239.夕食の席で(11月21日)
さて、アスタへの挨拶はとんだピクニックになってしまったが、現在の俺達は魔物を狩ってさえいればいい立場ではなくなってしまった。
王都タルテトスを出立した移住希望者の支援を行いながら、手付かずとなっていたアスタ周辺の畑や果樹園の収穫を進める。俺達だけではとても手が足りず、エシハから元赤翼隊の面々に手伝いに来てもらっている。
住民がいる街や村の生活は今までどおりでよいが、無人となった場所の周辺にも農地はある。今後の事を考えれば収穫できるものは収穫したいし、可能な限り農地は維持したい。植え付けの時期を逃せば来年の春以降の収穫ができないのだ。
幸か不幸か食い扶持が極端に減っているから住民達が食うに困ることはない。むしろ困るのはこの地方の農産物を購入していた、エルヴァスなど中央の街だ。
エルヴァスはルシタニア公領と王都タルテトスを結ぶ街道の要衝で、ルシタニアとタルテトス両方からの物資が集まる中継地である。周囲の村々に畑はあったが、エルヴァスの住民のほとんどは第一次産業従事者ではなさそうだ。つまりエルヴァスの住民達の大半は近隣の村や各地で収穫される農作物などの食料を買って暮らしている。
例えば江戸時代の住民構成は第一次産業従事者としての農民や漁民が85%、第二次あるいは第三次産業従事者としての町民が5%、支配階級としての武士が7%、公家や神官、僧侶、その他で3%だったそうだ。この割合は中世ヨーロッパでもほとんど変わらない。しかしながら現代では農業などの第一産業従事者の割合は5%以下まで落ちている。これは当然、農法の発達や機械化によって少ない人数で収量を上げられるようになったこともあるが、食料自給率が下がった、つまり輸入に頼っているからである。
生産物を輸入に頼る。一見効率的にも思えるが、これが外国からの輸入に頼るようでは政策として間違っている。関係性が悪化すれば国力が低下するのは間違いないし、生命線を握られるようなものだ。
「カズヤ殿。我がタルテトス王国は農産物を諸外国、例えばノルトハウゼン大公国やオスタン公国にも輸出しています。ということは、戦略上優位に立っているということですよね」
拠点にしているロンダでの夕食の席でそんな話になっている。こういう固い話に乗ってくるのはカミラとソフィア、ルツの年長組と、アイダ、ビビアナぐらいなのだが、最近はそこにルイサが加わっている。そうなるとアリシアとイザベルも負けじと食いついてくるようになった。結構なことである。
「アイダ、ある一面だけを見ればそうなる。確かにタルテトス王国は農産物を輸出している。他に諸外国へ輸出しているものは?」
「えっと、魔物の加工品とか。魔石もですよね?」
「そうそう。魔物なんてこの辺りじゃうじゃうじゃいるけど、向こうに行くとあんまり出ないんでしょ」
イザベルが言うとおりらしいのだ。ここタルテトス王国の特に東半分は魔物の密度が高い。それが西に行くにつれて強力な魔物の出現頻度が下がり、オスタン公国まで行くと小鬼や大鬼、シュリガーラと呼ばれる犬のような魔物ぐらいしか出没しないそうだ。このシュリガーラという魔物、まだ出くわしたことは無いのだが群れることと獰猛で狡猾というから、ジャッカルやリカオンのような生態なのだろう。
魔物が出ないなら俺達のような狩人は廃業なのかと思いきや、魔物の代わりに盗賊が出るらしい。
「じゃあ私達が養成所や連絡所で売った魔物も、加工されてオスタン公国とかで使われるのかなあ」
「加工って具体的に何に使われるんでしょう。私が貰ったナーサには大角鹿の角が使われてるのは知ってますけど、他にはどんなものがあるんですか?」
「そうだな。例えば一角オオカミの毛皮は防寒着として北方のノルトハウゼンで人気だぞ。他にも薬になったり装飾品になったりする部位もあるらしい」
自分達が狩って売った魔物が最終的にどうなるか、そういえばあまり考えが及んでいなかった。営利目的で魔物を狩っているのではなく、目の前の人々への脅威に対処した結果として得られた死骸を引き取ってもらっているイメージだったのだ。だが死骸としてではなく加工品として売却できれば、利益率は向上するかもしれない。
「では代わりに諸外国から得ている物は何だろうか」
そう娘達に問い掛ける。
「取引しているのですから、当然金貨や銀貨ですよね」
「そういえばお金ってどこで作ってるんだろう。ビビアナちゃん、知ってる?」
「えっと……知ってはいますが、私よりソフィアさんが詳しいかもです」
「貨幣は大陸中央の都市国家フルティゲンで鋳造されていますわ。各国は金と銀をフルティゲンに売却し、代わりに金銀銅それぞれの貨幣を受け取る。この流通経路だけは全ての国家で保障されているそうです」
「流通経路を保障。つまりフルティゲンとの交易は邪魔されないってことだよね」
「ええ。万が一その隊列をどこかの誰かが襲おうものなら、その地を治める国家は貨幣の供給を止められることになっています。独自の貨幣を作る試みはあったようですが、やはり信用に乏しいので上手くいかないようですね」
通貨発行権が各国に無いのは意外だった。古の大帝国時代の知恵なのか或いは呪縛なのか。
通貨が共通であるということは各国で通貨の価値が等しいことを意味する。つまり経済格差がそう大きくはないということだ。経済格差と信ずる宗教の違いが無ければ、そうそう戦争は起きるものではない。エラム帝国崩壊後に全土を再統一しようという熱も上がらないだろう。その結果、小規模な国境紛争は起きていても大規模な戦乱を避けることができているのであれば、これは知恵に属するものか。
「貨幣の価値は信用によって成り立つ。金貨や銀貨の純度など幾らでも誤魔化せるし、純度に疑念があればその貨幣は市場から駆逐されていくはずだが……」
「フルティゲン一国で鋳造されている以上は貨幣の純度などあの国の思いのままですわね。カズヤさん、もしかして貨幣の鋳造をお考えですの?」
独自の通貨を発行し流通させる。それ自体は悪手ではない。
そもそも通貨発行権とは、発行する通貨の額面と発行に要する費用の差額を得ることが出来る権利のことだ。例えば元の世界での100円玉の製造コストは15円程度らしい。15円で製造した物を100円で販売する。差額85円分が造幣局、引いては日本国政府の収入となる。
同じことをこの世界でやればどうなるか。
銀や銅はともかく金はトローを倒せば手に入る。トローがどうやって装飾品として加工された金を入手しているのかは不明だが、当面は金鉱を掘り当て製錬するよりはトローから奪ったほうが手っ取り早いだろう。トローから奪える金は平均して1kg/頭前後。俺達ならば単独でも狩れるから、金を手にするまでの実質的なコストはゼロだ。鋳造に掛かるコストも魔法で代用できるなら製造コストもゼロに近くなる。正に濡れ手に粟状態だ。あとは地金として売る際の売り上げとの比較だが……
「カズヤさん、なんだか悪い顔になってますよ」
「ほんとです。兄さん、何を考えているのですか?」
両隣からアリシアとルイサが詰め寄ってくる。どうやら妄想が顔に出ていたらしい。気をつけよう。
そろそろ王都で採用した人材がマルチェナに着く頃だ。広く募集した貧民街の者達も随時到着するだろう。まだまだ忙しい日々が続く。金儲けは目の前の問題にケリを付けた後にしよう。





