192.マルチェナ②(8月17日)
マルチェナの人々の反応を待つ間に、少し状況を整理しよう。
俺達はアルカンダラ魔物狩人養成所からの命を受け、アルテミサ神殿の神官見習いのグロリア エンリケスとお付きのソフィア メルクーリを伴って、バルバストロのグラエスという街に向かっていた。バルバストロはアルカンダラの北に位置する地方であり、グラエスの街はバルバストロのもっとも東寄りにあるらしい。
途中で立ち寄ったエルヴァスの街からはタルテトス軍精鋭部隊である赤翼隊と行動を共にし、赤翼隊隊長シドニア伯ガスパールが持っていた情報に基づきマルチェナの街を訪れている。
アルカンダラに伝わった情報では吸血鬼はグラエスの街の近郊に出現したとの事だったが、その影響下にあると思われる屍食鬼はもっと広範囲に出現しているようだ。さっきカミラが言った“テハーレス”もバルバストロ東方の街ロンダ近郊の村らしい。どこかで情報が間違ったのか、被害が広範囲過ぎて錯綜しているのか現時点では不明だ。
その屍食鬼であるが、この地方の古い言い伝えにも残る魔物らしい。曰く、吸血鬼に襲われた人間が屍食鬼になり人々を襲う。屍食鬼に襲われた人間も屍食鬼になる。つまり屍食鬼を一掃しても吸血鬼を倒さない限り、この事象は止まらないと思われる。
俺達が養成所から受けた任務は、あくまでも“吸血鬼を討て”である。だからマルチェナの街に寄り道しているのは、まあ言ってみれば事のついででしかない。元軍人であり直近まで養成所教官だったカミラはその事をよく理解しており、現在の状況、つまりマルチェナの住民が返答をしないことに苛立っている様子だ。
しかしカミラってこんな荒っぽい性格だっただろうか。
養成所で出会った頃、そして行動を共にするようになった頃は、ちょっとおっちょこちょいだけど時折大人の雰囲気を漂わせる“いいお姉さん”だったはずだ。
思えばソフィアとの再会がきっかけだったのかもしれない。
そんなことを思いながら、マルチェナの人々の反応を待つ。
動きがあったのは、2本目の煙草が終わりかけ、カミラのイライラが頂点に達する直前だった。
◇◇◇
「お前達が魔物狩人か!見慣れぬ格好をしているが、道化の類いではあるまいな!」
威丈高に声を張る男。先程の男よりは若そうだが、地位は上か。
カミラとソフィアがほぼ同時に舌打ちする。
見慣れぬ格好と言われればそのとおりだろう。
ソフィアは神殿での普段着らしい、ドレープの付いた紺色のワンピースだが、カミラとビビアナは活動服である大きなフードの付いたカーキ色のジャケットに茶色いタータンチェックのサロペット、しかも二人ともフードを目深に被ってアフガンストールで顔の半分を覆っているから顔は見えないはずだ。そして極めつきは俺のフレック迷彩のBDU。ダークグリーン、ライトグリーン、ブラック、レッドブラウン、グリーンブラウンの5色が入り混じる独特の模様はこの世界の住人にとっては初めて目にする代物だろう。
とは言えノーリアクションはまずい。あらぬ誤解を与えかねないし、そもそも俺達は喧嘩を売りに来た訳ではない。
G36Cのトリガーガードから右手を離して、ポケットから徽章を取り出す。俺の右側にいたカミラが肩に担いでいた三八式歩兵銃を下段に構えなおす。ビビアナも腰に回していたスコーピオンの銃把を握っているのが見える。二人ともやる気満々かよ……というかカミラはいつの間に着剣したんだ。
手にした徽章を掲げ、声を上げる。
「我々はアルカンダラから派遣された魔物狩人とアルテミサ神殿の者だ。この徽章が見えるか?」
双眼鏡も無しに見えるはずはない。だが所属を明らかにする何かを見せたという事実が重要なのだ。
「了解した。お前達の中に治癒魔法が使える者はいるか?」
「いる。怪我人か?病人か?」
俺からの問い掛けに男は返事を躊躇った。なるほど、そのどちらでもなく治癒魔法を必要としている。つまり感染者というか被害者がいるのだ。
「怪我人だ。治癒魔法を頼めるか?」
「構わないが、怪我人は何人だ?」
また返事を躊躇っている。もしかして彼自身は詳細を知らず、誰かに聞いているのかもしれない。
「わからない。大勢いる」
把握できないほど多数いるのか、あるいは街中に散らばっていて把握できないか。まさか現在進行形で増えているのではあるまいな。
「わかった。とりあえず門を開けてくれ。怪我人の様子を見たい」
「了解した。今開ける」
壁の上の男が後ろに向けて何か合図をした。
閂を上げる音に続いて、ゆっくりと門が開く。
門の内側には武装した男達が集まっていた。
◇◇◇
「あら、結構生き残ってますのね」
門の内側を見たソフィアの一言目がこれであった。
率直な感想。そして俺やビビアナを除く一同が感じた思いだろう。
ちなみに俺のスキャン上では弱い魔力反応を幾つも確認していたし、同様に探知魔法に優れたビビアナも把握していたはずだ。
だが離れた距離からのスキャンで見つけられるのは魔力反応のみで、姿形や年齢性別は判断できない。だから武装した男達の数が想像より多いのは事実であった。
そう、あくまでも武装した者であって、この街の衛兵というわけではないらしい。服装も武装もバラバラで、剣や槍ではなく肉切り包丁やフォークを持った者もいる。その数ざっと50人ほどか。
そもそもこの国の兵士の数はそう多くはない。街の人口の2%から5%といったところだろう。とすれば人口1000人余りのマルチェナの街では、衛兵は20人から50人程度のはずだ。長く続く籠城の末に正規装備を着装していられなくなっただけかもしれないが、それよりも単に多くの衛兵が失われたのだと考える方が自然か。
男達を観察している間に、壁の上から男が数人降りてきた。
先頭に立つのがさっき話していた男か。
見たところ40歳過ぎ。鎖帷子に飾りのない鉄のヘルメット、濃い緑色のマント、手には鞘に収められたままの長剣。この街の衛兵隊長だろうか。
俺達の前に進んだその男は、剣を鞘ごと地面に突き立てて口を開いた。
「我はクレアル、エウリコ クレアルである。マルチェナの衛兵隊副隊長だ。魔物狩人の方々、名乗られよ」
“副隊長”というからには衛兵隊の責任者は別にいるのだろう。得体の知れない者の様子を見に部下を遣わしたといったところか。
「アルカンダラの魔物狩人、イトー カズヤとイネス カミラ、アリシア ガルセス、ビビアナ オリバレス、そしてアルテミサ神殿のソフィア メルクーリだ」
「狩人が4人に神官が1人か。昨夜光魔法でネクロファゴを倒していたのはお主達か」
「そうだ。それで、大勢怪我人が出たというのは何故だ?街への侵入を許したのか?」
「いや、マルチェナの壁はそんなに柔ではない。それで、治癒魔法を使えるというのは本当か?」
「ああ。怪我人はどこだ?」
クレアルと名乗った男は値踏みするかのように俺達を見る。
「ついて来い」
彼はそう言って振り返った。