伝承
その後のことははっきりとは覚えていない。気がつくと夜が明けていて、私は自室の扉の前で眠っていたところを管理人さんに発見されたのだった。
「そうですか… もしかすると、それは迷家なのかもしれませんねぇ…」
迷家、管理人さんの故郷で伝承される妖怪話の類い。欲の無い者が山奥で迷うと現れる不思議な家。その家にあるものは一つだけ持ち帰っていいという…
「最近は『そういうモノ』も現代に合わせて変化していると聞きます。迷家もそうなのでしょう。大きな仕事をやりとげて、残業続きで疲弊して、無欲な状態になったからこそ出会ったのでしょう…」
管理人さんの話を聞いて少し安心する。それほど危険な存在ではなかったようだ。
「そうなんですね。じゃあ、私も何かもらってくればよかったですね」
安心して気が抜けて、そんなことを言ってしまう。すると管理人さんが少し怒った口調で言った。
「欲をかけば家に喰われるぞ」
と…
思えば、私は美味しい食事をいただいた。それが『一つ』なのだとしたら、それ以上を望んでいたら…
最初に感じた「ヤバい」という感覚は間違っていなかったのだろう。もし、他の欲求も出てしまっていたら… そう思うと、背中の熱が消えてゆく感覚を思い出し身震いするのだった。
変な欲を出さず、精一杯頑張って生きていこう。時には本能に従おう。そして、もう出会うことのないように心身ともにちゃんと休んでいこう。いつか、本当の理想に巡り会えるように。