その令嬢、薄幸につき
「タチアナ、お前に手紙が届いているぞ」
義理の父に呼び出された私は、書斎に向かった。
そこには義父だけではなく、義母と義妹の姿もある。義妹は、どうしてだかニヤニヤと嫌な笑いを顔中に浮かべていた。
渡された手紙は開封済みだ。この家では、私にはプライバシーなどというものはない。
差出人を見ると、婚約者であるユージーン王子の名前が書かれていた。
「ここで読みなさい」
一礼して部屋に帰ろうとすると、義父に呼び止められる。私は言われた通りにした。
紙面に目を走らせる。そこに書かれていた内容に、ハッと息を呑んだ。
「可愛そうにねぇ、タチアナ」
私が手紙から目を上げると、義妹が猫なで声を出す。
「こうなるのは時間の問題だって分かってたけど……ついにその時が来ちゃったのね。あなた、もうユージーン殿下の婚約者じゃないのよ」
義妹は堪えきれなくなったように笑い出す。彼女の言う通り、手紙には、私とユージーン様の婚約が解消されたと書いてあった。
「どうやら殿下はもうお前の顔など見たくもないらしい」
義父がそっけなく言った。
「つまり、これ以上は王都の屋敷にお前を置いておけんということだ。領地へ向かう馬車を用意した。さっさと乗れ」
「今から、ですか?」
「当たり前でしょう?」
私の困惑を義妹が一蹴する。
「支度がしたい、なんて図々しいこと言わないで。大体、何を持って行くっていうのよ。この家にあなたの自由になるものなんか、何一つないのに。住まわせてあげてるだけでもありがたいって思いなさいよ」
義母が「その通りだよ」と頷いた。
「さあ、分かったら早くお行き。あんたがいつまでもここにいると、私たちが殿下の怒りを買っちまうからね」
私は追い立てられるようにして書斎から出た。ドアを閉めると、中から義理の家族の笑い声がする。義妹が「これであたしが殿下の新しい婚約者よ!」と言っていた。
トボトボと廊下を歩く。
私の人生は一体どこまで悪くなっていくのだろうと嘆きながら。
****
私が両親を事故で亡くしたのは、五つの時だった。
その際に父に代わって我が家の当主となったのが、親戚筋に当たる現在の義父だ。彼の養子となったことにより、私には新しい家族ができた。
でも、彼らは私を丁重に扱ったとは言いがたかった。だけど、仕方がないのかもしれない。だって、私は出来が悪いんだから。
――ブクブク太ってみっともない子だね。これじゃあ、親もさぞや恥ずかしかっただろうよ。
――要領が悪いだけでなく性格も暗いとは。うちの娘とは大違いだ。
――ユージーン殿下、本当はタチアナのこと嫌いなんだと思うなぁ。だって、タチアナってすごいブスじゃん? あたしみたいな美人に生まれて来れなくて可愛そう!
義理の家族と住むようになってから十二年間、私はずっとそんなことを言われ続けてきた。
彼らが言っているのは本当のことばかりだ。私は太っている根暗の不器量な娘。そんなだから、家にいることを許可されているだけでも御の字だと思わないといけない。
そして、私がそれ以上に感謝を捧げなければならない相手がいる。婚約者のユージーン様だ。
――辛かったね、タチアナ。
本当の家族を亡くした時、ユージーン様がそう言って慰めてくれたのを覚えている。彼は私が泣き止むまで一緒にいてくれた。
――何か困ってることはない? 僕でよければ力になるよ。
ユージーン様はよくそう言ってくれた。その度に、私は何度こう口に出そうと思ったか知れない。
『義理の家族がとても冷たいんです』
『罵倒するだけではありません。食堂で同席するのを許されなかったり、義妹には綺麗なドレスをいくつも作ってあげてるのに、私にはわざと流行遅れでサイズの合わないものを寄越したり。こんなこと、挙げていけばきりがありません。彼らは私を家族の一員だと思っていないのです』
『助けてください、ユージーン様』
けれど、私はそれらのセリフをいつも呑み込んでいた。だって、義理の家族が言っていたから。ユージーン様の優しさは社交辞令だ、って。
だから真に受けちゃいけない。義父たちが私を置いてくれているのと同様に、ユージーン様が私を婚約者の地位に留めてくれているだけでよしとしなくては。
けれど、ユージーン様の我慢もついに限界に達したらしい。私はため息を吐いた。
馬車がガタゴトと揺れる。
義父が用意したのは、ひどく乗り心地の悪い貧相な乗り物だった。追放が決定した厄介者には、この程度で充分ということなのだろう。
「ユージーン様……」
私は元婚約者からの手紙を丁寧に折りたたんで懐にしまった。書いてあるのは悲しい知らせだけれど、ユージーン様との最後の思い出として大切に取っておこうと思ったから。
私はユージーン様が好きだった。義理の家族に冷遇される中で、彼の優しさだけが心の慰めになっていたのだ。
たとえその親切が偽物だったとしても。
胸がズキズキと痛んでくる。涙が溢れそうになり、私は首から提げていたペンダントを服の中から取り出した。
その先端に取り付けられていたのは、手のひら大の巻貝だった。私の八歳の誕生日に、ユージーン様がプレゼントしてくれたものだ。
――これは魔法の貝殻だよ。僕がおまじないをかけたんだ。
ユージーン様はそう説明してくれた。
――僕がいない時でも、この貝がタチアナを守ってくれますように、って。ほら、この穴に耳を当ててみて。タチアナを助けてくれる声が聞こえるはずだよ。
私は言われた通りにする。すると、穴から「大好きだよ、タチアナ」と聞こえてきた。
気のせいかもしれないけど、それはユージーン様の声と似ていた。
その日以来、私はこの貝を肌身離さず身につけていた。そして、辛いことがある度にその穴を耳に当てるのだ。
すると聞こえてくる、「大好きだよ、タチアナ」の声。その言葉に、何度救われたか分からない。
だから今回も胸の痛みを和らげるために貝のお世話になろうとした。穴にそっと耳を宛がう。
「騙されちゃいけないよ、タチアナ」
「……え?」
巻貝が初めて愛の言葉以外を囁いた。私は目を見開く。
「……騙されちゃいけない、って?」
貝に向かって尋ねる。けれど答えは返ってこない。私はもう一度穴に耳を当てた。
「騙されちゃいけないよ、タチアナ」
やっぱり同じことを言っている。
「……これが私を助ける言葉?」
一体どういう意味なのかしら?
考えてみたが分からない。そうこうする内に時は過ぎ、みすぼらしい宿屋に一泊することになる。
その夜、私は夢を見た。
――ふっくら可愛い、私たちのお姫様。
私とよく似た顔の中年男性が笑っている。
――おっとりしていてお人形さんみたいに行儀がよくて。あなたは私たちの自慢の娘よ。
男性の隣にいたのは、彼と同年代と思われる女性だ。彼女は私と同じ、焦げ茶色の髪と瞳をしている。
二人と手を繋ぎながら、幼い私が笑っていた。それはそれは幸福そうに……。
「お父様、お母様……?」
目が覚めた私はベッドからゆっくりと身を起こす。
幼少期に両親と死に別れてしまったせいか、私は親の顔を覚えていない。家にあった肖像画も、全て義父が処分してしまった。
けれど、確信する。先程夢に見た人たちは、私の実の両親なのだ、と。
「でも……変だわ」
義理の家族は、私は両親に愛されていなかったと言っていた。彼らは不出来な私を恥ずかしく思っていた、と。
けれど、夢の中では真逆だった。私は二人に可愛がられていた。そういう風にしか見えなかった。
私は貝の穴を耳に当てる。
「騙されちゃいけないよ、タチアナ」
騙すって何が? もしくは誰が?
先程の夢かしら? それとも……。
落ち着かない気分になりつつも、私はもう一度ベッドに身を横たえる。
しかし、結局は朝までろくに眠れなかった。
****
――騙されちゃいけないよ、タチアナ。
あの夜以来、私は色々なことをじっくりと考えるようになっていた。
すると、今までは見逃していたおかしなことに気付く。ユージーン様からの手紙に違和感を覚えるようになったのだ。
まずは筆跡。これはユージーン様の字ではない。
誰かに代筆させるなんて、ユージーン様らしくなかった。彼は王子でありながら、何でも人任せにするのが嫌いなたちなんだから。婚約の解消なんていう重要な用件であればなおさらである。
そもそもそんなことを手紙で告げてくること自体がおかしい。たとえもう顔も見たくないと思っている娘が相手であっても、ユージーン様なら面と向かって自分たちの関係が終わったことを伝えたがるだろう。
そして、気になる点がもう一つ。手紙の署名だ。
ユージーン様は、手紙の結びをいつも遊び心のあるものにしていた。最後に自分の名前を書く代わりに、私の似顔絵を添えるのだ。
――これはね、僕が君のものっていう意味だよ。
以前に「どうしてユージーン様はいつも私の絵を描くのですか?」と聞いた時、彼はそう言っていた。
――もし差出人は僕ってなってるのにこの絵がなかったら、それは偽手紙だって思ってね。だって、僕がタチアナのことを好きじゃない時なんかないんだから。
「偽手紙……」
ユージーン様の冗談めかした言葉が蘇ってくる。この婚約解消を告げる手紙には、私の似顔絵はなかった。
もう婚約者じゃないんだから、ユージーン様は私のものじゃない。だから、絵を描かなかった。
そんな風に解釈することも可能だけど……もっと別の可能性はないかしら?
例えば、ユージーン様の冗談が本当になってしまったとか。何者かが偽手紙を送ってきた。私たちの仲を裂くために。
そんなことをしたがるのは誰だろう?
「到着いたしました」
無愛想な声で我に返る。何日にも及んだ長旅が終わったことを御者が知らせてきたのだ。
到着したのはうちの領地の外れだった。目の前には、何十年……いや何百年も前にうち捨てられたような外観の建物。元は砦か何かだったのかしら? 領内にこんな場所があったことを、私はこの時初めて知った。
「……ここに住むの?」
「わたくしは旦那様の言いつけに従っただけですので」
御者は答えにならない答えを返して、馬車と共に去っていく。それと入れ違うように、建物の中から使用人らしき女性がやって来た。
「どうぞ」
横柄な態度の使用人に続き、建物の中へと足を踏み入れる。室内も床に穴が空いていたり、どこからともなく隙間風が入ってきたりとひどい有り様だ。
「こちらがお嬢様のお部屋です」
案内されたのは、三階の一室だった。天井があらかた崩れ落ちて、空が丸見えになっている。
「随分開放的なところね」
「お疲れでしょう。お飲み物をどうぞ」
使用人は私の皮肉を無視して、朽ちかけた机の上に置いてあるグラスを指差した。
入っているのはワインだろうか。血のように赤い色をしている。
何だか変だ、と思った。
義父たちは、手入れもされていない建物と愛想のない使用人を私に寄越した。
けれど、旅の疲れだけは癒やされる必要があると思ったのか、飲み物はサービスしてくれる。
こんな親切の仕方ってあるだろうか。
私はペンダントを取り出し、貝の穴を耳に当てる。
「騙されちゃいけないよ、タチアナ」
ユージーン様の声が警告を発していた。私は頬を強ばらせながら、ワインを顎でしゃくって使用人に命じる。
「あなたが先に飲みなさい」
すると、使用人の表情が硬くなる。私は彼女に詰め寄った。
「どうしたの。飲みなさいと言っているのよ」
「わ、私は……」
使用人は後ずさりした。そして、獣のように俊敏な動作で部屋の外に出て、扉を閉める。
ドアノブの辺りからガチャガチャという音がした。しまった、と思った時には外からカギをかけられている。
「お嬢様はワインを飲まなければなりません」
使用人が動揺したような声で言った。遠ざかっていく足音。
私は机の上の飲み物を見た。あの狼狽え方。間違いなく、このワインは毒入りだ。私は義理の家族に殺されそうになったのだ。
そうと分かっても、特別にショックは感じなかった。彼らが私を嫌っていたのは知っている。邪魔者を消すには、これが一番手っ取り早い方法だろう。
……さあ、のんびりとなんてしていられないわ。
毒殺に失敗したと発覚すれば、義父たちは今度は別の手で私を殺そうとしてくるかもしれない。そうなる前に、急いでここから逃げないと。
私は巻貝の先端の尖った部分に目を留める。
頭に閃くものがあり、そこを扉と壁の隙間に差し込んだ。ちょっと力を込めるとギイィッと音がして、拍子抜けするくらいあっさりとドアが開く。
建物が古くなっていたお陰か、この巻貝は魔法のアイテムだからなのか……。とにかく、私は開いた扉から外に出た。
周囲を警戒して廊下を進むが、先程の使用人の姿はない。無事に野外に出られた。
すると、近づいてくる蹄の音が聞こえる。もしかして刺客? 用心深くなっていた私は、とっさに建物の影に身を隠した。
見つからないように細心の注意を払いながら、こっそりと頭だけを出して様子をうかがう。
けれど、現われたのはどう見ても暗殺者ではなかった。
「タチアナ!」
淡い色の髪を振り乱しながら馬を駆ってきたのは、ユージーン様だった。額には玉のような汗が浮かび、必死の形相だ。
普段は穏やかな彼がそんな顔をしているところなんて、初めて見た気がする。
「タチアナ! 僕だよ! ユージーンだ!」
ユージーン様は馬を止めて、大慌てで建物の中に入ろうとする。私は物陰から飛び出した。
「ユージーン様?」
「タチアナ!」
こちらの姿を認めると、ユージーン様は目をいっぱいに見開いた。そして、私の手を取って「触れる……」と呟く。
「幽霊じゃない……? ああ、タチアナ……。まだ生きてるんだね……」
ユージーン様は今にも泣きそうな顔になる。
「タチアナ、僕が悪かったよ。気に入らないところがあるなら全部言って。ちゃんと直すから。だから、僕を捨てるとか、死ぬなんて言わないで……」
「……はい?」
話が見えずに私は混乱した。
「私がユージーン様を捨てるってどういうことですか? それに死ぬっていうのも……。確かに殺されそうにはなりましたけど」
「殺される!?」
ユージーン様は仰天した。
「それって無理心中ってこと!? そんなの僕が許さないよ! 君は誑かされただけだったんだね、可愛そうに……。でも、もう大丈夫だよ。さあ、行こう。君を弄んだ悪い奴は、後でお仕置きしておくからね」
ユージーン様の目が剣呑に光る。何が何だか分からないままに、私はユージーン様の馬に乗せられていた。
「君のお父上から知らせを聞いた時は驚いたよ」
馬を歩ませながらユージーン様が言った。
「タチアナが身分の低い男性と駆け落ちしたって……」
駆け落ち!?
私は唖然となった。まったく身に覚えのない話だ。
「お父上は二人が心中したって言ってた。自分が死体を確認したから間違いない、って。でも、僕はどうしても君が死んだなんて信じられなくて……」
「それで、私を探しに来てくれたんですね」
「見つけるのに時間はかかっちゃったけどね。お父上は自分の領地の中だってこと以外、タチアナが亡くなった場所を知らせようとしないし。直感を頼りに、あちこち探し回ったよ」
よく見ると、ユージーン様の目の下にはクマができて、服もヨレヨレだった。きっと、かなりの強行軍の旅だったのだろう。
「お父上は僕に新しい婚約者として、君の妹さんを勧めてきたけど……。タチアナ以外の人なんて考えられないよ。ああ、生きていて本当によかった……」
ユージーン様は安堵のため息を漏らした。
「でも、変だね。お父上は君の死体を見たって言っていたのに。勘違いだったのかな?」
「……もしくは、詰めが甘かったのかもしれませんね」
胸の内に冷え冷えとしたものが広がっていく。何もかもが繋がった。私を殺そうとした犯人も、その動機も全てがはっきりと見えてきた。
手の中で巻貝をいじる。でも、これに頼らなくても、どうするべきかはちゃんと分かっていた。
「私を義理の家族の元へ連れて行ってくれますか、ユージーン様」
長年の辛かった生活に決着をつけるなら、今しかない。
****
「タチアナ!?」
私が王都の屋敷に戻ると、義父たちは目を丸くした。
「ど、どうしてここに……」
「帰ってきたらおかしいですか? ここは私の家ですよ」
私は三人を睨めつける。
「殺人が成功したと確信してから事を起こすべきでしたね。きっと、一刻も早く自分たちの娘をユージーン様と婚約させたかったんでしょうけど……。それとも、まさか暗殺に失敗するなんて思ってもいませんでしたか?」
「タチアナから全部聞いたよ」
私に付き添って一緒に来てくれたユージーン様は、氷のような表情だった。
「君たちが今までタチアナを虐待していたこと。その挙げ句、彼女を殺そうとしたこと……。僕の大切な人をこんな目に遭わせたなんて、覚悟はできてるよね?」
冷たい怒りを発するユージーン様に、義理の家族たちはたじろぐ。その様子を見て、ユージーン様は鼻を鳴らした。
「すでにしかるべきところに連絡は取ってあるよ。もうすぐ君たちを捕らえるための兵がこの屋敷に来る。その後どうなるのかは……言わなくても分かるよね? 殺人未遂やら王族を謀ったことに対する不敬罪やら……。罪は重いよ、罪人さんたち」
「ま、待ってください、殿下!」
義妹が弾かれたような声を出す。
「あ、あたしは……別に殿下を侮辱しようとしたわけじゃないんです!」
罪人という響きに恐れをなしたのか、義妹は震え上がっていた。娘の言葉に、義母と義父も慌てて頷く。
「ええ、そうなんですよ、殿下。だって、タチアナみたいなのが婚約者だなんて……ねぇ? 私どもはよかれと思ってやったんです。あんなのよりも、うちの娘の方がずっと殿下とお似合いなんですから」
「それに、虐待だの暗殺だの、どうせタチアナが勝手に喚いていることでしょう? この子は昔からそうなんですよ。被害妄想が強くて強くて……。我々としても手を焼いているのです」
「……もう黙ったら? これ以上罪を重くしたくないでしょう?」
三人が言葉を尽くせば尽くすほど、ユージーン様の心は冷え込んでいっているようだった。
それでもまだ墓穴を掘ったことに気付いていないらしい義妹が、私に向けて「タチアナ! あなた、自分の立場が分かってるの!?」と怒鳴りつけてきた。
「居候の分際で殿下に取り入るなんて! こんなことなら、さっさと追い出しておけばよかったわ! お情けで家に置いてあげてたあたしたちに対する礼儀がこれってわけ!?」
「家においてあげてた?」
以前の私なら、義妹の言葉に何も言えなくなっていたかもしれない。けれど、今は違う。
私は服の上から巻貝を触った。
――騙されちゃいけないよ、タチアナ。
愛しい人からの警告。私は心の中で、「分かっていますよ、ユージーン様」と言った。
「その言葉、あなたたちにそっくりそのまま返します」
私は一度も家族だと思ったことのない三人を……義父と義母と義妹を見遣った。
「ここは私の家です。あなたたちは盗人よ。ある日突然この屋敷に押しかけてきて、お父様の領地を経営し、お母様のドレスや宝飾品を売り払い、私の婚約者を横取りしようとしたんだから」
三人が青ざめる。私は彼らが反論する前に続けた。
「あなたたちは今まで色んな嘘を吐いてきたわ。私は両親に可愛がられていたし、ユージーン様にも愛されていた。ユージーン様は私との婚約に満足してるし、私も自分が彼に相応しくないとは思わない」
私がユージーン様の方を見ると、彼は優しく微笑んだ。
「私はあなたたちの嘘にはもう騙されないわ。私をここから追い出したい? 私はここにいちゃいけない? 笑わせないでよ。出て行くのはあなたたちの方よ」
玄関扉が大きく開け放たれる音がした。軍服に身を固めた兵士たちが部屋になだれ込んでくる。
乱暴な手つきで縄をかけられながら、義理の家族は三者三様に抵抗していた。けれど、誰も相手にしない。
連行されていく彼らを見ながら、私は呟いた。
「さようなら」
そう言ってみたところで、全く別れを惜しむ気にはならなかったけれど。
****
その後、私の義理の家族は、爵位も領地も財産も全てを剥奪されることとなった。
文字通りどん底まで落ちた三人は、今は辺境にある監獄の地下監房に入れられている。きっと、死ぬまでそこから出られないだろう。
父王と話をつけ、ユージーン様は彼らから取り上げたものを皆私に返してくれた。
私は王都の屋敷に女主人として君臨し、義父たちが解雇してしまった両親が生きていた頃を知る使用人を捜し出して再び雇い入れた。
近頃の日課は、彼らからお父様とお母様の生前の話を聞いて、記憶の奥底に封印されていた温かい思い出に浸ることだった。
十二年ぶりの穏やかで平和な日常を、私はやっと取り戻しつつあった。
「ありがとうございます、ユージーン様」
そのことで私がお礼を言うと、ユージーン様は「僕は大したことはしてないよ」と返す。
「君が立ち上がったから、僕はそれに手を貸してあげただけだ。本当は、もっと早くタチアナの置かれてる状況を察してあげるべきだったんだろうけど……」
「あら、ユージーン様はいつだって私を助けてくれていましたよ」
私はペンダントを取り出し、ユージーン様に見せた。
「それ……ずっと昔に僕がタチアナにあげた誕生日プレゼント?」
ユージーン様は目を丸くする。
「まだ持ってくれてたんだ……」
「私のお守りですもの」
指先で貝殻を撫でる。
「ユージーン様は仰っていました。『これは魔法の貝だ』って。本当にその通りですね」
貝の穴に耳を当てる。ユージーン様の声で、「大好きだよ、タチアナ」と聞こえてきた。何度も私を救ってくれた声だ。
けれど、目の前にいる現実のユージーン様は気まずそうな顔をしている。
「え、えっとね……タチアナ。君の夢を壊すようで言いにくいんだけど……」
ユージーン様は貝殻と私を交互に見つめた。
「それ……普通の貝なんだ。僕、魔法なんて使えないし……」
「え?」
「ご、ごめんね! でも、君のことをからかったとか、そういうわけじゃないんだ! ただ……その……見栄を張っちゃって……。『魔法の貝をくれるなんて、ユージーン様ってすごい!』って思って欲しかったから……」
「まあ……」
九年越しに発覚した事実に、私はポカンとした。
これは魔法の貝じゃないの? じゃあ、ここから聞こえてくる声は何だったんだろう?
困惑した私は、もう一度貝を耳に当てた。
「騙されちゃいけないよ、タチアナ」
貝が発したのは、警告だった。どういう意味かとしばらく考えた末、ピンときた私はクスリと笑う。
「ユージーン様、やっぱりこれは魔法の貝ですよ」
「でも、僕、魔法は……」
「使えないんでしょう? でも、ユージーン様は私を好いてくださっています。ご存知ですか? 愛は奇跡を起こすんですよ」
ユージーン様はきょとんとした表情になった。
でも、すぐに顔を綻ばせる。
「そうだね、そういうこともあるのかも。……大好きだよ、タチアナ」
ユージーン様が私に笑いかける。私も微笑み返した。
「知っています。何度も聞きましたから」
そして、それは幾度耳にしても心地のよい言葉だった。
私をここまで導いてくれた巻貝を手のひらに包み込む。ユージーン様の愛がもたらしてくれたのは、紛うことなき幸せな結末だった。