二転三転
「酷いのは、どちらかしら。先程から他人を嘘つき扱いしていますけれど――彼女たちが嘘をついているという証拠は、お持ちで?」
フィリシテは呆れたように小さく溜息をついた。
再び扇を開き口元を隠すと、その奥から鋭い視線をアンヌへと向ける。
まるで、獲物を見据える猛禽のような眼差し。
アンヌは思わず一歩後ずさり、ぐっと息を呑んだ。
「で、では……無礼を承知で申し上げますわ」
アンヌは震える声を必死に押さえ、言葉を絞り出す。
「フィリシテ様は、エリーズ嬢と大変親しいご関係ですわよね? ですから――エリーズ嬢の疑いを晴らすために、都合の良い証言をさせているのではありませんか?」
その瞬間。
広場にいた者たち全員が、息を止めた。
――王族に対して、何という無礼。
ざわめきすら起こらない。
ただ、凍りついたような沈黙だけが落ちた。
フィリシテは一瞬、きょとんと目を瞬かせた。
まさか、自分にまで噛みついてくるとは想定していなかったのだろう。
控えていたジェルヴェが即座に一歩前へ出て口を開こうとする。
だが、フィリシテは静かに片手を上げ、それを制した。
「……王族である私を、愚弄するというのね」
声は低く、静かだった。
怒鳴り声ではない。
それは、王族の矜恃そのものだった。
フィリシテの双眸が、すうっと細められる。
その眼差しは、怒りでも嫌悪でもない。
――値踏みする目。
「いいわ」
フィリシテは淡々と告げた。
「そこまで言うのであれば、次の切り札を切りましょう」
これ以上の言い争いは、時間の無駄。
フィリシテはすでに、次の段階へと進む決断をしていた。
アンヌの不正を暴く手札は、まだ残っている。
否――
ここからが本番だ。
フィリシテの視線が、ゆっくりと後方へと流れる。
そこには、先程から一言も発せず、蒼白な顔で立ち尽くしている一人の男子生徒がいた。
肩は強張り、唇は固く結ばれ、逃げ場を失ったことを悟ったような表情。
――アンヌが、決して言い逃れ出来ない証言者。
それこそが、この場における真打ちだった。
「さあ、次は貴方の番よ。前へ出て証言していただけるかしら」
フィリシテの言葉に、男子生徒はビクリと肩を跳ねさせた。
喉が鳴り、指先が小刻みに震える。
「一年の生徒で、彼のことを存じている方も多いでしょう。何せ――彼は、件の社交ダンスで、エリーズのパートナーだった男性ですもの」
その宣言に、広場がどよめいた。
ざわ……ざわ……と、空気が揺れた。
アンヌの顔色は、目に見えて失われていく。
血の気が引き、唇がかすかに震えた。
一人佇み、涙を浮かべ、か弱く震えるその姿。
だが――
その姿を目にした瞬間、男子生徒の表情は、恐怖に満ちたものから一変した。
恐怖に怯えていた瞳が、決意を宿した真っ直ぐな眼差しへと変わる。
――守らなければ。
そう、自分自身に言い聞かせるように。
唇を強く結び、逃げ場を断つように一歩前へ出る。
そして、覚悟を決めた声で口を開いた。
「僕は……社交ダンスの授業があったあの日、エリーズ嬢から、アンヌ嬢に態とぶつかるよう指示されました」
一瞬、時が止まった。
その発言に、アンヌを除く者たちは息を呑み、驚愕に目を見開く。
フィリシテですら、扇の奥で僅かに瞳を見張り、男子生徒へと視線を向けた。
「あの日、僕が証言した事実に嘘はありません」
男子生徒は、逃げ道を塞ぐようにはっきりと断言した。
「真実を話していただけると明言されたので、お連れしましたが……」
フィリシテの声音が、すっと冷えた。
「――そうですか。では、私に話された内容は虚言であったと受け取ってよろしいのですね」
冷たい視線が、男子生徒へと突き刺さる。
男子生徒は、アンヌを守るため、一時の正義感と自己犠牲にも似た思いで口を開いた。
だが今、フィリシテの問いかけによって、自分が何をしたのか、その重大さを思い知らされる。
血の気が引き、顔がみるみる青ざめていく。
――だが、もう遅い。
一度吐いた言葉は、どれほど後悔しようとも取り消せない。
「アンヌ嬢を守るため、随分と立派な正義感ですわね」
フィリシテは微笑んだまま、そう言った。
「私、貴方のこと――見直しましたわ」
だが、その笑顔に温度はなかった。
彼女をよく知るジェルヴェやエリーズは、すぐに察した。
これは称賛ではない。皮肉だと。
引き攣った口角を扇で隠しながらも、ぴくりと吊り上がる眉が、彼女の怒りを雄弁に物語っていた。
「皆様もお聞きになられたでしょう!? 彼の証言を! 彼は、フィリシテ様ご自身がお連れになった証言者ですのよ。 その彼が、エリーズ嬢が態とわたくしにぶつかったと証言されたのです!」
水を得た魚と言わんばかりに、アンヌは声を張り上げた。
先程までの動揺は影を潜め、今や完全に“被害者”の仮面を被っている。
――まだ、ツキは残っている。
男子生徒の証言によって、形勢が自分に傾いたと確信したアンヌは、勝ち誇ったようにステファーヌとエリーズへと歩み寄った。
「ステファーヌ様……お聞きになられましたわよね?」
縋るようでいて、どこか誘導するような声音。
「やはり、エリーズ嬢は貴方様の前で猫を被っていただけなのですわ。 これで、どのような女性か――お分かりになられたでしょう?」
その言葉と同時に、アンヌはエリーズへと意味ありげな視線を送った。
――だから、早く離れなさい。
言葉にせずとも、そう命じているかのような目だった。
周囲は、二転三転する展開に完全に困惑していた。
誰の言葉が真実で、誰が嘘をついているのか。
善と悪の境界は曖昧になり、判断を保留したまま視線だけが行き交う。
だが――
それでも、空気は決してアンヌ一色には染まっていなかった。
「エリーのことは、この場にいる誰よりも俺が知っている」
静かだが、はっきりとした声だった。
「エリーとは物心着く前から兄妹のように育った。その彼女が、今さら俺の前で猫を被る必要がどこにある」
ステファーヌは一歩前に出て、自然な動作でエリーズを背に庇った。
その背中は広く、迷いがなく、揺るぎない。
――いつの間に、こんなにも逞しくなったのだろう。
かつては、エリーズが前に立ち、彼を守っていた。
けれど今は違う。
守られているのは、自分だった。
こんな状況だというのに、その背に感じる温度と存在感に、胸がかすかに高鳴るのを止められなかった。
「ステファーヌ様……」
アンヌの声が震える。
その瞳には涙が滲み、必死に縋る色が宿っていた。
「わたくしは、ただ……貴方様のことを思って――」
だが、その言葉は最後まで届かなかった。
「何を終わった気でいますの?」
冷静で、澄んだ声が割って入る。
「証言は、まだ終わっていませんわよ」
フィリシテの一言で、場の空気が一段、引き締まった。
「保険をかけていて正解でしたわね」
フィリシテはそう呟くと、小さく息を吐いた。
その声音には、迷いも躊躇もない。
「ジェルヴェ、彼女を呼んできて頂戴」
「既にこの場にお呼びしております。――ララ嬢、こちらへ」
ジェルヴェは一歩前に出て、迷いのない声で名を呼んだ。
まるで、この展開を最初から織り込み済みだったかのように。
張り上げられた声が、噴水広場に響く。
ざわめく人垣が、再び割れた。
そこから現れたのは、一人の女生徒だった。
淡い色の髪を肩に落とし、緊張で強張った表情を浮かべながらも、足取りは逃げなかった。
「……ラ、ララ!?」
男子生徒が、思わず声を上げる。
血の気が引いたように顔色が変わった。
「何故、君が……ここに……」
彼女は――
彼の元・婚約者だった。
「フィリシテ殿下から、ご相談を受けましたの」
ララは一度だけ深く息を吸い、俯きがちに、けれどはっきりと告げた。
「必要になったら、わたくしの力を貸してほしいと」
その言葉に、男子生徒の肩がわずかに跳ねた。
過去を知る者。
嘘を知る者。
そして――真実を知る者。
場の視線が、一斉に男子生徒へと集まっていく。
もはや、彼一人の証言で覆せる状況ではなかった。




