仲間の信頼
「はぁはぁ…たくっ!なんつー攻撃してくるんだよっ!化け物め!」
「まったくよ…攻撃を防ぐので精一杯で、冗談抜きで一切攻撃に転じられない」
ララ、リオン、ゴーザの3人が前線に立ちファングタイガーの猛攻を防ぎ始めて数分。未だお互いに一切の攻撃を許さない攻防が続いているが、獣の凶爪は一瞬たりとも威力を緩めず、そのたびに武器は削れ、体力は確実に蝕まれていく。それに加え、一撃でも掠れば即死、逃げ場のない重圧が精神を侵食していく。だがそれでも、彼らの目に浮かぶのは絶望でも諦観でもない。そこにあるのはセナに対する揺るがぬ信頼のみ。
「あいつが任せろって言ったんだ。だったら信じて耐えるまでだ!」
「その通りよ!これくらい、耐えて見せるんだからっ!」
「…………負けない……!」
だが、目の前で猛威を振るう魔物は、人間の都合に合わせた物語の演出など知る由もない。弱き者を駆逐し、喰らい、生き残る。そうやって、長きに渡りこの世界の“掟”を生き抜いてきたのだ。ファングタイガーの瞳が冷たく細められた瞬間、捕食者は“ようやく”狩りを開始した。
様子見は終わりだ。
それを告げるかのように、咆哮すら挟まず放たれた一撃は、これまでとは桁違いの威圧を帯びていた。メンバーで唯一防御に特化したゴーザが咄嗟に大盾を構えるも、衝撃と共に盾面が悲鳴を上げる。一撃で亀裂、二撃目で破砕。鉄壁の象徴たる大盾は、哀れにも瓦礫となって地に散った。
狩りを開始した(本気になった)ファングタイガーの前では、アドマイヤの守護神ですら歯が立たない。
「ゴーザッ!!」
衝撃で側方へ身体を弾かれたゴーザが大地を転がり、砂煙の中へ沈む。幸い致命傷は避けたものの、凶爪を回避するのが精一杯だった彼には、もはや立ち上がる余力は残されていない。
「ララ!目を反らすな!来るぞッッ!!」
ゴーザに気を取られた瞬間、ララの目前にへファングタイガーが肉薄していた。その戦槌のような巨腕がララ目掛けて振り下ろされる。
「ぐっ……ぎぃぃいいい!!」
「リ、リオン!!」
間一髪、リオンが身体を捻じ込み、ララの盾となる。受け止めた瞬間、全身の筋肉が軋み、骨が悲鳴を上げる。膝が崩れ、肩が潰れそうになる。だが、歯を食いしばり、耐えた。
「ち…くしょおーっ!!」
しかし、無情にも限界は訪れる。リオンの肉体強化が途切れ、その身を押し潰さんとする獣の力に抗えなくなる。体が押し潰されていく感覚を感じながらも、リオンは尚も信じることをやめなかった。
(あいつなら…きっと…)
諦めが悪く、負けず嫌いで、誰よりも“冒険者”という存在に真摯だった、親友を。
「……悪い、遅くなった」
その声と同時に、空気が爆ぜる。
ズガァァンッッ!!
まるで大岩が砕かれたような衝撃音と共に、ファングタイガーの首が跳ね上がり、その衝撃で砕け散った凶悪な双牙が白銀の破片となって宙に舞った。まるで獣の威厳ごと打ち砕かれたかのように、周囲の空気すら一瞬、沈黙に染まる。
「なっ……!」
「……えっ?」
リオンとララが見上げた先、そこに佇むのは彼らが信じて疑わなかった、もう一人の仲間。セナが間一髪のところで間に合ったのだ。
「たくっ…あともうちょいで潰されるところだったぞ、セナ」
「悪かった。……まぁ後は任せて、ゆっくり休んでてくれ」
「あぁ…頼んだぜ、融合魔術師さんよ」
悪態をつきながらも、リオンの顔は笑っていた。期待に応えて現れたセナの姿を見て、負けるはずがないと確信したから。
セナの全身を包むのは、蒼白とも紫ともつかぬ透明に輝く結晶のような魔力。戦場の色を塗り替えるほどに幻想的で、同時に禍々しいほどの圧を湛えていた。リオンは目の前に佇む圧倒的な力を纏った親友を見た瞬間、2年前のダーガレス迷宮最深部で目の当たりにした光景を思い出した。自分達の窮地をたった一人で覆した親友の姿を。しかし、2年前と違うのはその外見。額からは、深紅の一本角が突き出し、両の手には鋭く紅蓮に染まる爪。獣の気配を纏いながらも、人の輪郭を保ち続ける強者の風格は、まさにクロールそのものを写したかのようだった。
それもそのはず。セナは2年前のファルと同様に、クロールと融合を成功させたのだ。その証拠にセナの右目は、何物にも染まらぬ透明の虹彩であるのに対し、左目はクロールの意志が籠った深紅に煌めく虹彩。融合魔術発動時特有のオッドアイが開眼していた。
「リオン、ララを頼む」
「あぁ、任された。存分に暴れてこい!」
短い言葉に、信頼と覚悟が滲む。セナはひとつ頷き、視線を戦場へ戻す。その目が捉えたのは、既に地面から起き上がり距離を取って後退したファングタイガーだった。だが、もはや先ほどのような余裕はそこにはない。散大した瞳孔が爛々と輝き、白と黒の毛並みが逆立つ。砕かれた双牙の痛みよりも、誇りをへし折られた怒りが猛々しく宿っていた。
この瞬間、ファングタイガーはセナを「餌」ではなく、「敵」として認識したのだ。
グラァァアアァァッ!!
肌を突き刺すような咆哮と共にセナへ向けて地を蹴りだしたファングタイガーは、一瞬のうちに距離を詰めて自慢の凶爪を叩き付けるはずだった。しかし、その思惑は駆け出した直後、目の前に突如として現れたセナによって覆された。
ファングタイガーは驚愕する。動き出したタイミングは自分の方が先だった。速度にも自信があった。なのに、既にセナが目の前に現れた。咄嗟に前足を薙ぐが、すでにそこにはいない。そう認識した瞬間、左脇腹に鋭い痛みを感じた。そこには、寸前まで目の前にいたセナが自分の側面へ移動していたのだ。
理解が、ファングタイガーの脳裏を駆ける。魔物に似た容姿をしている目の前の人間は、認識することすら困難なスピードで移動し、深紅の鋭爪で強硬度を誇る鎧を切り裂いてくる。常に苦戦することなく獲物を狩り、冒険者を返り討ちにし、危機感を感じたことすらなかったファングタイガーは、目の前の矮小な人間が信じられなかった。そこでようやく相対している敵の脅威度を認識した。この存在は、矮小な人間などではなく、自分と同等。いや、それ以上かもしれないと。人の皮を被りながら、魔物の力を駆使して自身を凌駕する存在が、今、前に立っている。
「あれがクロールと融合したセナか…。改めて考えてみると、魔物と融合して力を自在に使える魔術なんて前代未聞だよな」
「うん、そうだね。でも、あんなとんでもない力を持っていても、セナはいつも通りの顔をしてるんだよ」
「…いつも通り?」
「そう。不思議とね、愉しそうな顔で戦ってるの。とてつもない脅威を目の前にしても、乗り越えてやるからかかってこいッ!ってね。負けず嫌いなセナらしい。でも、だから安心して見ていられるんだよね」
リオンとララの目には、人外の容姿と力を振るいながらも、心の底から戦いを愉しんでいるセナが映る。レッドホーンウルフの俊敏かつ爆発的な脚力とセナの身体強化による挙動は、もはや視認すら困難な速度。その速度から放たれる縦横無尽な深紅の閃爪が、ファングタイガーの白黒の鎧から血飛沫を舞わせる。
自身の攻撃は一切当たらず、あまりにも一方的な攻撃を受けるファングタイガーが、怒気を孕ませた咆哮を放つ。通常の冒険者なら、怒気と威圧が凝縮された咆哮をまともに受ければ、気を失うか良くて錯乱する。しかし、セナはその瞬間を隙と見た。その瞬足で、巨体の下、喉元の陰に滑り込む。その口元、喉の震え、唾液の飛沫さえも視認できる至近距離。セナはしゃがみ込んだ状態から、足元の地面に全身の魔力を叩きつけるようにして跳躍した。
「うぉらぁぁッッ!!」
咆哮が終わる刹那、セナの渾身の拳が顎を撃ち抜く。拳が肉を叩き、骨にめり込む。衝撃は波紋のように脳を揺らしながら、ファングタイガーの首を撥ね上がった直後、巨体が力なく地に崩れ落ちる。地響きとともに土煙が舞い、全てが静寂に包まれる。
「や、やりやがった……セナのやつ、本当にやりやがったよ!あの化物に圧勝しやがった!」
「2年前も、そして今回も、私達の窮地を救ってくれた。セナは私達にとってのヒーローだね……」
興奮したリオンとは裏腹に、ララの表情には焦燥が滲む。
「……でも……今回も前のようにならないかな……」
脳裏に蘇る2年前の光景。圧倒的な魔力と未知の融合魔術で掴みとった勝利と引き換えに、突如として意識を失ったセナ。その冷たく倒れ伏した身体に触れたときの、胸を抉られるような感覚。大切な人を失うかもしれないという、焦燥、恐怖が再び頭の中を埋め尽くす。勝利に対する喜びが打ち消されてしまうほどに。しかし、不安に満ちたララの目に、融合を解き本来の姿に戻ったセナとクロールが、ファングタイガーの元へ歩み寄る姿が映る。疲弊はしているが、その目には強い意志が宿り、何かを決意したことがわかった。
「大丈夫……この2年、あいつは死に物狂いで鍛え続けて来たんだ。こんなとこで倒れたりないさ。あいつの目を見れば分かるだろ」
「……うん、そうだよね……。ほんと……強くなったね、セナ」
彼女の脳裏に巣食っていた不安は、リオンの確信に満ちた言葉と、セナの目に宿る力強い意思によって、徐々に融かされていった。
この2年間、セナは仲間の前で一切、融合魔術を使用しなかった。2年前の、圧倒的な力の代償として昏倒した自分の姿を、二度と仲間たちに見せたくなかった。特に、あの時誰よりも心を痛めたララに、もう悲しい思いをさせたくなかった。どんなに強大な力でも、コントロールできないのであれば、むしろ仲間を危険に晒しかねない。己が力とするまで、鍛練以外での力の使用を禁じたのだ。しかし、時間に余裕はない。だからこそ、日々の鍛錬は過酷を極めた。
その結果、融合の継続時間を“5分間”に限定することで、身体と従魔への過剰魔力を抑え、副作用を最小限に留めることに成功した。その過程を、リオンはすべて黙って見守ってきたからこそ、確信を持てたのだ。
セナがファングタイガーの傍らに立つと、金色の双眸が、ゆっくりと開きセナを鋭く睨み付ける。激しく揺さぶられた脳の影響で体に力が入らず、力なく地面に突っ伏しているが、伝わってくる感情は、激しい怒り。誇り高き魔物としての尊厳を傷つけられた怒りであり、己に刃を向ける者たちへの敵意に満ちた感情。
しかし、セナは臆さない。その強い意志を宿した瞳で、言葉を投げ掛ける。
「お前と一緒に、冒険がしてみたいんだ」
「ッ!」
セナがファングタイガーを見た時、己の力を試したいという闘争心と同様に、仲間にしたいという感情が芽生えた。目の前の凶悪な魔物が従魔に加わり、共に戦うことができたなら、共に成長することができたなら、更なる高見へ辿り着けるのではないか?夢に近づくことができるのではないか?と。考えただけで、心が熱く、高鳴った。
一方、ファングタイガーは驚愕する。人間の言葉は理解できない。現に、セナが何を発したのかは分からなかった。しかし、その言葉と同時に、目の前の人間が自身に何を伝えたいのか、求めているのかが、イメージとして伝わってくる。未知で不思議な感覚を覚える。やはりこの人間は、他の者と何かが違うと納得すると共に、興味が出始めた。長い生の間、敵に興味を抱いたことは初めてだった。次第に自身から怒りの感情が薄れていくのを感じる。
「……俺たちの壮大な夢に、付き合ってくれないか?」
再びセナからイメージが伝わる。争いではなく、共に在る姿。クロールと共に見せた人外の力こそがその証明だった。
セナ、クロール、ファングタイガーをセナの透明に輝く結晶のような魔力が満たしていく。直後、ファングタイガーから怒りの意思が消え、敵を前にし逆立てていた毛並みが、呼吸が、落ち着いていく。
リンク成功──
空気が変わり、まるで極寒の地のように張り詰めた空気が、陽だまりのような暖かさを帯びて融けていく。威風堂々とした虎が、ゆっくりと立ち上がり、セナの前まで歩を進める。そして、静かにその額を、主と認めた者の胸元へと寄せた。鼓動が、重なる。
「……ようこそ。俺の……いや、“俺たち”の仲間へ」
こうして、セナは第三の従魔を得た。名は『ライガ』。透明な魔力に導かれ、心を重ねた主従の絆が、またひとつ生まれた瞬間だった。




