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Episode1【平和な日常とは】前編

「新入生の皆様、ご入学おめでとうございます。本日より楽しい学園生活を過して欲しいと思っています。笑いあり、涙あり、ドラマのような素敵な青春を送ってください。私からは以上です」


 今日から高校生活が始まる。僕は、誰もが薔薇色の高校生活を夢見てキラキラと輝いている中、教室の自席で小説を読んでいる。

 入学式は、思いのほか早く終了し、学級活動や部活動説明会、学園内の案内と面倒な項目も終わった。

 学級活動では、同じ組教室になった同級生の自己紹介という大変面倒な内容もあり、自分自身何を発言したかも覚えていない。同級生の自己紹介は、小説を読みながら聞いていた為、名前と声しか頭に入っていない。これから関わるかもわからない人間達ではあるが、あまり興味は湧かない。

 最後の項目であるホームルームも終了に向けて担任の先生である三上先生が、明日の話を進めている。僕は、その間に帰りの支度を始める。三上先生が話を進めている中、教室内では何処の部活に入部したいかや寄り道の話が密かに行われている。高校生らしいなと感じながら、解散の時を待つ。

 僕が通う事になった高校は、桜ヶ丘学園。初等部、中等部、高等部とエスカレーター式の進学校。僕は、高等部からの入学。

 この学園では、部活動に関しては強制されていない。部活動に所属したいと考えていない僕にとっては、夢のような場所である。人との関わりは、最小限にして、静かに平穏に過したいとある事件以来考えている。

 僕は、人間が好きではない。人間の真意など誰にもわからないものであり、理解に苦しむ事が多いと常々感じている。

 僕は、帰りの支度が終わりため息を吐く。これからやらなければならない事、回避しなければならない事が多いなと改めて考えてしまった。

 事前購入した新しい教科書は、明日以降数日間に渡って運ぶ置き勉計画を進めなければならない。上級生からの部活動勧誘を回避しなければならない。目立たずひっそりと過ごさなければならない。

 平和な学園生活を送る為に気を付けなければならない事が多いなと感じる。しかし、面倒事に巻き込まれない為には、必要な事ではある。

 これからの事を考えている内に三上先生の話は終わり、挨拶まで終わっていた。

 僕は、鞄を持ち教室を出る。


「かーんなーづーきーっ!!」


「うわぁっ」


 玄関に向かって廊下を歩いていると、何かに衝突をし床に叩き付けられる。何かに衝突というより、何者かが勢い良く僕に突進してきたというところだろう。僕の上には、人間が乗っかっているという重さを感じている。身体を起こすと入学初日からイケメンだと騒がれていた男子生徒が僕の上に乗っている状態。

 この男子生徒の正体は、僕は知っている。師走雄大。成績優秀で、運動神経は人並みよりあるかもしれない人間。喧嘩になると結構強いと言われている。僕との関係は、中学生時代の同級生ということくらい。それ以前の関係は、記憶にない。当の本人は、僕に対して忠犬のように尽くしてくる人間。理由は、わからない。

 僕は、乗っかっている大きい犬のような存在である師走を退かす。そして、何事もなかったかの様に立ち上がり、着ているパーカーのフードを深く被り直すと吹き飛んでいた鞄を拾い玄関へと早足で向かおうと足を踏み出した途端、誰かに腕を掴まれる。少し冷たくて、小さな手の感覚。これは、師走の手ではない。振り返ると純日本風の容姿の女子生徒が、少し焦った表情で僕の腕を掴んでいる。


「玲様、お探しいたしましたの。教室にお迎えに上がりましたのに、いらっしゃらなかったので、大変焦りましたわ。ちなみに、教室はお隣でございます」


「そっか」


「玲様?そこに転がっておりますのは一体・・・?」


 この女子生徒は、僕の腕を掴んだままいまだに転がったままの師走を見ながら質問をしてくる。師走は、僕に突進した後退かされたままの状態で、何故か動いていない。僕は、この女子生徒に説明をしようか迷う。迷う理由は、先程起こった出来事を説明する事が面倒と感じる為と説明次第では師走が可哀想な目に遭うと知っている為だ。

 この女子生徒は、師走並みに僕の事を慕ってくれる人間で、名を睦月凪という。基本的に着物しか着ない人間で、財閥のお嬢様である。出逢いに関しては、記憶にはない。本人曰く、僕は睦月の命の恩人との事。誰に対しても分け隔てなく優しい性格ではあるが、僕に対しては特に優しさを発揮する。素直で忠実なところがあり、用心棒のように立ち振る舞う事が多い。用心棒と感じる点は、僕に関する事で何かあるとすぐに駆けつけ、自分自身の身の安全よりも僕の身の安全を最優先にしてしまうところだ。

 師走が起こした事に関して、特に何か思っている訳でもない為適当に答えようと言葉を考えるが、面倒になりため息を吐く。


「気にしなくていい。寝ているだけ」


「寝ているだけなのですね!しかし、他の方々のご迷惑になりますので、保健室にお運びいたしましょうか?」


「寝るわけないだろ!神奈月、適当な事を言わなくてもいいだろ!これじゃあ、俺が、変人みたいになるだろう!?」


「師走さん、ダメですわよ?玲様に対して、そのような言葉遣いをしてはいけませんわ」


 それにはしたないですわと、頬を膨らませながら怒る睦月。僕の用心棒スイッチが入ってしまった様子。僕は、師走の言葉を無視すると掴まれている手を振り解いて睦月と目線を合わせて口元に人差し指を当てる。


「日常生活は、普通に接するお約束。お忘れなきように」


 睦月は、僕に対して何処かの組の頭の様な振る舞いを良くする。その行動をする理由は、僕は知っている。

 僕は探偵団に属し、そこでのリーダー的存在らしい。探偵団内では、団長と呼ぶ者や睦月のように様をつけて呼ぶ者がいる。詳しく説明を受けたが、正直に言うと興味がなく覚えていない。覚えていないと言うより聞いていないが正解。

 何にせよ、探偵団に属していると周りに知られるという事は、僕の平穏な生活が崩れ去ってしまう。僕の平穏な生活を守る為に、普通の友達のような関係で過ごしましょうと言う掟を作ったみたが、納得してくれる団員は一人もいなかった。妥協案として、私生活や学校生活では普通の友達として察すると言うことを納得してもらった。睦月は、最後まで納得はしてくれなかった。


「何時如何なる時も、誰に何を言われましても、玲様は玲様ですの。玲様は、私達の命の恩人ですわ。そのお方を馴れ馴れしく呼び捨てにするなど、私には、できませんわ」


「玲様に出会ってから凪は、ずっと玲様の事を心から尊敬しています。大目に見てください」


 僕が目を覚した時には、今にも泣きそうだった睦月の表情をふと思い出す。他の団員も心配な表情で僕の事を見ていた。団員にとって、僕という存在は大きいものだったのだろう。しかし、記憶のない僕には、関係のない事と思っている。

 睦月には、何を言ったとしても効果がない。僕は、ため息を吐いてしまう。この場にいても、通行の邪魔にもなると考え、帰ろうとふたりのに背を向ける。


「ほどほどにね。僕は帰る」


 冷たいかもしれないが、僕は放っておいて欲しい。静かに過ごしたい。きっと叶わない事なのだろうとは思う。

 僕は、玄関方向に歩みを進める。すると、後ろから誰かが僕を抜かし、前に立ち塞がる。その正体は、睦月。


「お次は何ですか?帰りたいんだけど・・・・」


 僕は、ため息をまた吐いてしまう。鬱陶しいとは思わない。目立つからやめてほしい。周りからの視線はまだないものの、客観的に見たら目を引くような状況。


「玲様は、部活動というものには、入部するご予定はございますか?」


「ないよ」


「私、部活動というものを玲様と共に経験したいと考えておりますの。とても楽しそうに見えまして、皆様も賛同し、結成の手筈を整えておりますの」


 如何でしょうかと、睦月は僕に提案を持ちかけるが、僕の答えは既に決まっている。


「興味はないし、面倒な事は遠慮するよ。部活動は、強制ではないからね」


「そんな事言わずに、一緒に部活をしようぜ!そして、青春を謳歌しようぜ。お願いだ、神奈月」


 最終的には部長になってくれと言い出す師走。呆れて何も言えずにいると、睦月が、師走の頭を叩く。口調の件で、恐らく叩いたのだろう。

 僕は、玄関に向かって歩みを進め始める。隣には師走、一歩後ろに睦月。部活動の詳細をひたすらに話している。

 詳細は、探偵団を部員とした部活動。表向きは、校内行事や地域の話などを収集して、学園内の掲示板やサイトのブログに掲載する事を主に目的とする新聞部。その裏では、探偵団の活動をするとの事。

 この部活動を作ろうと提案をしたのは、睦月。そして、賛同したのは探偵団。青春といえば部活動と能天気に賛同したものもいれば、僕が入部する事を条件に賛同したものもいるという。

 全く面倒な話だ。

 探偵として活動することが、記憶を取り戻す糸口になると考えているのだろう。僕は、一度記憶を失ってから、思い出した事がある。しかし、すぐにその記憶は失ってしまっている。記憶を失った後に、思い出したというきっかけというのも、後日聞かされた話だ。

 僕が中学生時代に発生した中学生連続転落事件。死者5名、命に別状はないが意識不明者1名の犠牲を出した。初めは事故とされていた。事件性が、見当たらなかった事が理由だった。しかし、意識不明の被害者が目を覚ましたことがきっかけで、事故から事件へと発展した。その被害者は、事件の詳細と持ち前の推理力で真実を明らかにし、最終的には犯人を突き止め事件解決をした。その被害者は、僕という事らしい。僕が憶えていることといえば、事件が解決した後、被害者でもあるにもかかわらず、真実を突き止めた若き探偵として名が上がってしまい注目を浴びて大変な思いをした事だけだ。

 僕は、解決した記憶もなければ、これからも事件を解決できるだけの力を持っていない。事件に首を突っ込むという事は、注目を集めるだけでなく、僕や周りの人間を危険に晒してしまう。その事を、理解しているのだろうか。


「探偵ごっこに、付き合うつもりはない。真実を明らかにするのは、警察の仕事。僕らが真実を明らかにするものではない。事件に首を突っ込むという事は、自分だけではなく、周りにも危険を及ぼす可能性もある。真実の内容によっては、辛くなる事もある。生半可な覚悟でする事でもない。後悔する前に、辞める事をお勧めするよ。それに、探偵をするには若すぎる年齢だよ、僕らは。だから、前にも言ったと思うけど、団の活動には参加しない。部活にも入らない。僕と君達は、ただの友達。以上」


 僕が話し終えると、丁度玄関に着いた。睦月と師走は、黙り込み立ち尽くしてしまった。

 僕は、そんな二人を他所に、自分の下足箱に向かい、上履きと靴を入れ替える。そして、二人の方に向き直り、じゃあと一言言い残して自宅に向かって歩き出す。

 ミステリーやサスペンスは、小説の中だけで良い。真実は、残酷だ。

 ふと頭が痛むと涙が頬を伝う。頭の痛みからの涙ではない気がする。原因はわからない。本日何回目かのため息と共に言葉が溢れてしまう。


「私は、二度と推理はしないの。もう辛い思いはしたくないの。みんな、ごめんね」


 溢れた言葉は誰に届くでもなく、春風に舞う桜と共に青い空へと旅立って行った。



〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜


 

 玲様と別れてから俺と凪は、探偵団員が待つ放課後の3階の空き教室へ向かう。

 玲様の言葉に、何も返す言葉がなかったというより、予想通り過ぎて何もいう事はなかった。無理に勧誘したところで、入部してくれる人間ではない事は知っている。他人から見たら、冷たい言葉なのかもしれないが、玲様の最後の言葉は玲様なりの優しさなのだと凪も理解している。

 玲様の記憶を無くすきっかけになった事件も、玲様的には相当の精神的負荷がかかっていたと思う。俺は、同じ思いをして欲しくはないが、事実として記憶を取り戻すきっかけの可能性がある。他に、記憶を取り戻すきっかけがあるのであればいいのにと何度思ったことか。

 皆が待つ空き教室に着いて、ドアを開けると探偵団員全員集合している。珍しいこともあるのかと思いながら、適当な椅子に座る。


「やっぱり、無理だったみたいだね」


 予想通りだとケタケタと笑う素振りを見せる皐月心。基本的に無感情で、棒読みをする。美人なのに勿体ないお方だ。たまに、無邪気な子供のように悪戯心に人を煽り、楽しんでいる事もある。無表情でわかりにくいが、関わりを持ってから何となくわかるようになっている。心は、割と今の玲様とも気が合うらしく、よく天体観測に行っている。心なりの玲様への気遣いであるのだろう。


「情けないお話ではございますが、その通りでございますわ。以前と同じ理由で・・・・・。しかし、予想通りの結果で安心致しましたわ。何事もお変わりない様子で、本当によかったですわ」


「記憶を無くした原因である事件という存在が、あのお方にとっては精神的に害を及ぼすものには変わりないのだろう。あの事件の真相も真相だっだしな。これに関しては、憶測でしかないがな」


 何時も何かしらのファイルか本を持っている謎多き団員である葉月透。ファイルの内容も、本のタイトルも、教えてくれない秘密主義者だ。透は、いろんな情報を収集をする事を趣味としている。本人曰く、知らないことがない人間を目指したいとの事。全知全能の神にでもなるつもりなのだろうか。玲様とは、よく推理小説の話をしていることが多い印象。

 透の言葉には、何時も何かしら含みを感じる。それを感じ取ったのは、俺だけではない。その証拠に、団員全員が静かになっている。

 例の言う事は的を射ていると思う。確かに、あの事件に関しては、不思議な点が多いと一部団員は感じている。

 不思議な点というのは、複数ある。その一つは、周りの人の名前だけでなく、玲様自身の名前も憶えていない。覚えている事が、物の名前と使い方といった一般的なものであれば普通のことなのかもしれない。玲様の場合は、不思議な事に事件の概要を粗方知っている状態であった事が、診断の結果発覚した。その後は、透に情報収集をお願いしたと思ったら、何時の間にか解決していた。透曰く、玲様の持ち前の推理力によって解決したとのこと。透の探り癖も恐らく発揮している事だと思う。その部分については、何も教えてくれない。

 事件解決後玲様は、また意識を失ってしまい数日間目を覚さなかった。目を覚した頃には、事件の事すら失っていた。そして、変わってしまった。何においても気力を無くしてしまった。

 これが何を指すかは、団員全員理解している。


「やはり玲様が、別の方法で記憶を取り戻さない限りは、こちらの活動は控えた方がよろしいのでしょうか。私としましても、無理に記憶を取り戻すような真似はしたくありませんわ。以前のような立ち振る舞いも難しいと思われますし・・・」


「玲様、整理、最中。記憶、回復、する、予想」


「佑は、玲様は記憶を整理している最中で、その整理が終わったらきっと戻るでしょうと言っています。私も佑と同じ考えです」


 小学生のような容姿を持ち、何処か不思議な雰囲気を醸し出しているのは水無月佑。話は理解する事ができるが、自身は単語でしか話す事が出来ない。先天性の何かしらと話を聞いている。詳しいことは、佑自身もわからないという。その佑を支えているのは、文月蓮。佑の通訳的な役割を果たしている事が多い。幼い頃から一緒に過ごしているから、伝えたい事が分かるのだという。読唇術でも心得ているのではないかと思うほど、佑の話す事を当ててくる。二人は、息がぴったりな時も多い。背丈は違うが、双子のように似た容姿をしている。


「しかし、整理が付くような事だと思うか?日常生活を送っている内に記憶が戻るとは言われたけど、実際はどうだかわからない。何か刺激がない限りは、このまま記憶を失ったままの可能性の方が高いと思うぞ」


「翔太郎と同意見ですね。以前の神奈月様は、何かと考え込みやすく、溜め込みやすい性格をしていましたから、今も同じようなのであれば、空回りして記憶を取り戻すのにも苦労するでしょう」


 長い前髪で表情がわかりにくいが物事を冷静に客観的に捉えることのできる霜月翔太郎は、心理学系の大学に進む為にもう勉強中で玲様の記憶を取り戻す何かがないか調べている様子。結果は、今のところ何も得られていないと気を落としている場面をよく目撃している。その翔太郎の隣で、キャンバスに絵を描いているのは如月涼斗。幼い頃から玲様と一緒にいるという。玲様のご両親とも関わりの深い人間と玲様自身言っていた。因みに、翔太郎と涼斗は、俺の二個上の先輩。

 これから先の事は誰にもわからない。玲様自身は、もう記憶の事は諦めているように見える。きっと、思い出したくないのだろう。


「ここで部活作らないなら、運動部の体験何処か行ってもいいな〜。体鍛えたいし」


 能天気で運動馬鹿な卯月柚彦。人当たりがよく、中学時代は、部活動の助っ人で呼ばれる事が多かったとか。元々の所属は、水泳部らしい。


「あなた方、うるさいよ」


 窓枠に座っていた長月龍介が、苛立ちながら言葉を発す。一匹狼なこの男は、喧嘩で最恐と噂されている人間。実際、気分が悪い時は、そこら辺の不良を潰して回ったとか。掴めない人間であり、この龍介もまた謎多き人間。玲様と出会うまでは、手の付けられないほどの不良だったとのこと。元不良の一個上の先輩。


「どう話が進むか僕は興味はない。玲様が、来ないならここにいる理由はない。僕は、帰らせてもらうよ」


 龍介は、そういうと教室から出て行ってしまった。止める理由もないし仕方がないとは思う。

 俺としても玲様がいない今、何をしても意味がないような気がする。今できる事といえば、部活動立てる立てないよりも、探偵団の存続だとは思う。記憶を取り戻した玲様の戻る場所に変わりはない。

 玲様に、危険が及ばないように守り、笑顔をまた見る事が出来たらと思う。


「とりあえず、解散するか」


 誰かのその言葉で、それぞれの家に帰るのであった。


〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜


 平和な高校生活を送って暫く経った土曜日。部活動や自主学習のために土曜日も学園は開放されている。僕は、特に勉強意欲がある訳でもなければ、部活動にも所属していない。入学式の後からは、無理に部活動を進める事はしなくなった。それもあって、特に利用した事はない。しかし、今日は、そうは行かないようだ。その理由は、何故か睦月が僕の部屋にいるからだ。

 睦月は、恐らく僕の両親と何かしらの計画を立てて、朝5時から僕を叩き起こしに来たのだろう。両親は、休日も書斎で本を読んでいる僕の事をとても気にしている。それは、僕が必要最低限外出しない事が原因だろう。

 叩き起こされた僕は、眠い目を擦りながら強引に支度をさせられている。着替えを手伝おうと脱がせて来た時は、焦りもあり目が覚めた。同性同士とはいえ、恥ずかしいものはある。支度も無事終わり、今は両親と睦月と朝ご飯を食べている。両親は、何時も朝が早い。睦月の協力にも快く承諾したのだろう。両親と睦月は、楽しそうに会話をしている。これが、幸せな家庭と呼ぶのだろう。僕は、特に話す事はない。此処での暮らしは、ある程度慣れたものの何を話して良いものか、わからない。話す事といえば、父が書いている小説を読み感想を伝える事くらいだ。これを会話と言っていいものなのか。

 ご飯を食べ終え、睦月は母と洗い物をしている。僕は、書斎で本を読み始める。二度寝をしようものなら、睦月が飛んでまた叩き起こしに来るであろう。面倒な事だ。

 扉を叩く音が聞こえ、返事をすると父が部屋に入ってくる。


「玲。話があるんだが、今いいかい?」


「問題ないですよ」


 僕が、そう返事をすると部屋にある椅子に腰をかける。僕は、小説を閉じると父の座る向かい側の椅子に腰を掛ける。


「正確な日時は決まっていないが、仕事の関係でアメリカに行く事になった。母も別の理由でアメリカに行く可能性が高いらしい。それならば、皆で行くのはどうかと母さんとも話していてね。玲も一緒に如何かな」


「僕は、ここに残りたいと考えてます」


 父は、そうかと一言呟くも、寂しそうな表情と心配そうな表情を交互に浮かべている。納得していないのだろう。

 父の仕事は、それなりに名の知れている作家らしい。実際、完成する度に読ませ感想を迫ってくる。母の仕事は、ブランドものの服のデザインを多く抱えてているデザイナーらしい。絵がとてもう甘い事とよく服を製作している。目を覚ましてからこの二人と一緒に過ごしてきてわかる事は、玲という娘を大切にしているという事。

 僕が記憶を失い初めて二人に会った時、とても安心した表情を浮かべていた事は今も覚えている。無理に記憶を取り戻そうとはせず、普通の家族のように接してくれている。大切な娘を失わずに済んだ事が、二人にとって救いであったと思う。

 ふと過去の事を思い出していると、また扉を叩く音が聞こえる。父が声を掛けると入って来たのは睦月。


「お話の所、失礼いたしますわ。玲様、本日は私と一緒にお出かけしていただきますわ」


「そういえば、そうだったね。玲、気をつけていってらっしゃい」


「僕は、行くとは言っていないのだが・・・」


 僕はため息を吐きながら、睦月に強引に連れ出された。

 現在の時刻は朝7時半。目的地は知らされていない。可能性があるのならば、学校は考えられる。それ以外となると、検討はつかない。

 睦月の私服は、出会った頃から着物。洋服を着ている姿を見た事がない。学校でも着物を着ている。

 校則的には問題があるとされているが、許可を貰えば問題がない少し変わった学園に通っている。僕も同じ申請をしたので知っている。

 僕の場合は、顔を隠すためにフード付きのパーカーを許可してもらっている。中学時代の事件が原因で注目を浴びてしまい平和な日常生活を送る事が出来なかった。とても面倒な状況だった。身を隠す意味で許可を貰った。

 今日も睦月がコーディネートした服の上からフード付きのパーカーを着ている。


「ねぇ、そろそろ目的地を教えてくれない?学校に向かっていると思ったら、全く違うみたいだね」


「玲様、流石ですわ。目的地はお教え出来ません。内密に致しましょうとお約束いたしましたの。朝というものは、本当に気持ちが良いものですね」


「確かに、気持ちが良いとは思うけど、流石に眠い。歩くの面倒、帰りたい」


 せっかくの休みなのにと呟きつつも、歩みを止めないのはここで帰ろうものなら無理矢理にでも車に乗せられて連行されかれない。睦月が、やる事は手に取るようにわかる。それに、睦月は僕の事を気に掛けて連れだりている事も理解はしている。強く言えないのも事実ではある。

 僕は、ため息を吐きながら歩く。桜並木のある河川敷を歩き、商店街の入り口が見え始めると見知った人間が立っている。その正体は、師走。


「お待たせいたしました」


「師走は、ハーレムがしたいのか?」


「何を言っているんですか!!俺はそんなつもりは無いですよ!?」


 慌てる師走をよそに、睦月は巾着の中からスマートフォンを取り出し、何かを調べている。睦月が、最新の機会をもている事は不思議では無いのだが、着物姿で操作しているのがとても違和感しかない。そして、必死に弁明をしようとする師走を見ていると、今日も平和なのだろうなと思ってしまう。学校でも変わらず、このようなやりとりをしている。日常化している。


「さて、そろそろ、僕を連れ出した理由を聞かせて貰おうかな?」


「あー、それは」


「新しい喫茶店ができましたの。玲様とご一緒できたらと思いまして・・・。本当は、着いてからのお楽しみにしておきたかったのですが・・・・」


 新しい喫茶店。なんでも今日が開店日とのこと。プレオープンに参加した際にとても良かったようで、改めて開店日に予約をしてくれたと言う。ホームページを見たところ和風建築の甘味処と言う感じはする。


「細かい事は、歩きながら話そうぜ。時間あるんだろ、凪」


「そうですわね。玲様、強引にお連れしてしまいまして申し訳ございません。しかし、本日は玲様にとって有意義な時間になる事と私は思いますの。どうか、一緒に来てくださいませんか」


 睦月はとても狡い子だといつも思う。僕は、断る事もできる。しかし、心の何処かで断ることを拒まれる。それを分かっているかのように誘いをしてくる。

 僕は、ため息を吐くと睦月に分かったと伝える。それを聞いた睦月は、満面の笑みを浮かべて嬉しそうに返事をする。そして、周りに音符でも飛んでいると錯覚してしまうほどうきうきと歩き始める。師走は、そんな睦月の姿を見て呆れつつも、そこか嬉しそうな顔をして隣を歩いている。僕は、少し後をゆっくりと風景を見ながら歩く。久しぶりに、学校以外で外に出たなと思いながら、これから行く喫茶店の話を聞いている。

 現地に着くとやはりホームページに記載されている写真と同じ建物が存在し、実際に見るとどことなく懐かしさが漂う雰囲気で驚く。写真では、伝わらない部分なのではあろう。

 喫茶店の名前は、『陰暦 月の喫茶店』と言う。完全予約制のお店で和食や和菓子を取り扱っている和風の喫茶店とのこと。会員になるとまた別のメニューもあると言うことで、睦月はすでにその会員になっている。その会員になるにも、条件があるらしく簡単になれるものではないらしい。今は、プレオープンに出席した人しか持っていないと言う。お店の関係者が持っていると言う感じになるのだろうか。


「今回予約させていただいた内容は、特に玲様に気に入っていただけると私は思っておりますの。会員限定のメニューになるのですが、着物を着付けていただいてお食事を楽しむ事が出来ますの。時間の枠もございますが、事前延長のできるシステムでございますので、今回はゆっくり楽しめるよう手配させていただきましたの」


「凪は、用意が良くてたまに怖く感じるな・・・」


「何かおっしゃいましたか?」


「い、いえ・・・・。さて、玲様、お入りください」


 師走は、喫茶店の扉を開けると、執事のような体制を取る。師走は、僕に対してお嬢様のように扱う事がある。記憶を失う前は、ずっとその立ち位置だったと睦月に聞いた事がある。お嬢様扱いするべき人間は、睦月ではないだろうか。


「周りから見たら、可笑しな人間にしか見えないからやめてくれないかな」


 僕が、そう言ったところでやめる様な人間ではない事は理解している。実際、やめる気はない様子。諦めて中に入ると、外よりもさらに懐かしい雰囲気が漂い思わず立ち止まる。店内のBGMも、香りも雰囲気と合っている。後から入ってきた師走も同じことを感じている様子。師走は、表情に出やすい。睦月に関しては、2回目にも関わらず目を輝かせている。

 ここまで拘ったお店は、日本にいくつ存在しているのだろうか。


「いらっしゃいませ」


 着物を着た女性店員が、奥から出てくる。従業員も着物で働いている。高級料理店にでも来ている感覚に陥る。


「ようこそいらっしゃいました。月の喫茶店へ。ご予約いただいております睦月様でございますね。先日は、大変お世話になりました」


「いえ、私も大変有意義な時間を過ごす事が出来ましたので、月野様には大変感謝しておりますの。本日は、私の友人とお邪魔させていただきますわね」


「承知いたしました。会員証をご提示いただけますでしょうか?」


 睦月は、巾着の中からいつかの時代にありそうな印籠を取り出し店員に見せる。店員の着物の帯に名札があることに気づき、店員ではなく店長と言う事を知る。『陰暦 月の喫茶店 店長 月野』そう書かれている。店長自ら案内をしてくれるのは、開店当初だからなのか、睦月相手だからかわからない。

 実際、如何でも良い事ではあるが、気になってしまった。

 月野さんが、確認している間に靴を下足箱に仕舞い鍵を閉める。


「確認が取れましたので、ご案内させていただきます」


 こちらへどうぞと案内される。内装も本当に拘っていると感じる。

 案内されたのは、衣装室。男性女性と別れているようで、師走とは別々となる。師走は、男性の店員に別の部屋に案内されていった。

 衣装室に入るとたくさんの着物と小物などが綺麗に飾られている。着物専門店のような品揃え。僕は、一つ一つ手に取りゆっくりと見て回る。


「当店の着物は、開店をするにあたってお仕立いたしました着物にございます。デザインも拘りがあり、市場にはまだ出回っていない一点ものになっております。当店限定の着物販売もする予定でございます」


「玲様、こちらの喫茶店で働いている皆様は、同じ大学の同級生であり、サークル仲間とお聞きしておりますの。皆様、日本建築や日本文化を愛している方々ばかりですの。短い期間でも、一緒にお店を経営なさる程仲の良い関係・・・・。とても憧れますわ」


「お褒めいただきましてありがとうございます。お恥ずかしながら、皆で夢を叶えるために努力いたしました。ぶつかる事もありましたが、本日やっと叶う事が出来ました」


 月野さんは、素敵な笑顔を見せる。


「少々話し過ぎましたね。お好みのお着物が決まりましたら、お呼びくださいませ。着付け等は。如何なさいますか?」


「私は、着物が私服の様なものではございますので、問題ございませんわ。玲様は・・・・・?」


 記憶を失う前の僕は、着付けは出来たと思う。それは、両親から過去の写真や僕が書いたと思われる日記を見せて貰った時にそう記載されていたため。読み進める度に頭痛が強くなってしまい一度しか読んでいないが、読んだ部分は残っている。

 先程から着物を見ていると何処となく懐かしい気持ちと早く着付けたいと言う気持ちが溢れている。何となく着付けられると感じる。


「恐らく、着付けられると思います」


「もし、お手伝いが必要でございましたら、お声がけください」


「玲様、私もお手伝いいたしますわ」


「私は外におります。着付けが終わりましたら、こちらのボタンを押してください」


 月野さんは、そういうと衣装室から出ていく。

 着物の柄は、季節感のあるもの、古風なもの、現代的なものと種類豊富でとても悩ましい。睦月もとても悩んでいる。真剣な眼差しで鏡を見ながら自身に当てている。

 僕は何故懐かしく感じるのか、早く着付けたいと思うのかわからない。日記には、着物へ対する想いが綴られていた。記憶を失っても、好きなものは変わらないのだろうか。

 あまり悩んでも仕方ないだろうなと思いながら見て回っていると、一つの着物に目が止まる。ラメの入った黒い着物生地に流れる川をイメージしているのだろう縁の部分がぼんやりと水色の白い柄の上に少し濃いめの桃色と桜色の桜の柄が浮かんでいる。袖部分には、いくつかの白色の丸いぼかしがあり、空に桜が舞っている様に見える。着物を見ていると、夜に河川敷で満開の桜を見ている気分になる。芸術的な着物だと思う。この着物で決めようと思う。

 残るは、帯や帯揚げ、帯締めを選ばなければならない。帯は、薄い水色。帯揚げは、桜色。帯じめは、紺色。合う合わないは、わからない。直感的に決めた。長襦袢と足袋を選び、着替え室に持っていく。

 不思議な事に、着付けは無事終わった。身体が覚えていると言う事なのだろうか。

 着替え室を出ると、睦月は既に着付けが終わって僕の事を待っていた。


「玲様、とても素敵ですわ!女性である私でも、玲様がお綺麗で惚れてしまいますわ!やはり、玲様は何をお召しになりましても、お美しいですわね!」


「睦月には、負けるよ」


 睦月は、白と黄色のグラデーションの着物生地に、カラフルな手毬の柄と蝶々の柄の着物。帯は、オレンジ色。帯揚げは、緑。帯締めは、黄緑。そして、髪をまとめていて、可愛らしい簪をしている。


「さて、玲様。髪を整えさせていただきますわ」


 睦月はそういうと僕を椅子に座らせ、櫛を通し髪を丁寧に結い始める。髪が整え終えると睦月は、簪をいくつか選ぶと僕の髪に当てて悩む。最終的には、桜の簪に決めて髪に挿す。


「完璧でございます」


 鏡で自分の姿を確認すると、別人の様に感じてしまう。髪型もまた、人を判別する事を妨げるものなのだと感じる。

 よく鏡を見ると、いつの間にか、軽く化粧まで施されている。何という手際の良さなのだろうか。

 僕と睦月は、来ていた服を鍵付きのロッカーにしまうとボタンを押した。暫くすると、部屋の外から扉を叩く音の後に月野さんの声が聞こえた。


「ご準備が整いましたか?お荷物をお仕舞いになりましたら、部屋の外までお願いいたします」


 睦月が、扉を開けると廊下には月野さんと師走の姿が見える。

 師走は、紺色の着物に藍色の羽織を羽織っている。帯は、黒。髪も軽くセットされている。


「玲様、とてもお似合いです。いつもより大人びて見え、素敵です。凪も、凪らしい着物を選んだな」


「師走は着物を着ると、良い意味で印象変わるな」


「そうですわね。師走さん、その姿でしたら、以前より女性に交換持っていただけると思いますわ」


「褒められているのかわからない感想をありがとう」


 月野さんは、それぞれの着物を見ては微笑ましく見ていたが、僕の時だけ何故か懐かしそうに見ていたような気がする。何か思い入れのある着物なのだろうか。

 月野さんは、皆様お似合いですねと一言言うと、部屋に案内しますと歩き始める。


「睦月様もそうですが、師走様もこの喫茶店にぴったりでございますね」


「えぇ。私が、とても興味を持ちましたのも店舗の名前や月野様の日本文化への愛がとてもお強い事が理由でございますの」


「もったいないお言葉でございます」


 この喫茶店は、睦月の家が関係している事が今までの会話からわかってしまう。流石、財閥の娘と言ったところなのだろうか。睦月自身、家の事は興味がないとは言っていたが、しっかり勤めを果たしているのだろうなと感心する。勤めと言っていいのかは、わからない。

 それにしても、昔からあるようなお屋敷のような店内の設計や装飾で過去にタイムスリップした気分になる。とても、不思議な感覚。


「初めから予約制にした理由はあるんですか?」


「こちらは睦月様のお父様からの助言をいただいたのです」


 初めは予約なしの会員制の喫茶店にする予定で計画を立てていた。その計画を喫茶店設立にあたっての支援者達に聞いたところ、最近の喫茶店を含めた飲食店の利用者の問題行動が目立っている事から、完全予約制を提案したとの事。完全予約制にする事により、お客さんの質というのは高いものになると考えた。しかし、集客が難しくなるという問題点がある。その部分に関しては、開店前に飲食店のフェスティバルの参加やキッチンカーなどを利用し、宣伝を行う事で埋められるのではないかと提案。結果、思ったより反響があり、予約は結構埋まっているとの事。

 睦月は、実の父のやり方に賛成はしていないようだが、結果的に開店できた事を心から喜んでいる様子。以前、話に聞いていたのは、この喫茶店の話なのだとふと思い出す。


「飲食店の新たな挑戦って感じで、面白いストーリーだなって思います。ここまで手の混んでいるお店のそうそう多くなさそうですし」


「飲食業界につきましてはわかりませんが、開店できた事、従業員皆、心から喜んでおります」


 内情に関しては、知ったところで何の意味もないので僕は、店内の内装を楽しむ事に集中する。

 全体的にやはり、和みや懐かしい雰囲気が漂い落ち着く空間ではある。利用した人間は何度でも着たくなるだろうと言うほどの造りである。窓から見える庭も、とても綺麗にていらがされている。

 こちらになりますと案内されたのは、『桜ノ間』と言う部屋。中に入ると内装も景色もとても綺麗な部屋である。喫茶店ということを忘れてしまいそうになる。

 それぞれ座布団に座ると月野さんは他の店員が運んでくれたのであろうお盆を床に置き、おしぼりとお茶を上座から順に置いていく。所作がとても綺麗。そして、月野さんは部屋や注文に関しての案内を丁寧に説明する。説明が終わると月野さんは部屋から出ていく。無駄のない素敵な接客だなと思う。

 机の上にはメニューがあり、睦月と師走は仲良くメニューを見ている。僕はというと部屋の隅で庭を眺めながら、自身の来ている着物について気になっていることを何となく考え始める。

 月野さんの見せた僕たちの着物を見た時の反応の違い。理由として考えられるのは何かと幾つかあげるも正解かは月野さんに聞かない限りは、わからないだろう。それでも、何故か考えてしまう。らしくないなと、考えていた事を振り払う。

 その様子を睦月と師走に見られていた事には、気付かなかった。


「玲様、お食事は何になさいますか?何方も美味しいのですのよ」


 メニューを持ちながら、睦月は僕に近付こうと立ち上がる。僕は、睦月が一歩踏み出す前に立ち上がり、静かに元の座布団の位置に座る。

 メニューの内容は、喫茶店にしてはとても豊富だと思う。和食だけでなく、日本で生まれた洋食も存在している。精進料理やアフタヌーンティーセット、オリジナルドリンクもある。写真付きのわかりやすいメニューを見ると、力の入れ方が半端ではないと感じる。アレルギー対策もしっかりしている。


「私は、和食のCセットにいたしましたわ。食後のデザートには、お抹茶とお団子の三種セットにいたしますわ」


「俺、和食の特別セットと和風のサンドイッチにしました。デザートは、抹茶と餡蜜です。どれも美味しそうで、迷いますよね」


 ゆっくり決めてくださいと睦月は言う。基本的に、僕は外食をした事がない。両親の作る料理で事が足りている事が理由。間食も健康的に考えてしたくないと思っている。睦月は、それに気付いて両親とこの計画を企てたのだろう。

 ここは睦月のお墨付きのお店ではある。本格的な和食に興味はないわけではない。栄養バランスもしっかりしていそうなAセットと日替わり和食セットで少々悩む。栄養バランスはどちらも同じなのだが、Aセットには自家製の豆腐が付き、日替わり和食セットには茶碗蒸しが付く。とても悩みどころではある。今回は、日替わり和食セットにしようと決める。日替わり和食セットのみおすすめの和菓子の盛り合わせが選べることに気が付いてしまったのだ。飲み物は、もちろん抹茶だ。


「僕は、日替わり和食セットにするよ。抹茶とおすすめ和菓子の盛り合わせ」


「私もそちらで悩みましたの。ランダム制がありまして、毎日通いたくなると思いますわ」


「師走さん、ベルを押してくださいまし」


 師走は、仕方ないなと言いながらベルを押す。何も音はならないが、暫くすると部屋の外で襖を叩く音と月野さんではない声が聞こえる。師走が声を掛けると失礼いたしますと女性店員が部屋の中へ入って来る。名札には、三条と記載されている。


「ご注文をお伺いいたします」


 その言葉を聞くと師走が3人分の料理を伝える。三条さんは、注文を確認いたしますと注文内容を繰り返す。間違いがないかの確認が終わると注文を厨房へ伝えに行った。

 睦月も師走も気付いていなかったかわからないが、三条さんが部屋に入るなり僕を見て驚き、すぐに優しく微笑んだ反応を見せていた事に僕は気付いた。月野さんの反応からするに恐らく、着物に対しての反応なのだろう。気になる事が増えていく。僕は、ため息を吐くとお手洗いに行くと言い残し、部屋を出る。

 お手洗いを済ませると、月野さんの説明を思い出す。中庭に自由に降りて見学して良いとの事だったので、降りれるところを探す。店内はとても広く迷う人も出てくるのではないだろうか。

 中庭に降りれる場所を見つけ、用意されている草履を履く。中庭をゆっくりと歩いていると奥の方に池があるのが見える。池を見に行きたいと足を進める。庭には、まだ誰もいない。静かだなと思いながら歩いていると突然誰かの声が聞こえる。


「ねぇ、貴方」


 誰かに問いかけている声が聞こえ、何となく声のする方に振り返る。そこには、白と青のグラデーションの着物を着付けた女性が立っている。知らない女性だ。中庭に誰もいない事を考えると僕に対して声を掛けているのだろう。


「・・・どうかしましたか?」


「いえ、着物がお似合いだと思いまして」


 女性は、ゆっくりと僕との距離を詰めている。僕は、その女性を怪しんで一歩後ずさむ。僕が警戒している事に気が付くと女性は立ち止まる。

 雰囲気が只者ではなさそうと本能が訴えているような気がする。何か企んでいるような、探っているような視線を女性から感じ、僕は身構える。逃げると言う選択肢を取ることが、安全と言うことはわかっている。しかし、この女性が声を掛けてきた理由がわからない今睦月達を危険に晒す可能性がある。

 私と同じ思いはしてほしくない。

 冷静になろうと必死に心を落ち着かせる。


「何か話がありそうな様子ですね」


「えぇ、そうよ。貴女に用事があるわ」


 女性は、にこりと笑う。その笑顔は、作り物のように見えてしまう。


「貴女、1年前にある中学校で起こっていた連続転落事件の真相を明らかにし、事件解決へと導いた若き探偵よね」


「いえ、それは僕ではありません」


 僕は、悟られないように伝えるが、内心恐怖を感じている。この女性は、確信を得ている。当時解決した人間が僕という事を調べてきている。

 事件に関しては、当時とても話題となり騒ぎになった。解決したのが中学生という見出しは、誰でも興味を引くものだ。事件の詳細を伏せられるはずだったが、どこからか流出してしまった。学校や地域住民へのしつこい取材が絶えなかったと聞いていた。その取材は、被害者の生き残りである僕にまで及んでいたが、両親や病院、警察が盾となってくれていたおかげで、僕という事は記事にはされていない。

 関係者以外では、僕はただの被害者になっている。


「成る程ね、理解したわ。私、黒川梨絵。以後、お見知り置きを」


 発言が肯定と捉えられてしまい恐怖は増す。心を見透かされている気分になる。


「・・・貴女は、何者ですか」


「警戒心強いのね。私は直接的に事件には関わりはないわ。ただ、風の噂で聞いた貴女の事に興味が湧いたの。私の部屋でお話でもどう?」


「人と来ているので」


 僕は、それだけ言い残してその場を離れようと急いで離れようとするが、バランスを崩してしまう。らしくないなと思いながら、頭を打たないように受け身を取る準備をするが、誰かに受け止められ倒れずに済む。庭には、僕と黒川という女性しかいない。確認すると、やはり黒川という女性が僕のことを支えている。

 私は敵ではないよと黒川という女性は、言い残すと池の方へと向かい歩いて行った。

 僕は落ち着くために深呼吸をした後、着崩れていないか確認すると胸元に一枚の紙が差し込まれている事に気が付き取る。その紙は、『警部 黒川梨絵』と記載されている警視庁名刺。先程支えてもらった時に差し込まれたものなのだろう。警察であれば僕や過去の事件について知っている事にも納得はできる。直接的に事件に関わりはないということは、恐らく、同僚に聞いたが捜査資料を見たというところなのであろうか。

 色々気になる点はあるが、僕はとりあえず部屋に戻る事にした。

 部屋に向かいながら先程会った黒川という女性について考えていると、目の前から猛スピードで走ってくる人間に気が付き避けようとしたが、間に合わずにぶつかってしまう。僕の身体は、勢いよくそして、強く床に叩きつかられる。

 衝撃と共に何か断片的な映像が頭の中に流れる。ゆっくりと落ちる景色。高いところから誰かが見下ろしている。恨んでいるような、悲しんでいるような顔をしている。どうして、そんな顔をしているのだろうか。


「痛っ」


 衝突してしまった女性の声で、僕は現実に戻る。何か感じていたような気がするが、消えている。

 衝突した相手は女性だったようだ。しかも、この女性も着物を着ている。着物を着ているにも関わらず、あのスピードで走れる事に驚かされる。衝突した女性は、泣いている、大丈夫かを声かけようとした所、後ろからまた別の女性が急いでやってくる。僕の存在が目に入った途端、真っ青な顔をして大丈夫ですかと声を掛けて手を差し伸べてくる。


「すみません。怪我とかされていないですか?立てますか?」


「あ、えっと」


 大丈夫ですと答えようとすると、衝突した女性は泣きながら、ごめんなさいと何度も謝り始める。後からやってきた女性も驚いて、困っている。


「この子私の連れで・・・。私は、高本瑞稀。この子は、榎本亜紀。本当にすみません。とりあえず、立てますか?」


 再度差し出される手を取って立ち上がろうとするが、何故か立ち上がれない。力が入らない。痛みがあるのかすら今わからない。

 僕が立ち上がれずにいるといつの間にか二人の男性が来ていた。一人は、榎本という女性を落ち着かせている。もう一人は、高本さんに事情を聞くと僕のそばに座り、失礼するよと一言言うと腕や足に触れる。骨折とかしていないかを確認してくれているのだろう。一通り触れると何やら考え込む。


「・・・・頭は打ったか?」


「打っていないと思います」


「すまないね、連れが」


 診察をしてくれた男性は申し訳なさろ呆れが含んだように言うと、ため息を吐く。


「今は異常がなくても、暫く経って何かしら症状が出るかもしれない。瑞稀、和斗、そいつは放っておけ。いつものことだ」


「でも・・・」


「あの、僕は大丈夫ですよ。暫くしたら、立てるようになると思います」


 診察をしてくれた男性は、今立てずに困っているのに放って置けるはずがないだろうというと、僕を軽々しく抱える。着物ということもあるのか、お姫様抱っこになってしまう。


「瑞稀、この女性の連れもいる事だろう。元凶を連れて行って、事情を説明して来い。君、部屋は何処か聞いても?」


「桜ノ間です」


 僕は、避ける事ができていたら、こんな面倒な事にはならなかったのではないかとたらればな事を考え始めてしまった。らしくないなと思いながら、考える事をやめて大人しくする事にした。

 僕は、診察をしてくれた男性と和斗と呼ばれていた男性と彼らの個室まで連れて行かれるようだ。二人は、ゆっくりと歩き始める。


「こうして見ると、修が誘拐しているみたいでなんか面白い」


 和斗と呼ばれていた反省は、ケラケラと笑いながら言う。診察をしてくれた男性は、修と言うらしい。修と呼ばれている男性は、黙れと強く言う。

 冗談と言え、誘拐という言葉は使うものではないなとは、僕も思う。優しさ故の現状でもある。例え、誘拐だったとしても、誘拐するには手の込み過ぎた台本。


「お前は、そういう発想が本当に好きのようだな」


「んー、そうでもないぜ?あ、俺、黒川和斗って言うんだ。よろしくな」


「俺は、藍澤修。君は?」


「神無月玲です」


「名字が陰暦って、この喫茶店にめっちゃ合うじゃん、玲ちゃん」


 黒川さんは、笑いながらそう言う。笑いのツボも分からない人間なのだろうと感じる。そんな黒川さんを見て、呆れる藍澤さん。良い組み合わせなのだろうなと客観的に思う。

 そんな他愛のない話をしている内に、彼らの部屋に着いたようで歩みが止まる。部屋の名前は、『百合ノ間』と書かれている。

 中に入ると縁側で寝ている女性と縁側に座って読書をしている男性がいた。黒川は、座布団を6枚重ねて運び、2枚ずつに分けて重ねて置く。藍澤さんは、それを見ると僕をそっと座布団の上に寝かせると寝ている女性を叩き起こす。

 どこかで見た風景だ。

 起こされた女性は、猫のように伸びをすると起き上がる。藍澤さんに、軽く事情を説明するとコクリと頷いて、僕のそばへとやって来る。そして、僕と目を合わせる。吸い込まれるような綺麗な瞳をしている。視線を逸らせない。


「清水京子。貴女の名は?」


「神無月玲」


「大学一年生、貴女は?」


「高校一年生」


「趣味、寝る。貴女は?」


「読書」


 清水さんが呟く言葉に僕の口が勝手に動く。とても不思議な感覚。他の視点からは、どのように写っているのだろう。

 清水さんの瞳は、何に対しても見透かしたかのような目をしている。

 感覚を言葉にするならば、清水さんが僕に質問すると反射的に答えてしまっていると言った所なのだろうか。上手く言葉にするのが難しい。


「記憶喪失?」


「はい」


 僕らの会話を聞いて黒川と藍澤が驚いたような声を上げたのか聞こえる。その驚きは、この不思議な状況に対してではなく、高校生である僕の記憶がない事に対してというのは嫌と言うほどわかる。

 清水さんが、次の言葉を言おうと口を開いた途端、視界に何かが入る。


「清水、それくらいにしろ」


「立てない理由引き出そうとしたの」


 その言葉を聞き驚く。聞き出すではなく、引き出すという事。初めは清水さんが質問したら、反射的に答えていた状態だったが、記憶喪失に関しては清水さんは既に知っていて、確認するかのように言っていた。そうでなければ、記憶喪失という単語は出てこないであろう。

 清水さんの謎の力は、記憶のない僕にとって恐怖の対象であり、興味の対象である。失う前の記憶に関しては、興味はない。取り戻したいと思った事はない。ただ、僕は何故記憶喪失になったのかを知りたいとは思う。


「君、神無月玲と言っていたね」


 ふと声を掛けられ我に返る。ゆっくり声の主の方へ向くと先程まで縁側で読書をしていた男性がいつの間にかそばに来ていた。

 どことなく誰かに似ているような気がする。落ち着きのあり、少し安心感のある。片手に持っている本は、恐らく僕と清水さんの視線を逸らすために利用されたのだろう。


「君の過去については、知らない。君の記憶は君の精神を守る為に鍵を掛けている状態になっている。無理にこじ開けるということは、君に取って良いことではない。世の中には、知らない方が良い事がある。それと同じこと。焦らず、ゆっくり知るといい」


「・・・はい」


「偉そうにすまない。僕は、雪城奏」


「いえ、ありがとうございます」


「君らも、この方にに変なことさせるのではない。初対面だろう」


 3人は、すみませんでしたと申し訳なさそうに言う。雪城さんは、厳しくて優しい方なのだろう。そう言うところも誰かに似ていると思うも、その誰かは思い出せない。

 雪城さんは、唐突に僕の頭を撫で始める。優しく温かい手。気持ちがとても落ち着く。暫くすると、撫でる手を止めて、僕の上半身を起こして座らせる。そして、僕の手を雪城さんの方に乗せる。

 不思議に思って雪城さんの顔を見ると、彼は優しく微笑んでから口を開く。


「立つのに不安だろう」


 雪城さんのような男性はモテるのだろうなと思いつつ、彼の優しさに甘えしっかりと捕まって立ち上がる。普通に立てるようになっていて僕は驚きはしたが、それはすぐに安心に変わる。

 清水さんは、そんな僕の姿をじっと見つめている。僕は、その視線の理由はなんだと考えるもわからない。黒川さんと藍澤さんは、驚いた顔をしている。そんな状況なのだろうか。


「どこか痛みはあるかい?」


「いえ、どこも痛みないです。色々と、ありがとうございます」


「もし何か異常が出た場合は、僕に連絡するといい。記憶に関しても、何か力になれる事があれば力になろう。これも何かの縁というのだろう」


 雪城さんは、そういうと僕に連絡先の書かれた紙を渡す。僕は、それを受け取ると名刺と同じ場所にしまう。

 そろそろ桜ノ間に戻ろうかと口を開こうとすると襖がいきなり開き知っている顔が入って来た。


「玲様、ご無事でございますか?なかなかお戻りになられないので心配いたしましたの」


「事情は聞きました。どこか痛みはありますか?歩けますか?」


 睦月と師走は、部屋に入ってそうそう質問攻めをし始める。騒がしいと思いつつ、問題ない事を伝える。初めは心配そうな表情を浮かべていた二人は、僕の回答を聞いて安堵の表情へと変える。


「玲様が、大変お世話になりました」


「いえ、原因はこちらにある。申し訳ない」


「玲。忠実、信頼、絆。怖がらないで。安心して大丈夫。信じて、玲は見る目ある」


 清水さんは、睦月、師走、僕の事を順番に見た後にそう言う。僕は、また何か見透かされてのかと恐怖していると清水さんは、雪城さんに本で叩かれていた。

 僕は、お世話になった方々にお礼を言うと桜ノ間に戻った。道中色々言われていたが殆ど聞き流していたため覚えていない。

 それより気になるのは、榎本さんの泣いていた理由。百合ノ間に運ばれた際は、特に変な雰囲気はなかった。泣いていた理由に関しては、睦月や師走は聞いたのだろうか。猛スピードで走るほどその場に居たくなかった理由とは、一体何だろうか。

 少し気になったが、食事が来てしまったため聞く事が出来なかった。

 配膳された食事は、見た目もとても綺麗で出来立ての証である湯気が立っている。


「そのお料理もとても美しくて素敵でございますわね、玲様」


「すごいクオリティーですね!」


「そうだね」


「では、冷めない内にいただきましょう」


 師走の一言で僕と睦月もいただきますと言うと、食べ始める。

 彩りも、味も良くどの料理もとても美味しい。家庭で同じ料理を作れるかと問われると難しいと答えるだろう。

 食事が済み、デザート待ちをしていると、睦月がふと人間関係とは難しいものですわねと呟いた。確かにそうだなと返す師走。二人は、榎本さんの泣いていた理由を恐らく聞いたのだろう。


「何か聞いたの?」


「深くは聞きませんでしたわ。ほんの少し聞いただけですの」


 睦月は、静かに話始める。

 百合ノ間にいた6人は、高校時代の同級生ではあるが、大学は別々の道に進んでいる。今日はたまたま揃い再開したという。店長である月野の計らいで、広い百合ノ間を案内してくれたとのこと。思い出話に花を咲かせていた所、過去のいざこざの話が出てしまい、藍澤と榎本は言い合いになる。言い合いの末、榎本は泣きながら部屋を飛び出したと言うのが理由。


「初対面の私達にお話しする通りもないでしょう・・・。しかし、私は気になりますの。友情に亀裂が入ってしまうその要因を・・・・」


「人には人の尺度があるから、知ったところで勉強にもならないと俺は思う」


「そうではございますが・・・・」


 みんな仲良くが難しいのは、今も昔も変わらない。物事の捉え方の違いや価値観の違いなどから争いは起こる。前触れもなく。気を付けようと思えば思うほど、争いの沼に足を踏み入れてしまう事もある。息苦しい世の中なのだ。


「睦月が心配する事は、先の未来より今だと思う。今を大切にすれば、同じ事にはならない」


 きっとねと僕は、睦月にいう。

 睦月は、自分も同じ状況になるかもしれない可能性を話を聞いて不安に思ったのだろう。睦月が元々人間付き合いが少ないと知っているからこそわかることではある。あの日記は、役には立つ。そのお陰で、睦月の表情が明るくなった。

 話をしている間に食後のデザートが運ばれ、睦月と師走は和菓子の話をしながら、楽しく食べていた。僕はそんな二人を横目に静かに和菓子を堪能した。

 面倒な事はあったものの、久しぶりに楽しいひととき送ったと感じる1日だった。

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