王太子の告白2
いくら公爵令嬢とはいえ、王太子の求婚を断るなど――想像すらしていなかった。
「王家は、君たち二人の間に正式な婚約がないことを把握していた。だから、父上――国王は、エリーズ嬢を私の婚約者候補として名を挙げたんだ」
淡々とした口調で、レオナールは続ける。
「私自身も、彼女であれば何の不満もなかった。だから何度も王宮へ招き、正式にエスコートした。……正直に言えば、かなり本気だったよ」
ステファーヌは言葉を失った。
そんな出来事があったなど、エリーズは一度も口にしなかった。
「彼女との会話は、実に心地良かった。政治の話も、国の未来も、価値観も……対等に語り合えた」
そこで、レオナールは一度言葉を切る。
「だがね」
視線が、遠くを見るように揺れた。
「彼女は、笑っていた。だが……本当に笑ってはいなかった。楽しんでいたのは、私だけだったんだ」
苦く、しかし穏やかな告白。
「そこで、試しに話題を変えた。君の話をしたんだ。――婚約者だと噂されている、君のことをね」
ステファーヌは、息を詰めた。
「その瞬間、分かったよ」
レオナールは、はっきりと言った。
「表情も、声色も変わらない。だが……君の話をする時だけ、彼女の目に“光”が宿った」
それは、生気。
感情。
想い。
「初めて見たんだ。あれほどはっきりと、“誰かを想っている女の目”を」
レオナールは、ふっと小さく笑った。
「これは無理だ、と思ったよ。私がどれほど王太子としての未来を示しても、彼女の心はそこに無かった」
そう言って、レオナールは一度肩を竦めた。
そして、視線を再びステファーヌへ戻す。
「正直に言えば……君に嫉妬したよ」
意外な告白に、ステファーヌは目を瞬いた。
「当時の君は、今とは丸っきり正反対の性格だったからね」
レオナールは、ケラケラと軽く笑う。
だが、その笑いに悪意はなかった。
ステファーヌは何も言い返せなかった。
彼の言う通りだったからだ。
勉強は出来ない。
魔法はなかなか上達しない。
剣を握れば震え、運動神経も皆無。
その上、小心者で泣き虫のヘタレ。
何一つ、完璧なエリーズと釣り合う要素などなかった。
「私も若かったからね。つい、意地悪をしてしまった」
レオナールは、どこか自嘲気味に言った。
「お世辞にも出来がいいとは言えないし、小心者で臆病だ。――そんな男が、君には釣り合わないんじゃないか、って」
面と向かって語られる過去の評価に、ステファーヌは思いのほか胸を抉られた。
それが“噂”ではなく、この国の王太子自身の本音だったという事実が、重くのしかかる。
「……」
俯きかけたステファーヌに、レオナールは続けた。
「私もムキになってね。君が犬に吠えられただけで泣いた話とか、剣を振るのを怖がっている話とか……聞いていた噂を一通り、彼女にぶつけた」
そして、ふっと息を吐く。
「さて。彼女は、なんて言ったと思う?」
問いかけられ、ステファーヌは僅かに考えた。
エリーズは、昔から自分をよく知っている。
欠点も、弱さも、みっともない姿も――誰よりも。
「……そんなこと、物心つく前から知っています、ですか?」
遠慮がちに答えると、レオナールはゆっくりと首を振った。
「違う」
そして、はっきりと告げる。
「彼女はね、真顔でこう言ったんだ」
――それだけですか?
ステファーヌは、言葉を失った。
傷つくというより、理解が追いつかなかった。
(……それだけ?)
昔からの付き合いだし、ヘタレな部分を知っているのは当然だとしても。
少しは怒るとか、
言い返すとか、
庇う言葉があると思っていた。
だが、その淡々とした一言は、それら全てを必要としない前提だった。
ステファーヌの心は、完全にしょげ返っていた。
「その時、思ったんだ」
レオナールは、静かに言った。
「これは……勝てないな、って」
ステファーヌは思わず顔を上げ、レオナールを見る。
「彼女は、君の欠点を否定もしなければ、弁解もしなかった。それらを“問題ですらないもの”として受け入れていた」
淡々と、だが確信を込めて。
「彼女は、君の全てを知った上で――誰よりも早く、君の長所と……君自身も気づいていない強さを見抜いていたんだ」
レオナールはそう言って、僅かに視線を落とした。
「だからこそ。エリーズ嬢のことを、最も理解しているであろう君が――この状況を野放しにしているように見えたことに、正直、私は不信を抱いていた」
しかし、と。
レオナールは再び顔を上げ、ステファーヌの表情を見てふっと柔和な笑みを浮かべた。
「……どうやら、心配は要らなかったようだね」
静かな声音で続ける。
「君は、前から戦う準備をしていたのだろう?」
その問いに、ステファーヌは答えなかった。
ただ、自身の掌へと視線を落とす。
そこには、幾度も潰され、硬くなった皮膚。
剣や魔法の鍛錬で出来た豆の痕跡が、隠すこともなく残っている。
さらに目を凝らせば、身体の各所には消えきらない痣や、まだ新しい傷もあった。
――偶然などではない。
レオナールは、その事実を一目で理解した。
この状況になるよりも、ずっと前から。
ステファーヌは、努力を重ねていたのだ。
エリーズを追い越すために。
最初は、ただ彼女の隣に立てる存在になるためだった。
だが今は、それだけではない。
周囲に――そして何より、自分自身に。
「彼女の隣に立つ資格がある」と示すため。
エリーズとセットの婚約者では、駄目なのだ。
彼は、彼自身として認められなければならない。
「……君が、何をすべきかをきちんと理解していて安心したよ」
レオナールの声には、もはや試すような色はなかった。
そこにあったのは、一人の男としての覚悟を認めた者に向ける、確かな評価だった。
「ならば、私は余計な手出しはしない。――正々堂々、力で示すといい」
それは許可でもあり、黙認でもあった。
「ありがとうございます」
エリーズを守る一番の近道は、言葉ではない。
自らの力を証明すること。
何者にも、どんな噂にも揺るがぬ――実績と信頼を積み重ねること。
それしかない。
それでもなお、彼女を苦しめる存在があるのなら――
その時は、容赦しない。
ステファーヌは、静かにそう心に誓った。




