39.ナバテヘラにて②(5月10日〜11日)
ノエさんが顔面蒼白になっている。
「ノエ!ちょっとそこに座りなさい!」
「そこって……ここ?」
「そこに正座!」
「はい……」
ノエさんががっくりと膝を付く。
ラウラさんと呼ばれたお姉さんが、ノエさんの前に仁王立ちになった。
「さて、言い訳があるなら言ってみなさい?」
「いや……カサドールの仕事が忙しくってさ……父さんも母さんも人遣いが荒いし……」
「それでも馬なら半日の距離でしょう!」
これはあれだ。痴話喧嘩ってやつだ。関わらないようにしよう。連絡所の外で待つか……
そっと抜け出そうとした俺達を、ノエさんが呼び止めた。
「イトー君達!アルマンソラまでの船は明後日の朝出航だって!それまではのんびりしているといいよ!料金は一人金貨2枚。明後日の日の出頃に波止場に集合でよろしく!海に向かって右から2番目だから!」
「あなたねえ!私の話聞いてる!?」
何をやらかしたか、あるいはやるべき事をやらなかったのかは知らないが、とりあえず船の手配はしてくれたようだ。ノエさんに手を合わせて連絡所を出る。
ノエさん……健闘を祈る。
「えっと……ラウラさんでしたっけ?あのお姉さんすごい剣幕でしたね」
宿の場所を聞きそびれたので、とりあえず波止場に向かう道すがら、話題は先ほどのお姉さんとノエさんのやり取りについてになった。
「ったく、どうせ痴話喧嘩でしょ。放っときゃいいのよ。見るからに軽そうな人だったじゃん」
「でも、腕は確かのようだし、養成所の先輩だよ?少なくとも悪い人には見えないけどなあ……それよりも!ラウラさんがノエさんを呼ぶときにさあ?」
「ノエ カレラスって呼んだよね。カレラスってレナトさんの名字じゃなかったっけ?」
「そう、それ!レナトさんとノエさんってもしかして親子?お父さんとお母さんの人遣いが荒いとかも言ってたし」
「え~。全然似てなくね?」
「そうよねえ。レナトさんの息子さんなら、もっとどっしりとしてそうだけど」
「いや、ほら。男性は母親に似るって言うじゃない?だからノエさんはきっとエレナさんに……似てないよね」
どこの世界でも、その場にいない人の話になると盛り上がるものだ。
銀の錨亭は、ノエさんが指定した波止場の目の前にあった。
看板に大きな錨のマークが入っていて、遠くからでもよく目立つ。
カウンターで連絡所から貰った木札を見せると、あっさりと部屋を借りられた。
まあ、一部屋にするか二部屋にするかで一悶着あったのだが、結局は「一部屋でいいから角部屋夕食付二泊で金貨3枚」という破格の条件を引き出したのは、アリシアとイザベルの漫才のおかげだろう。恥かしいから詳しくは書かないぞ。
とりあえず部屋に入りベッドを移動してから腰を落ち着ける。
二面に窓がありベッドが二つ。小さな机と椅子という内装は、どこの宿屋に行っても同じのようだ。
さて、明日の予定が無くなった。宿でのんびりしているのもいいが、観光のようなものもしてみたい。市内散策という名の買い物に付き合うのもいいが、せっかく港町にきているのだから、波止釣りでもしてみるか。
そんな話題が夕食までの時間に繰り広げられる。
「観光?って言っても、別に名所なんてなさそうですが」
「あ!夕日は綺麗そうですよ!西に開けてますし、ほら!」
アリシアが海に面した窓に皆を誘う。確かに海に向かって高度を下げる眩しい太陽が見える。
「……まだ夕日の時間には早いな」
「うへ……まともに見ちゃった。目がチカチカする……」
イザベルが両目を押さえてベッドに倒れ込んだ。
まったく……この3人は見ていて飽きない。
夕食は白身魚とエビが乗ったパエリアと牡蠣のバター焼き、ブイヤベースのような魚介とトマトのスープだった。
牡蠣が獲れるのか……やっぱり日本人としては牡蠣の浜焼きが一番に思える。
じゅうじゅうと音を立てる牡蠣に醤油を一刺し……
岩礁帯に行けば獲れるだろうか。明日はやっぱり海に行くか。
「ショウユ?って何ですか?」
アウトドア料理の話とあって、アイダが食い付いてきた。
「ソジャの実を発酵させて出てきた液体の調味料だな。家にはストックがあったから、今夜にでも取りに戻るか?ついでにバーベキューコンロとか持ってくれば、明日の昼食は自分達で用意できそうだ」
「あ!じゃあ久しぶりに湯浴みしたい!お兄ちゃんの家で湯浴みすれば、髪の毛がさらさらになる泡で洗えるし!」
「そうだな!最後に水浴びをしたのはマンティコレを狩った日だから……4日前!?」
「はわわわ……カズヤさんごめんなさい……」
アリシアは何を謝っているのだろう。むしろ俺がごめんなさいを言いたい。
ということで、宿の部屋に戻った俺達は、バーベキューセットと入浴のために家に戻った。
アリシア達が風呂に入っている間に、ぐるっと家の周囲を見回る。
アリシアの掛けてくれた結界防壁も、見よう見まねで畑に掛けた結界防壁もきちんと機能しているようだ。
畑に植えていたトウモロコシやホウレンソウ、ジャガイモやサツマイモは収穫時期になっている。バーベキューの食材用に、朝一番で収穫するか。
田んぼの稲刈りもぼちぼち計画しなければならない。アリシア達と行動を共にしている間に稲刈りをしよう。
ガレージに置いていたバーベキューコンロと木炭、キャンプ用食器セットなどを収納し、家に戻る。
ちょうどアリシア達が風呂から上がってきたところだった。
入れ替わりで俺もシャワーを浴び、アリシア達の髪を乾かしながら洗濯機を回す。
「はあああ……やっぱりお兄ちゃんの家は快適だよね。この家ごと収納したら旅先でも使えないかな?」
イザベルがとんでもないことを言いだす。家ごと収納?そんなことできるのだろうか。
「そういえば収納魔法の達人は、手に触れるだけで収納することができたと聞きます。それならカズヤ殿のリュックの中にも入ってしまうのでは?」
「でも、野宿のたびにカズヤさんの家を出してもらっていては、最初に決めた修行の旅の目的から外れちゃうんじゃ……」
「アリシアちゃん……固いこと言わないでよ。移動はちゃんと頑張って歩いているし、道中で狩りとかもしてるよ?寝る時ぐらい、いいじゃん!」
修行の旅か……それにしては楽しそうだぞお前達。修行というか修学旅行のようになっていないか?
家ごと収納して持ち運ぶことについては別の機会に考えるとして、洗濯物をアイダとイザベルが乾燥させている間に調味料を選んで収納する。
滞在時間3時間弱で家から引き揚げ、宿に戻ってきた。
そのまま寝室のベッドで寝たいと言いだしたイザベルを説得するのに、えらく時間を取られてしまった。
宿に戻るなりベッドに倒れ込んだアイダとイザベルに、ベッドの真ん中に引きずり込まれる。
「さっきの乾燥で魔力を使い果たしたから、補充してね!お兄ちゃん!」
「私も少し疲れました……カズヤ殿、お願いします」
結局そうなるのね。ノエさんと同じ部屋になればよかった……ノエさんは今夜はどこに泊るのだろう。
翌朝、日の出とともにベッドを抜け出し、家に戻ってトウモロコシやらサツマイモを収穫する。
別に昨夜のうちに収穫しても良かったのだろうが、何となく“朝どれ野菜”っていう響きがいいじゃないか。
2時間ほどで宿に帰ると、3人はまだ寝ていた。
窓から海を見ると、満潮から下げ潮に変ったところのようだ。
今のうちにバーベキューが出来そうな場所を探しに散策することにする。書き置きでも残そうかと思ったが、日本語で書いても通じないだろうなあ。
この世界の単語ぐらい書けるようになっておかないと、そろそろ不便だ。





