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底の無い絶望

 ディスダン。5人の男達。いつもと変わらぬ灰色の外套。しかしその顔には、嘲るような笑み。右腕の激痛は、家族を奪われた怒りにかき消されていく。

「あなたたち、一体……何のつもり……?」

 俺の隣で、リーラが震える声で問う。怒りを必死に抑えながらも、彼女は冷静だった。杖を構え、目を鋭く細めている。

「我々は、崇高なる創造神様の忠実な信徒『リビルド』である」

 中心に立つ、長身の男が外套を翻し、内側に描かれた紋章を見せつけるように答えた。縦に割られた七芒星という特徴的な紋章。すると、魔力が流れ込むように外套の色が灰色から血を滲ませたような赤黒に変わる。

「頭が高いぞ、愚民。まずは厄介な小僧を始末しようと思っていたが……そうだな、そちらの女からでも構わん」

 まるで今までの物腰の柔らかな男は存在しなかったかのように、俺たちへ路肩の石を見るかのような冷たい視線を向ける。冷徹な言葉を発すると同時に、長身の男が杖を掲げた。瞬間、空間が歪む。

 「!リーラッ──」

 叫ぼうとしたその瞬間、音もなくリーラが立っていた空間が歪み、呑み込まれるように彼女の姿が消えた。そして何事もなかったかのように、空間の歪みが戻る。光が捻じ曲がり、次の瞬間、床に転がっていたのは、杖。そして、それを握ったままの右手のみ。

「……え?」

 音もなく、彼女の命が消された。まるで、そこには最初から誰もいなかったかのように。

「はっ、愚民にはお似合いの最期だな。身分を弁えなかった報いよ」

 視界が怒気に染まる。

 「「てぇめぇぇぇぇええ!!」」

 俺とリオンが同時に絶叫し、剣を構えたまま走り出す。初めて見る、あまりにも凶悪な魔術。不用意に近づくのは愚策。そんなことは分かっていても、怒りで理性が飛ぶ。その背後から、ララの制止する声が響くが、復讐心に体を突き動かされ、止められることができない。家族同然の従魔や仲間を奪われ、理性はとうに崩れ落ち、残されたのは殺意だけ。ロングソードを握る手に殺意を込め、そのままに長身の男へと刃を振るう。しかし、ロングソードが届く前に、俺の意識が別のことで奪われる。

「……リオン!?」

 キーンッと鈴が弾かれたような棲んだ樋鳴りの音が響いた直後、唐突に隣からリオンの気配が消える。

「……がぁっ……」

 振り返ると、音もなく現れたリビルドの剣士による一太刀で、胸から腹へと深く切り裂かれていた。リオンの表情が歪み、地に膝を落とす。生命力そのものが、あの裂傷から音を立てて流れ出しているかのようだった。

「リオンッ!!」

 リオンの表情を見た瞬間、いつも隣にいてくれた声が消えてしまう気がした。長身の男に向けた勢いが失速するには、十分な理由だった。それにより、俺の絶望までの時間が加速することとなる。

「ッ!?」

 長身の男の背後に控えていた魔術師から3つの閃光が同時に放たれる。目が眩んだ瞬間、身体が焼けるような痛みを感じる。皮膚と筋肉が嫌な音をあげて裂ける。俺は受け身すら取れないまま、地面に叩きつけられた。

(……さっきと同じだ……俺を狙った、あの魔術……)

 俺の右腕を吹き飛ばした魔術が再度襲いかかる。先程と違ったのは、閃光の攻撃範囲が遥かに狭まっており、収束された分、威力、貫通力共に比べ物にならない程に強化されていたことだ。防御不可避の光の矢が俺の左腕も、両脚も、全てを千切り飛ばした。残るのは頭部のみ。

 剣を握ることすらできない、地を這うことしか出来ない体に成り果てた。痛みで発狂しそうな程の外傷なのに、頭は怒りで塗りつぶされて痛みなどどうでもよくなる。殺されていく仲間たち。嘲笑う敵。自分の無力さ。全部が俺の怒りに薪をくべていく。目の前の長身の男を、ただ睨む。憎しみという感情の全てを込めて。怒りが身体を燃やし尽くしても、消えることのない炎が胸の奥で燻り続けていた。

「無様だな。まぁ貴様にはお似合いの姿だ」

 長身の男が、俺を見下ろしていた。まるで汚物でも見るかのような冷たい目。

「貴様は厄介な能力を持っている。能力を使われる前に、先に始末してやろうと思ったが、その姿ではなにもできまい。仲間が殺されていく様を、そこで眺めているがよい」

「黙れッ!絶ッ対に許さねーッ!!必ずぶっ殺して──ごぉふッ…」

 怒声は、喉から絞り出すように漏れた。言葉というより、憎悪そのものだったが、次の瞬間、冷たい金属の感触が、俺の喉を貫いた。長身の男が抜いたレイピア。その細身の刃は、俺の喉元を斜めに裂き、空気と血が噴き出した。口から洩れるのは、ヒューヒューと風を吐くような音だけ。もう、声を出すことすらできなくなった。

「うるさい虫だ。これで少しは静かになったか?」

 男の声が遠く、まるで水中にいるように聞こえた。視界は赤く滲み、耳鳴りのような音が頭の中でこだまする。

「セナッ!!!!」

 ララの、悲鳴に近い叫び声が、焼けつくような痛みとなって耳をつんざいた。

「何なのよッ! あんたたちは何なのよッ!? 私たちに……何の恨みがあるっていうのよッ!!」

 それは理不尽な行為を繰り返す者たちに対する、憤激に満ちた声だった。仲間を次々と奪われ、怒りと絶望に膝を屈する寸前でも、ララは剣を手放さずに抵抗の意を示す。

「この世界は、創造神様が造られた美しく均衡の取れた世界。階級で定められた七つの大陸もまた、神の意志の産物。低位大陸の愚民は、低位にいるべきだ。それを踏み越えた時点で、それは──神への冒涜だ。冒涜者に赦しはない。我らは創造神の意志を代弁し、正す者、唯一神教『リビルド』の信徒なれば」

 長身の男の声音は、氷よりも冷たく、揺るぐことのない信念に満ちていた。その言葉は、理屈ではなく“信仰”として放たれたもの。こちらの理や情が通じるはずもない。迷宮という閉ざされた空間、帰還直前の油断をついたのも、すべては「粛清」のため。歪んだ思想のもとに描かれた綿密な殺意の設計図。

 創造神?冒涜?そんなくだらない信仰のために俺の仲間が、家族が。

「我が同胞よ、残りの愚民を片付けろ」

 静かに、しかし容赦なく下された命令。それは、あまりにも軽々しい声だった。

 ゴーザが咆哮を上げ、ララとユリウスを庇うように大盾を構える。その姿はまさに、盾に宿る意志そのものだった。だが──。

 俺の四肢を無惨にも千切り飛ばした閃光が、ゴーザを貫いた。盾ごと焼き貫かれ、その巨体が一歩、二歩と後退する。それでも彼は、膝を折らず、牙をむき、盾を下ろさなかった。

 その間に、ユリウスが走る。破れかけた衣を翻し、癒しの魔力を、消えかけた命へと送る。しかし、巻き起こる旋風。リビルドの第三の魔術師が放った烈風魔術が、ユリウスを包囲する。竜巻の監獄の中で、鋭利に研ぎ澄まされた無数の風刃に切り刻まれる。その中でもユリウスは叫び、祈るように仲間へ癒しを届け続けた。自分への治癒を最小限に、残りの魔力を仲間のために使い続けた。おちゃらけた外面とは真逆の、思慮深く仲間思いの内面を持つユリウスらしい行動だった。しかし、出血があまりにも多すぎた。癒しの光が弱まり、次第に揺らぎ、やがて消えた。命の炎が、風の刃に削がれていったのだ。

 治癒を失ったゴーザが、再び撃たれる。その胸を、光が貫く。それでも倒れない。足が震えようとも、腕が砕けようとも、彼は仲間を守ることをやめなかった。最後の最後まで、盾だった。

「やめてぇぇぇーーーーーッ!!」

 ララの制止も虚しく、残酷に放たれた閃光が守護者の首を弾き飛ばす。

「…………ゴーザ…」

 一連の流れは、ララの精神を崩壊させるのに十分だった。絶叫と共にララの手から大剣が鈍い音を立てて滑り落ち、空っぽとなった瞳で仲間の死を見つめていた。すでに抗う意思は絶無となっていた。

 そんなララに、リオンを斬った剣士が近づく。

「あ”ァァ!……あ”ァァ!……あ”ァ!……ッ!!」

 俺は喉から発せられる最大限の叫びと共に、這っていた。四肢の無い体をうねらせながら、血の池の中をのたうち回りながら、無いはずの手を伸ばしていた。届かない。どれだけ叫んでも、どれだけ手を伸ばしても距離は絶望のように遠いままだ。呻きとも嘆きともつかぬ声を喉の奥で絞りながら、俺はただ、目の前の地獄を食いしばるしかなかった。

 剣士はロングソードで刺突の構えをとり、ララの心臓に狙いを定める。そして、慈悲の欠片もない一閃が迫る。

「任せろ……セナ……」

 その声は、極限の混乱と絶望の中で、視覚と聴覚だけが研ぎ澄まされていた俺に、かろうじて聞き取れたほど微かな声だった。

「…………あ“ァ…………!?」

 眼前で、時間が歪んだかのように世界がスローモーションになる。ララに迫った死の刃。その軌道に割って入ったのは、瀕死のはずのリオンだった。その一瞬、リオンの動きはまるで命そのものに抗う“最後の灯”のようだった。刃が彼の胸を貫き、背から突き出る。鮮血が噴水のように迸り、その中心でリオンは、俺の方を振り返る。

「ごふッ…………すま…ねぇ…セ……ナ……」

 血が口の端から滴る。その表情には、謝罪と悔恨を滲ませ、次第に目の光がすうっと引いていった。

 その瞬間、俺の中で何かが崩れた。

「あ"ァ"ァ"ァ"ァ"ァ"ァ"ァ"ァ"ァ"ァ"ァ"ァ"ァ"ッッ」

 喉の奥から絞り出されたものは、魂が割れ、音として漏れ出した何かだった。血に濡れた大地を這いながら、俺はただ絶叫した。それでも悲劇は止まらない。

 ララの喉元に、再び鋭い刃が迫る。彼女の表情には、もう戦う意思は残っていない。

(やめてくれ……もう……やめてくれ)

 恐怖と絶望に塗れた瞳で、彼女は最後の願いを俺に託すように呟いた。

「セナ………………助けて──」

 ザシュッ

……………………………………………………………。

 走馬灯のようにこれまでの記憶が巡り終え、もうまもなく意識が途切れる。

 なんで、俺は地に這いつくばっていた?

 ──軟弱だからだ。

 なんで、俺は叫ぶことしかできなかった?

 ──脆弱だからだ。

 なんで、こんな力で満足してた?

 ──怯弱だからだ。

 なんで、仲間の一人すら、護れない?

 ──惰弱だからだ。

 そう、俺が弱いから…………。

 世界が暗転する。

 痛みも、怒りも、何もかもが遠ざかっていく。

 …………………………………………。


 ジリリリリリリ──

 カーテンから、朝の光が差し込む。窓の外では、鳥が鳴いている。いつもと同じ朝。いつもと同じ鳴りっぱなしの目覚ましの音。いつもは、ここから慌ただしい朝が始まる。しかし、今日は違う。

 ベッドの上で目を開いた俺は、胸の奥にこびりついた、今まで感じたことの無い絶望感を感じ取った。だが、理由は分からない。その感情があるのみ。そして涙が止まらない。ベッドから上半身を起こした際、ふと自分の手足が動くことの違和感を感じた。ごく当たり前のことなのに、喪失したはずのものが元に戻ったような、不思議な感覚。体が重い。体の中に鉛を詰められたような、嫌な重さ。立ち上がることが出来ない。気力が湧かない。目覚ましすら止める気がおきない。何もしたくない。

 今日は就職試験。

 俺は、就職試験に行かなかった。

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