第100話 届け、無窮の彼方まで
「慌てるな! ここの護りは万全だ。慌てず指示に従って避難しろ!!」
黒髪をオールバックに纏めた筋骨隆々の男——特務課第三班班員、東城要——は海パン一丁で避難民を方舟内部に通じるゲートへと誘導していた。
着替える暇もなかった為、仕方なくはあるのだが、身体中に残る傷痕と背中に刻まれた龍の刺青が、ただでさえ強面な顔つきにサングラスと威圧感の強いビジュアルを更に強めている。
しかし、現在の状況ではそれが功を奏しているのか、誰も一切の不満を漏らすことなく静かに誘導に従って避難している。
そんな時、瀬戸ならば恐ろしくて震えることしかできない彼の外見を恐れることなく話しかけてくる一人の少女がいた。
「あ、あの! 瀬戸奏さんを見かけませんでしたか!?」
「……奏ちゃん?」
瀬戸奏。
その名は瀬戸一真の妹の名だった。
おそらく、少女は奏の友人なのだろう。
「奏ちゃん、会場のチケットが取れなかったからお兄さんの部屋のTVから試合を見ていたみたいなんですけど、糸魚川さんに聞いてもまだ避難できていないって言われて……」
「あいつの部屋って言うと……バトルドーム南部か……ッ!?」
動揺を見せれば、少女の不安を更に大きくしてしまうことを理解している彼は努めて、動揺は見せなかった。
けれど、その脳裏には最悪のパターンが過ぎる。
彼の兄である瀬戸一真の部屋は特務課班員が暮らす社宅の並ぶバトルドーム南部にある。
そして、そこには今、レート7の災厄が出現している。
「……あー、彼女のことなら問題ねぇ。さっき仲間から連絡があってな。別の場所で保護してゲートへ誘導してるから嬢ちゃんは心配せず避難しな」
ポンポン、と優しく少女の頭を撫でると、彼女の行動を促すように背中をそっと押してゲートの方へと向かわせる。
彼女が向かったことを確認した東城は、即座に瀬戸へと連絡する。
東城が先程述べたことは少女を安心させるための嘘だ。
瀬戸奏に関する情報など一切入ってはいない。
つまり、彼女は未だバトルドーム南部から避難できていないということだ。
だが、バトルドーム南部には浅井と瀬戸の二人が向かっている。
だからこそ、東城はポケットからスマートフォンを取り出すと、瀬戸へと連絡を入れた。
「瀬戸、お前の妹が南部に取り残されてる。大事なもんくらい、テメェの力で護ってみせろ」
◇
バトルドーム南部。
荒れ果てた天候は更に激しさを増していた。
雷が雨のように降り注ぎ、降り頻る雨が少しずつ体温を奪い去っていく。
「クッソ! あのババァ、ちょっと若返ったと思ったら急にハッスルし始めやがって! 発情期ですかコノヤロー!!」
高層ビルの屋上にて、白髪の優美な長髪を振り乱し、妖艶な美女が扇を手に舞い踊る。
それに呼応するかのように、天変地異は激しさを増してバトルドーム南部に壊滅的なダメージを刻んでいく。
その様子を物陰に隠れて窺いながら、静は悪態を吐いていた。
そんな彼女の耳へ、通信機越しにルミの声が届く。
『叫ぶとバレるよ? ……で、どうする? あの防御壁を打ち破るのはかなり難しそうだけど』
「そうなんだよねぇ。ど〜しよっかぁ」
静は手詰まりな状況に思わず天を仰ぐ。
と言うのも、全ては彼女の姿が変化してからのことだ。
頭襟を被り、白き麻造りの鈴懸と称される衣服を身に纏った、山伏のような格好をした白い長髪の老婆姿だった鞍馬天狗。
彼女に突如光の柱が舞い降りたと思えば、その姿は一変した。
白き長髪は瑞々しく優美なものへと若返り、皺だらけだった皮膚はつるりと若々しい玉肌を取り戻した。
妙齢の美女へと姿を変えた、否、全盛期の姿へと回帰した彼女の力は凄まじいものだった。
扇を一振り。
たったそれだけで大地が捲り上がり、天から災いの雨が降り注ぐ。
妖艶な舞を踊れば、それに呼応するように雷が降り注ぎ、あらゆるものを消し炭へと変える。
だが、最も厄介なのはそこではない。
彼女を取り巻く防壁こそが、状況を詰ませている最たる要因だ。
『一先ず、現状分かっている情報を整理しよう』
「そうだね。えっとぉ、とりあえず殴ってみた感想は武術ではどうにもならないってことだね」
『その心は?』
「分厚い風の鎧をただ纏ってるだけじゃない。暴風の鎧は二重になってて、その間に真空の層が挟まってる。だから、どれだけ打撃の衝撃を研ぎ澄ませようと、伝わる物質がない以上絶対に届かないって感じだね」
衝撃とは、伝わるものがあって初めて伝わるものだ。
それが個体、液体、気体、どのような状態であろうと、物質がある限り衝撃は伝わる。
故に、暴風の鎧だけなら静の技巧であれば、衝撃を貫通させることができる。
しかし、間に真空が挟まっていれば話は異なる。
どれだけ技巧があろうと、そもそも伝わる物質が何もない真空に衝撃を伝えることなど物理的に不可能なのだ。
『静の紋章術で鞍馬天狗が纏ってる風の鎧を剥がすことはできないの?』
風の鎧を纏っているから攻撃が通じないのならば、引き剥がしてしまえばいい。
自然格:大気の紋章者である静ならば、風など容易く操って引き剥がせるのでは、と考えたルミだったが、
「残念ながら力不足だったよ」
静の返答は否であった。
「術比べの技量は向こうの方が上。魔力量だって敵わない。覚醒紋章者でもないと真正面からの支配権争いに勝ち目はないね」
鞍馬天狗の姿が変わって間もない頃、風の鎧を引き剥がそうと試みた彼女であったが、逆に己の身体を構成する大気の支配権を奪われそうになる始末だった。
『ということは、やっぱりあの鎧を打ち砕く他にはないって訳だね』
「だろうね。だけど、そうなると問題はその破壊力をどう生み出すかなんだけど。……ルミでも無理?」
『……私個人なら不可能。静の手助けがあれば、ほんの少しだけ可能性が見えてくるってレベル』
「少しでも可能性があるなら、賭けるしかないでしょ。で、どんな作戦?」
『それは——』
◇
「ルミ、失敗したら一緒に死んでね」
「縁起でもないことを言わないで。死なない為に足掻くんでしょうが」
静はルミの狙撃ポイントである、特務課職員用に設けられた社宅の屋上へと移動していた。
彼女たちの視線の遥か先では、彼女たちの動きに気づく様子もなく破壊の悦楽に浸る鞍馬天狗の姿があった。
いや、そもそも彼の災厄にとって彼女達は羽虫同然であり、気にする必要もない存在なのかもしれない。
ルミの考えた作戦は実に単純だ。
彼女の最大最強の一撃を静がサポートして強化。
加えて、その隙を作るために静が鞍馬天狗の気を引くと言うものだ。
故に、一人二役こなさなければならない静の負担は必然的に大きくなる。
(でも、この程度熟せなくちゃ紫姫に笑われちゃうからね)
メキメキと実力を伸ばしている有能な後輩に胸を張れるように、彼女は根性で無理を押し通す。
既に揺動の一手は打っている。
大気濃度によって光を屈折させて色付けまで行った、精緻な分身を陽動役として鞍馬天狗へと向かわせた。
そして、本体たる彼女がこうしてルミのそばに控えているというわけだ。
「ルミ、始めるよ」
「ん」
ルミは静かにバレットM82A1に酷似した愛用の対物ライフル——Aldebaran——を構え、装填された一発の弾丸へと自身の魔力を集中させる。
そのライフルにスコープなどついてはいない。
しかし、シモ・ヘイヘの紋章者である彼女の視界には、くっきりと攻撃を開始した静の分身体の姿が捉えられていた。
分身体が空気を圧縮した爆弾『壊空』を複数個構築し、鞍馬天狗を爆撃する。
——まだ。
鞍馬天狗は爆撃をものともせず、分身体へと嬉々として蹴りを浴びせにいく。
分身体はギロチンのように鋭い蹴撃を辛うじて避けることに成功する。
——まだ、撃つべき時じゃない。
蹴りを避けてガラ空きとなった鞍馬天狗の脇腹へ、莫大な空気の噴射によって加速した拳が突き刺さる。
——まだ、奴に本当の隙はできてない。
拳を受けた鞍馬天狗は全く動じることなく受け止め、反撃とばかりに右手に持つ扇を振るう。
瞬間、曇天さえも飲み込む超大規模な火炎が分身体を跡形もなく焼き尽くす。
——今!!
「届け、無窮の彼方まで!!」
銃口から射出された弾丸は空気を——引き裂かない。
静によって作られた真空の軌道を真っ直ぐと突き進む。
真空の道筋だからこそ、彼女の弾丸は一切の空気抵抗を受けず、速度を保ったままに突き進む。
それだけではない。
「大気と技巧のスペシャリストを舐めんなよ」
弾丸に螺旋状の気流を発生させることで貫通力の強化。
弾丸の動きに逆らわず、自然に後押しすることによる弾速上昇。
それらの同時行使に加えて分身体の緻密な操作を行ったことで、彼女の脳がオーバーヒートしたのか、たらりと鼻血が垂れる。
だが、構うものか。
この一撃が届くまで、一切気を緩めない。
曇天を焼き尽くす超大規模な火炎。
それによって完全に視界を奪い去られた鞍馬天狗の脳天へと、炎のカーテンを斬り裂いた弾丸が撃ち込まれる。
「——ッッ!!?」
気づいた時にはもう遅い。
至近距離にまで接近していた超高速の弾丸は鞍馬天狗を撃ち抜いた。
「あ、がぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」
彼女たちが放った渾身の技は確かに鞍馬天狗へと届いた。
だが、彼女達の放った一撃は直前で僅かに躱されていた。
僅かに着弾箇所が逸れた弾丸は鞍馬天狗の脳天ではなく、左眼を抉り飛ばすに留まる。
渾身の一射は、仕留めるに至らなかった。
「そ……、んな……」
「ルミ!! 何してるの!? 間髪入れずもういっぱ——」
静が言いきる前に、一つの天災が彼女たちの頭上へと舞い降りた。
だが、ルミは仕留めきれなかった事実に動揺を見せたが故に、一手遅れてしまう。
「わしの左眼を奪った報いを受けろ小娘ども!!!!」
怒気を孕んだ声が聞こえた瞬間。
莫大な大気の奔流が狙撃ポイントであった社宅ごと二人を押し潰した。
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