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恵み深く【完】

「……それでもいい」


 即答だった。


 エリーズの腕の中で、ステファーヌは顔を上げる。

 迷いのない眼差しで彼女を見つめた。


 ステファーヌはゆっくりと立ち上がり、エリーズの肩を掴んで一緒に立ち上がらせる。


「完璧で、清廉で、正しい君なんて……俺は最初から求めていない。強くて、弱くて、時に狡くて……それでも必死に生きている君だから、俺は惹かれた」


 エリーズの言葉を、過去も、弱さも、歪みも。

 すべて抱き取るように。


「君が俺を縛っていたとしてもいい――それが独占でも、嫉妬でも、利己心でも構わない」


 ステファーヌは、エリーズの額にそっと額を寄せた。


「俺は、君に選ばれたかった。そして……これからは、俺が君を選び続けたい」


 エリーズの瞳が、静かに揺れる。


「エリー。俺を、利用してくれ。縋ってくれ。傍に置いてくれ――それが君の弱さなら、俺はそれごと引き受ける」


 息がかかるほど近くで、囁く。


「君の人生に、俺の居場所をくれ。正式な婚約者として……君の隣に立つ権利を、俺にくれ」


 沈黙。


 やがて、エリーズは小さく笑った。


「……本当に、ずるい人」


 そう言って、彼の胸元の服をきゅっと掴む。


「そこまで言われて、拒める女性がいると思って?……わたくしの負けよ、ステファー」


 エリーズは顔を上げ、真っ直ぐに彼を見つめた。


「正式な婚約者にするかどうかは――貴方がわたくしの隣に立つ覚悟を、最後まで貫けた時に決めましょう」


 挑むようで、慈しむような微笑み。


「逃げないで。折れないで。わたくしと同じ速度で歩きなさい。それが出来たなら……その時は、胸を張って隣に立ちなさい」


 ステファーヌは、一瞬息を呑み――

 次の瞬間、子供のように笑った。


「ああ。約束する! 君の隣に立つためなら、どんな努力も惜しまない」


 そうして、二人は静かに抱き合った。



───────


 数日後。

 エリーズの環境は、悪評が流れる前と変わらないものになっていた。


 ただ、元通りにならないこともある。


 噴水広場での出来事の後、生徒たちは以前にも増してエリーズへ憧憬の眼差しを向けるようになった。

 だがそれは、信頼とは別のものだった。


 噂に流され、エリーズを悪者に仕立て上げ、嘲笑し、侮蔑した過去は消えない。

 エリーズも、彼女の友人たちも、クラスメイトたちへの信頼を失っていた。


 声をかけられても。

 機嫌を取られても。

 媚びへつらわれても。


 返すのは、冷ややかな視線と、必要最低限の態度だけだった。


 騒動の元凶であるアンヌは、あの一件以来、休学している。


「聞いた噂では、今はビロン伯爵領で孤児院のお手伝いをしているそうよ」


 そう教えてくれたのは、フィリシテだった。


 アンヌの起こした騒動は、フィリシテの尽力もあり、貴族社会では思ったほど大事にはならなかった。

 表向きには、学生同士のよくある諍いとして処理されている。


 その裏で、どれほどの調整と根回しがあったのか。

 フィリシテは何も語らなかった。


 言われなくても、エリーズには分かっていた。

 そして、感謝してもしきれないほどの恩義を感じていた。


 けれど、彼女が何も言わない以上、エリーズもまた、何も言わなかった。


「今は、子供たちに手を焼いているそうよ」

「子供は正直ですからね。欲することに際限もありませんし」

「ええ。欲する側から、与える側へ――かしらね」


 フィリシテ、マリリーズ、シルヴィの言葉にエリーズは小さく頷いた。


 欲しがることしか知らなかった者が、与えることを学ぶ場所。


 それは、罰ではなく――

 やり直すための、時間なのだろう。


 エリーズは教室の窓から空を見上げた。


 自分は、与えられることも、失うことも知っている。

 そして、選ぶことの重さも。


 もう、振り返らない。


 信じるに足る人とだけ、共に歩いていけばいい。


 それで十分だと――

 今は、そう思えた。


「エリー! 待たせてすまない。行こうか――」


 帰りのHR後、教員に用事を頼まれていたステファーヌが、それを終えて教室に戻って来た。

 彼は机に置いてあった鞄を手に取り、エリーズへ声をかける。


「あら、今日もポロの練習を見に行かれますの?」


 マリリーズの問いに、エリーズは首を振った。


「今日は、ショップタウンですわ。例の喫茶店の予約が、また取れましたの」

「まあ! それは良かったですわね」


 シルヴィが声を弾ませる。

 以前、ステファーヌと行くはずで――叶わなかった、あの喫茶店。

 甘いもの好きの彼のために、エリーズが取っていた予約だった。


「フィリシテ様、マリリーズ、シルヴィ。本日はお先に失礼しますわ」

「楽しんで」


 椅子から立ち上がったエリーズに、フィリシテが柔らかな声をかける。

 エリーズは軽く一礼し、ステファーヌのもとへ向かい、出入口へと歩き出した。


「エリーズ」


 三人に呼び止められ、エリーズは振り返る。


「行ってらっしゃい」


 フィリシテ、マリリーズ、シルヴィが、揃って微笑んだ。


「行ってきますわ」


 エリーズは満面の笑みでそう返し、ステファーヌと並んで教室を後にした。


 二人で歩く廊下。

 しばしの沈黙。


 エリーズを見下ろしていたステファーヌが、ふと口を開いた。


「エリー、泣いてる?」

「泣いてませんわ」


 そう言いながらも、エリーズの表情は今にも泣き出しそうだった。

 眉間に寄った皺、潤んだ瞳、きゅっと結ばれた唇。

 声はわずかに鼻にかかっている。


 ステファーヌは思わず、くすりと笑った。


「いい友人たちだね」


 柔らかな声に、エリーズはこくりと頷く。


「わたくしには……勿体ない方たちですわ」

「そんなことないよ。君の本質を知っているから、ああして一緒にいたいんだ」


 本当に、恵まれていると思う。

 辛い時期もあった。体調を崩すほど追い詰められたこともあった。

 それでも、フィリシテやマリリーズ、シルヴィがいてくれた。

 信じてくれた。


 独りじゃなかった。


 ――もちろん、ステファーヌもそうだ。

 けれど、友人という存在は、また違う形で心を支えてくれる。


 差し伸べられる手。

 共に立ってくれる人。


 その事実が胸に満ちて、エリーズはとうとう涙を堪えきれなくなった。


「まあ、でも――」


 人前で泣くことのないエリーズの涙に気付き、ステファーヌはそっと彼女を引き寄せた。

 人目から隠すように、腕で包む。


「エリーのことを一番想ってるのも、一番の理解者なのも――俺だけどね」


 エリーズは一瞬、目を見開いた。


 彼の胸元に寄せられた額。

 伝わる鼓動。


 少し張り合うような言葉に、エリーズは小さく笑った。

初めは3万字くらいで終わるだろうと思って書き始めた作品だったのですが、いつの間にやら長編に……

無事完結まで書き切ることが出来て安心しています。

執筆中、幾つもの転換点がありました。ARCのメンバーを出したかったのですが、話が膨らみ過ぎて現在の技量では書き切るのは難しいと判断し何度も作中人物たちに行動修正してもらい10万字以内に抑えてもらいました笑

ほぼ、エリーズとアンヌの話みたいになってしまったので、番外編を執筆中です。

本編では発揮しきれなかったステファーヌの溺愛っぷりを書けたらいいなと思っています。

ここまで、お読み下さった方々、本当にありがとうございました。

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