第101話 妹を傷つける奴は許さない
莫大な大気の奔流は静とルミの二人を押し潰す程度では留まらず、狙撃ポイントであった社宅を丸ごと瓦礫の山へと変えてしまった。
「……ハァ、……ハァ、……無事?」
静は己の下で蹲るルミに安否を尋ねる。
「じ、静!! 何を、して……」
ルミはその光景を目にして思わず声が震える。
いつもの冷静さを崩した彼女は瞳を潤ませて、声を荒げた。
「何で私を護ってるの!! 静!!」
静はルミを護るように、覆い被さっていた。
仕留めきれなかった事実に動揺して無防備な姿を晒してしまった仲間を護る為、彼女は鞍馬天狗の怒りの一撃を、一人で受け切ってみせたのだ。
そんなことをしてタダで済むはずもなく、彼女は逃しきれなかった衝撃で内臓を損傷したのか、血反吐を吐き捨てる。
「ルミこそ、何言ってんの? 助け合う為の仲間じゃない」
一人で物事を抱え込まず、仲間を頼り、互いに助け合う。
それこそが組織のあるべき姿である。
それこそが、特務課第五班班長の教えでもあるのだ。
「——ッッ!! バカっ! でも、……ありがとう」
そっぽを向いてお礼を言うかわいい相棒の頭を一撫でして、静は立ち上がる。
戦いはまだ終わってはいない。
鞍馬天狗の姿は見えないが、倒せていないことは確実なのだ。
悠長にしている暇など微塵もない。
「ルミ、あいつがどこに消えたか分かる?」
周囲を見渡すも、荒れ果てた天候に破壊し尽くされた社宅街が広がるだけであり、そこに鞍馬天狗の姿はない。
視力に優れたルミでもそれは同じようであった。
「分からない。私の視界に映らないほど遠方にいるのか、それとも大気濃度による光の屈折で姿を隠しているのか」
大気濃度を操れば間接的に光の屈折率を操作できる。
それによって姿を隠しているのではないか、とルミは考えたのだが、静がその可能性を否定する。
「いや、私も空気の流れで探してるけど、反応がないから本当にこの辺りから姿を消したんだと思——」
——なんじゃ、そんなにわしと会いたかったのかえ?
バッと二人は声のした方へ視線を向ける。
そこには、鞍馬天狗がいた。
「カッカッカ、わしの妖術を用いれば空間の狭間を移動することも容易いわ」
姿を隠していた方法をなんてことはないように明かす鞍馬天狗であったが、二人はそんなことよりも、彼女が左腕に抱き抱える一人の少女に視線が釘付けとなっていた。
「逃げ遅れてたんだね」
鞍馬天狗の左腕に掴まれている少女。
気を失っているのか、ぐったりと顔を俯かせる彼女の相貌はよく窺えない。
だが、その顔は見知った人物のものだった。
第二班、瀬戸一真の妹として、兄の社宅で共に暮らし、仲良く出歩いているところを見かけたことがある。
「奏ちゃん……!!」
肩まで伸ばした黒髪をウルフカットにした、中性的な雰囲気を漂わせる可憐な彼女の首を掴み、鞍馬天狗は意地の悪い笑みを浮かべる。
「カッカッカ! おぬしらを殺すことなど造作もないが、わしの左眼を奪った報いはぬしらの命如きでは到底贖いきれぬて」
鞍馬天狗は二人へ見せつけるように、奏の頬をべろりと舐める。
「だから、この小娘を貴様らの目の前で壊してやろうかのぉ」
「くっさい唾付けないであげてくれるかな? 同僚の大事な妹さんだからさ」
人質を取られている状況下で、敵を挑発することは愚策だ。
しかし、静はあえて煽ることにした。
鞍馬天狗は挑発に弱く、すぐに頭が沸騰して冷静な思考ができなくなることは初手で分かってる。
(だから、冷静さを奪えればあいつが纏ってる風の鎧にも穴ができるはず。そこをルミの狙撃で——)
「冷静さを奪おうという魂胆は見え見えじゃ。もう貴様のような小娘に苛立ちは覚えぬ。否、その苛立ちをも愉悦が勝っているからのう」
だが、彼女の狙いは見通されていた。
鞍馬天狗は二度も同じ手が通じるような弱者ではない。
そして、一矢報いたとはいえど、相手は圧倒的な格上。
そもそもが、レート6相当である静らと、レート7である鞍馬天狗の間には絶対的な壁が存在するのだ。
精神的優位、状況的優位、双方を得た鞍馬天狗を相手に、彼女たちが取れる手段はもう残されていなかった。
「さぁて、殺すことはできんからな。皮でも剥いで遊ぶとするか」
ニタニタと嫌らしい笑みを二人へ向けながら、その手に持つ扇を奏の顔へと近づけていく。
(ダメ! もう躊躇ってる場合じゃない!!)
ルミは紋章絶技を持って鞍馬天狗の腕を撃ち抜こうと、愛用の対物ライフルであるAldebaranを構える。
だが、彼女の行動を制す手があった。
「静!!」
最早数瞬の猶予もない状況下だというのに、静は冷静な態度でルミの狙撃を手で制していた。
「大丈夫。間に合ったよ」
「…………え?」
静の言葉の意図が分からず、ルミは呆けた声を出す。
そうしている間にも時は進み、無慈悲にも鞍馬天狗の扇が奏に届く。
その僅か手前で、突如として首を掴んでいたはずの奏の姿が消えた。
「…………は?」
一体何が起こったのか理解できない鞍馬天狗は呆けた声を挙げる。
先まで掴んでいたはずの肉の感触が消えている。
逃さぬようにしっかりと掴んでいたはずだ。
万が一に備えて、対峙する二人からは一切目を離していなかった。
だと言うのに、少女は忽然と姿を消した。
「い、一体何が——!?」
「お前——」
バッと、鞍馬天狗は視線を足元へ向ける。
そこには、奏を優しく地面に横たわらせる一人の青年の姿があった。
「——楽に死ねると思うなよ」
左サイドの髪を後ろに撫でつけ、右サイドを垂らしたアシンメトリーな茶髪の青年だった。
普段は少し垂れ気味な大きな瞳は、怒気を孕み、いつにない鋭さを持っていた。
鞍馬天狗は矮小な人間のえもしれぬ迫力に一瞬気圧されるが、大いなる妖としての矜持が笑みを浮かべさせる。
「か、かっか! カッカッカ!! どうやってわしの手から奪い取ったのかは知らぬが——」
鞍馬天狗は右手に持つ扇を振りかぶり、
「精々散り様でわしを楽しませてみせよ、道化が!!」
大地をも切り裂くかまいたちを放つ。
「そよ風か?」
だが、青年にその程度の攻撃は通じない。
至近距離から放たれたかまいたちは彼に当たると同時、そよ風となって拡散する。
「…………は?」
鞍馬天狗は理解不能な現実を前に、再度呆けた表情を見せる。
「バカだな。彼を相手に真正面から攻撃するなんて愚策も愚策よ」
その様子を腕組みをして見ていた静はニヤリとした笑みを浮かべる。
どれほどの紋章術の使い手。
どれほどの超克の練達者。
どれほど埒外な存在であろうと、そこにスカラー量が存在する限り、彼には通じない。
特務課第二班班員、概念格:スカラーの紋章者である瀬戸一真には、絶対に通じないのだ。
「……お、兄……ちゃん……?」
地面に横たわる奏が目を覚ます。
その先には、幾度も見慣れた姿があった。
普段は情けなくて、全然頼りにはならない。
いつもいつも職場の先輩にビビって背を丸める姿は正直カッコ悪い。
だけど、彼女は知っている。
兄は、ここぞという時には。
己を護ってくれる時は、誰よりも頼りになるカッコいいヒーローになるということを。
「奏、ちょっと待っててくれな。今、兄ちゃんがぶっ飛ばしてやるからさ」
「ほう。誰が誰をぶっ飛ばすって? 大きく出たな小僧!!!!」
瀬戸の言葉に激昂した鞍馬天狗は、これまでにない莫大な大気の奔流を頭上に集める。
莫大な大気の奔流は圧縮に次ぐ圧縮を繰り返し、次第にその形態を変化させる。
気体から、プラズマへと。
バチバチと放電を引き起こす莫大なプラズマの塊は触れれば最後、塵一つ残りはしないだろう。
「うるせぇ」
莫大なプラズマの塊が眼前の瀬戸へと振り下ろされる。
だが、瀬戸はその莫大なエネルギーの塊をまるで蜘蛛の巣を払うかのように右腕で払って霧散させる。
「——え、な?」
渾身の一撃を容易く無に帰された鞍馬天狗は言葉を失う。
そして、その動揺は致命的であった。
「奏はなぁ、やっと笑顔を取り戻せたんだ。過去を乗り越えて、心の底から笑えるようになったんだよ」
瀬戸はただ、右拳を硬く握りしめる。
「その笑顔を——」
彼は拳を振りかぶる。
大事な妹を傷つけようとした敵を討つべく。
大事な妹にこれ以上怖い思いをさせないために。
彼は、その拳を放つ。
「——曇らすような真似してんじゃねぇ!!」
拳は鞍馬天狗の頬を強かに打ち抜いた。
いや、強かになどという威力ではなかった。
彼が増幅できる限界量まで引き上げられた拳の一撃は、鞍馬天狗を遥か彼方まで吹き飛ばした。
その余波だけで大気は波打ち、直線に広がる一切合切が木っ端微塵に破砕された。
「え、瀬戸くんって……、こんなに強かったの?」
たった一撃で眼前の全てを吹き飛ばしてみせた瀬戸の強さを目の当たりにして、ルミは呆然と驚きの声を溢した。
「強いよ。なにより、妹の為に戦う時の彼はとんでもなく強い」
瀬戸と任務が重なったことがあった静は彼の強さを、その強さの源泉を知っていた。
そして、彼がすぐ側まで来ていることも風の流れで読めていた。
だからこそ、彼女はルミの行動を止めたのだ。
しかし、事態はこれで収束を迎えはしなかった。
今、最も聞きたくない声が全員の頭の中に直接響いてきた。
『この程度でわしをやれるとでも思ったか? 勝ったとでも思ったか? カッカッカ……』
カーカッカッカッカッカッカッカッカッカッカッカッカッカッカッカッカッカッカッカ!!!!
「痛ぅ、うっさ……ッ!!」
「ぐぅ! 頭の中で大声出すなよクソババァ!!」
「——ッ! 奏、大丈夫か?」
「うん、ありがとうお兄ちゃん」
バトルドーム南部に存在する全ての人間の脳内で最早聞き慣れてしまった笑い声が木霊する。
頭が割れるような大音量に、思わず頭を抑えるルミと静。
瀬戸は己の紋章術で妹と合わせて頭に響く声の音量を小さくしていた。
「術式展開:四極方陣神扇」
空を見上げると、そこに鞍馬天狗の姿はあった。
先の一撃は確かに通じていたのか、頭部からは夥しい量の血を流している。
だが、そんなことは気にならない程の変化が起こっていた。
鞍馬天狗が常に持っていた羽で作られた扇。
それが姿を消して、代わりとばかりに彼女の様相が変化していた。
彼女の四肢には扇と同種の羽飾りが現れ、それぞれに莫大なエネルギーが渦巻いていた。
右腕には炎。
左腕には風。
右脚には土。
左足には水。
彼女の四肢を渦巻く四種の力は、そこに存在するだけで周囲に天変地異を巻き起こす。
天からはバケツをひっくり返したような雨が降り注ぎ、風は渦巻き瓦礫を天へと巻き上げる。
地からは雨に晒されてなお消えぬ炎が立ち上り、大地は蠢動と共に隆起する。
「さぁ、遊びは終いじゃ。疾く、死ぬがよ——」
「うっせぇ!! 隙だらけなんだよ!!」
天に立つ鞍馬天狗が何者かによって吹き飛ばされ、再び地に叩きつけられる。
鞍馬天狗を叩き落とした何者かは、静らの前に降り立つと、瀬戸の頭に拳骨を落とした。
その人物は、白雪のような白髪をベースに赤、青、緑、紫と虹のメッシュが入ったロングヘアーをふわりと靡かせる。
琥珀色の瞳を紅色のアイシャドウで引き立てたビジュアル系バンドロッカーのような印象を与える女性。
形の良い胸を黒のビキニに包み、赤色のパレオを腰に巻いた水着姿を晒す彼女こそ、特務課第二班班員、動物格幻想種:キメラの紋章者である浅井景虎であった。
「いったぁぁああああああい!!!!!」
「せっかく見せ場をやったんだからしっかり仕留めやがれ馬鹿野郎!!」
「そ、そんなこと言ったって俺だって全力で殴ったんスよ!? アレで生きてる方がおかしいっスよぉ!!!!」
さっきまでのかっこよさが嘘のように掻き消えて、情けない姿を晒す瀬戸。
そんな彼の残念な姿を目にして、何故か一同は謎の安心感を抱いていた。
あぁ、これこれ。
まるで、実家のような安心感。
彼の情けない姿にそんな一体感を覚えていたのも束の間。
「次から次へと鬱陶しい。纏めて殺してくれるわ!!」
激昂する鞍馬天狗。
対する一同は槍を構える浅井と八極拳の構えを取る静を先頭に臨戦態勢を取る。
「こっからが正念場ね。そろそろケリをつけましょうか!!」
【補足】瀬戸が奏を助け出した方法。
奏を小さくして拘束から解放した後、元の大きさに戻しました。





