218.引き継ぎ(9月7日〜27日)
その後の俺達は、温泉の近くに拠点を構えて事後処理に当たった。ルツの使い魔であるオオカミとコウモリが守る神域からも近く、何より一日の疲れを癒せる場所があったからだ。
こんな楽しみでもなければ、屍食鬼の処分(というと大変に語弊があるが、もうほとんどそういう気分だった)と埋葬作業は精神的に負担が大きかったのだ。
遺体も屍食鬼も一纏めに街ごと燃やそうとする赤翼隊隊長シドニア伯ガスパールを思い止まらせてくれたのは、やはりカミラとソフィア、そして“東の森の大賢者”と呼ばれるルツの存在が大きい。
このルツは、見た目はローティーンの少女のくせに実年齢は七百余歳という吸血鬼である。だがこの時代では彼女が吸血鬼であるという認識はほぼ無く、ただ単に“東の森にある神域に住む大賢者”としての伝承が貴族の間で残っているだけだった。これ幸いと彼女を担ぎ出したのが正解だったのである。
もっともルツは不服そうで、皆の前ではたびたび不満を漏らしていた。今でもそうである。
「まったく、儂を何だと心得ておる。儂はお主らにとっては神にも等しい存在ぞ。それを良いように使いおって……」
「まぁまぁ姐御、私達って言うよりお兄ちゃんの役に立ってるんだから良かったじゃん!」
「そうですわ。私達だけでは、あの荒くれ者を抑えることなんでできませんでした。ねぇカミラさん?」
「ソフィアの言うとおりだ。ルツの姉貴には感謝している」
「そうか?まあお主らの役に立っているなら仕方ないのぅ。わっはっはっは」
きっと湯煙の向こうではお湯の中でルツが仁王立ちしているのだろう。
そうそう、温泉であるが女湯しかないのはあまりに不便だということで、大岩の裏側にも湯を引き込み俺専用にしている。専用といっても女性陣が来ないというだけで、岩の向こう側の声は聞こえるし、ルイサやグロリア、果てはルツに至るまで突撃してくるのには困った。初めの頃は年少組を叱っていたアリシアやビビアナも、もうすっかり諦めているようだ。
◇◇◇
そのルイサであるが、自然死(実質は魔素を取り込めなくなったことによる餓死であるが)した多数の屍食鬼から魔石を回収する大変便利な魔法を発現させていた。超常現象の一つ、アポートである。
そもそもこれはルツが転移魔法の応用だと言ってルイサに物体移動魔法を教えようとしたことが原因だ。目の前の物体を違う場所に移動させる一種の念動力だったようなのだが、ルイサに発現した魔法は“見えない場所にある物体を手元に引き寄せる”魔法だった。
何せこの魔石は人間だった頃に体内を巡っていた魔素の結晶らしく、このまま埋葬しては魔素で大地を満たすというマグスニージャルの思う壺になる可能性があったのだ。既に流された血はどうしようもないが、魔石に蓄積された魔力までくれてやる必要はない。
この事に気付いた俺達は膨大な数の屍食鬼一体づつを解体して魔石を取り出す労力を思ってげんなりしたのだが、そこで役に立ったのがルイサが使えるようになった魔法という訳だ。
ルイサはこの魔法をアポーニャと命名した。
アポーニャの“見えない場所にある物体を引き寄せる”という特性で、大量の屍食鬼の骸から一気に魔石を回収することができたのである。これがイリョラ村で出会ったダミアン一家のルシアの固有魔法、念動力ではこうはいかなかっただろう。
ルイサだけが固有魔法に相当するような魔法を2つも発動できることを疑問視する声も娘達にはあったのだが、イザベルの言葉で一応は納得した様子だ。彼女はこう言い放ったのだ。
「まぁルイサも私も純粋な意味での“人“ではないからね。もしかしたら私も秘めたる力を持ってるかもしれないし!楽しみ!!」
天真爛漫というか純粋無垢というか、どちらかといえば欲求に忠実なだけのイザベルであるが、俺も娘達も彼女に救われている。などと本人に伝えたらより一層増長すること間違い無しだから、誰も直接は口にはしないが。
「そうですわ。カズヤさんのおかげで魔力総量も増えていますし、固有魔法が一人に一つって定説そのものが間違っていたのかもしれませんわ!」
「そっか。ルツ姉さんが使う魔法も私達にとっては固有魔法みたいなものだよな。固有魔法というのが単に珍しいとか魔力消費が極端に多い魔法だったら、私達まで伝承されなかった可能性だってあるのか」
「ってことは、魔力が上がれば私もすっごい魔法が使えるようになるかもってことだね!次の測定が楽しみだなぁ」
「また養成所の計測器を壊すつもりじゃないだろうな。カズヤの魔力量を計ったあと、大変だったんだぞ」
「イーちゃん、それはお兄ちゃんが悪いんだよ」
とまあこんな感じである。
娘達がわいわい言うのを聞きながら、温泉での夜が更けていくのだ。
◇◇◇
事後処理を終えて全ての街と村を赤翼隊に引き渡せたのは、3週間後の9月27日になってのことだ。
それまでもマルチェナと同様、屍食鬼の掃討と死者の埋葬が終わった街や村は順次引き渡している。彼らは主に治安維持、というか他の魔物や盗賊が侵入しないよう警戒監視することが役目となった。
しかしながら総数800名(内、輜重兵200名)の大隊規模の部隊では4つの街と近隣の村々全てを監視するには人手が足りず、ルツの使い魔である数百のオオカミと数千のコウモリに監視の目を頼っているのが現実だ。
火事場泥棒のような行為も懸念されたが、隊長であるシドニア伯ガスパールが早々に残存資産の国有化を宣言し窃盗と略奪の禁止を厳命したおかげで、目立った被害は無いようだ。
埋葬の過程で、各街の領主とこの地方を治める伯爵の遺体を確認した。正確には本人の遺体かどうか判別するのは難しかったのだが、封蝋に各家々の印章を押す印璽を持っていたから間違いないだろう。このことはシドニア伯ガスパールにも伝えており、印璽もガスパールに預けてある。彼ならば然るべき処置を取るだろう。
ちなみにこの地方を治めていたのはオリエンタリス伯デメトリオ。代々続くオリエンタリス家でも、特に農業と畜産を振興し名君として知られていたらしい。
なお、小数の女性兵士(これにはガスパールの側付きや従軍してきた娼婦も含まれていた)にルツ本人が口を滑らせてしまったせいで、ルツが転移魔法を使えることが赤翼隊の間では周知の事実となった。
おかげで温泉地に向かう女性兵士限定のツアーが組まれるようになっていたが、これも戦場でのささやかな楽しみと言うべきだろう。
引き継ぎを終えてアルカンダラに帰還することが決まった後の彼女達の悲哀に満ちた声と言ったら、思わずルツにこの場に残るよう説得しようかと思ったほどであった。
「なんで儂がタダ働き同然の仕事を続けねばならんのじゃ!一日10人限定と言っておるのに、来る日も来る日も寄ってきおって!」
「あれ?タダ働きって姐御、お金貰ってなかったっけ?」
「一人につき銅貨一枚じゃろう?あんなもの貰ったうちに入らんわ!」
「ってことは、毎日銀貨一枚ぶん、10日で金貨一枚になるのか。よかったねぇ、姐御!」
「ふん。どうせアルカンダラで宿でも取れば、一晩で吹き飛んでしまうわ!」
「へぇ……じゃあ姐御は私達と同じ家には泊まらないんだ。まぁ転移できるんだし、あの地下のお家に帰ればいいのか」
「ちょっと待て。なんでそんな話になっておる?儂もカズヤと同じ家で寝泊まりするに決まっておろう」
「申し上げにくいのだがルツ姉様、アルカンダラの家は部屋が四つしかありません。ルイサは私達の誰かと一緒に寝ていますし、イーちゃん殿に至っては廊下で寝てもらっている始末。ここでルツ姉様まで来られると、いささか狭くなってしまうのですが」
「だったらお主らの誰かが外で寝ればよかろう!?そもそもカズヤはどこで寝ておるのじゃ!?」
「外でなんて嫌ですわ。せっかくお家と寝台がありますのに。ここは先着順ということで、ルツさんが天幕でお休みになってくださいな」
「いや儂の質問に答えんか!カズヤはどこで寝ておるのじゃ!」
「俺は一階の自室だが」
「言っておきますがカズヤさんのお部屋は女人禁制ですからね!」
「そうだよ!私達だって入る時にはコンコンって扉を叩いて返事を待ってるんだからね!」
「そりゃあお主らには見せれん姿もあるわいなぁ。なんじゃ、カズヤもちゃんと男ではないか。儂で処理してもいいのだぞ?手伝ってやろうか?ん??」
いや、一応自室で寝ている事にはなっているのだが、実は自宅に帰って自分のベットで寝ているとは言えない俺であった。
◇◇◇
いざ引き継ぎといっても特に引き継ぐようなことはない。
何かあれば監視役のオオカミとコウモリがルツを経由して伝えてくれるし、治安維持は俺達の仕事ではない。
後のことをガスパールに任せ、転移魔法でアルカンダラに帰還したのは、9月28日のことだった。





