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【番外編】公爵令息クリストファー様の憂鬱4

クリストファーは15歳になった。この王国で選ばれたエリートのみが通うことを許される王立魔法学園に首席で入学した。

魔法学園は生徒が誰であっても全寮制だ。

王都、それも魔法学園のすぐ近くに豪奢な自宅があるクリストファーでも。

妹のエミリアは寂しがっていたが、クリストファーには不思議な爽快感があった。

学校でも、生徒たちのみならず先生までもが、彼を宰相の息子、公爵令息という目で見るが、それでも、父からの無形の重圧や

叔母からの期待のない生活は、彼の心を浮き立たせた。

国内外からエリートの集まる学校だけあって、生徒たちのレベルも高く、雑談として話す内容も興味深い。

自分が少し箱入りだと感じたのも、この頃だ。

これまで付き合いのあった高位貴族の子息たちは、多かれ少なかれクリストファーと似た環境で育っていた坊ちゃんで

下位貴族や平民と話すと、随分と育ちの差が出るものだと思い知らされた。

将来、父の跡を継いで宰相になりたいと思うクリストファーには何もかもが勉強だった。

特に政治学の教授と近づきになれて、政治学準備室に出入りする許可を得たのは大きかった。

準備室にはたくさんの書物が置かれている。図書室にもあるが、図書室は他の生徒たちも勉強するので、注目の的になりやすいクリストファーには少し居づらい。

ゆっくり調べ物ができるのはありがたかった。

そんな中、クリストファーは何度か同じ女子生徒が準備室を片付けているのを見た。

服装は制服でアクセサリーもつけず、地味な装いだが、よく見ると鼻筋が通っていて切れ長の目が美しい。

目が合うと、にこりと控えめな会釈をする。

それは、いつのまにか、資料以上の楽しみとなっていた。

準備室は教授が授業をするための控室なので、図書館のように分類されておらず、書類も適当に置かれている。

しかし、彼女の整頓の仕方はわかりやすく、彼女が手を入れた後はとても使いやすかった。

隅々まで清掃されていて、きちんとした性格がうかがわれる。

彼女が隣のクラスの伯爵令嬢で、ソフィア・フィルニーという名前だと知ったのは、入学して3か月めに差し掛かった頃だった。

名前を知ると、他のことも知りたくなった。話してみたい。

しかし、坊ちゃん育ちのクリストファーは、紹介されない女性と話すことが出来なかった。そもそも社交以外の付き合いというのが苦手だ。

貴族同士の社交では、やっていいことと悪いことがはっきりしている。

まずは紹介されてから、しきたりに沿って親しくなる。

その親しくなる対象に、女性は入っていなかった。

クリストファーの立場で婚約者でもない女性と親しくなるのはリスクがある。

身分違いの女性と過ちを犯して結婚するようなことになってはならないので、その方法は伝授されなかった。

入学して3か月ともなると、平民や婚姻に対して特に制限の掛らない生徒たちは、

男女でも親しくしているようで、クリストファーはこっそり、その様子を観察した。

そして、女性に対しても、まずは挨拶的な声かけからで良いという結論になった。

だが、理解したことと実践できることは別で、挨拶すらもできないということが続いた。

転機が訪れたのは、ある放課後だった。

クラスメイトに自分も準備室で見たい資料があるから連れて行ってくれと頼まれたのだ。

アントニーという名のそのクラスメイトは男爵家の子息ながら、とても成績が良かった。

「うちは領地が狭いから、交易に力を入れたいんだ」

明るい性格で、公爵令息のクリストファーにも物怖じするところのない人物で、クラスメイトとしてはとても付き合いやすい。

便宜を図ってほしいようなことを言ってこないのもいいところだった。

二人で連れ立って準備室に入ると、ちょうどソフィアが本の整理をしているところだった。

「やあ。君も1年生だよね。隣のクラスの」

アントニーはとても気軽に声をかけた。

「僕はアントニー・ドルップだ。こっちはクリストファーって知ってるか、有名人だから」

アントニーが笑うとソフィアもつられたように笑った。

それがいつもの控えめな微笑みと違って、明るいものだったことに衝撃を受ける。

「存じ上げておりますわ。わたくしは2組のソフィア・フィルニーと申します」

優雅に膝を折る。

クリストファーも名乗った。ソフィアの眼差しがまっすぐ自分に向けられて、つい目を伏せてしまった。

「どうしてソフィア嬢がここの片付けをしているのかい?」

アントニーが聞く。それはクリストファーも気になっていたところだった。

「アルバイトです」

ソフィアはこともなげに答えた。

「教務課から、家が貧しい生徒にお話しが回ってくるのですよ」

「それは知らなかったな」

アントニーが驚きの声を上げる。クリストファーも知らなかった。

学内清掃は専門の清掃スタッフが行っているが

教授の部屋や準備室は個人秘書などが担当しているのだそうだ。

本の仕分けなど、ある程度の知識が必要とされるからということだが、

そこを学生にさせた場合に謝礼を出すという形らしい。

「ここは優秀な生徒を育てるということで学費は無料ですが、寮費はかかります。

そういった諸経費の後払いを希望している生徒に対して、お話をくださるようですね」

国内外の優秀な生徒の集う魔法学園に、お金が無いという理由で入学できないということがあってはならない。

それはクリストファーも知っていた。

しかし、実際に入学しているのは貴族や平民なら非常に裕福な家の生徒が多い。

何故なら、子供は労働力だ。試験に受かるほどの勉強や魔法の訓練は余裕がないとさせられない。

「実際にお話をいただいている人数は、そう多くはいませんから、皆さまご存じないでしょうね」

100人いる学年で一桁くらいだという。誰が該当者か、学園は他の生徒にそれを明かすことはしていないが

そういう生徒たち同士での助け合いのネットワークはあるようだ。

「恥ずかしいと思うのか、言いたがらない生徒も多いのですが、わたくしは特に隠すことだとは思いません」

アントニーと話していたソフィアがちらりと横で黙っていたクリストファーを見た。

「ここにいる生徒は、将来、国の政治に携わることも多いでしょう。そういった知識があって悪いことではないと思います」

「いやあ、本当にそうだよな」

答えたのはアントニーだった。

クリストファーは自分に向けて言われているのだろうと察したが、上手い返しが思いつかなかった。

なにか、気の利いたことを言えればいいのに。

ソフィアはそれっきりクリストファーの方を見なかった。

アントニーはまだソフィアに話しかけている。本の並び順を訪ねているようだ。

考え込むように傾げた首筋がとても優雅だ。

クリストファーはその様子をぼんやりと眺めるだけだった。

その日の仕事は終わり際だったらしく、ソフィアはアントニーに目当ての本がどこにあるかを教え、部屋を去った。

本は貴重だ。

特に新しい学術書は持ち出しが許されないので写すしかない。

「さっきの態度はどうかと思うよ」

該当箇所を書き写しながらアントニーが言った。

「さっきの?」

「ソフィア嬢に対してのさ。正直、感じが悪かった」

意外な言い分に、クリストファーの資料をめくる手が止まった。

「特に何も言っていないけど」

「それがどうなのかという話だよ。世間話の一つくらいしてもいいだろう」

「いや、話は興味深かった」

「じゃあ、なんで話に参加しなかったんだ?」

何故かと問われると特に理由はなかった気がする。

ただ、ぼんやりと話す彼女を見ていた。

「いきなり知らない人がいたんで警戒したのかい?」

「いや。彼女は、時々いたよ」

これまでにも見かけたことを話すとアントニーは目をぱちくりとさせた。

「え?知り合いだったのか?なら、君が紹介してくれよ」

「言葉を交わしたのは今日が初めてだよ。むしろ、君が声をかけたのに驚いたんだが」

クリストファーはあのように気安く女性に話しかけたことはなかった。

同じくらいの年齢の令嬢が、気安く言葉を返してくるとも思わなかった。

「学校とはそういうところだろう」

アントニーは魔法学園に入る前にも予備校的なところに通っていたという。

そういうところで慣れている生徒は『学校だから』と考えるようだ。

言われれば、学内は皆、特に気負いもなく話している。

「僕は君が身分で態度を変えないのを知っているが、ソフィア嬢は、自分が貧乏な伯爵家だから相手にされていないと思ったかもな」

そういうつもりではなかった。

彼女を傷つけただろうか。

それは嫌だ。人からの評判など気にしないクリストファーだったが、その時ばかりは気にかかった。

次にソフィアを見かけた時に、謝ったほうがいいかと思ったが、謝るのは違う気がする。今更だし、わざわざ言われるのも困るだろう。

しかし、無視するのはもっと違う。

なので、ただ、挨拶をした。

「こんにちは」

「ごきげんよう」

とりあえず挨拶をすると、ソフィアがニコリと笑みを浮かべて挨拶を返してきた。

地味で目立たない装いをしているが、やはり清楚で美しい。

「今日は領地の境界紛争について調べにきたんだ」

「でしたら、この辺りにまとまっていたと思います」

奥の方の棚を案内してくれる。

「詳しいんだね」

「任されておりますもの。それに、この部屋の中のことだけですわ」

ソフィアが本を取り出そうとして手を上げた。指にタコがあった。

貴婦人は手を使うような仕事はしない。この部屋の掃除などを請け負うソフィアは、そういった意味では貴婦人ではない。

侍女がいるわけでもないし、自分のことは自分でして、家の仕事もするのだろう。

クリストファーとは身分が違う。

それをまざまざと思い知らされたが、それでも、その手を美しいと思った。

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