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年上な幼馴染 1

 夏休みまで、あと二週間――その時期に、彼は現れた。

 夏休み明けから産休に入る女性養護教諭の代役として、学園側から派遣されてきた人物である。


「きゃあっ……! 次の養護教諭って、あの方ですの?」

「まあ……なんて素敵な御方……」


 職員室付近には、新任の養護教諭を一目見ようとする女生徒たちが自然と集まり始めていた。

 その中心にいるのが、アレクサンドル・ラヴォアジエ。

 二十二歳という若さで、すでに宮廷医師に並ぶほどの実力を持つと称される青年である。


「先輩から伺いましたけれど……彼、この学園の卒業生らしいですわ」

「ええ、わたくしも聞きました! 二年前のARCの二番手――ARCSecond(アーク・セカンド)だったそうですの」

「それって……実質、全学年でトップクラスということではありませんの!?」

「医療技術も当時から群を抜いていて、在学中に宮廷医師から勧誘を受けたとか……」

「それに、何より……あの容姿。大人の余裕があって、素敵ですわ……」


 噂話は尾ひれをつけながら広がり、女生徒たちは悲鳴にも似た黄色い声を上げる。

 その熱量は、まるで学園に新しい名物が誕生したかのようだった。


「……在学中も貴方の人気は凄まじかったけれど、これはもう、体調不良を訴える女生徒が続出しそうね」


 深いため息を零しながら、引き継ぎ書類に目を落とす女性養護教諭がぼやく。


「最初だけですよ。数日もすれば、きっと落ち着きます」


 そう言って、アレクサンドルは職員室の扉越しにこちらを覗く女生徒たちへ、柔らかな笑みを浮かべて軽く手を振った。

 その仕草一つで、外から再び小さな悲鳴が上がる。


(……数日どころか、夏休み明けもしばらくは混雑しそうね)


 女性養護教諭はそう予想したが、それを口にするのは無駄だと悟り、心の内に留めるにとどめた。


「それにしても……貴方が学園からの誘いを受けるなんて、思いもしなかったわ」


 女性養護教諭とアレクサンドルは、医務室へ向かうため並んで廊下を歩いていた。


「ええ、そう思われても無理はありませんね。私自身も、まさかまたこの学園に戻ってくることになるとは思っていませんでしたから」


 彼は軽い調子で肩を竦め、笑いながら答える。


 アレクサンドルは在学中、宮廷医師から直々に勧誘を受けていた。

 しかしその誘いを断り、卒業後は魔獣討伐隊の医療班として前線に身を置いてきた人物だ。


――外の世界で、より多くの命を救いたい。


 そう語っていた彼が、安定した学園の養護教諭を引き受けるとは、誰もが思わなかっただろう。


「……でしょうね」


 当時から、気紛れで掴みどころのない男だった。

 彼が何を考えているのかを深く探ろうとするだけ時間の無駄だと、女性養護教諭は悟り、そこで会話を切り上げた。


「――アレク……兄様?」


 ふと、廊下に澄んだ驚きの声が響いた。


「……エリー?」


 アレクサンドルは足を止め、次の瞬間、表情をぱっと明るくさせた。


「エリー! 久し振りだね。いやぁ、いつ以来かな。ずいぶん大きくなって……もう立派なレディだ」


 そこに立っていたのは、エリーズ・ラブラシュリだった。

 彼は思わず両腕を広げ、再会の喜びをそのまま表現するように彼女の方へ歩み寄ろうとする。


「お久しぶりです、アレクさん」


 だが、その二人の間に、すっと一人の少年が割って入った。


「……ご無沙汰しております」


 丁寧に一礼したのは、ステファーヌだった。


「君は――」


 アレクサンドルは一瞬だけ彼を見つめ、数秒遅れて目を見開く。


「……ステファーかい!? いや、何となく面影は残ってるけど……正直、一瞬誰だか分からなかったよ!」


 思い出した途端、驚いたように声を上げるアレクサンドルに、廊下の空気がわずかに揺れた。


「……彼女たちと、知り合いなの?」


 女性養護教諭が足を止め、控えめに尋ねた。


「はい。父がかつて受け持っていた患者さんの娘です。会うのは……そうですね、六年ぶりくらいになりますが」

「そう。なら、積もる話もあるでしょう。話が終わったら、医務室へ来なさい」


 久々の再会に水を差すのも野暮だと判断したのだろう。

 女性養護教諭はそれだけ言い残し、アレクサンドルをその場に残して先に医務室へと向かった。


「父から、君たちがスブリーム魔法学園に入学したことは聞いていたよ。でも、まさか初日から会えるなんて思っていなかった」

「新任の養護教諭とはアレク兄様だったのですね。先生は……お元気ですか?」

「ああ。もう若くはないのに、今も地方を飛び回っている。本当に、相変わらずだよ」

「ふふ……変わらないのですね。安心しましたわ」


 アレクサンドルの言葉に、エリーズは小さく笑みを零した。


 アレクサンドルの父は、かつてエリーズの母――マリーの主治医だった。

 名だたる医師たちが匙を投げる中、最後まで諦めず治療を続けてくれた人物である。

 そして、マリーを看取ったのもまた、彼の父だった。


「エリー。そんな他人行儀な話し方はやめてくれないか。私と君の仲だろう?」


 アレクサンドルは、父の診療に付き添う形で、エリーズの家によく出入りしていた。

 七歳年上の彼は、活発だった幼いエリーズと遊び、怪我をすれば手当をしてくれる存在だった。


 兄のいないエリーズにとって、彼は――

 “お兄さん”のような人だった。


「ですが……アレク兄様は、今や教員ですわ。昔のように、気安く接するわけにはいきません」

「私は気にしないんだけどな。それに……この学園の卒業生とはいえ、もう気楽に話せる友人もいないし。君たちくらいなんだ、昔の自分でいられるのは」


 そう言って、アレクサンドルは少しだけ寂しそうに微笑んだ。


 一瞬、気まずい沈黙が流れる。


「……分かりましたわ」


 やがて、エリーズが静かに口を開いた。


「では――あまり人目のない時でしたら、昔のように接します。それで、どうか譲歩してくださいませ」

「それで十分だよ」


 エリーズが折れる形でそう告げると、アレクサンドルは心から嬉しそうに頷いた。


「それにしても……驚いたよ。マリーさんも美しい方だったから、君もきっと綺麗になるだろうとは思っていたけれど――」


 アレクサンドルは柔らかく目を細める。


「本当に、マリーさんのような美しい女性に成長したね、エリー」


 そう言って、彼はごく自然な仕草でエリーズの頬に触れようと手を伸ばした。


 ――バチン。


 乾いた音が廊下に響く。


 エリーズの背後には、いつの間にかステファーヌが立っていた。

 彼は迷いなく、エリーズに触れようとしたアレクサンドルの手を叩き落としたのだ。


「……そ、そうですか? 母のようだと言っていただけて、嬉しいですわ」


 大好きな母に似ていると言われたことがよほど嬉しかったのだろう。

 エリーズは頬を淡く染め、はにかむように微笑んだ。


「マリーさんが亡くなられた時は、君のことが心配でね。でも……こうして見ると、本当に立派に育った」


 そう言って、今度は頭を撫でようと手を伸ばす。


 ――バシッ。


 再び、寸前でその手は弾かれた。


 背後に立つステファーヌは、嫉妬を隠す気もない険しい表情で、アレクサンドルを睨み据えている。


「……君、随分と過保護じゃないか?」


 機嫌を悪くしたアレクサンドルは、意地になったように両手を伸ばす。


 だが――


 ベシ。

 ベシ。

 ベシ。


 そのすべてが、ステファーヌによって無言で叩き落とされた。


 乾いた音だけが淡々と響く中、エリーズはとうとう深いため息をついた。


「……二人とも、いい加減になさい!」


 ぴしりとした叱責に、二人の動きが同時に止まる。


「まったく……何をなさっているんですの」


 呆れを滲ませたエリーズの言葉に、場の空気が一瞬緩んだ。


 ――その隙を突くように、再びアレクサンドルの手が伸びる。


 ベシ。


 即座に、ステファーヌの反撃。


 二人は無言のまま睨み合い、再び火花を散らしかける。


「ステファーヌ! ステイ!」


 強い口調で命じられ、ステファーヌの動きがぴたりと止まった。


「……」


 納得していないのが一目で分かる表情だが、それでも命令には従う。


「アレク兄様も……どうか、これ以上ステファーヌをからかわないでくださいませ」


 眉を寄せ、きっぱりと告げるエリーズに、アレクサンドルは一瞬だけ驚いたような顔をしてから――


 ふっと、愉しげに笑った。


「いやぁ、それにしても……君、変わったね。昔は女の子のエリーズに守ってもらってたヘタレだったのに」


 アレクサンドルは愉快そうに肩を揺らす。


「――まあ、金魚の糞みたいにくっついてるところだけは、相変わらずみたいだけど」

「アレクさんも、人をおちょくるその嫌な性格……ちっとも変わっていませんね」


 皮肉を投げられ、ステファーヌも即座に言い返す。


「安心しなよ。そんな風におちょくってるの、君に対してだけだから」


 ケラケラと屈託なく笑うアレクサンドルに、ステファーヌは露骨に眉をひそめた。


 そして――


 背後からエリーズを抱き寄せ、ぐっと自分の胸元へ引き寄せる。

 彼女の頭の上に顎を乗せると、まるで所有を誇示するかのように、嫌悪感を隠さない視線でアレクサンドルを睨みつけた。


 牽制と警戒。

 その両方を、これ以上ないほど分かりやすく示す態度だった。


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