203.来訪者(9月4日)
ギョッとした表情でイザベルが振り返る。その姿勢の先には一人の少女がいた。“少女”ではないのかもしれない。その“人型の何か”は、白っぽい生地に細かな赤い刺繍が施されたワンピースのような服を着て、頭には同じ柄のベールを被り口元まで覆っている。足元は革の編み上げサンダル。そして肩口に見える大きな柄。背負っているのは大剣だろうか。
「こんばんは」
その者が発した声はやはり少女のものであった。
カミラが腰から下げた鞭をひったくるように展開する。彼女の固有魔法は周囲5m以内に鉄壁の自動迎撃を展開するが、鞭の先端は何故か力無く地面に落ちる。その間にイザベルとビビアナが文字どおり一足飛びにルイサに掛け寄り、その小さな身体を自分達の背後に押し籠める。
娘達が焦るのも仕方ない。それほどまでに土塁と結界魔法の信頼性は高いのだ。一体どうやって侵入したというのか。
「カズヤ殿」
俺のすぐ左から聞こえる、震える、囁くような声はアイダだ。彼女が鯉口を切る気配を感じながらも、俺ができたのは正面の少女に返事をすることだけだった。
「こんばんは。こんな夜にどうした?」
「こんばんは。近くで見たいと思って」
“近くで見たい”か。まるで遠くからは見ていたような口ぶりだ。やはりこの少女が土饅頭の前にいた人影か。
まずは浮き足立つ娘達を落ち着かせねば。
「そうか。座ったらどうだ。カミラ。この者に攻撃の意思は無いと判断する」
「カズヤ殿、しかし……」
「アイダ。お前も座れ」
目の前の少女から目線を逸らさないまま、アイダを諭す。
「ふふっ。みんな怖がりね」
少女が呟きながら胸の前でスリングを外し、背負っていた剣を下ろす。刃渡り1mは超えているだろう。この世界では見かけたことがないぐらい細身の剣。
「あぁ、もう!どうにでもなれ!」
カミラが鞭を引き戻し、器用に纏めながら腰を下ろす。
「くっ……」
アイダが膝を付き、愛剣を鞘ごと柄を左にして地面に置く。その姿を見て、俺の正面に少女が座った。アイダと同じように背負っていた剣を地面に置く。ルイサを庇っていたビビアナとイザベルもその場で腰を下ろす。俺も一応、山刀を同じように置いた。
止んでいた虫の音が聞こえ始めるまで、しばらく静寂が流れた。
◇◇◇
「さて、いったい何を見せようか」
先に口を開いたのは俺だった。無言の時間に耐えられなかったというか、単に痺れを切らしたのだ。
目の前に座る少女の姿をしたそれは、ベールの下で目だけで笑っている。
「見に来たと言ったのは言葉のあやです。お話ししましょ。あそこで何をしていたの?」
それが口にしたのは、俺達への質問だった。
“言葉のあや”か。この世界で接触した魔物は一様に知性的でない、少なくとも通常のコミュニケーションが取れる存在ではなかった。とすれば目の前のこの少女の姿をしたそれは、魔物ではないのだろうか。
「俺達はアルカンダラから派遣された魔物狩人だ。吸血鬼の被害を調査して元凶を断つのが任務だ。あの廃墟ではバンピローの走狗たる屍食鬼が埋葬されている場所を調べていた」
「そう。何かわかった?」
「めぼしい事は何も。だが埋葬されていたネクロファゴは全て首を切断されていた。ここにあった村は近隣の衛兵隊によって焼き討ちにあったはずだが、その際にネクロファゴの首を落として回ったという話は聞いていない。ではいったい誰がネクロファゴの首を落とし、その遺骸を埋葬したのか。謎は深まるばかりだ」
「ふふっ。あの者達にそんな腕の立つ者がいたとは思えないけれど」
「その場に居合わせたのか?という事は……そういえば何と呼べばいい?俺はイトー カズヤ、イトーが姓でカズヤが名だ」
「カズヤね。私の事はルツと呼んで。姓は忘れたわ」
ルツか。この世界では聞いたことがない響きだ。姓を忘れたというのはどういう意味だろう。いや、忘れたというのは方便で、実際には姓を持たない民族なのかもしれない。そういう目で見れば、この者が着ている服の意匠はこの世界でも見た事がない気がするし、僅かに露出している肌の色は褐色だ。同じように褐色の肌を持つイザベルと、何か関係があるのだろうか。
「了解した。ではルツ、ルツはこの村の生まれか?」
「そう。正確にはこの村が出来るずっと前から、この辺りに住んでいる」
「なに言ってんだか。ずっと前って、見た感じあんた私達よりずっと年下じゃない」
少し離れた場所でビビアナと一緒にルイサを庇っているイザベルが突っ掛かる。だがルツはイザベルの方を見遣るなり言い放った。
「小娘は黙って。今はカズヤと話してる」
「こ……小娘ですって!?」
「だから黙って……ふぅん……あなた、ただの人間ではありませんね。duendeの血が混じっておられる様子」
ドゥワンデ。ルツはイザベルをそう表現した。確かイザベルの出自はミッドエルフ、両親のどちらかが妖精種だという。そしてこの者はイザベルと同じ肌の色……
「ドゥワンデですって……何でそんな呼び方を……」
イザベルがギョッとした表情で固まる。
俺の右側で事態の推移を見守っていたカミラが口を開いた。
「ドゥワンデとは妖精種の古い呼び名だったはず。どうしてそんな言葉を知っている?」
「“どうして”とは面妖な事を。人ならざる存在をドゥワンデと呼んだのは、あなた達人間でしょうに。それに、その者の影に隠れておられるお方は有翼種とお見受けします。面白いですね」
こいつ、ルイサの事を知っている。いや、気付いたのか。
一気に場の空気が張り詰める。突っかかっていったイザベルはもちろん、ビビアナとアイダからもゆらりと闘気の圧が立ち上る。
このままではマズい。
「話を戻していいか。ルツはこの辺りに住んでいる。それならばこの村で、この地方で起きていることもよく知っているはずだな。是非とも教えてほしい」
無理矢理である。それでも何らかの情報を引き出せもせずに帰らせるわけにはいかない。
「ふむ……話してもよいけれど、喉が渇いた。水をいただきたいのだけれど」
「ああ。飲むといい」
チタン製のコップにペットボトルから水を注ぎ、ルツに手渡す。
俺が水魔法で生み出した水は、西方テリュバス王国で信奉されている神に仕える聖職者が使う“聖水”と同じ効果を持つという。実証したことはないが、振り掛けるだけで魔物を倒したり傷を癒すなど霊験あらたかな水らしい。もしペットボトルの水がその聖水と同じ効果を持っているならば、魔物に対して何らかの効果があるはずだ。
受け取ったコップを繁々と眺め匂いを嗅いでから、ルツは一気に飲み干した。
「ふぅ……生き返ります。カズヤ、この水はどこで手に入れたのですか」
ルツが空のコップを俺に差し出す。見たところ変化は無いが、どうもないのだろうか。ならば魔物ということもあるまい。もう一度なみなみと水を注いでやると、再びコップは空になった。
「水魔法で生み出した水だ。気に入ったか?」
ルツがベールを取る。現れたのは肩よりも短い黒髪と、いたずらっぽい笑顔だった。
「ええ、気に入りました。そして決めました。私はあなたと共に行く」
「はぁ!?なに言ってんの!?」
その言葉の意味を瞬時に理解できなかった俺に代わって、イザベルが苛烈に反応する。だがルツの返答はそんな事を意に介さないかのようだった。
「お黙り小娘。私が決めたのです」
「だから!あんたいったい何者なのよ!?」
半ば地団駄を踏みそうなイザベルにルツが返した言葉によって俺達に激震が走った。
「我が名はルツ、古よりこの地に住まうドゥワンデ。あなた達人間がバンピローと呼ぶ存在です」





