第6話 氷天/神域 後編
「あとは、貴様の力を示せ」
言うや否や、凍雲は八神の光剣を凍結させると同時に冷気を爆発させる。
爆風により負傷しながらも、距離を取ることに成功した彼は即座に上空へ飛び上がる。
そして、右腕を天に掲げて、暴雪を纏った高層ビルに匹敵するほど巨大な氷の槍を形成する。
「暴雪纏う絶凍の槍!!」
全魔力を籠めた最大最高出力の一撃が八神へ、そしてその直下に霞む摩天楼へ投合された。
それは八神が展開した黄金に輝く神聖領域すら凍てつかせ、砕きながら全てを破砕すべく迫りくる。
(ダメだ。……あの一撃だけはどうしようもない……!!)
避ける? ……ダメだ。
避ければ街が消滅する。
これはあくまで特務課へ入る為の試験。
仮想空間とはいえ、実際に護りたい人がいると仮定して動く必要がある。
故に絶対に避けるわけにはいかない。
防ぐ? ……ダメだ。
彼女の光輪は力の象徴。
つまり、その光輪を展開して世界を侵食する侵食領域——遍く世を照らす光輪——が砕かれた以上防ぐことは不可能に近い。
迎撃? ……これもダメだ。
先と同様の理由で、出力が足りない。
打ち勝てる可能性は限りなく低いだろう。
詰み。
かの槍が放たれた瞬間に勝負は決まっていたのだ。
だが、勝負が決まっているからと言って諦めるのならば、彼女は研究所から逃れることなどできてはいない。
抗いようのない困難の壁を前に、それでも彼女は笑みを浮かべる。
「悪いけど、私って諦めの悪い女なんだよね」
彼女は迫り来る脅威を迎撃すべく、全ての魔力を光剣に籠める。
だけど、やはりあの槍には敵わないだろう。
(出力だけなら私に分がある。残魔力も、魔力量で大きく上回る私の方が多い)
単純な魔力比べならば八神に軍配が上がったことだろう。
だからこそ、本来ならば彼の攻撃を打ち砕けるのだが、あの槍だけは違う。
(あの槍はこれまでの紋章術とは格が違う。私じゃあどうやってもあの概念を打ち破ることはできない)
先までならば、魔力の密度を上回れば打ち破ることもできた。
しかし、どうやったのか、概念の格そのものを上げた凍雲の紋章術は最早その次元を超越した。
幾ら莫大な魔力を注ぎ込もうと、格で劣る紋章術では対抗の余地はない。
つまり、通常より遥かに概念の格が高くなった凍雲の紋章術は単純な計算を覆し、八神の全力すら軽く凌駕したのだ。
通常ならば概念の格を高めることなど不可能だ。
それを可能にする程の異常な魔力制御技術、拡大解釈、現実を歪める程に強固な自身の力を信じる想い、何よりもそれを如何なる時でもなしうる鋼の精神こそが、凍雲冬真の真に恐ろしいところなのかもしれない。
それでも、彼女は絶対に諦めない。
「真正面から打ち破れないってなら——」
ただ、全力の一撃でもって迎え撃つ。
圧倒的格上の一撃に対して、そんな思考停止の甘えた攻撃を彼女は繰り出さない。
「私の全力を持って打ち逸らす!!」
自身の内にある莫大な魔力。
その全てを……
ただ、
ただ、
一点へ収束させる。
「打ち砕け!! |闇を照らす魁となれ、明星の短剣!!!」
彼女は魔力制御が苦手だった。
あまりにも魔力量が多かったのもあるが、生来細かいことが苦手な大雑把な性格だったことに起因しているのだろう。
故に、その光剣は歪なものだった。
辛うじて短剣の形を取ってはいるが、時折形状がブレ、光剣の周囲には余剰魔力がスパークを起こしていた。
しかし、それは困難を打ち破るだけの可能性を秘めた剣でもあった。
八神は迫り来る暴雪の氷槍に向けて渾身の力で光剣の柄頭を殴りつけて投擲した。
歪な短剣は凍てつく寒空を焼き焦がしながら突き進み、やがて暴雪の氷槍と激突する。
拮抗は刹那であった。
光の短剣は表層を覆う暴雪に接触した途端、水蒸気爆発を引き起こしながら、なんとか突破することはできた。
そして、暴雪を突き破ったその先。
本体とも言える巨大な氷槍に衝突する。
そこで、光の短剣は瞬時に凍結され、粉々に砕け散ってしまった。
しかし。
しかしだ。
彼女はやり遂げた。
不可能の壁を打ち破ってみせた。
彼女の放った光の短剣は表層を覆う暴雪を突破する際、莫大な温度差により水蒸気爆発が発生した。
これにより軌道をほんの僅かにだが、逸らすことに成功していたのだ。
軌道が逸れた暴雪の氷槍は高層ビルを僅かに破砕しながら虚空へと消えていった。
「見事だ」
そう、彼は一言純粋な賛辞の言葉を送った。
不可能を、理不尽を打ち砕いてみせた未来の英雄へと。
◇
「——ああ、ちくしょう。……負けた」
先の勝敗、暴雪の氷槍を逸らすことはできたものの、全魔力を放出してしまった八神は意識を喪失して敗北してしまったのだ。
それに対して、凍雲は僅かに魔力を残していた為、軍配は彼に上がった。
敗北した彼女は、仮想空間が解除された真っ白な何もない部屋で両手を広げて仰向けに倒れていた。
先の戦闘は仮想空間で行われたものであった為、傷はおろか消耗も精神的な疲れ程度しかない。
けれど、そもそもの模擬戦闘を行った理由である、凍雲に膝をつかせて特務課入職を認めさせるという目的を果たせなかった。
そんな失意と悔しさのもと、彼女は床に寝転がっているのである。
大の字に寝そべって深い溜め息を吐いていると、おでこに何かをぶつけられた。
「——ッ! 地味に痛いんだけど何?」
寝そべったままおでこを摩りつつ、犯人であろう凍雲を睨みつける。
返答次第ではこのまま目からビームも辞さないという迫力を込めて。
……比喩でなく、本当に撃ててしまうから困り物だが。
その眼力に対して凍雲は腕を組みつつ彼女の傍に落ちている、先程おでこを襲撃した小さな襲撃犯を指差す。
寝返りをうって、彼が指し示した先を見る。
そこには日輪を背に、鷲が翼を広げている紋章が刻まれたバッジ——公安特務課所属を証明するバッジ——が無造作に転がっていた。
「……え? だって、私貴方に負けて……」
「ああ。だから俺はまだ貴様のことを認めていない」
手に取ったバッジを手に戸惑う八神に対し憮然とした態度で凍雲はある方向を指差す。
「そのバッジは俺からではなく、班長からの物だ」
彼が指し示した方向には、先程までシュミレーションルームの制御装置を操作していた、浅黒い肌にアッシュグレーのゆるふわロングな髪型の男性。
模擬戦闘前に凍雲から特務課職員と軽い紹介を受けていたソロモンがいた。
「やぁ、改めて自己紹介をさせてもらうよ。僕はソロモン。特務課第五班の班長を任されている者だ」
八神の方へゆっくりと歩きながら自己紹介をした彼は、しゃがんで彼女のバッジを持っている掌を優しく両手で握り込んだ。
まるでこれは貴方のものだから大事にしなさい、と言うかのように。
「これはさっき彼も言ってたように僕からの贈り物だよ。……確かに君は、彼に膝をつかせるという条件をクリアすることはできなかった。でも、それは君に武器がないというハンデの下行われたからであって、本来の実力であれば十分勝利できたと僕は考えたんだ。だから、君にこれを贈る」
ソロモンの言葉は屁理屈であった。
本来の実力ならば勝てたなど、実戦では言い訳にもならない。
この模擬戦を始めるきっかけとなったのも彼女の屁理屈であるとも言える。
故に、勝手な言い分であることは百も承知だ。
だけど、これだけは自身の矜持が許さなかった。
「そんな仮定の話は通用しないでしょう! 武器がなかったとはいえ、それは自分自身納得した上で付けた条件です。それをなかったことにしてその場合は勝てただなんて……。そんなの……、負け惜しみにしかならないじゃないですか。そんな理由では受け取りたくありません」
「そうだね。確かに君のいう通りだ。でもね、正直いうとさっき僕が言ったのはただの建前であって、真意はただ、君を欲しいと思ったからなんだ」
「………………は?」
「……あ。いや、別に変な意味で言ったわけじゃないからね!? セクハラで訴訟は勘弁してね!?」
ソロモンは呆気に取られた彼女の表情から自身の言葉を振り返ってみて、中々際どい言葉回しであったことに気づき、慌てて訂正した。
昨今ハラスメント行為に敏感でちょっとしたことでも洒落にならないからね。
大変だね。
そんなのいいから早く続けろという八神の厳しい目線に促される。
コホン、という態とらしい咳払いで仕切り直したソロモンは言葉を続ける。
「僕はただ、君は特務課に必要な人材だと判断したから無理を通してでも採用したいんだ。確かに冬真に負けたのに特務課に入職するのは君自身のプライドが許さないんだろう。でも、だからこそ君は受け取るべきだ。この悔しさを忘れてしまわない為にもね」
優しげで、真摯な眼差しを向けるソロモンに感情的には納得いかないながらも、理性の部分で納得する。
元々自分が望んでいた結果でもあるのだから、と不承不承ながらも納得した彼女は、小さく“分かりました”、と承諾の言葉を口にした。
「うん、それでいい。その悔しさをバネにすればきっと君はまだまだ強くなれるよ」
ソロモンはそう言って、優しげで温かな笑みを向けて立ち上がった。
「では、最後に君に言葉を贈ろう! 静聴するようにね」
片目を閉じて人差し指を口の前に持ってくるという芝居がかったわざとらしい態度でそう言うと、その態度とは打って変わって真摯な態度で彼は言葉を紡いだ。
「全てを護ることは難しい。人一人の矮小な力では、到底叶うことのない傲慢な考えさ。だからこそ人は集まり、補い合うんだ。」
それは、現実を知っているが故の言葉。
「君は君の正義に則って好きに護ればいい。他のものは他の誰かが必ず護ってくれる。それが組織というものだからね」
それは、理想を知っているが故の言葉。
「君の人生はここから始まる。この世界は広いよ。幾千年かけても知り尽くせないほどに。世界を知って、人を知って、人生を知るといい。その過程で自ずと護りたいものも増えていき、その護りたいものこそが君のかけがえのない財産となり、生きた証となるだろう。……なんてね」
そう言葉を残して彼はシュミレーションルームを去っていった。
彼が贈った言葉は先の戦いの中であった問いかけに対する彼なりの答えと激励だった。
外の世界を知らない彼女の背をそっと後押しするだけの言葉だった。
そして、何故かは理解できないが、その言葉は何よりも心に染み渡るものだった。
読んでいただきありがとうございます!
面白かったら評価ボタン、お気に入り登録お願いします∩^ω^∩