214.一時休息(9月6日〜7日)
アルカンダラから引き上げた俺とルツ、ソフィアは、夕方前には神域に残っていた娘達と無事に合流した。
実は合流前にルツに相談しソフィアの意見も聞いて決めていた事があったのだが、それを娘達に伝える間も無く早速イザベルと探索から帰ってきたルイサが絡んできた。ルイサは単にイザベルのお供といった感じではあったが。
「ちょっとお兄ちゃん!私達に内緒でアルカンダラに帰ったりして、まさかお風呂に入ってきたんじゃないよね!」
「お兄さん、お風呂って何ですか?」
「お風呂ってねぇ、お湯で水浴びしてお湯に浸かるの。とっても気持ちいいんだからね!」
「そうなんですか。それでアルカンダラのお家に帰ると、そのお風呂ってのに入れるんですか?でもお家にはそんなのはなかったような……」
「あぅ……」
この二人は何を漫才しているのやら。俺が転移魔法を使えることと、転移魔法を使って娘達がスー村の俺の自宅に度々赴いて風呂を使っていたのは秘密だったはずなのだが。
助け舟を出してくれたのは意外なことにルツだった。
「その風呂だが、自然に湧いているお湯は温泉と言うらしいな。さっきカズヤに温泉はないかと聞かれたのじゃ。どうやら寒い思いをしたお主等を労ってやりたいらしいぞ」
「温泉?近くにあるの姐御?」
「うむ。近くはないが、儂の転移魔法ならば一足飛びじゃ。そこでゆっくり身体を休めて、テハーレスまで戻ればよかろう」
「それはいいね!アイダちゃん、アリシアちゃんも!姐御が温泉に連れて行ってくれるって!」
イザベルの声を聞いてアイダ達が駆け寄ってくる。
「温泉って、前にカズヤ殿が言っていた天然のお風呂か!ちょうどいいな!今夜も冷えるし不寝番は辛いなって話してたところだ」
「温泉いいですね!」
「温泉って何ですの?」
「やれやれ。姦しいのう。イザベルや。説明は任せた。連れてってやるから支度せい」
ルツが呆れたように両手を肩の位置で振りながら言う。
その言葉に娘達が脱兎のごとく散っていった。
後に残されたルツとソフィアは呆れたように顔を見合わせてから俺に向き直った。
「カズヤよ。お主の躾がなっとらんのではないか?ああも騒々しくてよくやっていけるな」
「まあまあ。カズヤさんも男一人で大変なんですよね」
似たようなことをカミラにも言われた気がする。だが俺は彼女達を煩わしいなどと思ったことはないし、賑やかなのは良いことだ。
事実として娘達はテキパキと撤収準備を進めている。誰が号令を掛けるでもなく張っていたテントを畳み焚き火を消し、燃え滓と炭を地中に埋めて地面を平す。その一連の動きについて行けなかったのはグロリアと番犬ではなく番狼のフェル、そして意外なことにカミラだった。
手持ち無沙汰になったのかゆったりと近づいてきたカミラに声を掛ける。
「どうした?やる事がなかったのか?」
「ないわね。なにあれ。あの子達、精神感応でも使ってるのかしら」
精神感応か。確かに言い得て妙であるが、たぶん普段からのコミニュケーションが成せる技だろう。
「それで?一体どういう風の吹き回しなの?。まさか全員を覗くつもりじゃないでしょうね」
「あら。カズヤさんにそんな甲斐性ありまして?」
「それもそうね。覗くぐらい幾らでも機会があったはず。それどころか一つ屋根の下で暮らしてるというのに……」
「ふん。料理が揃っていると見ているだけで腹一杯、どれにも手を付けんのじゃろう。まったく、ヘタレじゃな」
散々な言われようである。言われっぱなしもどうかと思うが、ここはスルーするべきか。
唯一の同性であるフェルの頭を撫でているうちに、支度を終えた娘達がアリシアが御する馬車の荷台に乗って勢揃いした。
「準備できました!」
御者台のアリシアが未だ見ぬ温泉に期待しているのか、目を輝かせて報告してくる。
「ああ。ご苦労様。ルツは御者台の真ん中へ。カミラとソフィアは荷台のほうへ。フェルも頼む」
「フェル。おいで!」
アイダの呼び声にフェルが勢いよく荷台に飛び乗る。
「なんじゃ。儂は別に乗らんでも良いのじゃが」
ルツもぶつぶつ言いながら御者台に乗り込む。
「姐御!温泉ってどんなとこなの!?」
イザベルが荷台から身を乗り出してくる。お出かけと聞いてこんな反応をしてくれるのは保護者冥利に尽きるというものだ。
「それは着いてからのお楽しみじゃ」
ルツが荷台の方を確認してから転移魔法を発動する。俺も詳しくは聞いていないが、まさかどこかの地獄谷のように熱湯が湧いているのではないだろうな。
◇◇◇
ルツが案内してくれたのは山間部を流れる渓流だった。つまりは谷底に近い場所なのだが、少なくとも蒸気が噴出しているとか息苦しいほどの硫黄臭が立ち込めているとかはなさそうだ。そうか、例えば転移先の窪地に有毒ガスが溜まっていたり酸欠状態だったりしたら、この瞬間に俺達は全滅するかもしれない。転移する際には何か対策を考えないといけないな。
「ここが温泉というものじゃ!堪能するがよい!」
齢七百余歳という見た目だけは幼女の大賢者様は胸を張って岩陰を示した。その先にあったのは湯気に包まれた大きな水溜まりである。差し渡し5mはあるだろうか。奥に流れ込みがあり、手前の流れ出しは渓流へと注いでいる。温泉が湧き出しているというよりも、源泉は別のところにあってここまで流れてきているようだ。
溜まっている水は僅かに硫黄臭があるものの澄んでいる。深さは膝下から深いところでも1mはなさそうだから、溺れることはないだろう。
「これが温泉かあ!どれどれ」
手を突っ込もうとするイザベルを制しながら、コップで湯を汲み手の甲に掛ける。ヒリヒリするような痛みはないし熱すぎるということもない。次にそっと手を差し入れる。まとわりつくような滑らかな感覚、これなら問題ないだろう。
「大丈夫そうだな。イザベル、入っていいぞ」
「やったあ!ほら、お兄ちゃんも脱いで!」
そう言いながら勢いよくモスグリーンのBDUを脱ぎ始める。慌てたのはアリシアとビビアナだ。文字どおりすっ飛んできてイザベルを抑え込む。
「ちょっと!イザベルちゃん!まだ脱いじゃダメ!」
「カズヤさんがいるんですよ!はしたないですわ!」
「え〜?別にいいじゃん。お兄ちゃんも一緒に入るよね?」
いいものか。温泉は好きだが、別に娘達と混浴したいわけではない。
腹を抱えて笑っていたルツが目元に浮かんだ涙を拭いながら言う。
「これこれカズヤよ。苦虫を噛み潰したような顔をするでない。さっさとどっかに行くがよい」
「そうだな。アリシア、皆に水を配ってくれ。水分補給はしっかりとな。俺は上流を見てくる」
「あらあら。覗いてはくれませんの?」
ソフィアの挑発に後ろ手に手を振りながら、俺はごく自然にこの場を離れることに成功した。
◇◇◇
予定どおりである。
娘達と離れて単独行動するのも、そのために温泉に行くことを提案したのも、ソフィアの安い挑発も、全てが狙ってやったことだ。
娘達と別れた俺は、事前にルツに連れて行ってもらっていたロンダの街へと転移した。





