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Episode1【平和な日常とは】後編

 あれから一週間が経ち、また睦月に叩き起こされ月の喫茶店に連れてこられている。今回は、何故か長月が来ている。珍しいものだ。師走は、学校の授業で運動神経が良い事が発覚し、運動部に勧誘されたが全て断り、助っ人として練習試合等に参加している。今日は、バスケ部の助っ人として活躍する事だろう。部活で行けなくなった師走は、女子二人だけで出かける事を不安に思い長月に頼み込んだのではないかと思う。よく長月は一緒に来たと思う。僕の印象ではあるが、喧嘩以外興味のない一匹狼。周りからは怖い印象を持たれているが、優しい狼だと思う。2人以上の人が近くに居るととても機嫌が悪くなる。大人数が苦手だと思っているから、現状が不思議でしかない。槍でも降るのではないだろうか。

 目的地である月の喫茶店に到着すると長月の表情にさらに驚く。普段は無愛想な顔をしている長月が、キラキラと目を輝かせているのが驚きの理由。睦月ほどではないが、とても無邪気な表情をしている。別人を見ている気分になる。

 月の喫茶店に入ると入り口には、以前出会った大学生6人組も同じ時間に予約をしていた様子。理由は伏せられたがまたお茶をしようという話になり、それが今日だったとの事。

 何はともあれ、仲が修復したのであればよかったと思う。修復していなければ、またここにくる事もないだろう。


「君達が良かったら、一緒にどうだい?」


 雪城さんはそう僕たちに問いかける。睦月は、どういたしましょうかと僕に回答を求める。長月は、とても嫌そうな顔をしている。

 特に一緒に食べる理由はないと考えると断るのが良いだろう。以前のように巻き込まれるのも勘弁だ。


「お気持ちは嬉しいのですが、遠慮させていただきたいと思います」


「そうか、残念だ」


 とても残念そうな顔をするが、仕方のない事だと思って欲しい。まだ面識はそこまでない知り合い程度の関係。無理に交友の場を作らなくても良いだろう。


「玲様、私提案がございますの。それぞれお部屋をお取りして、移動すると言うのはいかがでしょう」


 睦月が珍しく団員以外の人と関わりを持とうとしている様子で僕も長月も驚く。以前の話が、気になっているのだろうか。それとも、他に何か理由があるのだろうか。


「駄目でしょうか・・・?」


 睦月は、寂しげな顔をする。僕は、ため息を吐くと了承する。その回答を聞いた睦月は、嬉しそうにぴょんぴょんと跳ねる。


「以前の事は、本当にすまなかった。お詫びとして君達の分を支払わせてくれ」


「・・・・お詫び?何かしたの?」


「長月さん。また後程、お話しいたしますわ」


「そこまでしていただく必要はないと思います。現に、あの後は、特に何もありませんでした」


 問題ないと断るが、雪城さんは一歩も引かず店長である月野さんと話を進めてしまっている。睦月は、前回の事を簡単に長月に説明している。僕は、下足箱に靴をしまうと清水さんと目があった。以前と変わらない綺麗な瞳。また見透かされるのではないかと急いでフードを深く被る。


「大丈夫。綺麗だから見ていただけ」


 清水さんは、そう言い残すと皆が集まっている方へ歩いて行った。

 部屋の準備が整ったのか、月野さんが全員まとめて案内をしてくれるようで声を掛けている。僕は、長月と後ろの方を歩いて衣装室に向かう。長月は終始無言だが、中庭や店内の内装にとても興味があるようで周囲を見渡している。睦月は、高本さんと清水さんと楽しそうに話している。

 衣装室に着くと男性組と別れ、着物を選ぶ時間となる。僕は、選ぶのが面倒だったため、前回と同じ着物を手に取り先に着付け始める。今回は事前に睦月が髪型を整えているため簪を挿すだけの状態。本日の化粧は、母が仕込み。朝からあれこれされて既に疲れ果てている。唯一救いなのは、この喫茶店までの移動は長月の知り合いが車を出してくれた事。

 着付けが終わり、着ていた服をロッカーに仕舞い鍵をする。睦月は、既に準備は整っているようで、他の着物を見ている。今日は、落ち着いた黄緑の着物を着ている。柄は、檸檬。最近の着物は、果物や動物の着物も多く見受けられ、楽しいと睦月が言っていた事を思い出す。

 女性組は、着付けが終わり衣装室の前で待っていると、男性組と合流し部屋へと案内される。今回案内された部屋は、『紫陽花ノ間』『菖蒲ノ間』『鈴蘭ノ間』の三つの部屋。僕達は、鈴蘭ノ間を使う事になり、部屋に入る。桜の間とはまた部屋の雰囲気が違い驚く。一部屋一部屋机や座布団が異なるようだ。百合ノ間は、部屋の内装をゆっくり見れる状況でなかったなとふと思い出す。

 睦月は、部屋に入るなりメニュー表を開くと僕と長月に早く決めるように催促をする。僕は、前回迷っていたもう一方のAセットに決め、和菓子に関しては睦月のおすすめしていたお団子の三種セットにする。睦月はBセットと抹茶とわらび餅にし、長月は僕が前回頼んだ日替わり和食セットのおすすめ和菓子の盛り合わせにするようだった。

 店員を呼び出し注文を終えると睦月は、部屋の中をゆっくり見渡しきらきらとした表情でまたここへくる事が出来たことの喜びを話し始める。


「また変わった雰囲気を楽しめるのは、月の喫茶店の良いところでございますの。長月さんも、楽しんでいただけているようで、私は安心いたしましたわ」


「別に・・・」


 長月は、縁側に座りながら庭の景色を楽しんでいる。着ている着物は、長月らしく黒い着物に青紫色の帯を締めている。黒い羽織には袖を通さず方に掛けている。着こなしは、普段の長月らしさが出ていると感じる。

 睦月は、長月の事をどう思っているのだろうか。何度か必死に話しかけようとしているところを見かけた事はある。睦月は、確かあまり人と関わる事が苦手で探偵団の中でも結構距離を置いていると日記に書かれていたような気がする。しかし、今僕の視点からは、探偵団の人間達と仲良く過しているように見える。何か心境な変化があったのだろうか。

 僕には、関係のない事ではある。

 睦月は、長月の返答に少しショックを受けつつも笑顔を絶やさない。


「あ、そうでしたわ。私、清水さんのお部屋にお伺いするお約束をしておりましたので、少々席をお外しいたします」


 僕は、わかったと返事をすると睦月を見送ると庭を眺めようと思い長月から少し離れて所に腰をかける。心地よい風を感じながら、縁側に座っていると段々と眠気が迫ってくる。欠伸をが出てしまう。


「玲」


 長月は、僕の事を呼び捨てで呼ぶ唯一の人間。家族を除いた人間の中での話ではある。


「何?」


「記憶は戻らないのかい?」


「戻ってはない。思い出そうともしていない」


「そう。僕は、どっちでもいいよ。記憶があろうがなかろが関係ないね。生きてくれさえすればいい」


 長月は、記憶に関しては何も触れてこない。一緒にいて楽なのは誰かと問われた際に初めに出てくるのは長月だろう。

 長月は、立ち上がると僕の隣に座り直すと僕の頭に手を置く。とても温かく優しい手。雪城さんと同じと感じる。あの時雪城さんは誰かに似ていると思ったのは、長月の事だったと今思い出す。僕は、長月の顔を見る。そして、雰囲気もどことなく似ているような気がすると思う。


「・・・何さ」


「いや、何でもないよ。気にしないで」


 見過ぎるのも失礼かと思い再度庭へと視線を戻す。まだどこかで咲いているのか、桜の花びらがそれに舞っている。

 頭に乗っている長月の手をそろそろ退かそうと思い手を動かそうとしたところ、唐突に襖が開く。振り返ると清水さんと雪城さんが立っていた。


「お邪魔だったかな」


 立ち去ろうとする雪城さんを僕は長月の手を退かしながら呼び止め、座布団に座る。清水さんは、お構いなしに縁側まで来ると寝転び始める。長月は、不機嫌そうに僕の隣の座布団に座る。雪城さんは、気まずそうに座布団に座る。


「少々居づらくなってしまってな」


「帰ればいいのに」


 長月が初対面の人間にそう発言するのが珍しく驚いていると、雪城さんが長月の事を見て呆れつつも優しい顔をしている。

 その状況が面白いと感じたのか清水さんは、くるりとこちらを向いたかと思うと素早く立ち上がり雪城さんの隣に座る。


「奏、嬉しそう」


「あぁ、久しぶりに会うのでな。嬉しくなってしまった」


「僕は、嬉しくないよ」


「従兄弟なのか。それは、嬉しそう」


 清水さんが、そう言うと雪城さんは清水さんの頭を叩く。痛そうに頭を押さえる清水さん。

 反応からするに恐らく従兄弟というのは本当なのだろう。雰囲気が似ていると感じるのも、従兄弟というのであれば納得する。

 雪城さんと長月は、兄弟のように育ったのだと雪城さんは話してくれる。今の不機嫌さと玄関での不機嫌さにも、きっと長月は雪城の事に対して苦手意識があるのだろう。


「玲、中庭見に行こう」


 長月は、居心地が悪いのか僕の手を引いて外に出ようとするが、僕は急に立ち上がった為にバランスが取れずに倒れかけるも、清水さんの腕により支えられる。着物を着ているにも関わらず素早く僕を支えに動いた清水さんに驚く。

 清水さんは、僕の腕から長月の手を解くとぎゅっと抱きしめ始める。そして、頭を撫で始める。


「神無月さん、大丈夫か。龍、気をつけなさい」


「し、清水さんのお陰で大丈夫です。ありがとうございます」


「無事で安心。丁寧に慎重に扱う」


「神無月さんは、物ではない。その言い方はよしなさい」


 皆で中庭に行こうと清水さんが言い出し、僕は清水さんに手を繋がれ連れて行かれる。雪城さんは、呆れた顔をして後ろからついてくる。長月は、その更に後ろから不機嫌そうについて来ている。

 中庭に着くと清水さんは、僕の手を離すと子供のように庭を駆け巡り始める。僕は、以前行けなかった池にでも見に行こうと歩き始めると、長月が隣にくる。


「ごめん」


「平気。それより、この先の池を見に行くが来る?」


 長月は、頷くと隣を歩き始める。長月もまた睦月と同じように人との関わりに対して不器用なのだと改めて思う。

 池の方に向かおうとすると清水さんに呼び止められる。


「食事の時間。間も無く、届く」


「食後にまた来るとしよう」


 雪城さんのその声で、僕達はそれぞれの部屋に戻る。睦月は、まだ他の部屋に行っているようで部屋にはまだ帰って来ていない。また長月と一緒に縁側で庭の景色を眺めているとまた勢いよく襖が開き、清水さんが部屋に入ってくる。それを止めに来たであろう雪城さんは呆れた顔をしながら部屋に入ってくる。

 清水さんを連れ戻そうと頑張る雪城さんと必死に抵抗する清水さん。僕は、とりあえず開放状態の襖を閉めに行くと、睦月が部屋に戻っきた。


「玲様、お出かけなさいますの?」


「いや、襖を閉めに来ただけ」


 睦月は、部屋の中を見るととても驚いている。誰が見ても驚く状況ではあると思う。


「よろしければ、お二方もご一緒に召し上がりませんか?」


「喜んで」


 清水さんは、迷う事なく答える。雪城さんは、とても申し訳なさそうにお礼を言う。睦月は、従業員の方にが説明して参りますわと言うと、部屋の外へと出て行く。清水さんは、一緒に行くと追い掛ける。


「本当にすまない」


「いえ。睦月も嬉しそうなので」


「聞いて良いのか迷うのだが・・・、何故、神無月さんは様と呼ばれている?」


 僕が恐れていた質問が出て来てしまった。睦月と話していた際に、僕に対してのみ様を付けて話していたのだろう。それが、睦月の通常運転。

 回答に困る。記憶を失う前からそう呼ばれている。理由を聞かれたところで、僕は回答を持ち合わせていない。日記にも、特に理由に値しそうな事は記載されていなかった。あるとするならば、探偵団を作った事とは思う。後は、出会いも値しそうだと感じる。

 変な意味で伝わるのも僕にとっては、宜しくないなと思う。記憶がない。わからない。この二言に限る。


「僕にもわかりません」


「そうか」


「話を変えます。可能でしたら、敬称を外していただくか、名前で呼んでいただけるとありがたいです」


 雪城さんは不思議に思いつつも了承してくれる。僕は、名字で呼ばれる事にトラウマを持っている事だけを伝える。

 詳しい事は、話さなかった。理由は話すと長くなる。雪城さんも、深くは聞いてこなかった。

 今は、トラウマという程のことでは無いが、名字で呼ばれると目を覚ました時の事を思い出してしまう。忘れたい記憶。

 知らない人間達が僕の名字を呼び、集まっていた。その人間達は、数字の為ならば相手の事を考えず、必死に聞き出そうとする卑しい人間だった。当時の僕にとっては恐怖の対象でしかない。どこへ行くにも、その人間達は存在していた。しかし、そんな被害者の気持ちに添えない人間達は、いつの間にか、消えていった。理由は知らない。

 落ち着いたとはいえ、思い出す事には変わらない。思い出す度に気力が奪われる。

 また思い出したなと思っていると誰かの手が頭に乗せられる。その正体は、長月。


「あまり玲を刺激しないでよ」


「言われなくてもそうするよ。これでもその道を目指している身だ」


「そう」


 長月は、僕の隣に座る。

 暫くすると、睦月と清水さんが部屋に入って来る。雪城さんが再度申し訳なさそうに手間をかけたなというと、睦月はとんでもございませんという。

 睦月と清水さんは、大変仲良くなったようで連絡先を交換し始めている。僕は生還しようとしていると、清水さんの手によってその輪の中に突っ込まれる。僕がスマートフォンを持っていない事を知ると手荷物から懐紙と万年室を取り出すと連絡先を書き初める。


「清水さんは、茶道も嗜まれていらっしゃるの?」


「趣味?」


「わぁ、素敵ですわ」


 話に花が咲き始め、僕は空気になる。清水さんが、連絡先を書き終えると僕に手渡す。僕は、それを受け取ると鞄にしまいに行く。

 襖を叩く音が聞こえ、返事をすると月野さんが襖を開けると失礼いたしますとお辞儀をすると部屋に入る。食事を運びに来たようだ。


「無理を言ってすまないね、月野」


「ふふ、京子の我儘が始まったのでしょう?それくらい京子が来ただけでわかるわ」


 月野さんは、謝る雪城さんに対して優しく微笑む。清水さんは、我儘ではないと頬を膨らませる。3人は仲が良い様子。僕は、その様子を横目に長月の隣に静かに座る。睦月も、邪魔にならないように静かに僕の隣に座る。

 月野さんは、丁寧に手際良く食事を運ぶ。やはり見た目はとても良く美味しそうな料理。


「本日もゆっくりとお楽しみくださいませ」


 月野さんは、そういうと部屋の外へ向かい襖をしめる。終始作法が美しいと思う。

 唐突な清水さんのいただきますの声に続き、皆いただきますと言い食事を始める。早く食べたくて仕方がなかったのだろう。


「お二方は、月野さんと親しいのですわね」


「月野、私の親友、奏の元恋人」


 清水さんがそう言うと、雪城さんは清水さんを叩く。清水さんは、痛いと頭を押さえる。この光景は、何度見た事かと思う。


「あらま。そうでしたの。不躾な事を聞いてしまいましたわ。申し訳ございません」


「いや、謝ることではない。悪いのは、清水だ」


 雪城さんは、ため息を吐きながら月野さんとの話を軽く話話してくれた。

 雪城さんと月野さんは、甘味処で出会った。雪城は、当時高校二年生。月野は、専門学校の三年生。雪城は、知り合いの手伝いで一年ほどアルバイトをする事になり、指導係として月野が任命された。物覚えがよく、成長の早い雪城に月野は手作りのどら焼きをあげた。それはとても美味しかったらしく、そのお礼にと雪城も八つ橋を作りお返しをした。何度か和菓子の贈り合いをしている内に月野から告白を貰い、付き合う事になった。しかし、冬になるに連れてお互いが忙しくなり始め、会う機会も次第に無くなった。雪城は大学進学に向けての勉強に追われ、月野は月の喫茶店を立ち上げるための準備に追われて恋愛どころでは無くなってしまい話し合いの結果、お互い夢を叶える事を約束し、別れる事になった。

 未練は、お互いにないとの事。


「短期間で夢を叶えて僕は、尊敬している」


「何と素敵なお話なので御座いましょう」


 睦月と清水さんは、とても感動している。清水さんはその経緯を知っているのではと思うが、僕はその疑問を口にしない。清水さんは、恐らく楽しんでいると思う。長月は、興味がなさそうに黙々と食事を楽しんでいる。

 父の書く小説の中にも恋愛の話も出て来る。実際の恋愛というものはよくわからない。雪城さんの恋愛話は、父の書く恋愛よりも切ないものだと感じる。これが現実なのだろうか。

 僕は、そう思いながら箸を進める。

 その後も睦月は、雪城さんと清水さんと楽しそうに話しながら箸をすすめ、皆完食した。

 食べ終えたお膳は店員が下げ、一息付いていると襖から叩く音が聞こえたかと思うと黒川さんが顔を覗かせる。


「か〜なで!しゅ〜ちゃんが呼んでるよ〜」


 黒川さんは、笑いながら雪城さんを呼ぶ。よかったら、凪ちゃんもどうと睦月の事も誘う。雪城さんは後で行くと断り、睦月はデザートをいただきましたらお伺いいたしますわとお断りをする。黒川さんは、はいよ〜というと襖を閉める。嵐のような人だなと感じる。出会ってから今までテンションが高いところしか見ていない。

 すぐ戻っていったところを見ると恐らく急ぎの用事ではないことは考えられる。


「呼ぶなら連絡すれば良いものを」


 雪城さんは、スマートフォンを取り出し連絡が来ていないかを確認始めるが、特に何も着ていない様子。

 携帯を持っている事は、場合によっては便利だなと思う。両親に何度か携帯販売店に行こうと誘われるも、必要性を感じなかったため断っていた。自宅では、暇さえあれば父の書斎で読書。学校では、図書室に引きこもり読書。特に、学校以外でどこかに出かける事はない。


「玲は、何故携帯持ってないの?」


「必要性を感じなかったからです」


「理解出来ない。連絡できるの、便利」


 清水さんは、僕に持つべきとアピールを始める。僕は、時が来たら持ちますよとお茶を一口飲む。湯呑みを置くと同時くらいに、抹茶と和菓子が運んで来たようで店員の三条さんが、襖を叩き部屋に入ってくると丁寧にお盆を運ぶ。

 それぞれの飲み物と和菓子が行き渡るとまた清水さんのいただきますの後に、いただきますと食べ始める。

 和菓子を食べ終えると、僕は縁側でのんびりと風に当たる。満腹感と温かい日の光が眠気を誘う。長月は壁に寄り掛かりながら読書をしており、清水さんは畳の上で寝転んでいる。睦月と雪城さんは、藍澤さんのいる部屋に出掛けている。

 喫茶店に、ここまでのんびりして良いのだろうかと思いながら、睡魔と戦っていると睦月が戻って来た。


「中庭へ散歩に行きませんか?」


 睦月と雪城さんは、藍澤さんに呼ばれ菖蒲ノ間で着物や和菓子、店内の内装についての話で盛り上がった。中庭の話まだ中庭を見学をしていない黒川さんの発言により、全員で行くのはどうだろかと言う話になり、予備に来たとの事。

 中庭にある池もまだ行けていないこともあり、承諾する。

 中庭に到着すると既に藍澤さん達は庭を楽しんでいる。僕と長月は、池のある方に向かい歩いている。


「長月が、こう言うお店に興味があったとは意外だったよ」


「・・・そう」


「池の近くに縁台がある」


「行くかい?」


「そうだね」


 楽しそうに話している睦月を見て、心のどこかで安心している自分がいる。理由はわからない。

 ここでもお茶を楽しめれば良いのにと思いながら、池を眺めている。池の中には、錦鯉数匹泳いでいる。中庭の木々の奏る音と池の水の音がとても心地が良い。これが和水と呼ぶのであろう。たまには、こう言う時間も必要だと感じる。

 中庭を散々楽しんだ睦月達が僕達のいる池に歩いてくる。出会って2回目なのかと思うほどの馴染み方をしている。

 清水さんに関しては、池に掛かっている橋を見つけると睦月の手を引いて走っている。それを後ろから危ないと呆れながら注意をする雪城さん。高本さんは、藍澤さんと黒川さんと楽しそうに池の鯉に餌をあげている。

 平和だなと思っていると、榎本さんが僕と長月の方に歩いてくる。何か言いたげにしている。先に口を開いたのは、大変不機嫌に僕の隣に座っている長月だった。


「君、誰」


「長月、初対面の人にその接し方はやめなさい。榎本さんでしたよね、口が悪くすみません」


「い、いえ。大丈夫です。私、貴女にしっかりと謝れていなかったので・・・、改めて、謝罪をと思いまして・・・・」


 今にも泣きそうな榎本さんに、僕は気にしなくて良い事を伝える。衝突はしたとはいえ、外傷も何もなかった。榎本さんも特に怪我をした話は、聞いていない。お互いに怪我がなかった事はよかった事ではある。


「優しいのですね」


「いえ、優しくはないです。それより、仲直りできたようでよかったですね」


「えぇ、私、好きなのです。修さんの事が、ずっと。でも、なかなか振り返ってくれないのです」


 榎本さんは、そういうと藍澤さんを見る。藍澤さんと高本さんと黒川さんで楽しそうに話している姿に、悲しそうな顔をする。恋愛に関しては、よくわからない。勿論、友情に関しても同様にわからない。

 回答に困るなと思っていると、榎本さんは欠伸をして目を擦り始める。


「眠いのですか?」


「なんか急に眠気が・・・、寝不足かな。いつもと同じ時間に寝たのに・・・。部屋に戻って、少し休んできます」


「お一人で大丈夫ですか?」


「大丈夫です。瑞稀に伝えてくれる?」


「構いませんが・・・」


 榎本さんは、ありがとうと言い残すとゆっくりと部屋の方に歩いていく。僕は、高本さんに伝えに行こうと立ち上がる。もし榎本さんが倒れたとしても僕達では支える事は出来ない。少し駆け足で高本さんのいる池に向かう。

 事情を高本さんに伝え終わると、3人で様子を見に行くとのことで急いで部屋に戻る。そんな様子を不思議に思ったのか、雪城さんが声をかけにくる。事情を話すと、心配そうな表情を浮かべるが、3人なら大丈夫かと呟く。


「龍は、とても不機嫌そうだが、大丈夫か?」


「問題ないと思いますよ」


「少しは愛想良くして欲しいものだが・・・。玲といるときは、龍も楽しそうで安心した。ありがとう、関わりを持ち続けてくれて」


 雪城さんは、嬉しそうな表情をしている。これはきっと弟思いの兄の姿というのだろう。

 雪城さんと共に、長月の座る縁台に向かうと、睦月と清水さんも集まった。そこでも、榎本さん達のことを聞かれ、事情を説明する。心配する睦月に対し、少し考えている清水さん。心配をしているような、何か違うことを思っているのかわからない。


「僕も本を持ってくればよかった」


 この落ち着く世界観でネットカフェのように、好きな本を読みながまったり過ごす事ができたらどれだけ幸せな事なのだろうかと思う。


「本が好きなのか?」


「えぇ、まぁ」


「どんな本が好きか聞いていいか?」


 僕は、特にジャンルに問わず本を読み漁っている。よく読むのは、父が手掛けている小説ではあるためミステリーが多い。何が好きとかはない為、何でも好きという話をする。雪城さんは、ホラーやミステリー小説を好んで呼んでいると話してくれる。


「今は、心理学に関する文献を読む事が増えて、なかなか読めていない。僕が心に残っている小説は『白と黒』何だが、知っているか?」


「えぇ、知っています。とても興味深い小説でした。現実味はないように感じますが・・・」


「確かに」


 『白と黒』は、父の作品。本人は、息向きで何となく書いた小説とは言っていた。感想を聞きたいと渡されて読んでみると、一人の異端な天才少女と平凡な少年が不思議な出会い方をして事件を解決していく、少し変わった物語だった。

 雪城さんが特に気に入っている部分は、少女の心情の変化を感じるところだという。僕は、物語構成やキャラクター設定が強く印象には残っている。心理学を学んでいるだけ、見ている視点が違うのだろう。


「おすすめの本があったら、ぜひ、教えて欲しい。と言っても、連絡手段がないのか」


「自宅に電話機はありますので、ご連絡は可能です」


 確かにそうだがと悩み始める。悩まれたとしても、持っていないものは持っていない。仕方がない事だと思って欲しい。

 他愛のない話をしていると高本さんと黒川さんと藍澤さんが中庭に戻って来た。榎本さんは、無事に部屋でゆっくりと寝ていると言われ、安心する。30分くらい寝かせて帰るという話になった。


「私、今日は、とても楽しい時間になりましたの。玲様は如何でしょうか?」


「有意義な時間にはなったと思う。久しぶりに楽しかったよ」


「それはよかったですわ」


 嬉しそうに笑顔な睦月に僕は、毎週続けてお出かけは勘弁という事を伝えると努力いたしますわと返されてしまう。

 ふと気付いた事を聞こうと思ったけれど、一瞬頭がくらっとして隣にいる長月にもたれかかる。長月は、驚きつつも僕を支えると焦ったような表情で声を掛けてくる。睦月も心配そうに声掛けてくる。


「久しぶりの外で疲れただけ。あまり長く日に当たることも少なかったから」


「部屋で休むかい?」


「大丈夫。あまり騒がないで。他の人に心配されるのは面倒」


「私は、玲様の身を心配しておりますの。本当に問題ありませんの?」


 問題ないと僕は、睦月にいう。正直、一瞬だけ眩んだだけ。誰にでもある事に大袈裟すぎると思う。相手の体調不良の度合いがわからないとはいえ、限度はある。

 長月は、羽織を脱ぐと僕の頭に被せる。視界が少し暗くなり、少し落ち着く。縁台とはいえ、時間によっては日当たりが良い。長月のさり気ない気遣いはとても助かる。これで普段愛想が良ければ、人との付き合いも増えるのではないのだろうかと思う。本人次第だなと思いながら、少し目を閉じて長月に身を委ねる。


「私も男性でございましたら、その役をいただけますのに・・・・」


「静かにできないのかい?君は。」


「・・・・」


「それに、君には、君の役があるでしょ」


 睦月は、長月の言葉以降声を発さなかった。長月は、長月なりに人の事を見ていると思う。本当に、不器用な人。これもまた、人間なのだろう。

 僕の身体も休まり、長月に羽織を返すと丁度清水さんが部屋に戻ろうと声を掛けてきた。ちょうど良いタイミングでよかったと安心する。

 部屋に戻る前に僕と睦月、長月、清水さん、雪城さんは、着替えに行こうという事になり、廊下ですれ違った従業員に声をかけ、衣装室で着替えをする。

 帯を緩めると、とても楽になる。自分で着付けているとはいえ、着物はきつい。着物を一日中着ている睦月は、もう着物も体の一部のように着こなしている。着替えが終わり、フードを深く被ると着物を畳み始める。春ももうお終いだろうと思いながら畳み終えた着物を返却箱にしまうと、遠くから悲鳴が聞こえる。

 僕は無意識に走り悲鳴の元へ向かうと、紫陽花ノ間にたどり着く。お客様が血を流してと口を抑えながらいう従業員の言葉に僕は、先に部屋に戻っていた高本さんと藍澤さんと黒川さんが、部屋の中に入るよりも先に状況を確認するために部屋に入るが、既に長月が部屋の入り口で腕組みをしていた。

 部屋の中では、榎本さんが胸部に刃物が刺さった状態で座布団の上に仰向けに倒れていた。長月の顔を見ると、首を振る。既に亡くなっているという事なのだろう。なんと悲しい事なのだろうかと思う。

 長月は、悲鳴が聞こえてすぐに指名の元へ向かうと中に入ろうとする3人を黙らせて、脈を計り既に亡くなっている事を確認し、警察への通報を済ませていると僕に話す。

 現場保存の為に、長月は警察が到着するまで誰も入れないように襖の前で待機し、関係者と店舗の従業員、店内のお客は、紫陽花ノ間の隣にある百合ノ間に集める。睦月は百合ノ間の前で待機している。店長である月野は、警察が到着したようで迎えに玄関に向かっている。

 僕は、百合ノ間の縁側でぼうっと空を眺めている。まさか、事件に巻き込まれるとは思っていなかった。ここにいる誰もが思っている事であろう。


「早く解決しないかな・・・・」


「なら、君がこの事件を解決するといい」


「け、警部!何を言っているのですか!」


 どこか出来いいたことのある声だと思い、声のする方に向くと黒川梨絵が立っていた。しっかりと警部の名に相応しい服装をしている。

 

「ご冗談を。僕はただの高校生です。解決するのは、僕ではありません」


「そうか。ただの高校生か。しかし、君のお友達は何か言いたげな表情をしているが?」


 恐らく睦月の事であろう。振り返らなくともわかる。反論したい気持ちを抑えたいるのであろう。僕はため息を吐くとフードを深く被った。黒川警部は、その後何も言ってこなかった。

 警察の捜査が開始される。第一発見者の従業員と長月は、別室で事情聴取を受けている。これから順番に事情を聞かれる事になる。黒川警部以外から聞かれたいと思うが、難しいのだろうなと諦めている。睦月は、静かに僕の後ろで座っている。とても強い視線を感じる。

 事情聴取が終わったのだろう長月は、百合ノ間に戻ってきて早々に僕の隣に腰をかける。睦月は、何を聞かれ、何を話したのかを長月に聞く。長月は、ため息を吐くと簡単に話し始める。


「僕は奏と着替えを済ませて、玲を迎えに行く途中で悲鳴が、聞こえてその場所に向かってみたのさ。そしたら、廊下で従業員が泣き喚いて煩かったから黙らせて、部屋の中を確認したら包丁に刺されたあの女が倒れていた。他の人間も集まって訳のわからない事になる前に警察への通報と安否確認をした。中に入ろうとしていたあの大学生3人を止めて、何か痕跡がないかを調べた」


 白い手袋とタブレット端末を取り出して僕に見せる。タブレット端末で事件現場の撮影と状況を記録していると長月は話す。現場検証は、警察の仕事だろうと思いながら僕は何も言わすに空を眺め続ける。

 タブレット端末に関しては、一度黒川警部に中身を確認された後何故か預かられずに渡されたと長月はいう。睦月は、そのタブレット端末を長月から奪い中身を確認し始める。


「長月さん、少々お聞きしてもよろしいですか?」


「何さ」


「事情聴取中に部下の方から警部さんに報告されていた内容で指紋が被害者のものという事が記載されておりますが、こちらは事実なのでしょうか?」


「事実だね」


「発見された部分も気がかりですね。柄の部分ではなく峰の部分だけ・・・、その他の場所は拭き取られているのか検出されていない・・・」


「睦月、首を突っ込み過ぎ」


 僕は睦月からタブレット端末を取り上げる。睦月が不貞腐れたような顔をしていたが、これ以上は高校生である僕たちには、関係のない事。

 今も百合ノ間から一人一人事情を聞かれ、入れ替わりがある。僕と睦月も時間が来れば呼ばれる事であろう。憂鬱でしかない。


「玲。事情聴取受ける時、注意しなよ」


「わかってる」


「知り合い?」


「いや」


「さて、次は貴女の話を伺おうか、神無月玲さん」


 いつの間にか百合ノ間に入り、僕の後ろに立っている黒川警部に僕は驚きタブレット端末を落としかける。僕は急に後ろに立つのはやめてくださいというと、黒川警部は何か考える素振りをする。そして何かを思いついたのか、長月と睦月を同席させると言い出す。僕達は、言われるがままに別室へと案内される。


「さて、話を聞こうか」


 警察官に囲まれ、目の前には黒川警部が座っている。僕と睦月が事情聴取の最後の人間と告げられる。部屋を出る前に、顔見知りの人間しか残っていなかったのは、恐らく、関係者以外は別室で待機しているか、解放されているという事なのだろう。

 僕と被害者である榎本さんの関係について聞かれる。関係については知り合いとしか言いようがない。知り合った経緯も聞かれたが、偶然衝突した話をするとあの時の騒ぎは貴女だったのかと言われる。不慮の事故だ。

 事件当時のアリバイを聞かれ話すと、先に事情聴取を受けている長月や清水さん、雪城さんの話と一致している様子。表情にはでていないが、返答の声色でなんとなく察する。


「さて、ここからが本題だ。そのタブレット端末の詳細は確認したのかな?」


「いえ」


「そうか。事件に興味はないの?」


 黒川警部の問いに僕は、早急に解決してくださいと言い部屋を出る。百合ノ間に戻ると清水さんがいきなり抱きついて来る。大丈夫かと声を掛けられ、大丈夫と返事をする。後から長月が部屋に入ってくると状況を見て大変不機嫌な表情を浮かべる。

 今は、睦月が一人で事情聴取を受けていると長月がいう。部屋を出ようとした所を引き止められたとの事。終始無言で僕と黒川警部の話を聞いていた事が原因なのだろう。

 部屋の中は、お通夜状態。僕は清水さんにぬいぐるみのように抱きしめられている。友人が亡くなって悲しいのだろうかと思い抵抗しない。力が強く振り解けないのもある。長月は、不機嫌そうに隣に座っている。雪城さんは、長月の隣で静かに座って動かない。高本さんは、静かに泣いていて、黒川さんが背中を摩っている。藍澤さんは、静かにふたりの側に座っている。月野さんは、第一発見者の女性従業員を落ち着かせる為に毛布で包み、抱きしめている。現場を見て心を平然に保てる人間はなかなかいない。それは、当たり前の事だと思う。

 わかっている事といえば、犯人はこの中に居ると警察は思っている。僕も部屋の中を除いた時にそうでは無いのかと思っている。部屋の中には争った形跡も無ければ、漁られた形跡もなかった。もし外部の人間が犯人だとするならば、指紋などの痕跡が発見されてこの部屋にいる事であろう。

 早く終わらないものだろうかと思っていると睦月が、警察と共に戻って来た。僕の姿が視界に入ると、不満そうな顔をして頬を膨らませる。黒川警部は、襖の近くで座ると話し始める。


「皆さん、事情聴取にご協力頂き、感謝します。こちらで情報を整理させていただいた来ました。我々は、皆さんの中に犯人がいると考えています。自首してくれる事を此方は望みますが・・・、いないようね」


 黒川警部は、ため息を付いている。恐らく、犯人と断定できる人物が確定していないのだろう。自首してくれないかなと思っていると長月のタブレット端末から振動があり、何かと思い画面を見ると共有ファイルが送られている。差出人の名前には、睦月の名前が記載されている。長月にタブレット端末を開いてもらうと内容を確認する。

 事件の詳細が、記載されている。僕は、閉じようと思うが気になる点をいくつか発見する。

 一つ目は、被害者の体内から睡眠薬が検出されたという文章。中庭で急に眠くなったと言っていた理由は、睡眠薬を服用していた事が原因だと理解する。

 二つ目は、包丁の指紋と刺さり方。包丁の指紋に関しては、睦月が気になっていた通り峰の部分に被害者である榎本さんの指紋しか検出されず、柄の部分は拭き取られていたと記載されている。刺さり方に関しては、一度深くまで刺さっていたものが軽く抜かれたような形跡がある事、そして、包丁は縦ではなく横に刺さっていたと言う事が記載されている。指紋のふき取りに関しては、抜いて拭き取るか、初めから手袋をすれば良いと思う。再度差し直した感じではないというのが見解らしい。

 僕視点から考えられる犯人は、誰だろうかと考える。第一発見者の女性従業員はや月野さんに関しては、犯人である可能性は薄いと考えられる。自身の働くお店で殺人を犯す程、愚かではないと思う。衝動的にと考えると話は別になってくるくらいであろう。清水さんや雪城さんは、ほとんど僕や睦月、長月とほとんど行動を共にしている。事情聴取の際に、アリバイが一致していると黒川警部が言っていた事から犯人から外しても問題ないと考えられる。そう考えると犯人の可能性が高い人物は、藍澤さん、黒川さん、高本さんの3人に絞られる。警察もそう考えているのではないかと思う。

 そこまで考えて思考を止める。事件を解決するのは、警察の仕事であって僕の仕事ではないと頭の中で考えていた事を消していると、か細い声で声が聞こえた。


「犯人は、自分です」


 その場にいた全員がその声の主の方を向いた。自首をしたのは、黒川さんに背中をさすられている高本さんだった。

 高本さんは、泣きながら震える声で、話を続ける。


「わ、私が。・・・私が、亜紀を刺しました」


「みっちゃん、冗談は、良くないぜ?」


「貴女は、高本瑞稀さんですね、本当ですか?」


 高本さんは震えながら、はいと返事をする。嘘だろうと肩を落とす黒川さん。藍澤さんと雪城さんも驚いている様子。清水さんは、僕を抱きしめる強さを少し強める。苦しいとまでは言わないが、少し緩めて欲しいのが本心。


「貴女は、どのように被害者である榎本亜紀さんを殺害したか、説明できますか?」


「えっと。寝ている亜紀を包丁で・・・」


 黒川警部は、高本さんの回答を聞くと何か考え始める。


「ほう。寝ている・・・、ねぇ。何故、被害者は寝ていたと思う」


「それは・・・、あっ。亜紀は、最近眠れないと打ち明けてくれて、それで」


「睡眠薬を盛ったのか?」


「そ、そうです」


 黒川警部は、高本さんに対して引っかかる部分を持ちつつも詳細を聞き始める。

 凶器である包丁は、自身の自宅から水に流せる紙に包んで持ってきたと言う。指紋もその紙で拭き取って、トイレに流したのだという。睡眠薬は、榎本さんが所持していたものを家に泊まった際に薬ケースから錠剤を一つ密かに持ち出し、抹茶に入れたと話す。肝心の動機については、最近友達伝いにいじめを計画している話を聞いて本人に確認した所はぐらかされたが、昨日の夜友達からいじめの対象が自分だと聞かされて、いじめられる前に殺してしまおうと思ったとのこと。


「私、もともといじめられっこでしたから、色々思い出しまして・・・、それで・・・」


 黒川警部は、何か引っかかっている様子だが、詳しくは所で聞くと高本さんに伝える。部下に、手錠を掛けるように指示をする。

 あの高本さんが犯人とショックを受ける睦月。仲良くなった人間が、犯人だと知るのは衝撃だろう。

 仲の良い人間が、犯人。何処かで聞いた事のある言葉のような気がする。何処で聞いたのかは、覚えていない。一瞬だけ頭の中に何かが流れ込んできたのは、苦しみに気付く事ができずに消えていった大切だった誰かの顔。頭に痛みを感じて頭を押さえる。


「待ってください。黒川警部」


 僕は、頭を抑えながら清水さんの腕を解く。黒川警部は、手錠された高本さんを連れて部屋を出るところで足を止めてくれた様子。

 頭痛が治まり、深呼吸をする。真実を明らかにしても、凪にとって悲しい現実になってしまう事には変わらない。それでも、隠された本当の物語は、伝えなければならない。


「その方、高本さんは、犯人ではないですよ」


「玲様?」


 黒川警部は、フッと笑うと挑戦するように説明をするようにと言うとその場に座る。


「“私”が、見つけた物語です。聞いていただけますか?」


 私は、そう言うとフードを外すと手首に巻いている組紐を解き、後ろの髪をまとめて括る。そして、龍介のタブレット端末を開けると龍介のまとめた現場写真と報告書を確認して、凪が共有してくれた情報を最後まで目を通すと私の中で最終章までの道筋が構成される。


「初めにお伺いしてもよろしいでしょうか、高本さん。貴女は、被害者である榎本さんに薬を飲ませ、眠らせた後に刺したとお話ししてくださいましたね」


「そうです」


「指紋を拭き取ったとお話ししてくださいましたが、どのタイミングで拭いたか覚えていますか?」


「刺す前です」


 私は、ありがとうございますと言うと次の質問を投げる前に、凪に櫛を持って来るようにお願いする。部屋の中にいる方々に少し場所を開けていただくように伝えると、凪が櫛を持って戻ってくる。凪は、何故櫛が必要なのかを理解しているようで、持ち手のある櫛を用意してくれていた。龍介は、座布団を一枚ずつ横に並べ始める。

 私は、その櫛を高本さんに渡す。部屋の中にいる私と凪と龍介以外は、何をするのかをわかっていないようで、不思議そうな顔をしている。


「高本さん、それを包丁だと思って、私の事を刺してください。同じように」


 龍介が並べてくれた座布団の上に仰向けになると、私は高本さんを呼ぶ。

 高本さんは、私の左脇に座ると櫛を両手で持つ。そして、櫛を私の胸部に当てる。

 私は、高本さんにお礼を言うと体を起こす。一連の流れは、睦月が撮影してタブレット端末に共有してくれる。


「凪、龍介。ありがとう」


「い、いえ。玲様、勿体無きお言葉でございます」


「・・・別に」


 凪と龍介の方を見て感謝を伝えると2人は、嬉しそうな表情をしている。記憶を失ってしまって申し訳ないと言う気持ちを感じている。解決したら、心配させてしまった事を謝らないといけないなと思い私は、この事件を早く終わらせようと心に決める。

 黒川警部は、待ち遠しく感じたのか催促し始める。私は、ある事を龍介に頼むと皆の方に身体を向ける。


「さて、此方で全て整いましたので、お話しさせていただきます。高本さんは、榎本さんに睡眠薬を飲み物に混ぜて飲ませ、仮眠に向かった所を指紋を拭き取った上で包丁で刺し殺害したとお話ししてくださいました。私は、この時点で疑問点が幾つか思い浮かび、犯人ではないと言う答えに辿りつきました」


「私が、嘘をついていると言う事ですか?」


 高本さんが、声を震わせながらいう。私は、そうですと言うと嘘を吐いていないとはっきりと言葉にする。高本さんが、早く連れて行ってと黒川警部に必死にお願いするが、黒川警部は静かにさせる。


「一つ目の疑問。高本さんは、榎本さんの家から睡眠薬の錠剤をひとつ持ち出したと言っていましたが、睡眠薬には物によっては水などに溶けにくい物や変色する物があります。榎本さんがその後睡眠薬入りの飲み物を飲んでいるのであれば、何かしら異変を感じると思います。事前にその薬が水に溶けやすいものか、色に変化が現れないものかを調べているのであれば、別の話ではございますが・・・。睡眠薬の詳しい情報に関しましては、恐らく、警察の方々が調べていると思います」


 そうですよねと言う意味で黒川警部に視線を送ると、黒川警部は頷く。黒川警部は近くにいた部下に催促の指示を送っている。

 私は、警察の結果を待たなくても、結末を知っている。しかし、今回は殆ど状況証拠しか持っていない。確実な証拠は、恐らく真犯人が持っている。それを引き出す事が私の腕の見せ所なのだと思う。素直に自首をしてくれる事が、気持ち的にもありがたいのになと思いながら話を進める。


「私の予想が正しいとするならば、榎本さんは睡眠薬を持っていないと報告が上がると思います」


「それは、どう言うことかな?」


「榎本さんは、私に中庭で急に眠くなったと言って部屋に戻りました。原因については、榎本さん自身もわからない様子で寝不足かなと思っていたようです。榎本さんは、[寝不足かな。いつもと同じ時間に寝たのに・・・]そう話していた事を龍介も聞いています。日頃から睡眠薬を服用しているのであれば、副作用を疑うと思います。そして、同じ時間に寝たとは言わないと思います。その事から、私は、睡眠薬は所持していないと考えています。睡眠薬に関しまいては、時間の問題とは思いますので、此処までとさせていただきます」


 睡眠薬が混入されたと思う飲み物が片付けられていなければ、詳しいことはわかったのかもしれない。睡眠薬は、基本的には医師からの処方でしか手には入らない。市販で手に入るものは、悪用防止のために色付け等の工夫が凝らされている。効果も強いものではない。

 高本さんは、反論しようと何か必死に考えているけれど、何も言葉が思いつかない様子。自白していた時の反応も、睡眠薬については知らなかったかのように驚いていたことは、黒川警部も気付いていると私は反応的に感じている。

 警察の結果で睡眠薬が発見されなかった場合、高本さんの話に信憑性は無くなり、犯人の可能性は薄まる。


「二つ目の疑問。凶器の包丁はご自身の自宅から持ち込み、指紋が残らないように拭き取ってから刺したという事ですが、警察の方々が調べた結果には、峰の部分に指紋が残っていたようです。被害者である榎本さんの指紋が・・・、これは、一体何故でしょうか」


「・・・え」


「そして、私は、高本さんが凶器を持ち込んでいないものと考えています。その理由は、凶器の大きさと高本さんのバックの大きさを考えると持ち込むという事は難しいと判断した為です。では、この凶器の包丁は何方の物かという事になりますが、答えは簡単です。榎本さん本人のものという事になります。その理由は、2つあります。ひとつは、指紋の位置です。峰の部分に指紋が残る状況は、基本的には料理しか考えられません。警察の方々の話を共有していただいたところ、凶器の指紋の位置と何か包丁で切る際に人差し指が触れる位置がぴったりと一致すると考えています。もうひとつは、こちらをご覧ください」


 私は、タブレット端末の画面に凶器に使われた包丁と同じ写真と部屋の中にいる人間の鞄の写真を表示させると同じ縮尺になるように操作を行うと部屋の人に見えるように置く。包丁の大きさが余裕で収まる鞄を持っていたのは、被害者である榎本さん本人と私は説明する。

 此処からは、仮説でしかない。被害者である榎本は、何かしらの目的を持って鞄に包丁を忍ばせていた。理由については、龍介から共有をそろそろ貰えるだろうか。

 私が、龍介の方を見るとちょうど良いタイミングで情報が届いたらしくスマートフォンを手渡してくる。しかし、私はスマートフォンの操作の仕方がわからず困っていると、龍介がフッと笑いタブレット端末に共有をしてくれる。龍介はたまに意地悪な事をする。

 タブレット端末を持ち、共有された内容を確認すると、思った通りの情報が記載されていた。

 榎本さんのSNSの情報。公開アカウントと鍵のかかった非公開のアカウントの二つ存在する。非公開にしているSNSの内容は、大変真っ黒なものである。当の本人はもうこの世にはいない為、本当の事はわからない。しかし、この内容が事実であるかどうかは、警察が捜査している内に明らかにする事は可能になると思っている。

 公開しているSNSの内容の中に、料理をしている動画を発見し、消音で再生すると包丁を扱っている部分まで進めて止める。使用している包丁は、今回凶器に使われた包丁と同様の事と包丁の持ち方は、予想通り人差し指が峰に当たる持ち方をしている事が判明した。

 私は、タブレット端末を再度見えるように置く。黒川警部は、納得したようになるほどなと呟く。


「こちらで凶器の持ち主は、榎本さんの可能性が高いと証明されました。そして、榎本さんが凶器を持ち運んだ理由は、恐らく、高本さんを殺害と考えられます」


 私は、こちらをご覧くださいとタブレット端末を捜査すると黒川警部に渡す。表示しているのは、鍵のかかった非公開の榎本さんのSNSの内容。黒川警部は、さっと目を通すとため息を吐く。


「これが事実なら貴女の推理に筋が通る」


 黒川警部は、そういうとタブレット端末を返してくれる。私は、タブレット端末を受け取ると高本さんを見る。殺される対象だった事を知った後から青ざめて震えている。

 三つ目の疑問は、高本さんの様子。今日の高本さんの榎本さんに対する接し方は、一週間前に出会った時と変わらない親友にしか見えなかった。自分が犯人だと言っていた時は嘘と分かるほど動揺していた。もし事件前の様子が演技だとするならば、自首しますと告白した時の様子に説明が付けられない。

 私は、深く息を吸うと気を引き締める。此処からが、物語の終わりに向けた最終章。


「高本さんは、犯人を知っていますね」


 私は、高本さんにそう問いかけるも耳には入っていない様子でずっと震えている。それもその筈かと私は思う。それに似た気持ちを味わった事がある。痛いほどわかる。


「私からお話しさせていただきます。共有いただきました情報を元にアリバイが無いのは、高本さんを除くと黒川さんと藍澤さんになります」


「何だと?」


「修ちゃん落ち着いて」


 苛立ちを見せる藍澤さんに反して、落ち着いた反応を見せる黒川さん。


「今回の殺人には、知識と力が必要だと考えています。遺体に刺さっていた包丁は、心臓にまで到達しているほど深く刺さっているという情報です。包丁を使った殺人の殆どは、身体に対して縦に刺されています。しかし、今回は横に刺さっていました。その理由は、胸部には内臓を守るために存在している肋骨があり、縦では刺さりにくいという事が挙げられます。人間の心臓は、中心から少し左側に存在し、女性の場合、胸下を少しあげて包丁を押し込めば肋骨に当たる事なく綺麗に心臓を指す事が可能とされています。その証拠に、着物が少し乱れていたと思います」


 私は、それに加えて着物をきた人間を刺すには、力が必要という話もする。黒川警部は、私の話を聞きながら、部下から現場の写真を受け取ると確かにと呟く。

 私が続きを話し出そうとすると、タブレット端末に龍介からの共有ファイルが届く。私は、それを確認してから、話し始める。


「此処までお話しさせていただきましたが、私は自首をしてくださることを望んでいます」


 私はそう伝えるも、自分は違うと反応を見せる黒川さんと藍澤さん。


「では、結論からお話しさせていただきます。犯人は、藍澤修さん。貴方です」


「何故、俺になる」


「藍澤さんは、医学部に所属していますね」


「それがどうした」


「貴方が使用している研究室で薬品の残量に差異がある事が発覚したそうです。調合したら何が出来るのかは、まだわからないそうです。しかし、その中には睡眠薬として利用されている薬品も含まれているそうです。詳しい事は、黒川警部に調査をお願いしたいと思います」


 私は龍介に黒川警部にも共有ファイルを送るように伝える。

 藍澤さんは、肩を落とし力なく知られてしまったかと呟く。それに対して、どうしてと藍澤さんの両肩を掴んで問い詰める黒川さん。雪城さんは、黒川さんを藍澤さんから引き剥がす。


「榎本は、俺が薬品を勝手に使って実験している事に気付き、黙っている代わりにお金を要求してきた。初めは、ただそれだけだった。しかし、最近になって恋人関係になって欲しいと懇願されてしまった」


 藍澤さんは、ゆっくりと動機を話始める。

 断ろうとした時に榎本は、高本の事を酷い目に合わせると言った。それを防ぐ為に極力榎本の側にいる事にした。しかし、何も知らない高本は、榎本の何かに触れてしまった。そこから、榎本が高本に何かするのでは無いかと探っていた。たまたま部屋に一人になった時に、榎本の鞄を見ると包丁が入っていた事に気が付いた。榎本は、高本を殺すつもりだと考えた。高本を守るために、隠し持っていた自作の睡眠薬を抹茶に溶かした。粉末という事もあったのか榎本は気づかなかった。なかなか効かずに失敗に終わると思ったが、暫くして、榎本が眠いと部屋に戻った事を知った。3人でしっかり寝た事を確認すると中庭に戻った。隙を見て、トイレに行く振りをして寝ている榎本の客室に入ると黒い感情が芽生えた。このまま起きなかったら、薬品のこともバレない。このまま起きなかったら、高本は殺されないで済む。気が付いたら、榎本に包丁を刺していた。


「いや、指紋が残らないようにしていた時点で、気付いたらというのもおかしな話だな。高本も余計な嘘を・・・」


「手錠を」


 黒川警部は、部下に指示をすると私に近付く。そして、握手を求めるかのように手を出す。


「素晴らしい推理だった。協力、感謝する。玲くん」


 私は、立ち上がると黒川警部が差し出してくれている手を握り握手を交わす。黒川警部は、満足そうに手を離す。

 推理小説のようにはいかないなと呟きながら手錠をされる藍澤さんは、犯人を庇った高本と一緒に連れて行かれる。

 高本さんは、部屋から出ていく藍澤さんを見かけて、不思議に思って部屋を確認したのだろう。部屋の中には、胸部に包丁が刺さっている状態の榎本さんを発見してしまう。藍澤さんが犯人だと思った高本さんは、柄の部分の指紋を拭き取り、痕跡を消そうとしたのだろう。包丁が軽く抜かれた痕跡があった理由にもなる。


「高本さん」


「・・・」


 高本さんは、返事をしないが足を止める。後ろを歩く藍澤さんも足を止める。表情は見えないが、感情はめちゃくちゃな事であろう。信じていた親友に裏切られ、大好きな人がその親友を殺害。高本さんの心は、深く傷付いている。


「想いが届くと良いですね」


 高本さんは、何も言わずに歩き始める。藍澤さんは、驚いたような表情を浮かべる。しかし、何か察した表情に変えて部屋を出ていく。残された同級生の方々は、その様子を静かに見送っている。

 物語の最後は、誰も救われない結末で終止符が打たれた。いつか救われる物語を見ることが出来るのだろうか。私はそう思いながら、髪を括っていた組紐を解く。

 黒川警部は、部下に撤収の指示を送り、再度、部屋の中にいる全員に向かって感謝を伝える。


「玲くん。また貴女の推理を拝見したい」


 私は、そうですかと返事をしようと思ったが、頭が痛み出しよろける。清水さんが、よろけた身体を後ろから抱きしめる形で受け止める。


「事件を解決するのは、“僕”では無いです。あなた方警察です」


 僕は、そう言った事を最後に意識を手放す。



〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜



「玲様!」


 玲は、清水と言う女の腕の中でぐったりとして、反応がない。

 黒川と呼ばれる女警部は、救急車を呼ぶとスマホを取り出すが、僕はそれを阻止する。僕は、睦月に玲の家族に連絡するように伝え、僕は僕の家の人間に連絡する。車を早急に出して欲しいと、事情と店の住所を簡潔に伝える。玲を適当な病院に連れて行かれるのは、許せない。

 清水は、ゆっくりと玲の事を姫抱きにすると、ゆっくりと座布団の上に寝かせる。そして、額に手を当てたり、呼吸や脈の確認を行い始める。とても手際が良い。

 清水は全ての確認が終わったのか、気を失っているだけと一言だけ言う。

 その言葉に安心する。

 警部は、その言葉を聞くと近くの男に声を掛ける。


「和斗、送ろう」


「近くに車あるからへーき。お疲れ、姉貴」


「あぁ」


 和斗と呼ばれた男は、警部の弟かと思っていると、見ていることに気が付かれる。声をかけられるのも面倒だと僕は、玲の側に寄るとそっと手を握る。

 玲の記憶を取り戻すきっかけは、事件と関わりがあると再認識する。玲は必要以上に事件に関わろうとしない。寧ろ避けている。玲自身も事件と記憶が、関係あると感じている。今回も、ぼうっとしたり、頭痛がするのか頭を抱えていた。

 名前を呼ばれ、頼られた事は嬉しいが、無理だけはしないで欲しい。

 玲の家族との電話が終わったのか、睦月も玲の近くに座る。


「玲の両親は?」


「迎えに来るそうですが、時間が掛かるとのことでしたわ。長月さんのお電話の内容が、聞こえましたので、私達がお送りいたしますとお伝えさせていただきましたわ」


「そう。察しが良くて助かるよ」


「いえ・・・」


 次に目を覚ます玲は、どっちの玲だろうか。記憶喪失の玲か、記憶を取り戻した玲か。どっちの玲でも関係ない。無事に目を覚ましてくれさえすればいい。

 僕の呼んだ迎えが到着し、玲を車に寝かせる為にシートを倒す。広くゆったりとした車のため、シートは体に優しめの仕様になっている。準備が整い、玲を運ぼうと車を降りるといつの間にか清水に玲が姫抱きにされていた。僕は清水を睨みながら、早く乗せるように言うと清水は玲を運んだ後、そのまま隣に座った。何故隣に座っているのかと問おうと思ったが、先程の処置もあり、同情を許す。僕は、ついでに奏を送る事になる。理由は、僕の家に用があるという。睦月は、僕の家の人間が到着するよりも先に家の人間に連れ戻されていた。気付いたら、メッセージが届いていた。

 黒川はというと清水と奏を帰ろうと誘うが、断られショックを受け一人で帰って行った。

 玲の家に到着するが、玲の両親は帰ってきていないようで鍵がかかっている。僕は、玲から預かっている鍵を使い開ける。これは、玲と玲の両親から託された合鍵。僕は、車から姫抱きにすると奏と清水を送るように伝える。

 手伝うと言われたが、関係の浅い人間は遠慮しなよと言って、黙らせた。

 僕は、玲の家の中に入ると玲の部屋に入る。玲の部屋は、以前より物が少ない。ベッド、勉強机と椅子、クローゼット。必要最低限のものしかない。前より物が減っている。玲が片付けたのだろうか。

 僕は、玲を一度椅子に座らせて、ベッドの掛け布団を捲ると玲をベッドに寝かせ、掛け布団を掛ける。僕は椅子をベッドの側に置いて座る。

 今日の玲は、心なしか楽しそうに見えた。記憶を無くしてからは、玲は表情に変化が現れなくなった。玲は、一人で本を読んでいる事が多く、人との関わりも減り、出かける事も無くなっていた。

 僕は、玲に何かしてあげる事が出来るのだろうか。


「もう少し僕を頼りなよ、玲」


 僕は、玲の頭を撫でながら呟くと玲の瞼がゆっくりと開く。


「起こしたかい?」


 僕が、声を掛けと玲は、顔をゆっくりと僕の方に向ける。そして、首を振る。

 僕は、そうと言うと、玲はゆっくりと身体を起こす。


「起きて大丈夫なの?」


「問題ないよ。僕は、如何して家に?」


「気を失って、家に運んだ。今日の事、覚えているかい?」


 玲は目が覚めたばかりで、頭が回っていないのかぼぅっとしているようにも見えるが、また記憶を失っている可能性もある。僕は、飲み物を持ってくると玲に伝え立ち上がり扉の方に進もうとするが、後ろに引っ張られて歩みを止められる。僕は驚いて振り返ると、玲が身を乗り出して、僕の袖を掴んでいる。


「行かないで」


「わかった」


 僕は、椅子に座る。玲は、僕の袖を離すとゆっくりと身体を戻す。


「喫茶店に行って、中庭の池を睦月と長月と一緒に見た記憶が最後」


「そう。聞くかい?」


 玲は、静かに頷く。

 僕は、帰る支度を始めた際に榎本が藍澤に殺され逮捕された事実と犯人を庇った高本も一緒に連れて行かれた事実を伝える。詳しい内容を話したところで、玲は興味がない。話して玲に刺激を与えてしまうのも良くない。

 話を聞いた玲は、そっかと一言だけ呟いて、静かに涙を流す。僕は、ハンカチで玲の涙を拭う。玲は、記憶を失う前と変わらず優しい。


「僕が気を失ったのは、現場を見たから?」


「いや」


「なら、何が原因なの?」


「原因は玲にしかわからないよ。僕から言えるのは、玲は途中で記憶が戻った。その後、事件を玲が解決して、その後に気を失った。この2つ」


 僕がそう言うと玲は納得したのか黙る。

 僕は、玲をベッドに寝かせると布団を掛ける。


「玲は、無理に記憶を戻したいわけでは無いでしょ。今は、考えずに寝なよ。玲の両親が帰ってきたら、起こす」


 玲に言うと、玲は静かに目を閉じる。

 玲が記憶を戻したく無い理由はわからない。普通の人間なら戻したいと思うだろう。玲に聞いたら、話してくれるだろうか。

 僕は玲が寝ている事を確認すると、スマートフォンを開く。家の人間から清水を送り、奏を僕の家に連れて帰ったと連絡が来ている。睦月からは、玲の容体について連絡が来ている。睦月は早めに返信しないと煩いだろうと思い先に返信する。目を覚まして無事、記憶は無いとだけ送る。詳しい事は、後で電話で伝えればいい。僕は、家の人間に今日は帰らないと送ると、すぐに承知いたしましたと返信が届く。

 暫くして、玲の両親が帰ってきた。僕は、玲を起こさずに静かに出迎えに行く。


「龍くん、ありがとうね。送ってくれて。玲ちゃん、様子どう?」


「目は覚まして、今は寝かせてる」


「そう・・・。大変だったって聞いたけど、みんなな怪我とかしてない?」


「玲が気を失った以外特に無いよ」


 僕は、簡単に玲の両親に今日の事を話す。玲の両親は、玲の事を本当に大切に思っている。玲の母は、蓮。玲が記憶喪失になってからも、無理に思い出させようとさせずに優しく見守っている。かなりショックを受けていたにもかかわらず、母親として守ろうとずっと寄り添っている。玲の父は、仁。玲が記憶喪失になった原因に関して、必死に資料を集めていた。事件だったとわかった時の父親としての対応が、素晴らしかった。事故か事件かを判断する材料が必要だったと頻繁に連絡を送ってきた事を今でも覚えている。

 玲の記憶が一時的に戻った事を知ると、複雑な表情をする。


「みんな無事でよかったわ」


「そうだね。龍介くんも疲れただろう。今日は、泊まっていくだろう?」


「そうさせていただくよ」


「ご飯用意するから待っててね」


 蓮さんも仁さんも今も辛く感じているのはわかる。それでも、玲の事を思い切り替えて普段通りに過ごし始める。僕は、何が正解かはわからない。

 僕は、玲を起こしに部屋に戻る。すやすやと眠る玲を見ていると起こす気を無くしてしまう。

 探偵団の人間を黙らせて、普通の高校生活を送らせたい。玲が望む事を尊重するのが仲間だと僕は思う。玲の隣にいるのは、玲を守るため。それ以外何もない。玲が、探偵団を作ったからただそこに居るだけ。他に理由はない。

 僕を変えてくれた玲を、僕は命に変えても守りたい。

 僕は、玲の頭を撫でるとそっと玲の名前を呼ぶ。玲は、静かに瞼を開けると、眠たそうな目でこちらを見る。両親が帰宅した事を伝えると、わかったと言ってベッドから降りる。特にフラつく様子も見えない。僕は、玲に先に行くと部屋を出る。扉が閉まる瞬間に、着替えてから行くと両親に伝えて欲しいと言う言葉が聞こえ返事をする。僕は、蓮さんと仁さんにその事を伝えると、書斎に入る。医学書を手に取ると、ソファに座って読み始める。

 その後、ご飯が出来たと言われ、玲の家族と共にのんびりと過ごした。久しぶりに温かい家族の時間を過ごしたと感じたひと時だった。

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