48.船上にて②(5月12日)
「ふえええええ……終わった……」
なんだか期末テストが終わった直後の幼馴染の同級生(♀)みたいな気の抜けた声を出したのはアリシアだった。いや、そんな幼馴染が居たことなんかないのだが、仮に居たとしたらそんな感じなのだろうという妄想だ。
むしろ経験があるのは、アイダの発した次の言葉だ。
「お疲れさまでした!なんとかなりましたね!」
ああ。なにか難しいプロジェクトを成し遂げた後のような、爽やかな笑顔。
イザベルか?あの吸血娘は思いっきり俺の首筋に噛み付いた所にアリシアに鎮静魔法を重ねがけされて、夢の世界に逆戻りしている。
倒したティボラーンの処置を巡って、多少の擦った揉んだがあったが、結局はオンダロアまで曳航して解体することになった。
死体の流す血の匂いに誘われて、他の魔物が姿を現す危険と、波間に漂う2匹のティボラーンの価値の狭間で葛藤した挙句、エンリケスさんとサルダニャさんが決断したのだ。
海中に沈んでいった1匹は諦め、残りの2匹に水夫達がロープ付きの銛を打ち込み、ビクトリア号とパトリシア号それぞれの船尾にロープを固定。その上でアリシアと俺とでティボラーンの遺骸を結界防壁で海水と遮断した。
あとは脇目も振らずにオンダロアに向かうだけだ。
さきほどのアリシアの呟きは、遺骸に結界防壁を張ってビクトリア号に戻ってきた時の事だ。
ちなみにイザベルが夢の世界に旅立ったのは戦闘終結の直後だったから、俺達が回収作業をしている間はアイダが付き添ってくれていた。
ビクトリア号の甲板でマストに寄りかかって一息ついた俺達に、アマンシオさんが話しかけてきた。
「しかし、凄まじい攻撃だったな。俺は何年も船乗りをやっているし、さっきのティボラーンや他の魔物とも何度も遣りあっている。仕事柄カサドールの旦那達を乗せることも多いし、彼らの放つ魔法の数々も見てきたつもりだ。だが、あんな攻撃は見た事もない。お前さん方、アルカンダラの学生さんって話だったが、そりゃ本当か?軍の魔法兵団の秘蔵っ子って言われても、俺は信じるぜ?」
魔法兵団?そんなものがあるのか。
「私達も軍組織にはあまり詳しくはないのですが、ここタルテトス王国には、国王直属の騎士団の他、国王直属の王国軍、各貴族が抱える騎士団と私設軍があります。各都市や地方の街に配属される衛兵隊は、各貴族直轄の私設軍です。その王直属の王国軍の中に、魔法に特化した部隊があるという話は聞いたことがあります」
アイダの説明のままなら、王国軍と私設軍の関係は日本で言えば自衛隊と警察のようなものだろうか。
きちんと中央政府が全体を把握していれば成り立つだろうが、例えばどこかの領主が異常に軍備を拡張し、王国軍を上回ったりしたらどうするつもりなのだろう。
「歴史の中で、確かにそのような事件は繰り返されています。最近ではおよそ100年前に起きたカタルヘナ公爵の反乱です。この時は隣国のオスタン公国を引き入れて、オンダロアの街からアルカンダラに攻め入ろうとしたとか」
「ほう、嬢ちゃんよく知ってるな。その話はオンダロアでもナバテヘラでも有名な話だ。なんといっても曾爺さん達の代の武勇伝だからな。敵味方100隻以上の船が入り乱れての大海戦だったらしいぞ。ナバテヘラが城塞港でなかったら、当時のカタルヘナ公の企みも達成されていたかもしれん」
「そういった無用の争いを避けるために運用されているのが、国王と四公で構成される選王会議と、学校制度です。私達のようなカサドール養成所もその一つですが、それ以外にも軍学校や士官学校があり、優秀な人材が選抜されて王都に集まります。王都からは王の信認が厚い者が行政官や爵位持ちの貴族として各地方に送り込まれます。そうやって、国王直轄領と各公爵領の力関係を保っているのです」
「選王会議?言葉のとおり国王を選ぶ会議?」
「はい。正確には次の国王候補を指名する際に召集される会議です。私も養成所で習った以上のことはわかりませんが、第6代国王フェルナンド3世が御嫡子がないまま崩御され、大規模な内乱が発生した反省を踏まえての事だと。それが、先ほどもお話したカタルヘナ公爵の反乱です」
そんなことでパワーバランスが保てるものだろうか。まあ、100年前の内乱以降は安定しているというのならば、上手くやっているのかもしれない。
「まあ、人間同士で争っている場合じゃないってのもあるけどな。だいたい74年周期でグランイクルージオンが起きるんだ。それ以外の時期は国力を温存しておかないといかんのは、誰が考えたって道理だ」
“グランイクルージオン”?また知らない単語が出てきた。
「えっと……歴史を紐解くと、70年から80年周期で東の大樹海から魔物が溢れるように襲ってきています。これを大襲撃と呼んでいます。その周期の平均が、だいたい74年ってことです」
アリシアの説明にアマンシオさんが呟く。
「その74年目が今年だったんだよな。前回の大襲撃は記録上は過去例を見ないほど規模が小さかったらしいし、次の大襲撃がどれ程の規模になる事やら……ってのが、軍や貴族様達の共通の心配事らしいぜ?北方の国境沿いに大公軍が増員されているのも、人間様の争いに備えてではなくて魔物に備えてるんじゃないかって話だ」
「そういえばアリシアも言っていたが、ニーム山脈の東側は魔物の領域だって事だったよな。どうして北方のノルトハウゼン大公国だったか?その国は東側の守備を固めるのではなく、タルテトス王国との国境に軍を配置するんだ?」
自分の名前が出てきたことで、アリシアがぴょこんと頭を上げる。
「それはですねえ。ノルトハウゼン大公国領内のニーム山脈の標高が高すぎて、魔物が侵攻してこれないからです。過去に起きた大襲撃でも、その侵攻はここルシタニアかバルバストロの領地で始まりました。ですから、ノルトハウゼン大公国にとっても、オスタン公国にとっても、更に西方の諸王国にとっても、ここタルテトス王国は魔物との緩衝地帯のようなものなんです」
「タルテトス領内のニーム山脈の標高はせいぜい800メートル級だが、二トラ山地を挟むと一気に標高が上がって3000メートル級になるらしいな。そしてニーム山脈の北は永久凍土の大地へと続く。魔物と言えどもわざわざそんな北方から攻め寄せようとはしないってことだ。それにしてもカズヤ殿は、あんなに凄まじい魔法を使うのに一般常識ってもんに欠けているように思えるが、何か訳ありか?」
アマンシオさんのこの質問は正直痛い。アリシアには俺のことを包み隠さず話しているし、アイダやイザベルも知ってはいるはずだ。しかし、他人に話してもいいのだろうか。
「カズヤ殿はルシタニアの最南端、エルレエラのスー村よりも先の森の中で隠遁生活を送るご両親に育てられたからです。もっとも、その地にカズヤ殿がおられなかったら、そして私達が捕らわれていた洞窟に足を向けていただいていなかったら、私達がこうして生きていることもなかったでしょう」
「エルレエラよりも南の出身か。そりゃあ大変だっただろうなあ。命を救われたって事じゃあ、俺やこのビクトリア号の仲間達も同じだ。もしカズヤ殿達が乗船していなかったら、何人の仲間が死んだかしれない。改めて感謝を。そして、また機会があれば是非このビクトリア号に乗って欲しい」
そう言ってアマンシオさんが頭を下げる。
いや、元を正せば俺が不用意に発したソナーのせいなので、正直どんな顔をしたらいいのかわからない。
「さてと……そろそろオンダロアの港が見える頃合いです。着岸の準備があるので、失礼する」
そう言ってアマンシオさんが水夫達の下へ戻っていった。
船首で見張りをしていた水夫が大声を上げる。
「港が見えたぞ!」
水夫が指さす方向、おおよそ2時の方角にうっすらと人工的な構造物が見えてきた。





