234.着任準備(11月3日)
ニーム山脈沿いの地に着任する準備を終えたのは11月3日のことだった。もちろん任命式とそれに続いた御前試合の後にも、転移魔法を駆使して幾度となくそれぞれの街を訪れてはいた。正式に着任できる目処が立ったのが任命式から3週間後になっただけだ。
もっとも交通手段が徒歩か馬しかないこの世界では、どこに行くにも時間が掛かる。ルシタニアの州都アルカンダラから他公の領地まで普通に行っても一週間は要するのだから、新しい領地に着任するのに3週間掛かったとしても大きな問題にはならなかった。
この3週間は着任の準備に追われた。最初の2週間で俺はこの世界の為政者としての常識と心構えを徹底的に叩き込まれた。
講師を引き受けてくれたのはブランカ プラード。あの近衛魔法師団副団長の妹君である。聞けばプラード家は代々タルテトス王家に仕える侯爵家の家柄だそうで、兄も魔法の才能が無ければ内務大臣の席が確約されるほどだったらしい。
不甲斐ない俺に付き合ってくれたのはルイサだった。正確にはルイサしか体が空いていなかったのだ。
ビビアナとソフィアは面会希望者の選抜で忙しかったし、アイダは旧友ジーナと毎日のように近衛騎士団の見学(実際には共に訓練に参加したり騎士団運営を学んでいたらしい)に明け暮れていた。
アリシアは王宮の厨房に篭りっきりで、タルテトス貴族として相応しい料理を学んでいた。料理人を招聘すればいいと言ったのだが、アリシア本人が譲らなかったのだ。
イザベルはルツと一緒に近衛魔法師団、通称宮廷魔法師達の視察というか外部講師のようなことをやっていた。イザベルやルツのように近接戦闘を得意とする魔法師というのは珍しいらしく、指導を請われたようだ。
カミラは衛兵隊や近衛軍の視察に忙しかった。本来、正義の人である彼女は警察組織を立ち上げようとしているのかもしれない。
ちなみにフェルはルツが率いる眷属の王として君臨している。魔力を抑える首輪から解放されて本来の姿を取り戻した唯一の同性の友人は、体長3mを超える立派な一角オオカミである。他のハイイロオオカミはもちろんのこと、同族である一角オオカミよりも1.5倍は大きなその体躯と溢れ出る魔力を誇示するかのように大地を疾走する姿は大層頼もしい。
ルツが操っていた百を超える狼と千を超える蝙蝠というのは相当に少なく表現していたらしく、実際には千を超える狼と万を超える蝙蝠が辺境の地を警護しているようだ。フェルはそのオオカミの大群を10頭づつの小隊に分け、更に小隊を10個集めた中隊を編成し、自身は大隊長のポジションに収まっている。
蝙蝠達も夕方から明け方にかけて小規模な群れを形成して各地を飛び回り、ルツに様々な情報を届けている。ビビアナとソフィアが面会希望者を短期間で選抜できたのも、蝙蝠達が素行調査を行ってくれた結果らしい。まさか闇に紛れた蝙蝠に監視されていたとは露にも思わなかったのだろう。ある者は盗賊団と関わりがあるとか、またある者は借金取りに追われているとか、そんな篩い落としに掛けられて残った10名が最終的に面接に進んだ。
2週間に渡ったほぼ缶詰生活(ブランカには一応及第点は貰えた。ルイサのほうが君主に向いているとの評価は娘達には秘密である)の後に、ビビアナとソフィアが推薦してくれた10名との面接に臨んだ。面接を行うまでもなく、この10名には何らかのポジションを当てがうつもりだった。何せあの2人とルツが選んだのだ。俺の人を見る目よりもよっぽど正しいに違いない。
この中にグロリアの父親、レオン エンリケス男爵がいた。金で爵位を買ったも同然と噂されている一代貴族だが、商人が爵位を持てばそう噂されるのも当然だろう。ルツの見立てでもソフィアの尋問でも特に後ろ暗いところは無いらしい。そして肝要な動機だが、愛する末娘のためであった。
「あのじゃじゃ馬グロリアがそんな殊勝なことをなぁ」
話を聞いたカミラの第一声がこれだった。
俺達と別れてアルテミサ神殿に戻ったグロリアの評判は上々で、その娘の変わり様に父であるエンリケス男爵も鼻が高いとは風の噂で聞いていた。
だが当のグロリアはそんな評判を鼻に掛けることもなく、全て俺達のお陰であると言いながら仕事に励んでいるらしい。いつか辺境の地にアルテミサ神殿を建立することを願って。
その姿に感銘を受けたエンリケス男爵が一念発起し、一足先に辺境の地に赴くことにした。というのが内偵を済ませたルツの見解で、本人の口からもそう語られた。
俺の方には断る理由もないし、商才豊かな人材はいずれにせよ必要だ。神殿側が強く干渉してくるかとも思ったが、その影響は人外ルツの存在が思い止まらせているらしい。正確には“触らぬ神に祟りなし”とさえ思われているようだが。
さて、いわゆる“国家の資格要件”について国際法はどのように定めているか。モンテビオ条約第1条によれば、「永続的住民」、「明確な領域」、「政府」、「他国と関係を取り結ぶ能力」の4つがある。辺境の地を擬似的な国家であると位置付けるならば、4項目のうちの2つ、つまり「永続的住民」と「明確な領域」は明らかになっている。残るは「政府」と「他国と関係を取り結ぶ能力」だ。
「政府」とは、対内的には自律的な法律を制定し維持すること、対外的には従属することなく自立的に活動できる統治組織である。また「他国と関係を取り結ぶ能力」とは、自主的に外交関係を処理できる能力である。
よって、俺達に足りないのは立法、司法、行政の各分野における専門家である。
今回の面接において、商才豊かなエンリケス男爵を取り込めたことで行政の1分野である通商に目処が立った。
残りの9名は以下のとおりだ。
サバス アルビン。元アルガニン守備隊の小隊指揮官。アルガニンはカルタヘナの北方に位置する林業の街だそうだが、常にノルトハウゼン大公国との小競り合いの最前線にあるらしい。先の戦闘で十数人の部下を失い解任され出奔。親類を頼ってタルテトスまで来たところで俺達の噂を聞き志願したそうだ。
テオドロ グスマン。元近衛騎士団員。この男はアイダとジーナの剣術の師である。騎士団を引退後は王都タルテトスで無聊を託っていたそうだが、アイダの噂を聞き付けて志願してきた。既に老人の域に達しているが、その経験と近衛騎士団への影響力を評価して採用に至った。ちなみに御婦人を伴っての赴任となる。
ホアキン シルヴァ。元王宮料理人。アリシアの人柄に惚れての志願らしい。その理由ならば本来は断るつもりだったのだが、妻子を連れての参加というから本当に人柄に惹かれたのだろう。
ディマス ファリア。元デルエル子爵家の家令。デルエル家はセトゥバル公配下のアルマデンという街の領主だそうだが、当代の当主が大層浪費家らしく繰り返し諫めたところ首になったそうだ。こちらも妻子を連れての赴任となる。
イシドロ マリアーノ。元サラゴサ家執事の次男。サラゴサ家はバルバストロ公配下の伯爵家で領地は北西側。現当主アドルフォ マリアーノ伯爵の推薦もあって採用となった。
スレイマ ピメンテル。王都タルテトスに地盤を持ち治癒に特化した魔法師を輩出するピメンテル家当主の娘。聞けば6人姉妹の末娘らしく将来を憂いていたところにグロリアの噂を聞いて参加を志願したそうだ。ピメンテル家当主は当然良い顔をしなかったそうだが、奥方の強い勧めもあって採用を決めた。
コンチャ ウリベ。セトゥバル西方、ウェルバ出身の魔法師。家系を辿ると更に西方の狩人に行き着くらしいが、本人は教師を希望している。
アサレア エストラダ。ルシタニア北東地域、今回編入されるアスタ出身の法律家志望。王都タルテトスで勉学に励み仕官を志していたが、故郷の統治者が変わると聞いて俺の顔を見に来たらしい。好奇心は猫をも殺すというイギリスの諺があるが、首を突っ込んだのが間違いの元か。ソフィアとビビアナに見込まれて採用に至る。ちなみに学業の成績は優秀だったようだから期待している。
ヴァネッサ ドゥアルテ。カルタヘナとセトゥバル、オスタン公国の3つが交わるファリサという街の出身でアサレアとは同級生。仕官先を探していたアサレアとは違ってヴァネッサはタルテトスで仕官し、主に物流関係を担当していたそうだ。アサレアに引き摺られて面接に望み、見事に合格してしまった。今回の最大の被害者かもしれないが本人はさほど気にしていない様子である。転職に伴い元の勤務先との調整も必要だったはずだが、そのあたりはソフィアに任せた。彼女曰く、ブランカが積極的に対応してくれたそうだ。
これら10人はまずは最も被害が少ないマルチェナに向かってもらった。マルチェナに着いてから改めて任地ないしは役職を決めることになる。住民達が残っているマルチェナとエシハの街ではそれぞれ代表者を決めなければならない。
やることはたくさんあるが、まあなんとかなるだろう。
娘達を見ていると自然とそう思うのであった。





