第89話 埒外の強者たち
北海道オホーツク海沿岸。
厳冬期には数多の流氷が流れ着く海であるが、今の季節は初夏。
流氷は一つもなく、涼やかな気候のもと荒れ狂う海だけがそこにあった。
荒波が立ち、地表が隆起する原因。
それは、夕焼けに黄金の鎧を煌めかせる朝陽が巨大な二体の怪物と対峙しているが故であった。
双方共に見上げるほどの巨躯。
一方は高さ三〇〇〇メートルを越す巨大な苔生した大地の巨人。
名を大太郎法師。
山や湖沼を作ったという伝承を残す、神代に生きた大いなる妖だ。
その巨大な体躯による破壊力に加えて、山岳を自在に操る彼の呪術はレート7に相応しい天災が如き暴威だ。
もう一方は、それと同程度の巨体を誇る海水で構築された巨人。
名を海坊主。
魚が遥かな時を経て化けたとする説や海で遭難した者の亡霊だとする説など、多岐に渡る成り立ちを持つ神代から近代に至るまで永き時の海を荒らした妖。
大太郎法師と同様見上げるほど巨大な、海水で構築された肉体を持つ怪物。
海水がある限り無限に再生する耐久力。
そして、大海を自由自在に操る呪術は人の身には持て余す天災が如き脅威だ。
そんな二種の巨人が今、
朝陽昇陽によって蹂躙されていた。
「ハァァアアッッ!!!」
太陽を象った日輪が如く輝きを放つ、焔と雷を纏いし神槍を一振りする。
たったそれだけで、大太郎法師の土砂で構築された上半身が莫大な熱量で消し飛ばされる。
オホーツク海から巨躯を覗かせる海坊主が仲間である大太郎法師諸共、莫大な海水の奔流を叩きつける。
しかし、朝陽はそれに対して一瞥をくれるだけであった。
——“梵天より賜りし煌矢”。
それは最早投擲ですらなかった。
視線という概念を矢と見做したそれは赤熱の眼光となり、大海の奔流諸共海坊主を焼き払った。
だが、怪物達もその程度では終わらない。
この程度のダメージならば先程から幾度も喰らっている。
その度に彼らは即時再生しているのだ。
現に、二体の怪物は双方ともに身体の半分以上を消しとばされる程のダメージを負っていたというのに、もう再生しきっている。
「成程。倒すことが目的ではなく、その真意は足止めか」
朝陽は即座に彼らが遣わされた真意を見抜いていた。
蘆屋とて、この程度の駒で朝陽を倒せるなどとは思ってはいない。
この程度の駒では五万と用意しても傷一つつけられないだろう。
だからこそ、蘆屋は八体の怪物の中でも一際再生力に長けた二体を彼にあてがった。
勝つことはできずとも、自身が目的を果たすまで持ち堪えられると踏んでのことだ。
「だが、動いている以上そこには生命原理が存在する」
それがたとえ血を通わさぬ機械だろうが、人とは異なる異生物であろうが、動いている限りそこには何かしらの理由がある。
それさえ断てば、行動を停止させることはできる。
「見極めさせてもらおうか」
朝陽は鋭い眼光を二体の怪物へと向け、神をも殺してみせる槍を構える。
◇
オホーツク海の激闘と同時刻。
東京湾沿岸。
そこは文字通り地獄絵図の様相を呈していた。
港は炎上し、原型を留めぬほどに破壊され尽くしている。
天は荒れ狂い、大海は激しく波打つ。
クラウスが作った岩礁がなければ、今頃津波さえ起きていたことだろう。
否、津波なら幾度も起こっていた。
最早八度目にもなる東京全域を飲み込む程の津波が東京湾から押し寄せてくる。
「煩わしい」
しかし、クラウスはそれを全て巨大な岩石の触腕で打ち払い無力化していた。
だが、それでも攻勢は止まらない。
天からは豪雨が意志を持った奔流となり縦横無尽に破壊の限りを尽くす。
荒れ狂う暴風は全てを引き裂く鎌鼬の姿を取り、無差別に斬り裂き、コンテナやクレーンを巻き上げる。
一国をも滅ぼしかねない天災が、たった一人を滅する為だけにその猛威を振るい続ける。
「小細工だけでは俺の信念は砕けんぞ」
けれど、意志を持った天災でさえもクラウスを止めることは敵わない。
その尽くを己の拳で打ち払った彼は、眼前の鬼の土手っ腹に正拳突きを叩き込む。
当然、鬼も両腕を交差して防ぐが、その両腕さえもまるで枯れ枝のように容易く粉砕して、その巨体を吹き飛ばした。
船にコンテナを積み込むクレーンを数台巻き添えに吹き飛んだ鬼は、コンテナ群に激突して漸くその動きを止める。
「ガハハハハハハ!!! これは強い。これほど心踊る戦は俊宗めとの殺し合い以来だ!」
コンテナから起き上がる鬼の身体は無傷。
先程砕かれた筈の腕も既に再生したようで、グルグル肩を回して調子を確かめている。
その姿は異形。
結膜が黒、角膜が血のような赤の目をしている。
血に濡れたような髪に土気色の肌。
頭部には大きな牛のような角が二本。
でっぷりとした大柄な体格は鈍重なように見えるが。その巨体からは想像できぬ俊敏さをみせる。
かの異形こそ、平安の世を騒がせ、後の初代征夷大将軍坂上田村麻呂(又の名を坂上田村丸俊宗)によって討たれた鬼神。
名を大嶽丸。
ありとあらゆる天災を我が物とし、首を絶たれて尚、敵に食らいつく生命力を持った怪物。
大嶽丸はその手に一振りの刀を現出させる。
その刀の銘は、顕明連。
天竺に座す阿修羅王より下賜された、三明の剣が一振り。
元は三刀全てを所持していたが、過去に鈴鹿御前によって奪われた為、現在所有するのはこの一振りのみだ。
とはいえ、その力は健在。
たった一振りで地平を薙ぎ払う天下無双の一振りである。
「さぁ、死合おうぞ! 血湧き肉躍る殺し——」
「興味がない」
大嶽丸の言葉が最後まで告げられることはなかった。
高揚感を抑えきれない様子の大嶽丸に対し、クラウスは興味がないと一蹴する。
気がつけば彼我の距離感は埋められており、クラウスの拳が無慈悲に放たれていた。
地震エネルギーを圧縮して拳に乗せたその一撃は、いわば指向性を持った地震。
天災そのものを人の技術で練り上げた至高の一撃は、容赦なく大嶽丸の上半身を粉々に吹き飛ばした。
上半身をごっそりと吹き飛ばされた大嶽丸は、そのまま力無く地面へと倒れ、血溜まりを作る。
「殺し合いなら地獄で思う存分楽しむがいい」
◇
時刻を同じくして、京都府嵐山。
竹林の小径と称される、観光名所ともなっている竹に囲まれた小径。
野宮神社から天龍寺の北側を通り、大河内山荘庭園まで約四〇〇メートルにわたって空を覆うほど高く伸びた竹林が続く。
青々と茂る竹の葉から溢れる木漏れ日が心地良い。
そんな、美しく雅な小径の真ん中で、一人の女性が血溜まりに沈んでいた。
その女性は、緑髪長髪で耳の長い羽衣を纏った美女。
倒れながらも、その手には骨でできた牙を想起させる大剣を離さず持っていた。
彼女こそが京都府嵐山に派遣された八体の怪物が一人。
八体の中でも最強と称される怪物——否、神——である。
名を天逆毎。
天狗や天邪鬼の祖先とされ、力ある神をも千里の彼方へ投げ飛ばし、彼女の骨で出来た牙を想起させる大剣は神々の武器すらも破壊してみせた。
そんな力ある女神をも斬り伏せた人物は、涼やかな風体で心地よい風を堪能していた。
着物の裾を風に靡かせ、左腕を刀の鞘に添える様は自然体。
頸で結んだ紫紺の長髪を揺らし、草木の葉擦れが奏でる協奏曲に耳を傾ける様は風雅なり。
彼こそが世界最強の大剣豪にして、あの朝陽昇陽とすら並びうるとされる人物。
そして、眼前に伏せる神を斬り伏せた張本人。
柳洞寺紫燕。
「その程度で死んではおらんだろう? 其方らの主の目的はなんだ?」
柳洞寺は死に体で地に伏せる天逆毎へ声を掛ける。
「……な、ぜだ。……何故! ただの人間風情が余を斬ることができるのだ!!?」
しかし、天逆毎はその問いに応えない。
人間如きの言葉に傾ける耳など持ち合わせていない彼女は、血反吐を吐き散らしながら叫ぶ。
不可解であった。
この身は神である。
化身でも、依代に憑依した仮初の肉体でもなく、神の真体そのものである。
人間とでは文字通り存在の格が違う。
三次元の存在が二次元へと干渉できないように、人間風情が神の真体に傷をつけることなどできるはずがないのだ。
(だというのに、蘆屋道満といい、この侍といい、どうして余の真体にこうも容易く干渉できるのだ!?)
彼女は星の記憶にて、蘆屋道満に敗れたが故に、彼の式神として強制的に使役されていた。
(奴はただ、呪術を極めて神の領域へと到達しただけだと言っていた。それならば確かにうなずける。魔を極めて神の領域へ至る者の前例がないわけではない)
七十二の魔神を支配下においたソロモン王は人の身にて魔術を極め、天の領域にまで手を届かせた。
近代西洋魔術の祖とされるアレイスター・クロウリーは世界の真理を解き明かし、深淵の叡智へ至ることで天の領域へと至った。
(……ならば、此奴も?)
そう考えるが、身体に刻み込まれた傷が否と叫ぶ。
この身に受けた傷には一切の術的要素はなかった。
魔力こそ込められていたが、ただそれだけだ。
神域に到達した術式など一切感じられなかった。
「応えてはくれぬか。まぁ良い。其方を斬れたのはひとえに、日々の研鑽の賜物だ。ただ、上を目指して剣の道を極めた。“超克”を極めるほど、斬れるものが増えていった。ならば、何処までも追い求めたくなるのがロマンというものであろう?」
「“超克”……じゃと……」
悠然と告げられるその言葉に天逆毎は絶句する。
“超克”とは魔力を介して法則に干渉し、自分だけの現実で世界を歪める技術だ。
それを突き詰めれば確かに神だろうが世界だろうが斬り裂けるだろう。
しかし、それは言葉で表すほど簡単なことではない。
あらゆるものには抵抗力というものが存在する。
『流体を実体として捉える』程度の法則干渉ならば、さしたる抵抗もなく、“超克”さえ使えれば誰でもできる。
だが、次元や世界といった高次概念、人の強い意思が介在する紋章術を歪めるとなれば、その抵抗力は段違いに跳ね上がる。
ましてや、神を斬り伏せるなど常軌を逸している。
才能に恵まれた者が一生をかけて漸く為せる絶技だ。
(それを、この若さで)
柳洞寺の年齢は見た感じ三十にも届かない程度であろう。
それだけの若さで神を斬り伏せるだけの“超克”技術を身につけるなど、神代でさえも存在しなかった。
「ひ、ひひ、ヒハハハハハハハハハハ!!!!」
知らず、天逆毎は涙を流していた。
その心の内をヒヤリと冷たいものが埋め尽くす。
しかし、それは彼女の本当の感情ではない。
天邪鬼と同様、あべこべになってしまう彼女の性質によるものだ。
その真の感情は歓喜。
神代でさえもこれほどの才に愛された者はいなかった。
故に、殺したいと思った。
彼女は蘆屋道満の式神である前に、一柱の神である。
神はその想いの形がどうであれ、被造物たる人類を愛する者だ。
だからこそ、この感情は正当なものだった。
我が子を殺したいと思うこの想いは、誰に咎められる謂れのない正しき想いなのだ。
「殺す!! 殺して殺して殺し尽くそう!! 貴様という才を! 神をも越える才と努力を!! ……余が殺してみせよう」
血に塗れたその姿は死に体にしか見えない。
しかし、その立ち姿は疲労の色など一切見せはしない。
それどころか、全快の時よりも力が漲っているかのように思える。
「なるほど。あべこべの権能か」
愛しいからこそ殺意が芽生える。
喜ばしいからこそ、怒りに震える。
傷だらけだからこそ、その身には活力が漲る。
彼女はその全てが反転する。
それこそが彼女の権能であり、彼女だけが持つ唯一無二の法則であるからだ。
「厄介な手合いであるが、その愛、しかと受け止めてみせようか」
柳洞寺は刀身だけで九〇センチメートル、柄を含めると一三〇センチメートルを越える長刀を抜き放ち、構える。
神の愛を受け止めるべく、この世の誰よりも才に愛された男は刃を振るう。
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