【番外編】公爵令息クリストファー様の憂鬱5
魔法学園は国中からエリートが集まる学校だ。
授業のレベルは高く、卒業後に国の要職に就くものも多い。
なのに、人格的に優れているわけではないというのはいかがなものだろうか。
ここも普通の社会と同じなのだ。
公爵令息という明らかに身分の高いクリストファーは、なにか被害にあうということはなかったが
残念ながらそういう事案も見聞きした。
一番困るのは、見て見ぬふりをしないといけないことだった。
この学園の生徒のほとんどは親が有力な貴族だ。
本人だけではなく、その派閥を考慮して振舞わなければならない。
面倒なことばかりだ。
今も、3年生の女生徒達が化学準備室に下級生を連れ込むのを目撃してしまった。
この学校は先生も高名な教授を招いているので、準備室的な小部屋が多いのだ。トラブルの元なので改善したほうがいいと思うが
それはクリストファーの仕事ではない。
そうして、いつもは見て見ぬふりをしているのだが、今回ばかりはそうもいかなかった。
連れ込まれたのはソフィアだった。
しかし、女性同士のいさかいに首を突っ込むのもどうだろうか。
悩んだのは数秒だった。
中で物音が倒れるような音がして、クリストファーは思わずドアを開けてしまった。
ソフィアを3人の女子生徒が取り囲んでいる。
3人の女子生徒にも見覚えがあった。
全員3年生で、真ん中にいるのはフォンブロン侯爵家の長女アマリアだ。
年齢的に次女のほうがフィリップの妻にちょうどいいということで、あまり実家からは期待されていない。
クリストファーも顔見知り程度で、正直、あまりよくは知らないが、妹に嫉妬してきつく当たっているという噂は聞いたことがあった。
ソフィアを見ると、小さく首を振った。
構うなという合図だ。下手に助けると後々面倒だということでもある。
どうにも見くびられたものだ。
「なにか、物音がしましたが。どうかされましたか?」
ごく上品に。偉い大人向けの公爵令息の表面を取り繕う。
目をやると、実験器具が転がって本が落ちていた。
全員、貴族令嬢のはずなのだが、なにかクリストファーの想像を超えたことが行われていたらしい。
「いえ。わたくしたちも、物音がしたので」
アマリアは堂々と言い切った。
「器具が落ちたのかな。不安定に置いていたのでしょう」
検分する。実験につかう薬品の粉がこぼれている。
「ああ、これはよくないな。アマリア様の服についてしまう」
クリストファーはそっとアマリアを出口のほうに誘った。
そしてソフィアに言いつける。
「君、1年生?ここを片付けておいてくれないか?」
「はい」
うつむいたままソフィアが答える。
そのままアマリアを誘導して行く。いきがかりで彼女とお茶をしないと行けなかったのには参ってしまったが。
その場でアマリアから最近の下級生は礼儀がなっていないという話をされた。
どれもこれも取るに足らないようなことで、そんなことを難癖をつけられたら一年生も大変だろう。
「身分の低いものの礼儀が足りないのなんて、当たり前のことではないですか」
クリストファーはいかにも理解者であると言わんばかりの微笑みを向けた。
「アマリア様が気になさるようなことではございませんよ」
「そうかしら」
「下々の者と話すだけ時間の無駄というものですよ。ご友人ではないのでしょう?」
話しながらクリストファーはアマリアはあまり賢くないと感じていた。
年齢がすこし上でも、それを補うものがあれば、実家も彼女の使い道を考えたことだろう。
そんな彼女を言いくるめるのは簡単だった。
聞き出したところ、3年の見た目の良い男子生徒がソフィアを可愛いと言ったとかで、本当にくだらなかった。
しかし、ソフィアが恩に着たみたいなので、それはそれで良かった。
次に会った時に感謝を述べられたし、普通に話せるようになった。
そんな風にして季節は過ぎて。
夏休みに家に戻ると、宰相である父は家にいなかったが、妹のエミリアが嬉し気に出迎えてきた。
「おかえりなさい、おにいさま」
まろやかな白い頬が薄い薔薇色に染まっている。
エミリアは13歳になった。育ち盛りのエミリアは、見るたびに女性らしさを増し美しくなるように思われた。
しかし、その表情はまだまだ子供らしい。
「ただいま。今日はどうしていたのだね」
「植物学の先生がお見えになっているということで、王宮までお招きをいただいておりました」
名前を聞くと高名な教授だった。フィールドワークということで、田舎のほうで研究をしていたらしい。
「王都にお戻りになったので、そのうち魔法学園でも授業をなさるかもしれないということでした」
「へえ。それは楽しみだ」
そんな立派な教授が来て、何故エミリアが会うのかというのは見当がついた。
フィリップの為に呼んで、ついでに呼ばれたのだ。
フィリップの母である王妃はエミリアを息子の婚約者にしたいという意向を持っている。
公爵家という高い身分とともに、おとなしく、人の言うことを聞きそうな性質が好まれてるのだ。
そのため、こういう機会があると招かれるのだ。
「殿下はお変わりなかったか」
「お元気でしたよ」
言ってエミリアが思い出し笑いをする。
「とても、お元気でした。先生の机にカエルを仕込んでいて」
蛙。
「ちょうど、ご挨拶の時に、ぴょんって出てきたのです」
このくらいの蛙だと指で形を作る。
教授が驚いて、とても面白かったらしい。
いつもおとなしいエミリアが楽しそうにしているのはクリストファーにとっても楽しいことだ。
しかし、さすがに蛙で教師を驚かせるとは、フィリップはもう13歳、あまりに子供っぽくはないだろうか。
教授を驚かせるのであれば、その分野の知識などであってほしいものだ。
そうこうしているうちに父親である宰相、公爵が帰ってきた。
どこか疲れの滲む顔つきに、クリストファーは疑念を抱いた。
識者を読んで講義をさせるというのは、警備上、手間のかかることだ。あまり大きな問題を抱えている時分には行われない。
なので、王宮は今、落ち着いているのだと思っていた。
「クリス。話がある」
父は言った。
執務室で2人きりになった時に、クリストファーは父親がひどく疲れていることに気が付いた。
公爵は常に冷静で態度を変えることがない。
ただ、エミリアの前では決して見せないが、時折、何かあったのだなと感じることがある。
話してはもらえないし、しばらく経ってから、政治的な動きで、あの時のことかと察したこともあった。
「ところで、騎士学校に、アルフレッド・グレーデンという生徒が入学したのは知ってるか?」
「存じ上げません」
クリストファーの友人で騎士学校に入ったものはいなかった。
彼の友人知人は高位貴族が多く、そのほとんどが魔法学園に通う。
「兄のほうしか付き合いがないのですが、オルト伯爵家の弟が騎士学校に入ったとは聞いております」
夏休みだし、さりげなく家族ぐるみで遊びに行くのは可能だろう。
「当たってみたほうがいいでしょうか」
グレーデンという名を持つなら、辺境伯の縁者だろう。
去年、アルフォンス殿下と会った時に、調べなおしたがクリストファーの記憶にはなかった。
縁戚の中でも遠いほうだろうか。
「その必要はない」
父が言った。
「アルフォンス殿下は魔法学園に入学なさらなかった」
それはクリストファーも知っている。一学年が100人程度だ。クラスメイトはもとより、隣のクラスでも大体は把握している。
それをこの流れで持ち出されるとは。
「まさか」
「遠くからお顔を拝見したよ」
公爵が見た少年は、アルフォンスだったという。
「よくもまあ、バレなかったものですね」
「騎士学校だ。王太子殿下の顔を見たことのある生徒などおらんよ」
「しかし、先生方は」
言いながら考える。
もし、騎士学校の関係者がアルフォンスを知っていたとしても、それは幼く、病弱だったころの彼だ。
頭の中で結びつかなかったとしても不思議はない。
「騎士団長は」
それでも、絶対にアルフォンスを知っているはずの人物に思い当たった。
「訊いた。田舎にいて世間を知らないので、騎士学校で市井の感覚を学びたいと言われたそうだ」
「それで入学させたのですか」
騎士団長は武勇ばかりが取り沙汰されがちだが、思慮の深い人物だ。公正な人格者でもある。
「王子が身元を隠して学校に入ることは前例があるそうだ。本人の成長を促し、他の生徒達を動揺させない為に
益のあることとして法律上の特例として認められている」
「それは存じ上げませんでした」
「私もだよ」
騎士団長も知らなかったが、結果的に許可されたらしい。
「でも、それでも、国王陛下の許可は必要なのではないですか」
「許可もあったらしいよ」
書類はすべて整っての上だったそうだ。
「しかし、何のために騎士学校に。魔法学校にだって入れたでしょう」
あの王子ならば、入学試験を合格できるだけのものを備えているのではないか。
それに、もし合格ラインに達していなくても、王家の王子が落ちるということはない。
「さあな。ただ、アルフレッド・グレーデンはその剣術と博識と人格とで学内を掌握しているらしい」
次代を担う騎士の雛たちは、すっかりその同級生に心酔しているという。
学内ばかりか、騎士団の騎士たちとも交流を深めていて、宰相のところに話がきたのも
『将来有望な学生がいる。魔法も使えるようで、魔法学園に転学はできないか』という話が
部下のところにあったからなのだそうだ。
「それは、殿下が武力を得ているということでいいでしょうか」
行使しないことに越したことはないが、武力を持っているというのは重要なことだ。
「驚きですね」
「本当にな」
公爵は溜息をついた。
「そうも言っておれんので、本人にもお会いした」
なんと言ったのだろう。
「騎士学校で市井のものの意見を知り、国政に活かしたいと思ったから入った、と」
「魔法学園に入る気はなかったのでしょうか」
「卒業後に入る、とおっしゃられたよ」
いったん卒業してから入りなおすということか。
魔法学園の入学資格に年齢制限はない。その才能を備えたものであれば、誰にでも門戸を開く。
味方を増やすために、両方に入るというのも悪い話ではない。
騎士学校を卒業してからと言うと、自分と入れ替わりになるのだなとクリストファーは計算した。
そして気づいた。
「フィリップ殿下と同学年と言うことになりませんか」
「そうだな」
「以前、ご自分とフィリップ殿下で、人間性で判定してほしいとおっしゃっておいでではなかったでしょうか」
13歳でいまだ教師に蛙をけしかける弟と。
「どうにかしてそれだけは避けたいのだが」
同じ学年で並ぶことだけは困ると父宰相はこぼした。
それはそうだ。同学年となると、どちらが栄えある魔法学園の生徒会長を務めるかといった問題も出てきてしまう。
アルフォンスは6年後と言ったかれども、3年後には戦争が始まってしまう。
「殿下は以前、フィリップ殿下が大人になったら、とおっしゃっておられました。入学時となると早くないでしょうか」
「3年かけて人物を視ろということかもしれん」
それはそうかもしれないが。
考え込んでいると、父がクリストファーに向き直った。
「なので、おまえはどこかに留学に行け」
「は?」
「それで魔法学園は休学して、殿下が入学される時に戻ってきなさい」
言葉が出なかった。
「殿下の身近にいて、状況をコントロールできる人間が必要だ」
言わんとすることは理解した。
しかし。それはあまりではないか。
「とても、重要なことだ」
納得できない。が、抵抗の返事をクリストファーは持たなかった。
父の言うことは常に正しく、反論の余地がない。
今も、クリストファーは、それが政治的に良いことだと理解している。
瞼の裏に、ソフィアの慎ましい微笑みが浮かんだ。




