88.カディスに向かう①(5月24日)
翌朝は早起きしてカディス行きの準備をする……わけでもなかった。
ノエさんの話によれば、ビビアナ嬢は準備万端で出発を待っているらしいから、ノエさんの酒が残っていなければ昼前にはこちらに到着するだろう。
だが俺達は荷造りが必要なわけでもないし、3人娘が道中につまむドライフルーツや干し肉は、養成所への道すがら昨日のうちに買い込んでいる。新しく作ったヘカートとM870も、慣熟訓練が必要なほど難しい操作は無い。
やる事といえば電動ガンの整備とバッテリーの充電、各種弾丸の補充。これらを終えれば、あとはビビアナ嬢とノエさんの到着を待つだけとなった。
となれば、俺達のする事はだいたい決まっている。
アリシアは楽しそうに昼食というか弁当の支度を始めた。
イザベルはヘカートを抱えてログハウスの屋根に登っていったから、誰にも邪魔されず精神集中という名の昼寝でもするのだろう。
俺はと言えばアイダ師匠に連れられて剣を振っている。
正確に表現するなら、俺がアイダに向かって打ち込み、アイダは剣で捌きながらM870で俺を狙うという訓練だ。
マガジンは抜いているとはいえ、明らかに殺傷能力があるショットガンに狙われるというのは精神衛生上よろしくはない。
お陰でこちらも真剣味が増すというものだ。
今も「キンッ!」という刃鳴りと共に上段からの打ち込みを流され、右側面からM870の銃口を突き付けられている。
「また私の勝ちだ。まったく、カズヤ殿は剣の腕前はまだまだだな!」
何せ剣を振りはじめて未だ3週間足らずだ。幼い頃から修練を重ねてきたアイダに敵うはずもない。
それにしても、どう鍛えれば右手で刃渡り70センチ近い剣を操りながら左手で総重量2㎏を超えるM870を軽々と扱う女の子が出来上がるのだろう。しかも茶色に染めた鉄の胸当てに鉄製の籠手まで装着してだ。
薄着でベッドに潜り込んでくる時の感触からは、そんなに筋骨隆々といった印象はないのだが……
「ほら!気持ちがお留守になってますよ!」
今度はアイダが攻め立ててくる。俺は転がるように距離を取るのが精いっぱいだ。
「あはは。お兄ちゃん頑張れ~」
屋上から乾いた声援が聞こえるが、相手をしている余裕はない。
というか寝てたんじゃないのか。
「あ!来たみたいだよ!!ねえねえ、一発撃ちこんでみてもいい?」
『ダメ!!』
とんでもない事を言い出す奴だ。イザベルには戦闘時以外エアガンを持たせるのは止めた方がいいのだろうか。
「だってさあ。お互いの実力というか戦闘力?みたいなのは知ってた方がいいじゃん?」
「だからって味方を撃ってどうする!イザベル!ちょっと降りてきなさい!」
俺が怒るよりも先にアイダが指導してくれるみたいだ。それなら任せよう。
◇◇◇
「やあやあお二人さん!朝から元気だねえ」
黄土色のチュニックに茶色のパンツ、革の籠手と脛当てを身に着けたノエさんが馬車の御者台から軽やかに飛び降りる。馬車を引くのは栗毛のノエさんの愛馬だ。
赤が基調の養成所の制服に身を包んだビビアナ オリバレスは、騎乗したまま長い金髪を髪に揺らしながら会釈してきた。
「あんたねえ。なんであんただけが馬に乗っているのよ。それに騎乗したまま挨拶するなんて、お兄ちゃんに非礼だわ!ちゃんと降りて挨拶しなさい!」
ログハウスの屋上から大声が響く。
イザベルよ……気遣いは嬉しいが、別に失礼とも何とも思っていないぞ。
「これは失礼しましたイトー殿。失礼を重ねるようですが、敢えてイトー殿と呼ばせていただきたい。改めて、よろしくお願いいたします」
イザベルに言われたからではないだろうが、ビビアナ嬢は今度は馬から降りて挨拶をしてくれた。
「オリバレス殿。こちらこそイザベルが失礼した。きちんと謝罪させる」
「いえ。非礼があったことは事実です。お気になさらずに。それと私のことは姓ではなく名でお呼びください。ビビアナで結構です」
おや。親しくもない間柄では姓で呼ぶのは普通だと思っていたが。何か姓で呼ばれることに抵抗でもあるのだろうか。
「まあまあイトー君。固い挨拶は抜きにして気楽に行こうよ。それで、準備はできてる?」
「はい。大丈夫です。イザベル!アリシアを連れて出て来い。アイダも準備はいいか?」
「はい。私はあとはこれを……」
ログハウスの入口に置いていたミリタリーリュックを背負い、G36Cのスリングを掛ければ俺の準備は終わりだ。アイダもミリタリーリュックを背負い、背中とリュックの間にM870を差し込むように左肩から右腰にかけて装着する。
「お待たせ!」
「お待たせしました。ノエさん、オリバレス先輩。今日からよろしくお願いします!」
イザベルとアリシアがログハウスの入口から出てきた。
2人ともリュックを背負っているのは同じだが、アリシアは短槍を、イザベルは弓を持ち矢筒も背負っている。
アリシアがログハウス全体に硬化魔法を掛け、俺がログハウスを包むように結界魔法を掛ける。これで俺達4人以外はログハウスに近づくことができなくなるはずだ。
一応外閂に掛ける南京錠的なものはあるのだが、何せノエさんのように閂や錠を物ともしない魔法や技術があるらしいからな。近づけないようにするのが一番だ。
「皆忘れ物はないな?イザベル、ヘカートは持ったか?」
「大丈夫!マガジンも全部収納済み!」
「アリシアも大丈夫か?」
「はい!お弁当も沢山作りましたよ!」
子供と一緒にピクニックに向かうお母さんのような発言だが、さほど緊張もしていないのだろう。
「よし!じゃあ4人とも馬車の荷台に乗って!出発するよ!」
ノエさんが皆を促し荷台に乗せる。
俺達が腰を落ち着けるのを待って、荷馬車がゆっくりと動き出した。
目指すカディスはアルカンダラから南東におよそ100キロメートルほどらしい。馬や馬車でなら2日といったところだろうか。
◇◇◇
「お兄ちゃんお尻痛いよう……」
そうだったな。荷馬車に乗せてもらうときはエアマットを使っているんだった。
リュックから取り出したビニール製のマットを拡げ、空気を注入する。
DC12V出力があれば電動ポンプという手もあるのだが、仕方ないから人力で膨らますしかない。
4人で代わるがわる空気を吹き込んでいる姿は当然異様なものに見えたのだろう。
ビビアナが馬を荷台に寄せてきた。
「それは何の魔道具なのですか?素材は薄い布?」
「これ?これはねえコディンの大きいやつだよ。ふっかふかでお尻が痛くならないの。いいでしょ」
「ビビアナ。これは魔道具ではなくて単なる道具だ。水や空気を通さない素材で出来ていて、空気を入れると膨らむようになっている」
「なるほど……西方、オスタン公国よりも更に西に、羊の皮袋を膨らませて筏を作る民族がいるらしいのですが……それと同じですか?」
羊皮筏子。確かシルクロードを旅する商人たちが使っていたはずだが、似たような文化があるのかもしれない。
遥か西方か。ここルシタニアは人間の領域の最も南東に位置しているらしい。ここより東は魔物が跋扈する地域。よく異世界に飛ばされた日本人が“遥か東の島国から来た”などと自己紹介する場面が多いが、ここで同じことを言えば魔物扱いされたことだろう。
「ああ。たぶん同じようなものだ。ビビアナは西方に行ったことがあるのか?」
「いいえ。書物で読んだだけです。行ってみたいとは思うのですが……ヤクーモ師、養成所を作った初代所長も西方のご出身だったとか。カサドールを志す者として、尊敬する師の生まれ故郷は訪れてみたいのです」
ヤクーモ師。養成所の制服やカリキュラム、養成所の入学基準年齢などから考えるに、どうやら日本人、少なくとも現代人に間違いなさそうだ。
ヤクーモ師が活躍したのは100年ほど前らしい。
今から100年前と言えば大正時代。少なくとも養成所の制服のような服は日本にはなかったはずだ。
とすればヨーロッパ人か。
いや、現代人が俺よりも少し前のこの世界に飛ばされただけかもしれない。
俺のようにこの世界へ迷い込んだ人間が他にもいるのだろう。
俺は一応本名を名乗ってはいるが、別に本名である必要などないのだ。
ヤクーモでもムラーノでも、それっぽい名前を名乗っていたら名前だけでは判断できない。
実際に会ってみなければわからないか……
「どうしたのですかイトー殿。何か怖い顔をされていますが……」
「なに?こいつが何か変な事言った?」
「いや、すまない。ちょっと考え事をな。西方か……行ってみたい気もするな」
「じゃあカディスから戻ったら、前の約束を一個ずつやりましょう!それから西方に向かうってのはどうですか?」
「私の祖母の話を聞きにタルテトスの実家に行く」
「私のお父さんに会って魔物についての話を聞くってのが先じゃない?!」
「あれ?お兄ちゃん私との約束無くない!?なんで!?」
「だってイザベルちゃん寝てたもん」
「はああ!?私が寝ている隙になに約束なんかしてんの!?ほんと信じらんない!」
お前らなあ……監察生が来るって嫌がっていたのは一瞬だったな。
「あはは。楽しそうで何よりだねえ。イトー君も飽きないでしょ」
ノエさんの乾いた口調が痛い。
まあこんないつもの感じで6人の旅路は始まったのだ。





