【番外編】公爵令息クリストファー様の憂鬱3
翌朝、辺境伯から領地の視察を提案された。
せっかくこんな遠方まで来たのだから、土地を見るのも宰相の務めだという話だったが
おそらくアルフォンスが本館では会わないから、ということなのだろう。
領地は辺境の地としては驚くほど落ち着いていた。
辺境は魔物が多い。そのため、どこも貧しく、対策には国も頭を痛めている。
何処も視察の際には隠しているが、わかっていれば、貧民窟のようなところがあるのが普通だ。
しかし、ここは建物はしっかりして、村人の衣服も華美ではないが清潔で荒れていない。
物乞いも目立つところにはいないようだ。
それとも、書物だけで学び、実地訓練の足りていない自分にわからないだけなのだろうか。
クリストファーは周囲を見渡した。
「このへんはあまり特産品がなかったと思っていたが」
父も宰相として気になったようだ。
この辺りには魔物が多く、その対策にお金がかかる。また、国の北方に位置するこの領は気候も厳しい。
魔物が多い分だけ、そこから守ってくれる領主への領民の忠誠心は厚く、やりかた次第ではよく働く。
グレーデン辺境伯はそこを上手くやっているのだろうか。
辺境伯が畑を指した。
「2年前から麦の種類を変えました。寒さに強い品種を育てているところがあって」
「それはいい」
そこから話が農業に移る。他にもいろいろ取り組んでいる事があるようだ。
しかも、それはここ最近のことばかりだ。
「ここに来てしばらくの頃でしたか。領地経営がしてみたいと言い出しましてね」
辺境伯が言った。誰が、とは言わなかったが、すぐにわかった。
他の人物の話をするわけがない。
「いずれは国を治めるのだから、今のうちに経験を積みたいと言われて。当時はなんの子供の遊びかと思ったが、」
クリストファーは賢いと言われて育ったので、すぐにこの話がどこへ向かうかを理解した。
子供だと思って、それでも、支障のない範囲でやらせてみたのだろう。
そして、結果を出したということだ。
クリストファーはもう一つ気づいていた。
『いずれは国を治める』そう言ったのであれば。
アルフォンス殿下は国王になる気があるのだ。
なにもおかしい話ではない。王太子なのだから、将来を見据えて行動するのは当たり前だ。
「しかし、少し豊かになると、それを狙ってくる賊も出てきましてね」
最近は山賊に悩まされているという。
「昨日の賊はずっと追っていたのですが、なかなか尻尾をつかませなくて。客人に御迷惑をかけることになってしまった」
「いえ。その。見事な腕前でしたな」
ずっと聞き役だった父親が踏み込んだのがクリストファーにはわかった。
「お恥ずかしい。いつもはあまり無理をしないのですが。皆様に見せたかったのですね」
腕自慢とは子供っぽいと辺境伯は評した。
終始、未熟な我が子のことのように話すが、あれは子供の剣技ではなかった。
クリストファーに身近に、あれだけの腕を持つ子供はいない。
そして、なんのためらいもなく人を斬ることが出来る子供もいなかった。
午前中いっぱいで、他にいくつか工場なども見せてもらって、休憩を取ることになった。
製糸工場の横に倉庫があり、おそらく通常は積み荷を降ろすであろう空き地に、テーブルや椅子がセッティングされている。
椅子は4つ。
周囲は拓けており、どこかから誰かが近づいたらすぐにわかる状況だ。
クリストファーと公爵、辺境伯のみが席に着いた。護衛すら声の届かないところに待機している。
後ろからそっと飲み物が差し出されて、その冷たさに感心する。
グラスは3つしか置かれなかった。アルフォンスはまだ、姿を見せないということなのだろうか。
「用心深いな」
「必要があってしていることなので」
涼やかな声の返事が聞こえた。
その時初めて、クリストファーはグラスを置いたのが王太子アルフォンスであることを知った。
優秀なウエイターは自分の存在を感じさせないと言うが、まさかのことに言葉を失う。
アルフォンスは音もなく空いた椅子に腰かけた。
確かに、優美な面差しは弟のフィリップに似ている。
「おひさぶりです。4年ぶりになりますか」
声をかけてきたのはアルフォンスだった。
「そのようですね。ご健康そうでなによりです」
ご健康そうと言われたアルフォンスは面白そうに眉を上げた。
「腹の探り合いで時間を無駄にするのは望むところではないんだ。率直に言わせてもらうけれど」
強い眼差しがまっすぐにこちらぬ向けられた。
「僕は国王になるつもりがあるけど、無益な争いは好まない。味方になって欲しいとは望まないが、あと6年ほど待ってほしい」
6年とはまた、具体的な数字が示される。
「両方が大人になったくらいで、どちらが王にふさわしいか判定してくれて構わない、ということだ」
人間で判断しろという。ずいぶんな自信家だ。
「もう一度言うけど、僕たちが大人になるまで派閥で争いあって国力を消耗させるのがいいことだとは思わない。
それぞれの神輿でどちらが国に有益かで決めてもらうほうが民にとってはいいだろう」
「あなたのほうが年上なのに?」
年齢が上なのに、出来上がった有能さで判断しろというのは不公平だろうと父が言った。
「法に則れば、王位に就くのはそもそも年齢順だよ」
アルフォンスは笑った。
「それに、向こうは後ろ盾も込みだから、そこまで不公平とも思わないが」
「あなたの口ぶりだと、フィリップ殿下を敵だと認定しているように思われますが。
年若い弟を、そこまで警戒するものですか」
「そういう無駄な議論はしたくないな」
穏やかな微笑みは余裕を感じさせる。
「私が待たなかったらどうなりますか」
「手札を出すだけだけど、そうなると荒れるね」
なにが、とは言わなかった。
手札とはなんだろう。クリストファーは考えたが、どうにも思い付かない。
「それで、今までここに来た皆様は納得されたのですが」
報告書を思い出す。嘘ではないが真実からは遠い報告書を。
「彼らの負担になるようなことはお願いしていないからね」
実際そうなのだろう。報告して、魔法で精査されても嘘ではないと判定されるようなことだ。
王妃側の派閥から睨まれることはない。しかし。
「私は何と持ち帰ればよろしいでしょうか」
父親の言葉に、クリストファーは驚いてその横顔を見つめた。
まさか、厳格な父親がこんな子供の意向をうかがうとは思わなかった。
「そもそもは婚約者の打診だったね。お断りしてくれ」
「断り、ですか」
それはそうだろう。国王になるつもりで、後ろ盾が無いことを心得ているなら、伴侶は国内の有力貴族がいい。
しかし、そう言ってしまうのは、待てと言う話とは矛盾する。
「そもそも、婚姻する相手はもう決まっているんだ」
「どなたですか?」
公爵が質問している間に、クリストファーは頭の中で有力な令嬢のリストを引っ張り出した。
グレーデン辺境伯に似合いの娘がいれば話は早いが、ここには未婚の令嬢はいない。
「リリーナ・ウィレット」
「どなたですか?」
そんな貴族の家があっただろうか。聞き覚えがない。公爵も怪訝そうにしていた。
宰相である父とクリストファーがすぐにわからないなら、末端の男爵家あたりだろうか。少なくとも、援助を見込めるほど有力な家ではない。
「名前しか知らないんだよね。でも、彼女は僕の運命の乙女なんだ」
そんな馬鹿な話があるか。
「もう、4年前になるのかな。僕は女神の御使いだという少女に会ったんだ。
僕の妻は彼女以外ではありえない」
クリストファーは茫然とアルフォンスを見た。
何故、いきなりそんな夢のような話になるのかと。
「かしこまりました」
父が了承したのにも、クリストファーはまた驚きを感じた。
「殿下には想い人がいて、婚約者の件は受け入れられなかったと報告しましょう。
詳しくはお伺いできなかったものの、その女性は貴族ではないようで、これから身元を洗うとも」
ああ。そういうことか。
王妃側の意向は、アルフォンスに後ろ盾のない女性を娶らせたいということにある。
こちらが薦めた女性でなくても、別の女性、結婚相手としてふさわしくない女性にうつつを抜かしているということであれば
同程度の成果は得られるということだ。
身分違いの女性との醜聞が見込めるとあれば、しばらく静観もされるだろう。
クリストファーは納得しつつも釈然としなかった。
同年代で、こんなにもつかみどころがない相手はいなかった。
あとから、公爵に、彼の言うとおりにするのかを尋ねたら、公爵は難しい顔をした。
「我々が出遅れたのだよ」
公爵は言った。
「もっと早くに気付いていれば違ったのだろうが。アルフォンス殿下は既にかなりの貴族を味方につけているだろう」
「味方にですか?中立でいいと仰っておられましたが」
「選択肢を残して相手に負担をかけていないだけだ。いざ、フィリップ殿下と比べた時にどう思う?」
フィリップ殿下の印象は、普通の子供だ。
もちろん、王家の子供らしく、勉学も剣術もよく学んでいて、出来もいいという評判だ。
ただ、先程の兄と比べてるとどうしても劣る。
しかも、フィリップの母親である王妃は実家の派閥に利益を流し、そうでない家は冷遇されている。
「クリス」
「はい」
「あの王子と接触しなさい。出来れば、彼の言う『手札』が何か探れればいい」
それは珍しく命令系だった。
アルフォンスは結局、夕食にも参加しなかった。
もてなしとしての正餐のあとは、大人たちだけで酒を嗜むのが貴族社会の習慣のようなものだ。
クリストファーにはまだ参加が早いということで、先に部屋に戻ることになった。
これは、アルフォンスを探せと言う父の指令なのだろうかと、頭を悩ませながら廊下を歩く。
いくら宰相の息子とはいえ、知らない屋敷を探るのはとても失礼だ。
もう少し幼ければ子供の好奇心で押し通せるかもしれないが、15歳のクリストファーではとても無理だ。
探したけれども見つからなかったということにしようと、諦めたとき、奥の部屋から光が漏れているのが見えた。
クリストファーは時々、自分は運が悪いのではないかと思う。
この国でも有数の裕福な家に生まれて、美貌と頭脳の持ち主だとの自覚もあるというのに、ツイてないなと感じることがある。
なんだか憂鬱だ。
部屋に近づくと、ひとりでにドアが開いた。
「どうぞ」
聞き覚えのある通りの良い声がした。
クリストファーはノックもしていないし、入るつもりもなかったのだが。
呼ばれてしまっては、どうしようもない。
中は執務室のようだった。
書棚が並んで、中央に一枚板の大きな机がある。
手前で開かれているのは税法の本だった。
「困ったな。ここで君に会うわけにはいかなかったのに」
少しも困っていなさそうにアルフォンスは言った。
「私は経験を積むために帯同させていただいたので、報告書を出す立場にはありません」
「それは助かる」
アルフォンスは書類に何かを書き込むと、さらさらとサインをした。
右側に何枚か積んであり終わると左の箱に移されていた。
座るようにと手ぶりで示されて、クリストファーは横のソファに腰かけた。
目線の高さ的に、書類を持ってきた人間が座るもののようだ。
「それで。何か経験できた?」
クリストファーは答えに困った。
確かに珍しい体験をした自覚はある。普段は驚いた顔を見せない父親も驚いていたので、なかなかないことなのだろう。
「いい体験にはなったと思います」
前評判はあてにならないし、魔法印を使った報告書にも抜けを作ることが可能だということを。
だが、それは、皆が協力してこそだ。
誰かが王妃に告げたら、すぐにわかることだ。
しかし、アルフォンスは言ってもかまわないような口ぶりだった。
そうされても対応の余地があるようなことを。
「手札というのは何ですか?」
つい口をついて出て、クリストファーはしまったと後悔したが、アルフォンスは気を悪くしたふうもなく、書類仕事の手を止めた。
「さっき、聞かれるかと思った。宰相閣下も君も遠慮深い」
「聞いても良かったのですか」
「もちろん」
アルフォンスは頷いた。
「攻撃された時の証拠を押さえているんだよね。誰がどうとは言わないけど」
言わなくてもわかる。王妃の陣営が目の前の王子に対して、なにかを仕掛けたということだろう。
もしそれが法に触れるものであったりしたら、内容によっては非常に問題になる。
ただ、証拠が曖昧なものであった場合は逆に攻撃される材料にもなるだろうし、
王妃陣営が知ったら揉み消しを図ることにもなるだろう。
「私に明かしてもいいのですか?」
「いいよ。そう言われても数が多すぎて、向こうもどの件かわからないかもね」
複数あったのか。クリストファーは驚いた。
クリストファーは宰相の息子として、派閥争いの噂などはよく見知っていた。
育ての母である叔母は口やかましいと同時に口の軽い人でもあり、本来なら子供には聞かせてはならないようなことも聞いた。
しかし、裏での暗闘までは把握していない。
「まあ、のんびりしていらっしゃるよ。僕ならすぐに実行犯の口を封じる」
侮られていたからと15歳の少年が言う。
王妃の側が、彼を子供だと侮って不手際を犯したのであれば、それは重大な失策だろう。
ここに来てからずっと、彼がグレーデン辺境伯に操られていたのではないかという疑いもなくはなかったが、その考えは消え失せた。
アルフォンスはきちんと心得た上でやっているようだ。
と、同時にどこか無防備で危うくも見える。
「上手くいかなかったりとか考えないのですか?」
「それならそれでいいと思っているんだ」
不思議なことをアルフォンスは言った。
「昼間言ったことは本当のことなんだよ。女神の御使いに会ったということ」
「まさか」
「事実だけをいうなら、女神リリーナと同じ名前を名乗る女の子と会った。彼女は僕を助けた。
彼女が本当に神の御使いかどうかはわからないけど、それで僕は自分の運命を信じてみることにしたんだよ」
だから、運が尽きたらそれだけだったということだ。
アルフォンスはそう締めくくった。
話しながら書き込みが成されていた書類もあらかた片が付いたようだった。
その後、どうなったかクリストファーは知らない。
しかし、婚約の話はなくなったようで、アルフォンスが田舎の地で地元の少女と親しくしているという噂だけが漏れ聞こえてきた。




