」
冷たく、静かな断言。
それは主張ではなく、揺るぎない事実を告げる声音だった。
「それに、この忠告は貴方のためでもあるの。婚約者がいる殿方に対して、貴方の態度はあまりにもフランクすぎるわ。見方によっては、礼儀知らずと受け取られても仕方のないことよ」
「どうして……そんな酷いことを言うんですか?」
アンヌの声が震える。
「礼儀知らずだなんて……わたくしはただ、他の方と同じように、仲良くしたいだけですのに……」
大きな瞳に、みるみる涙が滲む。
だが、エリーズは一切動じることなく、静かに彼女を見つめ返した。
「貴方――ステファーに、気がおありでしょう」
「……っ」
図星を突かれ、アンヌの目が大きく見開かれる。
「傷つく前に、彼から離れなさい。それが、貴方のためだと忠告しているのよ」
淡々とした声音。
「どれだけ彼を想っても、無駄ですわ。ステファーは、わたくしの婚約者ですもの。傷が浅いうちに身を引くのが、賢明ですわ」
アンヌは俯き、下唇を強く噛みしめた。
――違う。これは忠告などではない。
上から見下ろし、優位に立った者の言葉だ。
そう受け取った瞬間、アンヌの胸に、黒い感情が渦を巻いた。
「……婚約者といっても」
震える声で、しかしはっきりと告げる。
「両家の親がお決めになられたもの、ですよね」
顔を上げる。
その瞳には、悔しさと、負けん気が宿っていた。
「ステファーヌ様の意思は、政略とは関係ありませんもの。彼の心は……貴方様のものではありません」
一歩も引かず、言い切る。
「彼のことは、心も――貴方様からも、わたくしが救ってみせますわ」
決意を宿した視線が、エリーズを真っ直ぐ射抜いた。
「これで、失礼させていただきます」
礼儀正しく頭を下げ、アンヌはその場を去った。
人気のある廊下へ出た途端、張り詰めていた糸が切れたように、涙が溢れ出す。
肩を震わせながら歩く姿に、すれ違う生徒たちが怪訝そうに振り返った。
「アンヌ!」
「アンヌ嬢、大丈夫でしたか?」
心配して近くまで来ていた友人たちが駆け寄ってくる。
アンヌは、涙に濡れた瞳で顔を上げた。
「どうしたんですの?」
「何があったんですの?」
「……エリーズ様に」
か細い声。
「ステファーヌ様に、これ以上近付くのはやめなさいと言われましたの。礼儀知らずだって……」
言葉を切り、唇を震わせる。
「ステファーヌ様は、自分のものだから。近付けば、わたくしが傷つくようなことが起こるって……」
友人たちの顔色が、一斉に変わった。
「まあ……なんて酷いことを!」
「やはり、人道的ではありませんわ!」
「聡明な方だと尊敬していましたのに……失望しましたわ」
口々にエリーズを非難する声。
アンヌは、友人の胸に顔を埋めた。
肩を震わせ、嗚咽を漏らす――その裏で。
誰にも見えない位置で、口元が、僅かに歪む。
――これでいい。
誰もが、自分の味方になる。
そして彼女は、孤立する。
アンヌは、静かに、ほくそ笑んでいた。




