学園のマドンナ
月日は流れ――
二人は十五歳となり、王立スブリーム魔法学園に入学した。
スブリーム魔法学園は、平民・貴族を問わず、優秀な者のみが門をくぐることを許される、国内最高峰の学び舎である。
五年制・全寮制。
学問、魔法、礼法、戦術――あらゆる分野において厳格な教育が施され、全国民の憧れでもあった。
エリーズ・ラブラシュリは学年首席。
ステファーヌ・ギャロワは次席。
二人は揃って上位で合格し、入学式の翌日には、その名が学園中に知れ渡っていた。
「――試合終了! 9-7で白組の勝ち!」
勝利を告げる声が、広場いっぱいに響き渡る。
「きゃあああ!」
「素敵……!」
「ステファーヌ様ぁぁ!」
一斉に上がる、黄色い歓声。
自由時間を利用し、男子生徒たちは即席のポロ試合を行っていた。
馬に乗り四人一組で、広大な競技場を駆け抜ける競技は、力強さと技術、そして瞬時の判断力を要求される。
学生の遊びとは思えぬ迫力に、観る者の心は否応なく掻き立てられた。
「――初めてポロを間近でご覧になった感想はいかがでした?」
そう問われても、アンヌ・ビロンはしばらく視線を競技場から外せずにいた。
「……とても、胸が高鳴りましたわ」
そう答え、言葉を切る。
そして――白組の中心に立つ、一人の少年へと目を向けた。
「それに……白組の、あの方。とても……格好良かったですわ」
友人が、くすりと微笑む。
「ああ、あの方はステファーヌ様ですわ」
「まあ……! 道理で! 勉学だけでなく、運動まで万能なのですね」
「本当に……エリーズ様が羨ましいですわ。幼馴染で、しかも婚約者だなんて」
友人は両手を頬に当て、うっとりと溜め息をついた。
「……本当に、羨ましいですわね」
思わず零れた自分の言葉に、アンヌははっとする。
友人は、驚いたように彼女を見つめていた。
「あ……い、今のは……」
「大丈夫ですわ。誰にも申しませんから」
友人はすぐに柔らかな笑みを浮かべた。
「それに、安心しました。アンヌはいつも異性からのお誘いをすべて断っていらしたでしょう? 興味がないのだと思っていましたの」
「そ、そんなことは……」
「ステファーヌ様は、やはり誰もが憧れますわよね」
楽しげに続ける友人の声が、アンヌの胸に静かに沈んでいく。
「でも、学園のマドンナと呼ばれるアンヌでしたら……彼を振り向かせることも、出来たのではなくて?」
言葉は、やがて小さくなり。
「……もし、婚約者がいなければ……」
独り言のように、空気の中へと消えていった。
アンヌは、無意識のうちに胸元へ手を当てていた。
再び、周囲が喧騒に包まれる。
「きゃあああ……ステファーヌ様が、こちらをご覧になりましたわ」
試合を終えた男子生徒たちが、観客席の方を見てざわめき始めた。
誰に向けられた視線なのか――アンヌにも、すぐに分かった。
ステファーヌもまた、チームメイトに肩を叩かれ、こちらを向く。
その視線が、確かにアンヌたちの方へと向けられた。
「あら。男性の方々、アンヌにお気づきになったみたいですわね」
友人が楽しそうに囁く。
「学園のマドンナが初めて試合観戦に来られたのですもの。盛り上がるのも当然ですわ。ふふっ」
「そ、そんな……。別に、わたくしが見に来たからだなんて……」
アンヌはそう否定しながらも、表情にはわずかな期待が滲んでいた。
「あ……ほら。ステファーヌ様が、こちらに向かっていらっしゃいますわ」
その言葉に、アンヌの胸が大きく跳ねる。
ステファーヌは、真っ直ぐにこちらを見つめながら歩いてくる。
その視線を受け、アンヌは落ち着かない心を抑えるように、そっと髪を片耳にかけた。
頬が、わずかに熱を帯びる。
――何か、言わなければ。
アンヌの前で、ステファーヌの足が止まる。
彼女は生唾を飲み込み、意を決して口を開いた。
「あ、あの……先程の試合、とても――」
「エリー! さっきの試合、見てくれたかい!」
張り上げられた声が、アンヌの言葉を無情にもかき消した。
ステファーヌの視線は、彼女をすり抜けていた。
観客席の奥――日傘を差し、静かに佇む一人の少女へと、まっすぐに注がれている。
周囲の称賛も、黄色い歓声も、彼の耳には届いていないようだった。
声をかけられたエリーズは、開いていた扇子を静かに閉じる。
そして、ステファーヌのもとへと歩みを進めた。
公爵令嬢であり、学園でも名高い存在。
その姿を認めた途端、人混みは自然と割れ、彼女の前に道が出来る。
エリーズはステファーヌの前で足を止め、見上げるように微笑んだ。
その瞬間、ステファーヌの表情が、ぱっと花開いたように明るくなる。
――だが、次の瞬間。
エリーズは目を吊り上げ、閉じた扇子で彼の胸板を、つんと突いた。
「なんですの、さっきの試合は!」
鋭い声が響く。
「勝ったから良いものの、内容は五点に抑えられるものでしたわよ! あの場面、無駄に前へ出過ぎです!」
叱責を受けながらも、ステファーヌは困ったように、けれどどこか嬉しそうに笑っている。
「はは……ごめん。つい、熱くなっちゃって」
そのやり取りを、アンヌは少し離れた場所から見つめていた。
――分かってしまった。
自分が割り込める隙など、最初からなかったのだと。
そして、まるで空気のように扱われた。
こんな辱めを受けたのは、生まれて初めてだった。
“学園のマドンナ”として持て囃されてきたアンヌにとって、それは耐え難い屈辱だった。
「……きゃっ」
思わず、アンヌはよろめくふりをして、二人の間へと倒れ込んだ。
「おっと……大丈夫?」
エリーズと話していたステファーヌが、反射的にアンヌの肩を支える。
――見てくれた。
ようやく自分を認識したことに、アンヌの口元がわずかに緩む。
「ご、ごめんなさい……。背中を押されて、バランスを崩してしまって……」
片手を口元に添え、瞳を潤ませる。
上目遣いで見上げれば、今までそれで断られたことはなかった。
「怪我がなくて良かったよ。気を付けてね」
「……はい。ありがとうございます」
だが、その優しさは一瞬で終わった。
「エリー。それで、この後なんだけど――」
ステファーヌは無事を確認すると、迷いなくエリーズへと向き直る。
アンヌは、思わず下唇を噛みしめた。
「あ、あの!」
声を張り上げ、再び二人の間に割って入る。
「さっきの試合、とても素敵でした! 一番……格好良かったですわ」
ステファーヌの視線が、再びこちらに向く。
目が合い、彼が穏やかに微笑んだ。
その瞬間、アンヌの胸は再び高鳴った。
「ありがとう」
だが、それは“彼女だけ”に向けられたものではなかった。
「ステファーヌ様の試合、欠かさず拝見していますわ!」
「あの場面、本当に素敵でした!」
「さすがステファーヌ様ですわ!」
次々と押し寄せる女生徒たちの声。
人波に呑まれ、アンヌの存在は容易くかき消されていく。
――同じだった。
結局、自分は“大勢の一人”でしかない。
喧騒を前に、エリーズは小さく息を吐いた。
「……わたくしは、帰りますわ」
「エリー! 俺も一緒に帰るよ!」
そう言って、ステファーヌは迷いなく彼女の後を追う。
誰の視線も、誰の声も、彼を引き留めることは出来なかった。
アンヌは、その背中を、ただ黙って見送った。




