176. ルイサの覚醒③(8月1日〜3日)
夜遅くに降り出した雨は勢いを増し、俺達は足止めされた。
魔物に襲われかけた村を見下ろす小高い丘を野営地にしていた俺達は、結局移動を諦めて土魔法で造成した小屋で三日三晩を過ごすことになったのである。
小屋といっても最低限の部屋割りはしてある。年少組、年長組、居間兼炊事場兼俺の居室、トイレである。
幸い調理が不要な食料は収納魔法で大量に備蓄してあったし、俺と娘達の飲み水は水魔法で生み出せる。
ソフィアとグロリアは水魔法で生み出した水を口にしようとはせず、雨水を簡単に濾過したものを飲み水としていた。
元の世界の雨水にはどんな物質が含まれているかしれないが、およそ大気汚染とは無縁のこの世界では心配することもないだろう。
そうそう、グロリアである。
あの晩の騒動でも目を覚さなかった少女は、翌朝にはケロッと起き出していた。昨日の事を覚えていないという事もなく、ルイサが身を挺して自分を救った事も覚えているらしい。相変わらずの高飛車な態度もルイサの前では鳴りを顰め、皆の言うことをよく聞くようになった。
そのルイサであるが、背中と足首の翼はすっかり小さくなり、今では親指の爪ほどの白い翼が僅かに浮いているだけである。
一時的とはいえ白鳥のような翼の生えた異形の姿になったのである。皆の対応が変わってしまうのではないかと危惧していたが、そんな事は全くなかった。俺はといえばそもそも魔物などいない世界で数十年暮らしていたのだ。こちらの世界は“なんでもアリ”と達観しているのかもしれない。
それでもルイサの今までの服だと妙に背中が盛り上がってしまうから、ビビアナが背中の開いた服を仕立て、その上から短いマントを羽織らせることにした。足首の翼はゆったりとしたレッグカバーで隠せている。その結果、ちょっと痛いゴスロリファッションのようなものが出来上がってしまったが本人が気に入っているならばそれでいいのだ。
雨で足止めされている間の話題といえば、当然ながらルイサの身に起きた不思議な事象についてであった。
「それでさ、ぶっちゃけ何か変わった?魔力が増えたとか」
「自分ではよくわかりません……」
「あら。明らかに増えているようだけど、自覚はないのね」
「魔法は?何か使えるようになった?」
「イーさんと何度か試してるんですが、四大魔法の初級中の初級ぐらいはなんとか」
「ホントに!?ちょっと見せて!」
ルイサがおもむろに土の床を指差し、クルッと手首を捻る。すると床の上にシャーレほどの大きさの土の器が出現する。
その土のシャーレの上にポッと火を灯し、風魔法でその火を揺らす。最後に指先から水を滴らせてその火を消す。
一連の動きは何気ない手遊びのようにも見えるが、つい先日まではこんな小さな魔法でさえ使えなかったのだ。随分な進歩である。
「ほぅ。鮮やかな手際ですね。よく練習しているようです」
「ソフィアさんはどんな魔法が得意ですか?」
「私は四大魔法、あまり得意ではありませんわ。どちらかといえば使役や暗示、精神系の魔法が得意です」
「根暗な性分だからな。“邪眼の魔女”ったあよく言ったもんだ」
「あら。それは敵側からの呼ばれ名でしょう」
「魔女?」
「そうだぞルイサ。こいつがひと睨みすると、どんな高名な騎士でも歴戦の兵士でもその場で硬直しちまうからな。そりゃあ恐れられたもんだ」
「そこをイネスが棘と鋭い切っ先の植わった黒い鞭で仕留めるの。だから付いた渾名が“エギダの黒薔薇”なのよ」
「イーさんって昔から槍使いじゃなかったんですか?」
「軍を辞めてから持ち替えたのよ。対人戦でもなければ鞭の使い用もないしね」
とまあこんな具合で取り止めもない話が居間では続いている。男一人だとこういう時の居場所が無くなって困る。
いや、雄という意味では相棒がいる。フェルだ。
一角オオカミの幼体である賢い魔物が豊かな尻尾で時折俺の足を打つのはどういう意味か。
それはさておき、カミラの二つ名の由来は少し意外だった。この世界では鞭が武器として成立しているらしい。カミラが鞭を振るう様はさぞかし似合うことだろう。
「そういえばルイサちゃんの御加護って強くなったの?」
「そうそう、私も気になってた!昨日ビビアナとこっそり確認してたでしょ」
「そうなの!?気になる〜」
「で、どうだったの?勿体ぶらずに教えなさいよ」
「えっと……」
ルイサが許可を求めるようにビビアナを見る。
「ここにいるのは皆同じパーティードの仲間です。差し支えないでしょう。ほら、手を出して」
ビビアナがルイサの左手を取り、虹の神イリスに祈りを捧げる。
ルイサの手の平から溢れ出した光は……
「赤、橙、黄、黄緑、緑、青、藍、紫……8色!?」
イザベルが指折り数えたその光は、俺の目にも8色に見える。黄色から緑色へのグラデーションが黄緑色に見えるのだ。
「5色でも相当に珍しいのに、8色とは……」
「これはいよいよイリス様の御使い確定ね」
「じゃあルイサちゃんが転移魔法を使えるようになるのも時間の問題よね!」
アリシアの言葉はルイサを励ますためというより、風呂に入ってベッドで寝たいからではないだろうな。
ルイサが加わってからは俺の転移魔法は封じている。“強い虹の加護を持つ者として転移魔法を使えるようになる”ことがルイサの目標の一つだからだ。その目標をあっさりと俺がクリアしてしまったら、ルイサの心が折れるかもしれないという配慮からだ。
もちろん俺が転移魔法を使えることはソフィアとグロリアにも秘密である。
いつしか雨音が聞こえなくなっていた。
このまま天候が回復すれば、吸血鬼が出たというバルバストロの南東にあるグラウスに向かう旅路に戻れるだろう。
そもそもこの旅はグラウス近傍の村に出現したらしいバンピローなる魔物を討つためのものである。
道中で魔物に迫られていた村を見つけてしまったばっかりに足止めを喰らいルイサには怖い思いもさせたが、結果オーライだったのかもしれない。
先の魔物との戦いでルイサの身に何かが起きた。覚醒と表現してもいいだろう。
その覚醒がルイサにとって、そして娘達にとってどのような影響を及ぼすのかは判然としないが、見守るしかない。
◇◇◇
翌朝には昨日までの雨が嘘かのようにすっきりとした青空が広がっていた。
野営していた丘の上から見下ろす先にある村では、囲いの外に広がる畑の排水作業が始まっているようだ。
大量の魔物の死骸から流れ出た血は豪雨によって洗い流され、荒れた畑は魔物による被害なのか豪雨による被害なのか判別できなくなっている。
「放っておくか。立ち寄る必要もないだろう」
俺の言葉に皆が頷いた。
「様子を見るのに顔を出すわけでもなく引きこもってた連中だしな。まったく、開拓村とも思えん」
カミラの意見も最もだが、スー村のように引退した狩人や衛兵達によって成り立っている村ばかりでもないだろう。そもそも道中でほとんど魔物の気配がなかった地域である。突然の襲来にその備えも心構えも無かったのだとしたら、蹲り震えるしかできないのも理解できなくもない。
「見て!虹が出てる!」
ルイサが指差す西の空にはくっきりとした虹が掛かっていた。





