第95話 頼れる背中
バトルドーム、メインスタジアムの端に天羽によって造られた光る樹木の仮設シェルター。
その中はたった今入った朗報によって湧いていた。
『第三班班長、クラウス・バゼットが敵主力の一角。レート7:悪鬼闘神の大嶽丸を撃破』
特務課の強さを知っていながらも、民衆の中には不安が蔓延っていた。
レート7クラスの怪物八体とそれを使役する謎の存在。
加えて、特務課と陸自の戦力の半分が仮想空間に閉じ込められている現状。
不安に思わないはずがない。
そこに入ったこの情報は、民衆の心を落ち着かせるに十分なものであった。
しかし、その情報を伝えた糸魚川の心中は穏やかではなかった。
彼は方舟を介して日本各地の戦況を見守っていた。
正直に言うと、戦況は悪い。
最悪とまではいかないが、敗北してしまう可能性も十二分にある。
「クラウスさんには撃破次第、バトルドーム南部の救援に向かって欲しかったんだけど、あの傷じゃぁ難しいな」
朝陽のいるオホーツク海沿岸。
柳洞寺のいる京都府嵐山。
シュメルマンのいる栃木県那須町。
ウォルターのいるバトルドーム北部。
これらの地域は正直何の問題もない。
何れもレート7相当の強さを持つ規格外達だ。
特に、朝陽と柳洞寺は撃破次第、救援に来てもらうことだって容易だろう。
危ういのは、バトルドーム南部。
そして、メインスタジアムだ。
(バトルドーム南部には静さんとルミさんがいるけど、正直勝てるとは思ってない)
静とルミは確かに強い。
彼女達ならレート7だって倒すことはできるだろう。
それがレート7でも下位の実力者ならば。
糸魚川は方舟のディスプレイに表示されたデータを睨み付ける。
(あの光の柱が舞い降りた瞬間から、各地の怪物の強さが爆発的に跳ね上がった。元々レート7下位相当の強さはあったけど、今は上位クラスの力、中には最上位に相当するものだっている)
レート7と一口に言っても、幅がある。
最低条件として世界規模の災害を起こせるという基準があるものの、その程度は様々。
同じレート7でも、神の力を得る前の大太郎法師が五万と集まろうとも朝陽には太刀打ちできないように、同じレートでも下位と最上位では天地ほどの差がある。
(二人なら大丈夫だと信じたい。……けど、)
特務課第五班としての糸魚川は、二人が救援が来るまで生き残ることを信じている。
だが、戦闘員を後方支援する立場としては、間に合わないと判断せざるを得ない。
(だけど、時間稼ぎ要員を送ろうにもその人員がいない! 高専生徒ならば、って藁にもすがる想いで託したけれど……)
糸魚川の視線の先には蘆屋道満によって一蹴された高専トーナメント上位者の姿が映る。
レート6に相当する高専トーナメント上位者でさえもたった三秒しか保たなかった。
八体の厄災が相手ならばもう少し保つかもしれないが、蘆屋道満とは違い、命の保障があるとも限らない。
仮に殺されなかったとしても、数十秒保つかどうかというところだろう、と冷静な判断を下す。
それに、戦力が足りないのはバトルドーム南部だけではない。
メインスタジアムも戦況は最悪だ。
高槻暁、狭間楼流、普羅湊の陸上自衛隊三名が時間稼ぎをしているものの、救援が来るまで保つかは怪しい。
(どうする! どうする!! どうする!?)
救援は期待できない。
時間稼ぎができる人員すらいない。
このままでは確実にバトルドーム南部、メインスタジアムの戦線は崩壊してしまう。
(僕はまた仲間を見殺しにすることしかできないのか……!!)
仲間の死をただ見守ることしかできない。
そんな自分が心底恨めしい。
己にも朝陽のような強さがあれば。
己にも凍雲のような聡明さがあれば。
己にはただ、羨むことしかできない……!!
視界が潤み、握り込んだ拳から血が滴る。
そんな時だった。
彼が所持する携帯端末に一本の連絡が入る。
◇
メインスタジアム。
観客席は最早瓦礫の山と化していた。
仮想空間を構築するドーム状の結界を中心に、ドーナツ状に瓦礫が積み上がる中、八体の厄災が一つ、八岐大蛇はその災禍を存分に振るっていた。
その姿は先までの八つ首の大蛇ではない。
龍の尾が地を打ち、7本のねじくれた角が、膝あたりまで伸びる蒼穹が如く透き通った髪からのぞく。
浅黒い肌に結膜が紫で角膜が金混じりの黒。
右手には身の丈程もある長大な翡翠の剣。
まるで天女の羽衣を羽織っているかのような露出度の高い豊満な胸の女性。
それこそが蘆屋道満によって神の力を授けられた八岐大蛇の姿だ。
「ほうら、そんなものかしら?」
八岐大蛇が翡翠の剣を無造作に振るう。
たったそれだけで暴風が、豪雷が、火炎が、毒霧が、土石流が、大瀑布が、閃光が、重力場が荒れ狂う。
彼女は終始遊び気分で彼らをいたぶっていた。
誤って壊してしまわぬように。
より長く遊べるように。
ほんの手違いで息絶えてしまわぬように細心の注意を払って遊んでいた。
「ハァ、ハァ……、こっちは必死こいてるってのに、……あの野郎、ずっと遊び気分かよ……!!」
大災害を槍で打ち払いながら、普羅が悪態を吐く。
その横で、狭間は迫り来る土石流を居合い斬りで吹き飛ばしていた。
「しかし、これ幸いでござる。もし奴が最初から本気なら拙者達は今頃死んでいるでござる」
普羅はその言葉に苦虫を噛み潰したような顔をする。
それは純然たる事実だったからだ。
神の力を授けられる前でさえ、戦況はギリギリ。
手数の多さと不死が如き再生力を前に成す術がなかったのだ。
それが今や先までの蛇形態時が可愛く思えるほどの強さを得たのだ。
八岐大蛇がすぐに殺してしまわぬように手加減をしているからこそ、戦線を保てているだけ。
この状況が崩れるのも彼女の機嫌次第だ。
「でも、それでいい。私たちの役目は時間稼ぎ。相手が長く遊んでくれるというなら、最後まで付き合ってもらおう」
全ては八岐大蛇の機嫌次第という綱渡りの現状ではあるが、今はこの状況に乗るしかない。
どちらにしろ、彼らに勝ち目は万に一つもない。
救援が来るまで時間稼ぎをするしかないのだから。
「私を除け者にしてお喋りだなんて妬けちゃうわぁ」
いつの間にか、八岐大蛇の顔がアキラの至近距離に迫っていた。
蛇のように縦に割れた瞳孔が彼女の驚愕に染まった相貌を映し出す。
アキラが痛みを感じた時には、メインスタジアムの端まで吹き飛ばされていた。
「アキラ!!」
「ちくわ大明神!!」
追撃を掛けようと翡翠の剣を振りかぶる八岐大蛇へ、狭間が紋章術を発動する。
概念格:ちくわ大明神の紋章。
ちくわ大明神の言葉を聞いた対象者の動作に強制的に間隙を挟むことで、ほんの一瞬止めることしかできない貧弱な紋章。
しかし、一瞬あれば十分。
概念格:加速の紋章が刻まれた紋章武具『刹那』
居合い斬りしか用いないという制約の下、永遠に加速し続ける術式を刻まれた紋章武具によって八岐大蛇の首を断ち切らんと振われる。
「あら?」
それでも翡翠の刃を振り下ろす動きは止まらない。
神速の刃は彼女の硬質で柔軟性に富んだ皮膚を斬り裂くこと敵わず、その表面を滑るのみ。
一瞬、狭間に気を取られるも、再び追撃を仕掛けようと動き出す。
「苦境穿つ不滅の槍!!」
偉人格:ヘクトールの紋章が刻まれた紋章武具『不滅の極槍』。
そこに刻まれた、残る紋章画数二画の内、一つを消費して放たれた紋章絶技は八岐大蛇を吹き飛ばした。
「もう、酷いことするわね」
それでも八岐大蛇は平然と立ち上がって見せた。
彼女の腹部は抉れ、大きな風穴が空いている。
しかし、それも瞬く間に元通りとなった。
渾身の一撃は傷一つつけられず、紋章絶技でさえ決定打とはならない。
「分かってたことだけど、キッツイなこれは」
「うむ。それに、切り札ももう使い切ってしまったでござる」
『不滅の極槍』に刻まれた紋章は三画。
開幕時に一撃。
そしてさっきで二撃目。
三画目を使って仕舞えば武装を失ってしまう以上、これで打ち止めだ。
狭間が持つ『刹那』の紋章はまだ二画残っているが、有効ではない。
加速の紋章では決定打とならないのはもちろん、吹き飛ばして隙を作ることもできない。
故に、後は己に宿る紋章のみ。
しかし、それは己の記憶を代償とする。
容易に切れる手段ではない。
「アキラは?」
「先の一撃で気を失ってしまったようでござる」
頼れる後輩は気絶。
愛槍の紋章はもう当てにできない。
「もう、品切れかしら? じゃぁお遊びもここまでかぁ、ざ〜んねん」
八岐大蛇の気まぐれもここまでのようだ。
ここから先は遊びのない死地。
徒人の生を許さぬ絶死の戦場。
「なら、覚悟を決めるしかねぇか」
概念格:摩擦の紋章が、右手の甲で紅き光を放つ。
「拙者もお供するでござるよ」
概念格:ちくわ大明神の紋章が、左手の甲で紅き光を放つ。
「悪いな、貧乏くじ引かせて」
「なんの、仲間を護る為さ。誇らしいとも」
——紋章絶技:擦過絶空
——紋章絶技:ちくわ大明神一如
八岐大蛇に掛かる摩擦係数が極限にまで高められる。
大気の牢獄に閉じ込められた彼女は指一本動かすどころか、表情一つ、息をすることさえできない。
続けて、彼女の背後に、数多の光り輝くちくわが溢れ出したかのような神々しい光背を背負いし大明神が顕現。
その両手で彼女の身体をがっしりと拘束する。
紋章絶技が発動している限り、永遠にちくわ大明神が発動し、対象者を空白で満たす。
無限の間隙で満たされた八岐大蛇は行動はおろか、思考一つすることはできない。
それぞれの思い出を代償に発動した絶技は、見事神を封じ込めて見せた。
「どうやら賭けには勝ったようだぜ。忘れた記憶も、……子供の頃でも忘れたか? 親の顔すら出てこねぇな」
「薄情な子供でござる。まぁ、拙者も恩師の顔がさっぱり思い出せぬでござるが!」
これまで築いてきた大切な記憶を喪失したというのに、二人は快活に笑みを浮かべる。
彼らにとって、記憶とは大切なものだ。
親の顔も、恩師の顔も、忘れたくはない金にも勝る大切な財産だ。
だけど、それ以上に大切な仲間の命を護れた。
ならば、それでいいのだ。
大切な者の命に勝るものなど、この世にありはしないのだから。
ビキッ
異音がした。
二人の笑みが凍りつく。
ベキッ、バキッ
異音が続く。
信じられないものを見る目で、封じ込めたはずの八岐大蛇を見る。
バキバキベキゴキッッ!!
「さ、すが、に……、こ、たえ……る、わ……ね」
現世に降臨したちくわ大明神一如にヒビが入る。
極限にまで高められた摩擦係数によって身動き一つ、呼吸さえできないはずなのに、彼女の口からは明確な言の葉が紡がれた。
「嘘……だろ……!?」
「……は、はは。これは、無理でござる」
べキンッ!! ゴシャァァアアッッ!!
決定的な異音が轟く。
ちくわ大明神一如は木っ端微塵に粉砕され、極限にまで高められた摩擦係数に肌を引き裂かれながらも、ゆっくりとした歩みを進める。
「凄いわねあなた達。正直見直したわ。ここまでできるとは思っていなかったもの」
紋章絶技は未だに効力を発揮している。
だというのに、八岐大蛇は大気に肌を焼き切られ、それを即座に再生しながらも言の葉を紡ぎ続ける。
これこそがレート7の最上位。
正真正銘の怪物。
神代でさえも持て余した神獣の真価。
思考が停止しようと。
摩擦の牢獄に閉じ込められようと。
関係ない。
その身は、本能で万象を捩じ伏せる暴虐の化身なり。
「だから、ご褒美をあげるわ」
彼女が言葉を発した時には、二人はメインスタジアムを囲む結界まで吹き飛ばされていた。
「あら? ……そう、道満の細工ね? まぁ、いいわ。最後の玩具を壊しにいきましょう」
本当は殺すつもりであった。
しかし、それは蘆屋道満の意に反する事だったためか、体内に埋め込まれた呪符が発動して彼らが死なない程度の威力にまで弱められてしまった。
故に、最後の玩具を殺すこともできないだろう。
しかし、壊すことはできる。
これは腹いせだ。
自身を楽しませてくれた勇士への礼を無碍にされたことに対する八つ当たりだ。
瓦礫に横たわり、気を失うアキラを見下ろす。
行うことは簡単。
八つの災厄を引き起こす翡翠の剣を振り下ろす。
それだけで彼女には無限の災禍が見舞われる。
蘆屋道満の術式を逆手に取った無限地獄によって、高槻暁は死ぬこともなく、ただ壊され続ける。
「恨むなら道満を恨んで頂戴ね」
八つの災禍を齎す翡翠の剣が振り落とされる。
その直前、暖かいと言うには強すぎる熱がアキラの頬を熱する。
その熱で目を覚ました彼女の前には、誰よりも頼れる者の背中があった。
「貴様、誰の娘に手を出しとるか——」
その背中は、誰よりも見慣れた養父の者であった。
彼は全身をグツグツと煮えたぎらせ、激昂する。
愛娘を害されたという当たり前の怒りをもって、彼は火山の噴火が如き咆哮を挙げる。
「——分かっとるんじゃろうなァ!!!!!!」
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