94.ノエさんの話を聞く(5月26日)
部屋に入るなり、イザベルとアリシアがベッドへと倒れ込んだ。
「お兄ちゃん……お風呂入りたい……」
「そうですね……なんだかドッと疲れが出ました……」
宿に着くまでは皆元気だったのだが、アイダも含めてぐったりしている。
俺も少々疲れた。
自分の足で歩いているのではないとはいえ、慣れない荷馬車の荷台に丸2日半乗っているというのも、それなりに身体に堪えるものだ。
そしてビビアナの豹変。あのせいで一気に疲れが押し寄せてきたに違いない。
あれはいったい何だったんだ。旅をしている間は、俺と娘達の関係を拒否するような素振りはなかったはずだ。
「3人とも一旦戻って風呂に入ってこい。俺は後でいいから」
「うん……そうする……」
「あんまり帰ってこなかったら、たぶん寝ちゃってます……」
ノロノロと動き出す3人娘を転移魔法で自宅の脱衣所まで連れて行き、俺一人だけ宿屋の部屋に戻る。
まあ2時間ぐらいは放っておこう。別にそのまま自宅で寝るというならそれもいいだろう。
少なくともビビアナの疑念は払拭されたことになるしな。
腕時計の針は14時を回ったところだ。
昼食らしい昼食は食べていないが、外に食べに行くにはまだ早すぎる。
適当に干し肉でも齧って仮眠するか。
◇◇◇
イザベルとアリシアが倒れ込んでいたベッドに、今度は俺が横になる。
さっきのビビアナの態度が気になる。
宿屋の女将さんと話していた内容も踏まえて推察するに、ビビアナはアイダにご執心なのかもしれない。
自分の目の前で多数のゴブリンを屠った英雄を、今度は俺の魔の手から救い出そうとしたのか。そう考えれば合点も行く。
まあ俺が理由を考えても仕方ない。本人ですら、自分の精神状態など分かっていないかもしれないのだ。
現時点ではっきりしている事は、ビビアナと俺達が歩み寄れないならば、これ以上一緒に行動するのは不可能という事だ。
しかしグループの人数が増えるとろくな事が無い。
人間である以上、何かの組織にぶら下がって生きていかねばならないし、放っておいても何らかのコミュニティが形成されていくものだ。
娘達も普段は仲良しだが、時折口喧嘩もする。だがそれはじゃれ合うような他愛もない喧嘩だ。今回のビビアナのように、杖や剣を抜くような事態にはならない。
杖や剣を抜く。中世日本やヨーロッパなら、誰かの血を見ない限り治まらない事態だったはずだ。この世界でも同様の意味を持つのだろうか。
ビビアナが俺に杖を突き付けた瞬間、部屋の入口にいたイザベル達の纏う空気が明かに変わった。
あのままビビアナが詠唱でも始めていれば、イザベルかアイダが斬りかかっていた事だろう。
コンコン
扉をノックする音が聞こえた。
「イトー君、ちょっと2人で話せるかな?」
ノエさんの声だ。娘達がいない事を察知したのか。
閂を外し、ノエさんを室内に迎え入れる。
「休んでいたところ悪いね。ちょっと耳に入れておきたい話があってね」
「いえ。さっきは仲裁ありがとうございました。それで話というのは?」
ノエさんは部屋の傍らにある木製の机から椅子を引き出し、背もたれに身体を預けるように座った。
俺はベッドに腰掛け、ノエさんが話し始めるのを待つ。
「まあそんなに堅苦しい話じゃあないんだけどね。ビビアナの事だ。さっきイザベルちゃんが“1人で突撃すればいい”って言い方をした時、ビビアナの雰囲気がサッと変わっただろう?気付いたかい?」
気付いたも何も、まさに怒髪天を突くとはこの事かと言わんばかりの変わりようだった。
「それは気付きましたが……あれほど怒るような事なんですか?ビビアナは優秀な学生だから監察生をやっているのでしょう?魔法師とはいえ単独潜入や強行偵察ぐらいやってのけそうなものですが」
「そう。その優秀なというのが正に問題なんだよ」
ノエさんが緑色の帽子を弄びながら続ける。
「確かにあの子の成績は優秀だ。魔法の知識や行使できる魔法の種類はもちろん、体術や弓術、剣術だって並みの学生以上には習熟している。もしかしたら現役の狩人にも迫るかもしれない。養成所ではそういう評価なんだ」
なんとまあ。話だけ聞けばどこの世界の特殊部隊のひよっこなのだろうか。もうビビアナだけいればいいんじゃないかと思えるほどだ。
しかし、何故そんな言い方をする。“ビビアナは優秀な学生で、しっかり一人前の狩人としてやっていけます”ということなら、何も問題は無いだろう。
「ところが実戦になるとどうか。アイダちゃんが小鬼達を狩った時のビビアナの反応、覚えているよね?」
あの時はアイダに見惚れていたからな。
ビビアナの印象といえば、アイダが剣を鞘に納めた瞬間にへたり込んだことぐらいか。
そういえば杖を握ったり剣を抜いたりはしていなかったな。さっき俺に杖を突きつけた時は、かなりの勢いで杖を抜いていた。
ゴブリンなど素手でも余裕で倒せると高を括っていたか、あるいは……
「まさか小鬼に怯えて動けなかった……?」
「はっはっは。まさか!と言いたいところだけど、そのまさかだよ。ビビアナは魔物が怖いんだ」
◇◇◇
魔物が怖い。
その度合いの大小に差は有れど、誰だって自分に危害を加えるであろう存在は恐ろしい。ましてや魔物であればなおの事だ。俺だって魔物は怖い。だからエアガンの引き金を引いている。
だがその程度の話であれば、ノエさんがわざわざ俺に話をしに来る必要もないはずだ。
「これはビビアナ本人から直接聞いた事なんだけどね。あの子は今まで魔物を狩ったことがない。たぶん出くわしたことも数回あるかないかのはずだ」
「そんなはずがないでしょう。ビビアナはここカディス周辺の探索の任務を受けていたはずです。その過程でトローなる魔物が巣を作っているかもしれないという情報を掴んだ。だから俺達は今ここにいるんです。カディスは大襲撃の際には拠点となる重要な街らしいではないですか。そんな街の周辺探索を任せられるぐらいには経験豊富なのではないのですか?」
「うん……経験というのが狩った魔物の数を言うのなら、間違いなく彼女は歴代の養成所監察生の中でも最上位だろうね。ただ、自分で、自分一人で狩った魔物の数を言うならば、入所したての新入生にも劣ると思うよ」
すごく持って回った言い方だが、それはつまり……
「自分で狩ったわけではなく、仲間の誰かが狩ってくれた……?」
「そう。彼女の仇名を知っているかい?孤高のヒラソル。夏に咲く花々の中でも周囲を圧倒するように咲く大輪の花だ。人々はその黄金色に輝く花に魅せられ、まるで主人に尽くすかのように彼女の意思に従ってしまう」
おいおい。それって精神魔法を常時発動させている魔物みたいじゃないか。
「っていうのは冗談だけどね。パーティードを組む相手には事欠かないのに、固定のパーティードを組まないって有名らしいよ」
「つまりこういう事ですか。その魅力に引き寄せられた実力のある学生やカサドールとパーティードを組み、仲間が魔物を狩ってくるのを待っていると。そして任務を一つ終えたらパーティードを解散し、自分が何もしていないことを周囲に気付かせないようにする。とんだ悪女じゃないですか」
「それだけ聞けばね……たぶん本人に悪気はないんだと思うよ。イトー君だって一昨日の小鬼との遭遇戦の時、ビビアナを馬車の所に残したでしょ。しかもアイダちゃんを護衛に付けて。あれはどうして?」
「それは……近接戦闘が得意なイザベルがアリシアと先行していたし、残った4人のうち前に出るなら俺とノエさんしかいないと思ったから……」
「そうだね。ボクが指揮を執っていてもビビアナを森に飛び込ませる選択はなかった。もし仮に残っていたのが4人ではなく3人だったら、例えばイトー君とボク、ビビアナだったら、イトー君かボクが森に入り、どちらかが護衛で残っただろうね」
あ。そうか。ビビアナが実力者だと本当に思っているのなら、護衛など必要ないと判断したはずだ。
アリシア・アイダ・イザベルと俺の4人で言えば、少なくともバックアップできる範囲でならアイダとイザベルには護衛は必要ない。アリシアを一人にするのは不安が残るが、それも短時間ならば平気だろう。
「つまり周りが彼女を危険な目に合わせないように配慮している?」
「そのとおり。危険な目、不快な目。そういった諸々から彼女は遠ざけられているんだ」
なんとまあ。とんだ深窓の御令嬢だ。
狩りに出かければ仲間達が気を遣って安全な場所に留めてくれる。
きっと本人の意思に反するようなこともされないのだろう。アイダを自分の部屋に泊めようとして真っ向から反対された時の動揺っぷりは、望むものを与えられ続けた挙句にお気に入りの玩具を取り上げられた幼児のようだった。
そんなお嬢様の御守りをしながらトローの巣を探索し、あわよくば狩り尽くそうというのか。
無謀だ。どう考えても無謀だし、その成果がビビアナのモノになるとなれば俺達にとっては無意味だ。
「それにしても、ノエさんはどうしてそんなことをご存じなんですか?ノエさんとビビアナの関係っていったい……?」
「ああ……それね。うん……。妹って言ったら信じるかい?」
ここでも妹設定か。腹違いで種違いなんて言うなよ。





