自滅の道
ララは男子生徒と同じ男爵家の者だ。
「わたくしは――彼の、元婚約者です」
その一言で、群衆がざわめいた。
ララは視線を伏せることなく、集まった者たちに向けて静かに続ける。
「事情を知らぬ方も多いでしょうから、簡単にご説明いたします。わたくしは、数日前まで彼と正式な婚約関係にありました」
「ララ! 何を言う気だ! お前……僕を裏切るつもりか!」
男子生徒が声を荒げ、一歩踏み出そうとする。
「先に、わたくしを裏切ったのは貴方です」
ララは即座に言い返した。
声は震えていたが、言葉ははっきりとしていた。
「わたくしは、殿下のために――そして、この場にいる皆様のために、真実を話すだけです」
「やめろ! ――っ、いたたた!」
「少し、静かにしてもらえますか」
ジェルヴェが一歩踏み出し、男子生徒の動きを止めた。
手首を取られ、体勢を崩した男子生徒は、膝をついた瞬間、背中を押さえつけられる。
派手さはない。
だが、王太子側近として鍛えられた確かな制圧だった。
「続けなさい、ララ嬢」
フィリシテの声に促され、ララは小さく頷いた。
「……わたくしが婚約を解消した理由は、彼の言動を許すことが出来なかったからです」
ララは一度だけ唇を噛みしめ、言葉を選ぶように続ける。
「彼が、わたくしに打ち明けた“事実”――それは、エリーズ様を貶めた内容でした」
場の空気が、ひやりと冷える。
「件の社交ダンス授業があった日、わたくしは彼に呼び出されました。そこで告げられたのは……婚約を解消したい、という言葉でした」
ララは視線を落とした。
だが、逃げることなく、再び顔を上げる。
「理由を尋ねたところ、彼は――アンヌ嬢と婚約するからだと、嬉しそうに話していました」
その名が出た瞬間、噴水広場のざわめきが、一段大きくなった。
「わたくしは、どうしても信じられませんでしたわ」
ララは静かに、だがはっきりと言った。
「だって、彼とアンヌ嬢では釣り合っていませんもの。学園のマドンナと呼び声高く、伯爵家の令嬢であるアンヌ嬢が――一介の男爵令息でしかない彼と婚約するメリットなど、どこにもありませんわ」
周囲から、納得したようなざわめきが広がった。
確かに政略結婚として見ても、男爵家では明らかに格が足りない。
恋愛感情だとしても不自然だ。
現に、アンヌが本命として狙っているのはステファーヌであることなど、誰の目にも明らかだった。
「ですから、わたくしはすぐに分かりました。――彼は、アンヌ嬢に利用されているのだと」
「なっ……騙すだなんて! 人聞きの悪い! わたくしは、誰かを騙した覚えなどありませんわ!」
アンヌが声を荒げる。
「でしたら、何故ですの?」
ララは一歩も引かなかった。
「何故、彼が“アンヌ嬢と婚約する”などと言い出したのですか? 彼は確かに、お調子者で怖いもの知らずです。勢いで突っ走ってしまうところもあります。……ですが」
ララの声が、わずかに震えた。
「わたくしは、そんな彼を愛していました」
その一言で、場の空気が変わった。
淡々と事実を述べていた声に、初めて感情が滲んだ瞬間だった。
「し、知りませんわ! それは勝手に貴方たちが――」
「彼は、わたくしにこう話しました」
ララはアンヌの言葉を遮った。
「“エリーズ嬢を落とすか、ダンスの最中に態とアンヌ嬢とぶつからせて、エリーズ嬢を軽く懲らしめてほしい”と。――そう、相談されたのですよね」
ざわり、と空気が揺れた。
「アンヌ嬢とエリーズ様の確執、そしてエリーズ様への悪評が流れていた時期……わたくしも把握していました」
ララは真っ直ぐ、アンヌを見据える。
「エリーズ様から嫌がらせを受けている“被害者”を演じていた貴方は、彼に“仕返しをしたい”と頼んだのでしょう?」
アンヌの顔から、血の気が引いた。
「その見返りとして、事が上手くいけば――婚約者にしてあげる、と」
ララは一瞬だけ目を伏せ、静かに続ける。
「いえ。正式な約束だったかどうかは分かりません。ですが、その気にさせるには十分な言い方をしたのは確かでしょう。“婚約を考えてあげる”……そんな曖昧な言葉で」
言い終えたララの声は、静かだった。
だが、その内容は――
アンヌの逃げ道を、確実に塞いでいた。
「……しかし、彼はアンヌ嬢の駒に過ぎなかったのです」
ララはそう言って、ゆっくりと、未だ拘束されたままの男子生徒へと歩み寄った。
「貴方も……そして、わたくしも――とても哀れですわね。一人の令嬢の気紛れによって選ばれ、捨てられ、将来まで左右されてしまったのですもの」
「ラ、ララ……」
呼びかける声は掠れていた。
ララの瞳には、はっきりと悲しみの色が滲んでいた。
「貴方は……アンヌ嬢に捨てられたと理解したからこそ、殿下のお願いに応じて証言をするつもりだったのでしょう?」
ララは、元婚約者に哀れみの視線を向ける。
「それなのに……まだ彼女を信じ、庇おうとするなんて――本当に、愚かですわ」
その声音は、責めるものではなかった。
むしろ、痛ましいほどに優しかった。
「アンヌ嬢は、最初から最後まで――ステファーヌ様しか見ていませんでした」
静かな断定。
「そんなこと、エリーズ様の悪評が流れ始めてから周囲を見ていれば、すぐに分かるはずでしたのに……」
ララは小さく息を吐く。
「少し考えれば、貴方が相手にされるはずがないと分かりそうなものですわ。高嶺の花に手を伸ばすのではなく……身近に咲く花を、大切にすればよかったのに……」
ララは膝を折り、彼と同じ目線まで身を落とした。
涙を堪えた濡れた瞳で彼を見つめ、そっと、頬に手を伸ばす。
愛していた。
信じていた。
貴方を想っていた。
そのすべてが滲み出るような、慈愛に満ちた眼差しだった。
――ようやく、男子生徒は理解した。
「ララ……! すまない……! 僕が間違っていた! 本当に……すまない!」
男子生徒は涙を浮かべ、嗚咽混じりに叫んだ。
だが、ララはもう彼の言葉を受け取らなかった。
それが答えだった。
決別を明確にするように、ララは静かに立ち上がり、彼に背を向ける。
そして――
視線を、アンヌへと向けた。




