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【番外編】公爵令息クリストファー様の憂鬱7

譲歩の代償に宰相である父がなにを返したのかはクリストファーには知らされなかった。

アルフォンスがフィリップの一学年上に入学するという結果のみが伝えられ、クリストファーは彼に合わせて学園に戻ることになった。

飛び級して2年で騎士学校を卒業したアルフォンスは、正々堂々と首席で魔法学校に入学した。

その時はまだ隣国に留学していたクリストファーは入試のことを知らなかったが、後から聞かされた時には、その目立つやりかたに、おとなしくしているんじゃなかったのかと、契約違反をされたような気持ちになった。

しかし、本人なりにおとなしくはしているようだ。

入試こそ首席だったものの、その後はどの学科も一桁あたりを上手にキープして目立つこともない。

身分も辺境伯の分家筋ということになっていて、特に注目を浴びるようなこともない。ごくごく普通の男子生徒だ。

あまりにも上手に周囲に埋没していて、クリストファーには逆に脅威に感じられる。

彼はこのように自分を偽ることが出来るのか。

己の意志で感情をコントロールしていないと出来ないことである。

それを自分と同じ年の少年がやすやすとこなしている。

クリストファーにはできない。

復学してからのクリストファーは、複雑な気持ちを隠すことが出来ない。

常になんとなく憂鬱な気持ちを抱えている。

原因は自分でもわかっていた。

アルフォンスの存在が気になるのとともに、同級生たちが3年生になってしまったのが思いのほか堪えていた。

彼らとはもう交流がないが、顔を合わせると気まずい。先方は何も考えていないのかもしれないが、クリストファーは、気まずい。

それでも、ソフィアを見かけると、心が浮き立つのを感じる。

見かけることは少なかった。話すことは更になかった。

彼女は教授の準備室の仕事を辞めたようだった。

政治学の準備室は別の女子生徒が片付けている。分類が誤っていることも多く、あまり丁寧な仕事ではない。単なる片付けなど、誰がやっても同じだと言う者もいたが、クリストファーはその意見には賛同しない。人柄というものは現れるものだ。

ソフィアと言葉を交わす機会を得たのは、学園の外だった。

クリストファーは侍従がついているのであまり必要ではないが、世話をする人間を付けていない生徒は自分で買い物に行く。

その日のクリストファーはたまたま所用で実家に行き、馬車の中から買い物をしているソフィアを見つけた。なにか荷物を抱えている。

ちょっと寄るところがあるからと馬車を帰した。

「ソフィア嬢」

「ごきげんよう、クリストファー様。歩きですか?」

ソフィアが怪訝そうに問う。

公爵令息であるクリストファーは、たいていの場合、安全のために馬車を使う。ふらふら歩くようなことはない。

「少し、車輪の具合が悪くて」

大噓だ。

「近くだしね。ソフィア嬢は買い物?」

「はい」

荷物を持とうかと申し出ると断られた。

「型枠なので、かさばるけれど軽いんですよ」

クリストファーは型枠というものを知らなかった。しかし、博識で通っているので、知らないというのはためらわれた。

ソフィアは察したらしい。刺繍に使う道具だと教えてくれた。

そのまま二人で街を歩く。

「もう、準備室の整理はしていないのかい?」

「あれは一年生の仕事なのですよ。次の生徒が入ったら譲ることになっているのです」

実家がそんなに裕福ではなくお金に不自由している生徒は毎年存在する。

初年度が一番金がかかるので、一年生に割り振られているのだという。

「わたくしは今、刺繍でお金をいただいておりますの」

「刺繍?」

刺繍は貴族女性の嗜みだ。地位のある男性は妻が紋章を刺したマントを身に着けたりする機会も多い。

だが、必需品ではない。クリストファーは趣味に近いようなものだと思っていた。

「他の方の代理で刺すのですわ」

ソフィアはくすりと笑った。

「貴婦人というのは、どうでもいいかたにもご自分で刺した刺繍をお渡しするような必要もございますから」

「いや、そうなのだろうとは思うよ」

公爵家は様々な付き合いも多い。

叔母が苦心しているのはよく見ている。

外注に出していたら自分で刺した刺繍ではないだろうと思いつつも、クリストファーは理解を示した。

「君が刺繍上手だったとは知らなかったな」

クリストファーが彼女を見かけるのは教室か、教授の準備室を清掃している姿だった。

「前はそこまででもなかったです。手に職をつけたいと思って練習したのですわ」

「手に職」

意味をつかみ損ねてオウム返しをしてしまう。

「貧しい貴族の家の娘は何か特技がありませんとね」

「工房に入ったりするのかい」

まさか、という気持ちで聞く。お針子は平民の女性の仕事だ。

ソフィアは笑った。

「さすがにそれは。学園に入れたのですから官僚を目指しております」

それは初耳だったが納得できなくもない。

魔法学園に入学する女子生徒はエミリアのような特権階級の貴族の令嬢や

コネを作りたいそこそこの貴族や裕福な平民の令嬢が多いが、ごく少数、官僚を目指す女性もいる。

ソフィアもそうだったらしい。

「官僚なら必要はないよね」

官僚の世界は男女平等だ。女性であってもあまり女性らしいことはしない。むしろ、普通の男性が妻にしてもらうような身の回りの世話を侍女にまかせていたりもする。

「王都にいたいので、そこで採用されるかどうかわからなくて」

王都の採用基準は厳しい。魔法学園の生徒なら、どこかの地方には潜り込めるものだが、女性が1人で親元でもない地方に行くのもあまりないことだ。

ソフィアは受からなければ他の職も考えているのだという。

「刺繍は家庭教師などをする時に役に立つのです」

ガヴァネスと呼ばれる女性の家庭教師も、貴族女性の仕事としては人気だ。勉強を教えるという仕事内容上、高い教養や学識が求められるし、侍女やメイドよりは格上として扱われる。

女の子に勉強を教えるガヴァネスは刺繍や水彩画も教えるものなのだそうだ。

「エミリアは学んでいなかったような…」

そもそもエミリアはガヴァネスについていなかった。

男子生徒を教える男性の家庭教師、あとは高名な教師が交互で教えに来ていた。

「エミリア様には必要ないでしょう」

立場が違うとソフィアが言う。

同じ貴族でありながら、その在り方はとても違う。

クリストファーのせいではないが、なんとなく申し訳ないような気分にさえなる。

自分が恵まれた位置にいるというのはわかっているし、そのために自由がきかない立場でもあると思っている。

でも、それは結局は恵まれた坊ちゃんの不満だ。はっきりした貧しさには太刀打ちが出来ない。

女性の身で仕事つくことを選び、そのために努力するソフィアは尊敬に値するが、同時に可哀想だとも思う。ただ、それを言うと彼女の矜持を傷つけるともわかっていた。

「わたくしは、自分は不運だとは思いません」

言葉に出さなくても伝わったのか、不意にソフィアがハッキリと言った。

「家は貧乏ですけど、食べるものに困るまでではございませんし。もっと貧しい家もあるでしょう」

上を見ても下を見てもキリがないと言う。

「今、この場にいるわたくしとして、出来ることをするだけです」

いいな、と思った。

置かれた状況に腐らず努力し続ける。その心根が美しい。

どうして彼女に惹かれるのだろう。

美人だからだと思っていた。

でも、中身のほうがもっと美しい。

「では、わたくしはこちらから参りますので。ここで失礼いたします」

学園の近くまで来てソフィアが方角を変えた。

「送っていくが」

時間が遅くなっていて、少し暗くなってきていた。この辺は治安がいいが、それでも女性が一人というのはよくない。

「ご一緒のところを見られるのは困ります」

ソフィアの回答はハッキリしていた。

「誤解を受けるのはよくありません。お立場にもう少し御自覚を持たれてもよろしいかと」

学園の生徒は皆、学問を志すものとして等しい立場だ。そんな建前は出てこなかった。


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