219.帰還(9月28日、29日)
アルカンダラのログハウスに帰還した俺達は、陽の高いうちからぐっすりと眠った。出発したのが7月29日だったから、実に2か月ぶりの安眠である。
寝る場所を巡って一悶着あったのだが、結局娘達は自室で、ルイサはビビアナの部屋で、ソフィアとグロリアはカミラと一緒に2階の廊下で安らかな寝息を立て始めた。フェルはアイダの部屋に逃げ込もうとしたのだがルツに捕まり、大人しくリビングでルツの枕になった。
俺はと言えば自室の床に倒れ込んで眠った。自宅に戻ろうかとも思ったのだが、目を覚ましたルイサが追いかけてくる可能性に思い当たって断念した。自室ならば誰かが起こしに来てくれるだろう。
◇◇◇
目が覚めた時には既に29日だった。正確には29日の明け方、まだ暗いうちである。
床で寝てしまったことで痛む背中と腰を治癒魔法で癒しながら、どう校長先生に報告すべきか考える。
だがどんなに考えても答えは一つだ。見てきたものをそのまま報告するだけである。
2階から誰かが降りてくる足音がする。トイレだろうか。
年頃の娘達は俺が自室にいるとトイレに入るのを遠慮する。寝たふりをしておこう。
◇◇◇
コンコンというノックの音で目を覚ます。寝たふりがどうやら寝入ってしまっていたようだ。
「お兄さん、起きてますか?」
遠慮がちな声はルイサのものだ。
「ああ。起きている。身体は平気か?痛いところとかないか?」
俺自身が寝相のせいで痛い思いをしたばかりだ。
扉を開けると、少し頬を赤らめた青みの強いアッシュグレーの髪に緑色の瞳の少女がいた。
「はい。大丈夫です。私よりもソフィアさん達の方が心配です」
「そうか。あいつら2階の床で寝ていたな」
1階ではルツが寝ていたはずだ。フェルを抱き枕にしていたからそうそう酷いことにはなっていないだろう。
俺はルイサの頭を撫でてから、そっと自室から出る。ルツはまだ寝ていたがフェルは起きていた。こちらに気付いてゆっくりと尻尾を振る。寝顔は本当に愛くるしいのだ。七百余歳とは到底思えない。
「お兄さん、皆さん起こしますか?」
ルイサが小声で聞いてくるが、俺は首を横に振った。
「いいや、寝たいだけ寝かせておこう。ルイサもまだ眠いなら寝ておけ」
「いえ。大丈夫です。それよりお腹空きました。えっと……起こしちゃ悪いのでお外で何か食べませんか?」
普通に考えれば外食のお誘いだし、相手が妙齢の女性ならばデートのお誘いだと舞い上がるかもしれない。だが相手はルイサだ。単に皆の邪魔にならないようテラスで朝食にしよう、それ以外の意味はないはずだ。
「そうだな。外に行こう。フェル、動けそうか?」
一応声はかけたものの、この賢い一角オオカミの幼体(といっても既に中型犬サイズである)は尻尾を一振りするのみ。ルツががっちりと抱きついているから動けないようだ。
◇◇◇
ログハウスのデッキの縁に腰掛けて、収納してあった食料で朝食にする。出発前にアリシアとアイダがまとめて作ってくれたピタだが、塩胡椒で味付けされた肉はまだ温かく、千切りキャベツのような野菜もシャキシャキだ。収納魔法恐るべし。
「あの……お兄さん、私ずっと謝りたかったことがあるんです」
隣に座ったルイサがそう切り出した。
「どうした?ルイサは悪いことなんて何もしてないと思うが」
お転婆イザベルやじゃじゃ馬グロリアならいざ知らず、ルイサはずっといい子にしていたはずだ。
「いえ、あの……養成所の中庭で初めて会った時のこと、覚えていますか?」
それはよく覚えている。中庭の隅に腰掛け、学生達に武勇譚を聞かせるアイダ達の声を聞きながら煙草を吹かしていた時だ。
「ああ、覚えている。私が気味悪くないのかって驚いていたな」
「はい。その後で失礼な態度を取ってしまって……ごめんなさい」
何かあったっけ。
あの時は確か、ルイサの身の上話を聞いて“虹の加護”を見せてもらったぐらいだ。俺がルイサの頭を撫でようとして、それで夜に査問会的なのが開かれたのだ。だがルイサが謝るようなことはなかったように思う。査問会については娘達の我儘と俺自身の不甲斐なさが原因であって、ルイサのせいではない。
「ルイサが謝るようなことは何もなかったと思うが……?」
「私、きっと嫉妬していたんです。仲が良さそうな皆さんに。それでわざと“兄さん”って……その……大変失礼しました!」
ルイサは何を謝っているのだ。
ルイサが俺を“お兄さん”と呼ぶのは既に固定化されているし、イザベルだって俺のことを“お兄ちゃん”と呼ぶ。アリシアとビビアナ、ソフィアは“カズヤさん”、アイダは“カズヤ殿”と呼ぶが、これも各々の特性というか素質による呼び方の違いだ。俺も娘達も気にしていない。だからルイサが気にする必要はないはずなのだが……
「一体どうしたんだ?ルイサが謝罪するようなことじゃないだろう。誰かに何か言われたか?」
「いいえ、違うんです!ただ……」
何だろう。そういえばルイサと二人だけで話す機会は今まで取れなかった。ルイサの後見人はビビアナだし、日頃の訓練でもルイサは娘達と一緒に行動しているから、あまり話す機会がなかったのは事実だ。
「あの時“兄さん”って呼んだから、私をそばに置いてくれないんじゃないかって、そう思って……」
何だ。ルイサは何を言っている。そばに置くも置かないも、ルイサは現に俺の隣にいるではないか。それに“俺が娘達を選んで”いるわけではない。娘達が俺といてくれているだけだ。
「だって、だって……アイダ姉様やビビアナ姉様のほうが私より大人だし、それに……アリシア姉さんやイザベル姉さんのほうが距離が近いじゃないですか!私だって……私だって!」
今にも泣き出しそうなルイサを前に、俺は途方に暮れる。もしかしてルイサへの態度が他の娘達とのそれと違っていたのだろうか。
いや、意識的に区別した覚えはない。覚えはないのだが……
思わずルイサの頭に手が伸びる。前にルイサの頭を撫でようとした時はイザベルが飛び付いてきたが、今回は大丈夫そうだ。
「ルイサ、お前は今、どこにいる?」
俺の手の下から緑色の瞳が見上げる。
「兄さんの隣にいます」
「そうだな。ルイサが望むなら、ずっと隣にいてくれ」
「ずっと……ですか?いいんですか?」
鼻を啜り上げながら涙を拭ってルイサが真っ直ぐこちらを見上げる。
「ああ。ルイサが望むなら」
「兄さんって呼んでても?」
この娘は何を拘っているのだろう。やはり誰かに何かを言われたのだろうか。
「もちろんだ。呼び方は関係ない」
「わかりました!兄さん!」
食べかけのピタを放り出してルイサが俺に抱きついてくる。
「おっと、もったいないもったいない」
放り出されたピタを空中でキャッチしたのはアイダだった。いつからそこにいたのだろう。
「アイダ、おはよう」
「おはようございますカズヤ殿。ルイサも早いな」
「お腹すいちゃって」
そういいながらもルイサは俺に抱きついたまま離れない。
「そうか。私も朝の鍛錬は欠かせないからな。ルイサ、お前もどうだ?付き合ってくれないか?」
「えっと……」
確認するように見上げてくるルイサを見て、俺は猛烈な不安を抱いた。何か選択を間違ったんじゃないだろうか。
「行ってこい。俺も後で行く」
「わかりました!アイダ姉様!よろしくお願いします!」
飛び起きるように離れたルイサが、ログハウスに駆け込んでいく。
その姿を見送って、俺とアイダはほぼ同時に苦笑した。





