表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/28

婚約の真実

「用件は以上だ。ステファーヌ、私と一緒に来てくれるかい」

「承知いたしました」


 レオナールの誘いに、ステファーヌは一歩前へ出て深く頭を下げた。


「アドリアンは私と一緒に来てくれ。人払いを頼む」

「御意」


 近衛騎士であるアドリアンは、即座に応じて一礼した。

 レオナールはそこで視線をジェルヴェとイレールへと移す。


「ジェルヴェとイレールは……そうだな。このまま解散するのは惜しい。確か、マリリーズ嬢はイレールの婚約者だったね」


 イレールが一瞬驚いたように目を瞬かせる。


「はい。左様でございます」

「ならば、マリリーズ嬢とシルヴィ嬢も誘って、お茶でもしていてくれ」

「いつもの喫茶店でよろしいですか?」


 レオナールの右腕ジェルヴェが即座に提案する。レオナールは頷いた。


「ああ、構わない」

「承知いたしました」

「では、先に席を取っておきます」


 ジェルヴェとイレールは軽く頭を下げ、場を離れる準備を整えた。


「まあ、それは素敵ですわね!」


 その提案に、いち早く声を弾ませたのはフィリシテだった。


「マリリーズ、シルヴィ、聞いていたでしょう? お二人もこちらにいらっしゃい」


 教室前での出来事ということもあり、マリリーズとシルヴィは、先程から心配そうにエリーズの様子を窺っていた。


 フィリシテに呼ばれると、二人は安堵したように表情を緩め、すぐに出入口へと駆け寄る。


「レオナール殿下、ごきげんよう存じます」

「本日はお声がけいただき、光栄ですわ」


 二人は丁寧に挨拶をした。

 レオナールはそれに軽く頷き、穏やかな声で応じた。


「堅苦しいのは抜きだ。今日はただの茶会だと思ってくれていい」


 その一言で、場の緊張がふっと和らいだ。


「それでは、私たちは少し遅れて合流するよ」


 そう告げて、レオナールはステファーヌとアドリアンを伴い、歩き出そうとした――その時だった。


「フィリシテ様! お話は終わられましたか?」


 見計らったように、明るい声が割り込む。

 振り返ると、そこにはアンヌと数人の女生徒が立っていた。


「よろしければ、一緒にお帰りになりませんか?」


 にこやかな笑顔。

 だが、その場の空気を読む者なら、踏み込んではならない瞬間だと分かるはずだった。


「お誘いありがとう。でも、この後は用事があるの」


 フィリシテは柔らかく、しかしはっきりと断った。


 そのやり取りに、レオナールは足を止め、静かに成り行きを見守った。


「あの……不躾で申し訳ございません」


 アンヌが一歩前に出る。


「先程のお話が、偶然耳に入ってしまいまして……この後、お茶をなさるのですよね?」


 その瞬間、フィリシテの笑顔のままの眉が、わずかに動いた。


 ここにいる者たちは理解した。


 王族と上級貴族の会話に割り込み、さらに“次の行動”に口を出すことが、どれほど無礼かを。


「もしよろしければ……わたくし共もご一緒できませんでしょうか。先程は、きちんとご挨拶もできませんでしたし……」


 そこまで言い切るより早く、声が落ちた。


「悪いけど、遠慮してもらえるかな」


 穏やかな声。

 だが、逃げ道のない断絶。


「ここにいる面々は、幼少期からの付き合いだ。水入らずの場に――部外者は不要だよ」


 その言葉に、場が凍りつく。


 レオナールは微笑んだまま、付け足す。


「控えてくれるかい」


 変わらぬ柔和な表情。

 だが、その実、寸分の情も含まれていなかった。


 側近たちは小さく息を吐き、フィリシテは俯いて、肩を震わせるのを必死に堪えた。


 ――誰がどう聞いても、完全な拒絶。


 周囲の生徒たちの間から、思わず漏れた小さな笑いが広がる。


 アンヌの頬に、熱が一気に集まった。


「……申し訳、ございません」


 それ以上、言葉は続かなかった。


 ここで食い下がれば、ただの道化になる。

 それくらいの判断力は、アンヌにも残っていた。


 アンヌと友人たちは、視線を伏せたまま、足早にその場を離れていった。



───────


 レオナールとステファーヌは、人目のない場所へと移動していた。

 少し離れた位置では、アドリアンが周囲に気を配り、誰も近づかぬよう静かに目を光らせている。


「こんなところまで呼び出して、すまないな」

「いえ。レオナール殿下のお呼び出しとあらば、どこへでも」


 そう言って、ステファーヌは自然と片膝をつき、頭を垂れた。


「ふふ……ありがとう」


 忠誠とも受け取れるその所作に、レオナールは双眸を細め、柔らかく礼を返す。


「今日は“王太子”としてではなく、友人として話をしに来た。堅苦しい形式は抜きでいい」

「……承知いたしました」


 ステファーヌは静かに立ち上がった。

 次の瞬間、空気が変わる。


「まどろっこしいのは性に合わなくてね。単刀直入に聞こう」


 レオナールの声は穏やかだったが、逃げ場はない。


「君は今、エリーズ嬢が置かれている立場を――正しく把握しているのかい?」


 真正面からの問い。

 ステファーヌは一瞬、言葉を失った。


 把握している。

 誰よりも。


 そして、その原因の一端に自分がいることも。


「……存じております」

「なら話は早い」


 レオナールは即座に続けた。


「彼女に向けられている悪評は、すでに私の耳にも届いている」

「殿下、それは――!」


 思わず声を上げたステファーヌを、レオナールは静かな手振りで制した。


「言わずとも分かっているよ。噂の大半が事実無根であることも――そして、意図的に誰かが彼女を貶めようとしていることもね」


 そこには、先程までの柔らかな笑みはなかった。

 王族として、そして次代の王として真実を見据える、冷静で厳格な眼差し。


「まあ、単純に考えれば答えは一つだ」


 レオナールは淡々と告げる。


「君とエリーズ嬢、そして“もう一人”噂の中心にいる人物。この三角の中で、誰が利益を得ているかを考えればね」


 アンヌの名を出す必要すらなかった。


 そして――。


「それで」


 声が、わずかに低くなる。


「君は、何をしている?」


 その一言は、問いであり、彼を追い詰める一言だった。


 ステファーヌの胸が大きく跳ねる。

 真正面から向けられた視線に、誤魔化しは許されないと悟る。


 守るべき婚約者が傷つけられている。

 それを理解していながら、決定的な一歩を踏み出せていない。


 その不甲斐なさを――

 誰よりも、ステファーヌ自身が痛感していた。


 エリーズの悪評を止めようと動けば動くほど、それは逆に、彼女を追い詰める結果になる。


 ステファーヌが声を上げれば、

 ――「エリーズに頭が上がらない婚約者が、噂を揉み消そうとしている」

 そう受け取られる。


 噂など気にせず彼女の傍にいれば、

 ――「ステファーヌを盾にして、彼を独占しようとしている」

 そう解釈される。


 守ろうとする行為そのものが、彼女を“悪役”に仕立て上げる材料になる。


 だから、ステファーヌは動けなかった。


 エリーズを守るためには、自分が距離を取り、噂が沈静化するのを待つしかない。

 そう思い込んでいた。


 唇を噛みしめ、拳を握る。


「……なにも」


 絞り出すような声だった。


「何も、していません」


 それが、ステファーヌの現状だった。


 しばしの沈黙。

 その沈黙を、レオナールが破る。


「君は、エリーズ嬢と婚約関係にあると思っているよね」


 唐突な問いに、ステファーヌは目を瞬いた。


「……はい。幼少の頃から、彼女は俺の婚約者です」

「そうか」


 レオナールは短く応じてから、続けた。


「では聞こう。君とエリーズ嬢が、正式な婚約者ではないと知っていたかい?」


 言葉の意味を理解するのに、数拍を要した。


「……な、にを……」


 思わず息を呑む。


「両親だって、エリーズのことを俺の婚約者として――」

「それは、両家の親同士が交わした“口約束”だろう?」


 淡々とした指摘。


 二人がまだ物心つく前、両家の親が冗談半分に交わした将来の話。


 だがその言葉は、エリーズとステファーヌにとって“真実”として与えられてきた。


「……」


 レオナールは続ける。


「君たちの間に、正式な婚約契約は存在しない」

「そんな……ですが、エリーズも俺のことを婚約者だと……」

「彼女は知っているよ」


 きっぱりとした断言。


「君と正式な婚約者ではないことを」


 ステファーヌの胸が、大きく波打つ。


 ――またしても、自分だけが知らなかった事実。


「つまり、こういうことだ」


 レオナールの声が、少し低くなる。


「君たちは“婚約者同士”ではない。そしてエリーズ嬢は――」


 一拍、置いて。


「私の祖母と同じく、“稀代の才媛”と評されるだけの能力を持っている」


 その言葉の意味は、重かった。


 レオナールは、逃げ場を与えない。


「この意味が分かるよね、ステファーヌ」


 それは質問ではなく、理解を求める宣告だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ