174. ルイサの覚醒①(7月30日)
眼前の魔物を掃討し、前方にいる黒ずくめの集団に気を取られていた俺達の後方、村の中から1匹のゴブリンが襲いかかった。
悲鳴を上げるグロリアと猛然と突っ込んでくるイザベルの間で俺がUSPハンドガンから放つAT弾はゴブリンを捉えられない。
スローモーションのように眼前の光景が流れていく。
奴の鋭く長い爪がグロリアの顔面に届くかに見えた瞬間。
「イヤァァァァ!」
気合一閃斜め下から飛び上がったのはルイサだ。
彼女はビビアナとアイダから贈られた短剣を、その小さな身体の前に構えてぶつかったのである。
決死の一撃はゴブリンの胸部を貫いた。
だが落下の力を跳ね返すことが出来ずに、返り血を浴びながら荷台の外に落ちる。
「ルイサから離れろ!」
飛び込んできたイザベルがゴブリンの胴体を蹴り飛ばす。短剣が刺さったままだった奴の胴体は半ば引き裂かれながら塀に叩き付けられた。
「ルイサ!大丈夫!?」
「グロリア様!お怪我は!?」
皆が口々に叫びながら集まる。
俺とアリシアも荷台を降りルイサの下に向かう。
彼女は短剣を握ったまま、イザベルの腕の中でガタガタと震えている。だがその目はカッと見開き、自分が倒したゴブリンの死骸を見据えたままだ。
呼吸は激しく顔面蒼白で額にはじっとりと汗が滲んでいる。
「ビビアナ、水をくれ。アリシアは鎮静魔法の用意を。ショック症状だ」
「ショック?どこか怪我を!?ルイサ!ルイサってば!」
激しく揺さぶろうとするイザベルを止め、ビビアナが差し出したペットボトルの水でルイサの顔を拭い手を洗う。ビビアナもアイダも動揺してはいるが取り乱してはいない。
アリシアが鎮静魔法を掛けるとようやくルイサの体から力が抜け、握り締めていた短剣から手を離した。
アイダと二人掛かりでルイサを荷台に寝かせる。
荷台の上ではグロリアが泣きじゃくりソフィアに宥められていた。彼女もゴブリンの返り血を浴びたのか、真っ白な服に点々と血痕が付いている。
「アリシアさん、グロリア様にも鎮静魔法をお願いできますか?」
「もちろんです。怪我はなさそうですか?」
「外傷はないようです。とりあえず落ち着きさえすれば」
アリシアがグロリアにも鎮静魔法を掛けると、すぐに彼女は静かになった。どうやら眠ったらしい。
2人とも外傷はないがゴブリンの血を浴びている。小さな傷でもどんな感染症を引き起こすか知れないから、2人纏めて治癒魔法を掛けておく。
「大丈夫そう……ですわね」
「当然。小鬼ごときに負けるルイサじゃないわ。そんなヤワな鍛え方はしなかったでしょ」
「そういえばルイサちゃんってこれが初めてじゃない?魔物を狩るの」
「そういえばそうだね。鳥とかウサギは狩ってたけど、魔物は初めてかも」
「うちの周りじゃそうそう出会さないしな。そうか、それでこんなになったのか」
荷台に横たわるルイサとグロリアの側で娘達が一息付いている。
「カズヤ君、あいつらがいないわよ」
カミラの言葉に顔を上げる。
カミラとソフィアが見つめる先、確かに先程までいたはずの黒衣の集団の姿が消えていた。
◇◇◇
「とりあえず村に入る?」
カミラの言葉に我に返る。またしても黒衣の者を取り逃してしまったという自責の念で呆然としてしまっていた。
「いや、この状況を説明するのも面倒だし、どこかで野宿しよう。野営地に心当たりは?」
「私もその方がいいと思う。すぐ外で戦闘があったのに様子を見にも来ないなんて異常だわ。野営地はすぐ探してみる」
「魔物の死骸は?このまま夜を迎えると少々不味いかもしれないです。もっともこの辺りの魔物が全部ここに居たのかも知れませんけど」
「俺とアイダで回収する。ソフィアとビビアナ、アリシアは二人を頼む」
「承知しましたわ。生きているのはいないと思いますが、お気をつけて」
「ああ。アイダ、行くぞ」
「はい。アリシア、ビビアナ。ルイサの事、任せるよ」
アイダが剣を抜き、俺の隣に立つ。
「そう気負うな。だが慎重に行こう」
アイダを伴い魔物の死骸を回収する。
モスカスとトロー、オーガにゴブリン。特にゴブリンは途中で数えるのを止めた。少なくとも50匹はいただろう。トローが身につけていた貴金属の類は思わぬ臨時収入になるはずだが、今はそんな事を喜ぶ気分ではなかった。
◇◇◇
ルイサ達の所に戻ると、野営地を探しに行っていたカミラがちょうど帰ってきた所だった。
「小川の少し上流側に小高い丘がある。そこなら見晴らしもいいし村を監視できる位置ね。水利も悪くない。この子達が回復するまでの間の拠点にはなる」
報告を聞いて二つ返事で移動を決めたのは、俺達の背後にある襲撃されたはずの村に拭い切れない不信感を覚えていたからだろう。兎に角一刻も早くこの場所を離れたい。そう思っていたのは俺だけではなかったらしい。
俺とアイダが離れている間に、ルイサとグロリアは血だらけになった服を着替えさせてもらったようだ。2人ともゆったりとした白いワンピースを着て、シェラフの上に寝かされている。
手分けしてルイサとグロリアを荷台に乗せ、カミラの先導で野営地に向かう。イザベルとソフィアが荷台に同乗し、アイダが殿を務める。俺とビビアナが馬車の側面に付き、アリシアが馬車をゆっくりと走らせる。
カミラが案内してくれたのは村からおよそ10分ほどの距離の場所であった。
日があるうちに野営の準備を終えなければ。
◇◇◇
その夜のことである。
昨夜見張り番を引き受けてくれたカミラとソフィア、未だ目を覚まさない2人に付き添うイザベルとビビアナをテントに入らせると、今夜の見張りは俺とアイダで務めることになった。アリシアも傍で眠っている。一日中手綱を握って疲れたのだろう。
俺とアイダも交代で寝る。
先にアイダがアリシアの隣で横になった。この2人、背格好も性格もまるで違うが、こうして見ると実の姉妹のようにも見える。
そういえばルイサとグロリアも見た目は正反対だが同じ服を着せるとどことなく姉妹のようにも思えるのが不思議だ。
木々の隙間から見える夜空には星が瞬き、風に乗って虫の鳴き声が聞こえる。昼間の血生臭さを風が洗い流していく。
あとはあの2人が回復すれば全て元どおりだ。結局姿を見せなかった村人の事など知ったことではない。
アイダの隣で寝ていたフェルがむくりと起き上がった。その直後、視界が漂白されたように真っ白になった。
後方から何か得体の知れない気配が圧力となって押し寄せる。
何か強烈な爆発か。
続くであろう衝撃波と熱波を恐れて、アイダとアリシアが寝ていた辺りに身を投げる。
だが光はすぐに弱まった。そして指向性を持って一方向から差し続けている。
テントの方だ。
恐る恐る振り返ると、確かに一条の光がルイサとグロリアが寝かされたテントの入り口から漏れ出ていた。LEDランタンの光ではない、もっと強い光だ。
「イザベル!ビビアナ!無事か!」
慌ててテントの入り口を開く。
そこには光輝く何かを抱き締めるイザベルとビビアナがいた。
「お兄ちゃん……ルイサが……ルイサが……」
イザベルが震える声を発する。
目が覚めたアイダとアリシアもテントの中に顔を出す。
「イザベルちゃん大丈夫!?」
「とりあえず外へ!動けるか!?」
2人の呼びかけに我に返ったらしいビビアナが先に動き出す。寝ているグロリアを引き摺りながらテントの外に這い出る。
「イザベル!ルイサを渡せ!」
光輝くそれがルイサと言うなら、後ろから抱き締めたままではイザベルは身動きできない。
光の中に手を差し入れる。熱は感じない。だがルイサの身体そのものが光っているようだ。
最初は嫌がったイザベルも、俺がルイサを抱き寄せると手を離した。そのままルイサを抱き寄せイザベルの手を引いてテントの外に出る。ルイサの身体は小柄ではあるが、その身体の重さをほとんど感じない。
異変に気付いたカミラとソフィアも起きてきていた。
「何ですのこの光は」
「わからない。だがさっきよりは弱くなっている」
俺の腕の中でルイサを包んでいた光は急速に弱まり、いや、収縮したと表現した方が正しいかもしれない。光はルイサの背中と足首の辺りに集まり始めている。
と、手に感じていた僅かばかりの重ささえ感じなくなる。ルイサの身体は間違いなくここにあるというのに。
フッとルイサが宙に浮いた。
昔見たアニメ映画の“空から降ってきた少女”を逆再生するかのように、ルイサの身体は宙に浮きゆっくりと登っていく。
「ルイサ!」
呆気に取られて見上げる皆の中で俺が最初に動けたのは、あの紺色の服を着たおさげの少女のおかげだろうか。
彼女の手に飛び付き引き下ろす。
仰向けの姿勢から正立した彼女の背中の光が強さを増す。
手を握ったまま思わず目を背けるが、今度こそ光が消えた。
ゆっくりと振り向いた先には……白い翼の天使がいた。





