第70話 観測不能の速度領域
三つ巴の戦いとは、一対一対一の戦いではない。
まずは最も強い者を蹴落とす為に、二者が結託するのが常道だ。
「おいおい、いいのか俺でさ。会長の方が強いぞ?」
「僕は吉良先輩に横槍を入れられる方が恐ろしいですから」
「同感だな。常に背中からの凶弾を警戒しながら戦うくらいなら、先に元凶を叩くのが賢明というものだ」
戦況は常道通り二対一。
染谷と風早の両名は血染めの翅から無限に湧き出す血液を相手に斬り結ぶ。
二対一の戦況となることが常道とはいえ、それは決して味方ではない。
いつ裏切るか分からない相手ならば、最も厄介なのは単純に強い者ではなく、一撃必殺の手段を持つ者だ。
「まぁいいさ。そう来るのは読めてたから対策はバッチリだしな」
嫌な予感がした染谷と風早は同時にその場を飛び退く。
その次の瞬間、地面を割って血のウォーターカッターが天井を斬り裂いた。
それだけではない。
地面を割った鮮血のカーテンの向こうから突如、深紅の人形がその腕を鮮血の刃として斬りかかってきた。
「風早君、吉良君は湖の妖精の加護で血液量が無限になっている。今の彼に普段の制約はないものと思え!」
「やっぱりですか!? ただでさえ流血に注意しないといけないのに、血液量の制限までなくなってるとかホントに厄介極まりないですね!!」
風早は鮮血の人形と斬り結びながら愚痴をこぼす。
普段の吉良ならば自身の血液量には当然限りがある為、これほどの量の血液を操ることはできない。
しかし、今は湖の妖精の加護によって無限の血液を得ている為、その制約は存在しない。
やろうと思えば鮮血の大洪水だって起こせるのだ。
(それにこの人形、動きはプログラムされたものなのだろうけど……)
(選抜メンバーの動きを参照しているのか)
染谷と風早は同時に同じ結論へと至る。
鮮血の人形は吉良が直接操っている訳ではない。
予め入力されたデータを元に動くAIのようなものだ。
しかし、その参考先は選抜メンバー。
これまでの激戦を繰り広げてきた強者の動きを再現しているのだ。
染谷が相手をしている鮮血人形は柳生寿光。
転を用いた攻防一体の剣戟は人形といえど侮れない。
流血がイコール敗北を意味するこの戦場においては、特に厄介だ。
風早が相手をしている鮮血人形は滝澤遥。
彼女の鋭い居合いを再現する為に、鮮血人形は腕を刃へ変形させるのではなく、鮮血の刀を構築した。
鞘引きによる加速を再現した鮮血人形の剣閃は目にも止まらぬ速さだ。
油断すれば即座に血を晒すこととなってしまうだろう。
「まだまだこれからだ。鮮血人形は俺が良く知る人間なら誰でもトレースできる」
そういうや否や、吉良は新たな鮮血人形を作り出していく。
その姿は、宍戸翔駒、篠咲倫也、風早颯、染谷一輝。
そして、凍雲冬真。
己の師すらも再現してみせた吉良は、鮮血人形に命じて二人に襲い掛からせる。
数の有利を一瞬にして覆された二人は窮地に陥る。
それも、雑兵などではない。
それぞれが選抜トーナメントに出場するだけの実力者だ。
そして、凍雲に至っては歴戦の特務課職員。
一人一人が一騎当千の力を有する鮮血人形達はその刃を持って二人に終焉を与えんとする。
「違う。あの人たちはこんなにも弱くなんてなかった」
「そうだな。彼らが相手ならば私たちの負けは必定だっただろう。だが、」
「「この程度ならまだ勝ち目はある!!」」
翠緑の閃光を身体から迸らせ、風早はトネリコの槍を一閃。
刹那の間に刀を納刀し、染谷は取り囲む鮮血人形を両断。
両名の一閃によって有数の実力者の力を再現した鮮血人形は瞬く間に斬り裂かれてしまった。
いや、再現しているなどというのは心理的有利を得る為のブラフでしかなかったのだろう。
それらしい動きを再現することで、あたかも良く知る者の動きなら再現できるように見せかけていただけ。
その実、彼らの動きを再現することなできなかったのだろう。
でなければ、彼らがこんなにも弱いはずがない。
「バレるのはっや」
崩れ落ちる鮮血人形の後ろ。
不敵な笑みを浮かべて吉良はその銃口を染谷へ向ける。
——血閃魔弾
弾丸は通常、薬莢の火薬を炸裂させることで射出される。
しかし、彼の持つ拳銃は火薬など用いない。
薬莢には火薬の代わりに彼自身の血液が入っており、それを炸裂させることで射出する。
故に、火薬とは違い、炸裂のエネルギーを余剰なく全て弾丸の推進力とすることができる。
拳銃の反動でありながら対物ライフルに匹敵する威力を持つ弾丸は、寸分の狂いなく染谷の眉間目掛けて放たれる。
そして、同時に風早と染谷の周囲から鮮血が噴き出し、鋭利な棘となって襲い掛かる。
「出し惜しみできるような相手ではないか」
——神騎抜刀
染谷はその身に宿る魔力全てを身体強化に収束する。
活動可能時間は三十秒。
その三十秒間に全魔力を収束させた染谷は風早の全力さえも上回る速度をもって、襲い掛かる鮮血の棘と血閃魔弾を斬り払う。
「こっからが正念場だな」
吉良は目視すら不能なその剣閃を前にして尚、笑みを浮かべる。
しかし、その笑みは先までの含みを持たせたものではなく、強者と戦えることに喜びを見いだす武者振るいにも似たものだ。
「風早くん、共闘はここまでだ。悪いが時間がない。二人まとめて斬り伏せる」
「上等です! 二人まとめてぶっ飛ばします!!」
染谷は風早の啖呵に小さく笑みを溢す。
そして、目視不能の剣閃が瞬く。
初めに地面が細切れに斬り裂かれて崩壊した。
崩れゆく足場の中、翅を使い、空を蹴り、各々の方法で体勢を整える。
次に、壁と天井が斬り裂かれた。
降り注ぐ瓦礫の雨を鮮血の間欠泉が吹き飛ばし、莫大な魔力を込めたトネリコの槍が染谷に投擲される。
最後に吉良と風早、両者の脇腹から肩口にかけて、逆袈裟に斬り裂かれた。
血染めの妖精は即座に止血をし、七つの巨大な鮮血の魔槍を射出し、その影に隠すように血閃魔弾を放つ。
神速の英雄は筋肉を収縮させることで出血を抑え、吉良から傷痕を隠すように盾を構える。
「蒼海囲う幻想世界!!」
同時に、先程投擲したトネリコの槍と吉良の放った鮮血の魔槍が染谷へ着弾し、極光を伴って大爆発を引き起こす。
オリュンポスそのものを消し飛ばす莫大なエネルギーは染谷だけでなく、吉良も、術者である風早をさえも飲み込む。
けれど、風早だけはその爆風から護られていた。
蒼海囲う幻想世界。
真価を解き放ったアキレウスの盾は小世界そのものを仮想顕現させる。
文字通り、世界を滅ぼすような破壊でもなければこの盾を越えることはできない。
しかし、油断などしない。
この程度で勝てるようなら苦労などするものか。
世界樹から搾り取った残り全ての魔力リソースを身体強化へ回して天空を駆ける。
——軌跡残らぬ極星疾走
音などとうに置き去りにした。
その圧倒的なまでの速度は空気が逃げる隙すら与えず、空を踏み締めて駆け抜ける。
胸から血が滴っている以上、目視されればその時点で決着が着く。
ならば、見られなければいい。
目視などという概念が届かない。
観測外の速度領域へと至る。
奇しくも、その考えは両者同じであった。
「ち……くしょ……。速すぎんだろ」
狙われたのは吉良赫司。
神速の刺突が背後からすれ違い様に心臓を穿ち、神速の一閃が正面から袈裟斬りに両断した。
極光の大爆発を生き残った血染めの妖精は、圧倒的なまでの速さを前に成す術なく、雲海へと堕ちて消えた。
その姿を視界に収める間もなく、神速の攻防が始まる。
最早その戦いはフィールドを覆う結界に施された、観戦のためのスローモーション機能をもってしても観測できない。
気がつけば浮遊島が真っ二つに両断される。
気がつけば浮遊島を貫いて雲海に無数の穴を穿つ。
幻想世界を彩る浮遊島など最早オブジェクトにもならない。
互いに空を足場として、幻想世界を舞台に目視不可能な速度で斬り結ぶ。
ここにきて最早交わす言葉などない。
言葉では遅過ぎてついてこれはしない。
故に、必要ない。
交わすべき想いはその刃が雄弁に語る。
——どうだ? 私の強さも捨てたものではないだろう?
——はい、こんなにも強くて尊敬できる先輩が目に入っていなかったなんて、過去の僕は本当に勿体ないことをしていましたよ。
——勿体ないか。何処までも欲張りなことだ。
——欲のない人間に星は掴めませんよ。
——道理だな。では、私も欲をかくとしよう。君という星を撃ち落として見せる。
——誰にも落とせませんよ。僕は、あの人の前ではもう二度と負けないですから。
その胸に宿るは師への憧れでも、尊敬でもない。
それらは理解から最も遠い感情だ。
憧れも尊敬も、見ているのはありのままの存在ではなく、己の中に映した脚色された存在でしかない。
真の意味でその存在を認識してなどいないのだ。
だから、憧れを抱くのはもうやめた。
今はただ、彼女に追いすがりたい。
その背を護れる存在となりたい。
彼女に頼られる存在でありたい。
その胸に宿る感情の名は言うまでもない。
この心地よい想いがある限り、風早はもう誰にも負けない。
彼女の前ではカッコ悪い姿を見せたくない。
強がって見せたい。
——それが男心ってものだからね。
数多に浮かぶ浮遊島。
その尽くが破砕され、重力すら間に合わずに漂う中。
観測不能の速度領域で両者は空を踏み締める。
——極点に輝く星の穂槍!!!!
——白斂・玲瓏花月!!!!
両者の全てを乗せた最強の一撃が激突する。
闇夜に輝く一等星が如き輝きを放つ神速の刺突。
数多の並行世界から斬撃を収束させ、事象崩壊現象を引き起こす白き三条の剣閃。
一方は星の輝きに等しいエネルギーを秘めた絶大なる一撃。
一方は己の得物すらも喰らい尽くす事象崩壊現象を引き起こす必滅の一撃。
絶対的な力の激突は辺りに眩い光を解き放つ。
そして、
そして、
「僕の……勝ちです」
「ああ、私の負けだな」
勝負は、莫大なエネルギーを崩壊させきれずに自壊のリミットを迎えてしまった染谷の敗北に終わった。
胸を穿たれた染谷は彼の健闘を讃えるようにその背に腕を回し、淡い光となって消え去る。
『勝者! 風早颯!! よって今大会優勝者は!! 紋章高専二年A組! 風早颯だぁぁあああああああああああああ!!!!』
仮想空間が解除され、現実世界のグラウンドに戻ってきた風早は辺りを見渡す。
先の激闘によって気疲れした染谷と吉良の両名は、疲れ果てて座り込みながらも勝者を讃えるように拍手を贈る。
それを皮切りとして、観客全員がスタンディングオベーションによる大喝采で風早の勝利を祝う。
観客席を見れば、雨戸は芦屋や音無らクラスメイト達と勝利の喜びを分かち合い、八神は涙を浮かべてサムズアップを送っていた。
その姿を見て、彼は改めて勝利を実感した。
そして、それはこれまでの努力が報われた瞬間でもあった。
がむしゃらに努力しても報われず、心の折れる日々であった。
けれど、それは決して無駄ではなかった。
全てに意味はあったのだ。
努力の仕方は間違っていたかもしれない。
けれど、これまでの積み重ねがあったからこそ勝てた。
諦めないことの大切さを学んだからこそ、己よりも格上の強者達を相手に勝利を収めることができたのだ。
風早は精神的疲労でふらつく身体を無理矢理動かし、右拳を天高く突き上げる。
己こそが勝者である。
そう、日本中に知らしめるように。
そして、誰よりも見ていて欲しい最愛の女性へ勝利を届ける為に。
◇
輝かしき青春を駆け抜けた少年のお話はここまで。
さぁて、そろそろ大人の時間を始めようか。





