198.解放宣言③(8月18日)
マルチェナの街に足を踏み入れたガスパールと副官のルイスをクレアルが案内したのは、中心部の広場に面した街の公会堂、昨夜まで救護所になっていた建物だ。打ち合わせどおり動ける者は全員が広場に集まり、固唾を飲んで事態を見守っている。その数ざっと800人ほどだろうか。
ルイスが腰に帯びた剣の位置を直そうとするのをガスパールが制する。
「そう怯えるな。皆正気を保っている。それに何か起きてもお前さんの仲間が守ってくれるだろう?」
ガスパールの視線の先には人々の先頭に立つアリシアとアイダ、イザベルの3名と、その後ろで頭を下げるラモン グレイシア男爵の姿があった。
◇◇◇
「ふむ。救護所であったとは思えぬほど清潔に保たれている。我が軍の救護所ではこうはいかんぞ」
救護所を一巡りして、綺麗に掃除された床に腰を下ろしたガスパールが呟く。俺達も彼と車座になって座る。
「はっ、これも狩人のお方々のご尽力のお陰でございます」
クレアルの受け答えが少々不自然に過ぎる気もするが、救護所の扉を開けた瞬間の絶望的な臭気と血と汚物の汚れがすっかり消えているのは、主にルイサとグロリアのお陰である。
「ここにいた者達はどこにいる?」
「はっ、すっかり全快いたしまして、家族の元に戻っております」
「そうか。カズヤよ、実際のところどうだったのだ?」
「どうと言われてもな。酷い有り様だった。寝台があるわけでもなし、収容者は床に寝かされ、その間をかろうじて動ける者がフラフラと世話をして回っている、そんな感じだ」
「何人だ?ここには何人いた?」
「54人だ。意識不明の重症が12名、体が動かせる程度の中症が28名、起き上がれる者が10名、人の世話ができる者が4名だな」
「その者らをお前達だけで何とかしたのか……」
「功労者はアリシア、ビビアナ、それにソフィアだ。俺はまぁ、掃除をしていただけだ」
敢えて名前を出さなかったが、アイダもイザベルもカミラも自分がやるべき事をキッチリと果たしてくれた。その成果であって、主語を俺にして語られるべきではない。
ベレー帽を片手で持て遊びながら伸ばし放題になっている髪を掻き上げる。そういえばアニメの登場人物って何ヶ月経っても髪が伸びないな……そんなどうでもいい事が頭をよぎる。
「ふん、謙遜が過ぎると嫌味だな。我が部下の命を助けた鮮やかな手並み、忘れたとでも思っているのか?」
「まぁな。だが娘達の尽力があった事は事実だ」
「そのとおりでございます。これも女神アルテミサ様のお導きかと」
「……あのお転婆娘が何が出来るとも思えぬのだが……ここはもうよい。領主のもとへ案内せい。たしかグレイシアとか言ったか」
「はっ、すぐに」
「いや、さすがに領主と立ち話という訳にもいくまい。屋敷に帰って支度するように伝えてくれ。ルイス、お前も一緒に行け」
「私は副官です。お側を離れるわけにはまいりません!」
「堅いことを言うな。ここには其方とクレアル、カズヤ殿と俺しか居らぬ。領主の準備が整ったと、他に誰が迎えに来ると言うのだ?」
「男爵家の者を寄越せばいいでしょう」
「わからぬ奴だな。貴様と俺は何年の付き合いだ。赤翼隊隊長が指揮官と内密の話をすると言うのだ。それがわからぬか」
ルイスの判断は正しい。逆の立場であれば、アイダやアリシアも俺と誰かを二人きりにはしないだろう。
だがルイスは弾かれたように外に出ていった。
しばらく静寂が流れる。
「やれやれ、いい奴なんだが頭が堅いのがな」
「そう言うな。いい副官じゃないか。羨ましいぞ」
「心にも無い事を言うな。お前のとこの黒髪の……アイダだったか。お前さんの副官にしておくには勿体無い。うちに寄越さないか?」
「それはダメだ。ソフィアかカミラでどうだ。なんなら二人纏めてでもいいぞ」
そう言うとガスパールは苦虫を噛み潰したような顔をして黙った。アイダを諦めてくれたようで重畳なことだ。
「それはそうと内密の話とは何だ?ああ、その前にコレを渡しておく」
ポケットから取り出した認識票をガスパールに手渡す。未帰還となった偵察隊8名のうち、2名分のものだ。発見できたのは3名、1人はマルチェナに至る道中で発見したが認識票は見つけられなかった。残りの2人はマルチェナの門に吊るされていたのを回収した。遺体は既に焼却してしまったが、せめて認識票ぐらいは返してやろうと保管しておいたのだ。
「感謝する。待つ者もいないだろうが、きちんと葬ってやろう」
「ああ。それで気になる事が幾つかある」
そう切り出すと、ガスパールも顔を寄せてきた。自然と小声になる。
「未帰還者のうち3名は屍食鬼となっていたのを確認した。その心臓は魔石になっていた」
「そうか。やはり魔物化するのだな」
「ああ。3体の屍食鬼は既に死んでいた。正確には首が落ちていた。こう、斬首されたようにスパッとな。それ以外に傷らしい傷はなかった」
「ふむ。さしもののネクロファゴも首を落とされればひとたまりもないか……ん?ちょっと待て。誰がそいつらを殺ったのだ。俺たちより先行している兵はいないはずだが」
「ああ。それが気になることの一つ目だ。それと、魔物化するのが異常に早い。この救護所の収容者は発症してから長い者で2週間は経っていたらしい。ところが偵察隊で魔物化した者は数日、一日かそこらでそうなっている。もしかしたら手傷を負って直ちに魔物化したかもしれない。この違いは何だ。死して魔物化するのならば、偵察隊の連中は首以外の傷があって然るべきだ。だがそんな傷はなかった。ここの収容者も致命傷になるような外傷はないのに衰弱しきっていた」
「魔物化する過程で衰弱し死に至ると考えるのが自然だな。そして魔物化した後で何者かが首を刎ねた。しかし衰弱して死に至った後に魔物化する病だとするなら、確かに説明がつかん。いや、病ではなく呪いだとしたらどうだ。吸血鬼の伝承は“手篭めにされた幼い少女の呪い”なのだろう。とすれば俺の部下の一部が強く呪われても仕方ないかもしれん。それこそ噛まれて直ぐに魔物になるほどのな」
ガスパールは赤翼隊の隊長である。その赤翼隊であるが、元々は彼の祖父が定職に就けず住む所も追われた者達を集めて組織した、謂わば慈善事業にも近い部隊だったらしい。それがいつしか新しい戸籍を得るために入隊してくる無法者が現れた。その結果が今の赤翼隊、“人狩り”と恐れられ“懲罰部隊”と自嘲する対人戦闘の専門部隊。当然、奪った命も多いだろう。盗みや強姦を働いた者もいるだろう。そんな部隊である。その事を隊長であるこの男は重々承知している。
「ならばこのまま進むのは危険ではないか?連鎖的に魔物化したら手に負えんぞ?」
罪の数ないしは罪の重さと魔物化する速度が比例するとして、どれほどの罪を犯せばどれぐらいの時間で魔物化するのか、そんなデータは一切無い。殺人を犯した者は即屍食鬼になる、そんな呪いであれば一人でも発症者が出れば大惨事になるのは目に見えている。
「手傷を負うだけで衰弱し、死に至れば魔物化する。だったら手傷を負った時点で我々の手で首を刎ねて殺せばいい。我らは国軍、国の為に、民の為に死ぬ覚悟は出来ているさ」
「本当か?本当にそう思っているのか?」
そんな覚悟が出来る人間がどれほどいるだろうか。
果たしてガスパールも被りを振った。
「いや、正直なところ脱走者が多数出るだろう。そしてどこかで野垂れ死んで人々を襲う……赤翼隊の名も堕ちるところまで堕ちるな」
「ならば赤翼隊は後方待機だ。引き続き俺達が先行する」
「お前さん達は大丈夫なのか?お前さんや娘っ子はともかく、あの2人、黒薔薇と邪眼は相当殺っているぞ」
元軍人であるカミラとソフィアは、ガスパールの目にはどう映っているのだろう。共に戦ったこともあるようだが。
「魔物を倒した数で言うなら俺も並んでいるだろうな。まぁ大丈夫だ。屍食鬼になる前に治癒する方法もある。屍食鬼になった者も人間に戻して葬る方法も見つけた。なまじお前達が同行して危険を増やされるよりよっぽど良い。それに、俺以外は全員女だ」
「確かに。少なくとも女を手篭めにしたことはないだろう。了解した。魔物の事は魔物狩人に任せて、赤翼隊は引き続きお前さん達の支援を続ける」
「それと街の復興だな。わかってくれていると思うが、街の人々の怯えようは尋常ではない。間違っても狼藉を働かせないでくれよ」
「承知した。軍紀を犯す奴はこの手で処断してくれよう。まぁ任せろ、ちゃんと気の置けない部下もいるし、街に入るのはそいつらだけにするさ」
こうして俺達は引き続き赤翼隊に先行して進む事になり、街への物資等の供給支援は赤翼隊が行うこととなった。
ルイスが呼びに来るのを待って救護所を後にした俺とガスパールは、この街の領主であるグレイシア男爵の屋敷を訪ねた。





