第73話 水着選び 前編
紋章高専選抜トーナメントが終わり、八神は優勝した愛弟子をを祝いに行こうかと腰をあげる。
そんな時、マシュから声が掛かった。
「えっ!? 水着必須!?」
「そうなのよぉ。明日の陸自と特務課の合同競技で必要らしいわぁ」
「また急だなぁ。私水着なんて持ってないんだけど」
生まれてこの方研究所暮らし。
特務課に来てからも仕事で使う訳もなく、休日も基本静やルミ達とカフェやカラオケには行ってもプールや海水浴などはまだしていなかった。
故に水着など持っているはずもないのだ。
「マシュ、静やルミ誘って水着見に行かない?」
「う〜ん。私は別にいいんだけど、良い機会だからこの前の障害物競走の時の借りを返してあげたら?」
「障害物競走の時? 何かあったっけ?」
マシュに言われて“昨日の障害物競走の時に何かあったかな?” と思って記憶を辿るが、辿れる記憶がない。
昨日は静とルミの酒乱コンビに巻き込まれて泥酔していたので無理もない話ではあるが。
「あら、覚えてないの? 貴女風早くんの借り物に選ばれてたんだけど、すっごい痴態晒してたわよぉ」
「え、マジ?」
「マジよぉ」
緊急事態を察して紋章術をフル活用し、急ピッチで昨日の記憶を復元する。
すると、出るわ出るわ痴態の数々。
『おちゅかれ〜。どうひたの〜? 寂しくなっちゃった〜? ふへへ〜』
脳裏に過ぎるは、主人に懐く猫のように、風早のお腹にしがみついて頬擦りする己の姿。
——は? なにこの甘えん坊キャラ。
『マシュとばっか話してちゃやぁ〜。私だけを見て〜』
脳裏に過ぎるは、風早がマシュとばかり話すことに嫉妬したのか、めんどくさい彼女のようなセリフを吐きながら胸を押しつけて耳元で囁く己の姿。
——え? いや、心身共に距離感バグってない? 近過ぎじゃね?
『はい、僕は貴女だけを見ます。だから、少しだけ僕と一緒にデートをしていただけませんか?』
脳裏に過ぎるは、場の雰囲気に飲まれたのか、いつになくキザったらしい誘い文句を吐く風早の姿。
そして、
『うん。えすこーとしてね〜』
と、誘いを受け入れてお姫様抱っこで運ばれる己の姿。
——お姫様抱っこされてるくない? 視覚情報はないけどこの感覚はお姫様抱っこされてるくない?
あまりの痴態の数々に思わず吐きかけるが、そこは乙女の意地で踏みとどまった。
「え、師匠としての威厳死んでね?」
思わず口調が崩れる程のショックを受けた八神は顔を真っ青にして膝から崩れ落ちた。
「事態は正確に把握したみたいねぇ。悪いのは静とルミ。……止められなかった私たちもだけど。お詫びを入れるなら直接的に迷惑をかけた八神ちゃんがしないとでしょ?」
“私たちの分は後でしっかり返させて貰うけどね”とマシュは続ける。
「そ、そうだね。これはヤバい」
あれだけの痴態を晒してしまった以上、師匠の威厳などありはしない。
そこを取り繕うつもりは最早ありはしないが、迷惑をかけたお詫びだけはしないと気が済まない。
未だ顔面蒼白な八神は座席に寄りかかりながらヨロヨロと頼りない足取りで立ち上がる。
「でしょ? そこで、風早くんと一緒に水着を買いに行くのよ」
「どうしてそこに繋がるの?」
“自身の買い物に付き合わせるだけなのに、そんなものがお詫びになるのか?” と疑問に思った八神は問いかける。
「男心を分かってないわねぇ。八神ちゃんみたいなかわいい娘とお買い物デート、それも水着だなんて最高のご褒美じゃない。まぁ、それでも納得できないなら何かプレゼントでもしてあげなさい」
“ちょうど優勝のお祝いもできるでしょ?”とマシュはウインクしてみせる。
自身の容姿が整っているという自覚はあるが、だからといって買い物に付き合わせるだけがご褒美になるだなんて思えない八神はプレゼントの内容を考える。
「男の子って何を貰ったら嬉しいの?」
「そこは貴女が考えなさい。貴女が真剣に考えて選んだものなら、きっと、ううん、絶対喜んでもらえるわ」
“これも人生経験よ。楽しみなさい”、そう言ってマシュは子を見守るような温かい笑顔で背中をそっと押してくれた。
◇
空間転移によって八神らが向かったのはSHIBUYA106。
渋谷の有名なスクランブル交差点にあるランドマークでもあるショッピングモールだ。
そんなSHIBUYA106の眼前に突如現れた四人の姿に周囲の人々はギョッと驚きの表情を浮かべる。
この事態を未来を見るまでもなく予測していた八神は即座に認識阻害を発動して、個人を特定できないようにする。
その後、続いて周囲の人間の精神に働きかけて、意識の鎮静化を促すことことで騒ぎは起こらず、平常通りの日常風景に戻った。
ここで彼女が紋章術を使っていなければ間違いなく騒ぎになっていたことだろう。
派手な登場に加え、トーナメントで優勝した風早は今最もホットな人物だ。
そこに華やかな見た目で人を惹きつける八神までいるのだから騒ぎになることなど目に見えている。
想定通りに事が進んで内心安堵しながら三人の様子を見てみると、
「ふぇ〜、これがSHIBUYA106……すっごいなぁ……大っきい……」
「今までテレビでしか見た事なかったからね。僕たちの地元にはこんなに大きな商業施設なんてリオンくらいしかなかったし」
目を輝かせてマルロクを見上げていた。
彼らは田舎出身だからこういった都会らしい風景に弱いのだろう。
そんな二人に比べて、芦屋の反応はそれほどでもなかった。
「芦屋くんはこういう都会の風景には慣れてるの?」
「ん? まぁせやな。烏丸とかはこんなもんやったし」
「そっか、京都出身ならたしかに都会慣れはしてるよね」
「いや、出身は兵庫やで。まぁ京都で過ごしてた時期の方が長いから京都出身言うてもあながち間違いでもあらへんけど」
芦屋は兵庫県出身であったが、京都にいた時期の方が長い。
京都の烏丸は東京程ではないにしろ、かなり栄えた都会的な風景が広がる土地であるため、渋谷の都会的な街並みにも慣れがあったのだ。
「ほら、二人ともおのぼりさんしてないで早く入ろう」
おのぼりさん丸出しで周囲を見渡す二人の背を押して、八神ら一行はSHIBUYA106の店内へと入る。
店内案内板をもとに一行は目的の水着売り場へと向かう。
その道中でも、数々のお店を目を輝かせてウィンドウショッピングをする。
「わぁ〜どのお店もお洒落〜」
「だねぇ〜」
「欲しいものがあったら言ってね。今日はなんでも奢ってあげるから」
そう言いながら八神自身も風早へのお詫びの品を探して、千里眼に視界共有、分身と紋章術をフル活用して店内の全商品を精神世界のミカと分担して物色していた。
ミカもあの時、精神世界で酒盛りをしながら観戦していたようで、あの痴態を止められなかった責任を感じているのだ。
「いやいや、そんな悪いですよ!」
「そうですそうです! 欲しいものがあったら自分で買うんで大丈夫ですよ」
「まぁまぁ、そう言わずにね。年上の好意には甘えるものだよ」
そう言って八神は雨戸と風早の頭を優しく撫でる。
「んじゃアレ買ってや」
「ん?」
そう言って芦屋が指さしたのはブランドモノのバッグだった。
しかし、本革で作られた品の良いバッグは八神の知る芦屋の好みとは異なるように思えた。
彼は高級ブランド品には興味がない。
どちらかと言えばアンティークな品か、真逆の最新のものを好む両極端な好みなはずなのだ。
「……いや、別にいいけど。絶対いらないでしょ?」
八神は特務課の高給に加えて、何故か特別手当てが入っているので資金は潤沢にある。
けれど、絶対高いから言っただけで本当に欲しい訳じゃないことを彼の好みと表情から読み取った八神はジト目で指摘する。
「バレてしもたか。まぁ、これで分かったように八神の姉ちゃんはあんな高いもんポンポン買い与えられるくらい金持っとるから存分にしゃぶり尽くしたろや!」
その言葉を受けて、一同は彼の意図を察する。
彼は何処までも遠慮するであろう雨戸と風早に先んじて図々しさを曝け出すことで、遠慮など無用だということを知らしめたのだろう。
「そうだね。じゃあ今日は甘えさせてもらいますね八神さん」
「じゃあ私もご好意に甘えさせて頂きますね八神さん!」
「うん! 存分に甘えてね」
先を歩く二人の背後で八神は、“ありがとね”と、二人の遠慮する心を解してくれた芦屋に礼を言う。
「気にすることあらへん。堂々巡りになって時間無駄にしたないだけやから」
“男の子ってホント見栄を張りたがるなぁ”と、内心思いながら笑みを浮かべる。
そうこうしている内に、一同は目的地である水着売り場へ辿り着いた。





