第69話 三つ巴の決戦
アースガルドに根を張る世界樹。
光の柱に浮遊島諸共焼き貫かれ、雲海に沈みゆく大樹を背に、三頭の馬が引く戦車が天空を駆け抜ける。
「クサントス、バリオス、ペーダソス! 恩恵を失った以上、もう作戦もなにもない! 最短ルートで駆け抜けて会長を倒すよ!!」
風早は手綱を引いて、オリュンポスへの最短ルートを疾走する。
染谷のいる場所は遠くに見える吉良が一直線に向かっていることから予測がついた。
その吉良も距離が離れているが故に、今は警戒する必要はない。
それに、吉良も染谷に恩恵を破壊されてしまった今の状況で争うつもりもないだろう。
そう考えた風早は吉良の妨害は視野に入れず、世界樹から搾り取った魔力を用いて限界以上の速度で駆け抜けていた。
その時。
またもや周囲から光が消失し、夜が訪れる。
「これは、さっきと同じ……!?」
「我が主人よ。ここは我らが囮になります。ペーダソス、我が主人を敵の居城までお連れしろ」
そう、言葉を発したのはクサントスであった。
“喋れるの!?”と内心驚愕するが、今はそれどころではない。
暗闇が訪れてから極光に飲まれるまで、数秒の猶予もない。
クサントスの覚悟を無駄にしない為にも、風早は即座に決断する。
「クサントス、バリオス。お願い、僕を護って!!」
「承知した。我が主人よ」
戦車を降り、ペーダソスに跨ると、魔力を極限まで抑えた上で、オリュンポスへ向けて再び疾走する。
その背後では、神馬の馬車が魔力を高め、風早が射線から外れるように疾走する。
クサントスらが放つ魔力は召喚主である風早と酷似したもの。
故に、その魔力を目立たせることで囮としての役目を存分に果たしたのだ。
そして、世界は再び極光に飲まれる。
声もなく神馬は光に焼き貫かれた。
けれど、彼らの意思は無駄ではない。
その英断は、その献身は、次へと繋がる階となった。
ペーダソスは駆け抜ける。
最早、魔力を抑える必要はない。
彼は、己が身を構成する全魔力を燃やして、大空を疾走する。
盟友が託した意思を継いで、己が身すらも糧として、彗星が如く疾駆する。
敵が我らの存在に気づく前に。
次弾が主人を襲う前に。
我が主人を敵の居城まで届ける。
それこそが、彼が盟友から受け継いだ意思。
それこそが、自身が残った意味だから。
ペーダソスの背から感じる覚悟に、風早はただ、黙して応える。
己が身を燃やして、光の粒子となって末端から綻びゆく相棒の背をそっと撫でて、その献身に応える。
(ありがとう。クサントス、バリオス、ペーダソス。みんなのお陰で、漸く辿り着ける)
そして、ペーダソスは見事その役目を果たしてみせた。
観測室の壁を吹き飛ばすと同時、ペーダソスは限界を迎えて空気に溶け消えた。
「貴方を、超えにきました」
視線が錯綜する。
次の瞬間。
観測室を舐め尽くす暴風を撒き散らして両者の刃が交わる。
「この時を待っていたよ。君と直接刃を交えられるこの時を!」
「僕も楽しみにしていました。貴方を越えるこの時を!」
染谷の顔に浮かぶは笑み。
染谷は、自身を顧みないオーバーワークなトレーニングでいつ身体が壊れてもおかしくなかった彼を止められなかった。
だからこそ、今度こそ彼が無視できない壁であろうとした。
学生会長として、彼を導く為に。
大空の蒼さばかりを知る蛙に、自身を囲う壁の高さを知らしめる為に。
そして、その瞬間が漸く訪れたのだ。
この時を待ちに待った。
(いや、違うな。彼を導く為だなんて、最早建前でしかない)
選抜トーナメントが始まるまでは、彼を導く為に、彼を止められなかった不甲斐なさを払拭する為に彼と戦う事を望んでいた。
けれど、今は違う。
彼はもう壁の高さを存分に味わっている。
宍戸の野生の獣が如き荒々しい力強さ。
柳生の武人としての研ぎ澄まされた強さ。
それだけでない。
日向の自然の脅威そのものとも言える猛威。
水上の怪物が如き威容。
篠咲の不動明王が如き堅牢。
吉良の思考を巡らした策謀。
蒼穹へ至る数多くの壁をその眼で、その身で経験した彼には、最早壁の高さを教える必要などない。
そんな物を教えずとも、彼は既に数多くの壁を知り、そして乗り越えてきた。
八神と出会い、徒に見上げ続けることを止めた彼は目の前に立ちはだかる壁を越えるだけの強さを得た。
(私は、そんな数多くの壁を知り、乗り越えてきた君に勝ちたいんだ)
彼の前に立ちはだかる壁だなんていう上から目線はもう止めた。
対等な強者として、風早颯を討ち負かす。
だから、
(今はこの戦いを存分に楽しませてもらうぞ!)
両者の激突を契機に始まった数十、数百と続く超高速の剣戟の応酬。
その余波だけで観測室は斬り刻まれ、崩壊していく。
天井から崩れ落ちてくる瓦礫すら剣戟の余波によって瞬く間に砂塵へと変えられる濃密な斬撃空間。
その絶対領域は第三者の手によって崩される。
——鮮血魔弾。
二人は直感に従って飛び退く。
その直後、彼らの間を割って入るように巨大な深紅の弾丸が下から突き抜ける。
「よぉ、お二人さん。一人だけハブるなんて寂しいじゃねぇか」
穿たれた穴から現れたのは深紅の鳥に騎乗した吉良であった。
しかし、その姿は異様であった。
身体の至る所に深紅の紋様が浮かび上がっていた。
右目は結膜が深紅に染まり、角膜には金色が入り混じる。
そして、最も大きな変化はその背にある翅だ。
妖精の翅に似た、半透明の翅。
元は七色に輝く美しい翅だったのかもしれないそれは、半透明のまま黒く染まり、葉脈の様に広がっていた紋様は血に染まっている。
その姿は、明らかに人から逸脱していた。
「そうか、湖の妖精を喰らったな」
「妖精を……喰らった……!?」
吉良の姿を見て染谷は全てを察した。
彼が生きていることは分かっていた。
黒斂・天墜は必中必殺ではあるものの、完全無欠ではない。
目視ではなく、観測室から観測した座標を元に捕捉していたため、風早のように囮を用意すれば躱すことだってできる。
彼も風早同様、位置情報を欺いてみせたのだ。
その方法こそが彼の姿にある。
「ああ、妖精たちには『虫の知らせ』っていう危険察知能力があったみたいでな。お前の攻撃も事前に察知していた。だから、その攻撃を躱す為に湖の妖精を喰らって一体化した。その後は簡単だ。攻撃目標は湖の妖精だったからな。抜け殻を囮に、お前の魔力を追わせてもらった」
“便利だぜ、妖精眼ってやつは”そう言って彼は自身の変色した右眼を指す。
その全容は明らかではないが、彼の言うことが確かならば魔力を追うことができるのだろう。
その力を応用することで、黒斂・天墜発動の前兆を察知した吉良は、風早へと同時に放った二度目の天墜も、先述同様、自身の分身を造ることで回避したのだろう。
「ほら、スペシャルマッチと洒落込もうぜ。風早の世界樹のエネルギーだけじゃない。お前もまだ何か隠してるんだろ?」
吉良は妖精眼によって風早の持つトネリコの槍に尋常ではない魔力が保持されている事を見抜いていた。
同時に、彼自身からも常よりも強大な力強さを感じる。
「隠している訳じゃないとも。ただ、君たちの恩恵とはそもそもの分野が異なるだけでね」
そう言って染谷がポケットから取り出して放り捨てた物は白い円筒形の入れ物であった。
その容器にはこう記載されていた。
ἀμβροσία
古代ギリシャ語で不死を意味するその言葉はアムブロシアと読む。
ギリシャ神話では神々の食べ物を指す言葉だ。
「本来の伝承通りならば不死性すら与えるものだが、これにはそれほどの効果はないようだ。この薬品の効果は身体強度の著しい上昇。動物格すら凌駕する肉体を与えるというのが売りだそうだ」
彼が述べた言葉は宝物庫にアムブロシアと共に保管されていた説明書によるものだ。
宝物庫で魔力回復薬と共に入手していた薬品こそがアムブロシア。
風早の世界樹ユグドラシルや、吉良の湖の妖精といったオカルト的アプローチではなく、科学的なアプローチによる製品。
故に、吉良の妖精眼でもそれがどの様なものかは完全に見抜けなかったのだ。
動物格すら凌駕する肉体を与えるこの薬品は永続的な薬品であった為、観測室にいる時から既に服用していた。
と言っても、あくまでフィールドアイテム。
吉良や風早の恩恵同様にこの仮想空間内限定のものではある。
「なるほど、それで僕の速度にもついてこれていたのですね」
染谷の解説に風早は先の攻防の疑問が紐解ける。
染谷は確かに高速戦闘が可能ではあるが、それは全魔力を一定時間という枠組みを設けて収束させる“神騎抜刀”を用いればこそである。
先の攻防ではそれを使用していないにも関わらず、自身の速度についてこれていたことに疑問を抱いていたのだ。
しかし、疑問が紐解けると同時に、冷や汗が垂れる。
つまり、言い換えれば、“神騎抜刀”を用いた際の彼の速度は風早をも上回る可能性があるということだからだ。
風早とて、先のが全力の速度というわけではないが、相手の上限が全く見えない状況に手汗が滲む。
「そういうことだな。結局、誰も恩恵を失わず、三者三様に何かしらのドーピングをした状態ってわけだ。今なら普段以上のパフォーマンスができる。スペシャルマッチらしく派手にいこうぜ」
吉良は獰猛な笑みを浮かべて、翅から血液を分泌して自身の周りに滞空させる。
「そうだな。こんな機会はまたとないだろう。悔いのないように全力以上の実力を引き出そうか」
染谷はアムブロシアによって与えられた科学的な身体強度を隠すことなく、地がひび割れる程に踏み締め、刀を構える。
「はい。悔いのないように、全力を尽くします。そして、僕が勝つ!!」
風早はトネリコの槍に保持する莫大な魔力を引き出す。
余剰魔力が緑の閃光となって身体の周りでスパークする。
さぁ、ここからが本番だ。
三者三様に恩恵を得たスペシャルマッチ。
トーナメントの最後を飾るに相応しい幻想的な世界を舞台に、これまで以上の激闘が幕を開ける。





