171. グロリアの受難(7月29日)
アルカンダラを早朝に出発して北上した俺達は、日が陰る前に近郊の森を抜けた。
魔物の襲来を警戒してはいたが、スキャン上には特に反応は無かった。レーダーの探索範囲で捉えられる魔力反応も極小さく、おそらく小鬼だろう。
流石はルシタニアの州都アルカンダラのお膝元である。
森の先にはニーム川に架かる橋があり、その袂に小さな街があった。
街の名はスーデルというらしい。対岸の街はノーデルだというから、単に南岸と北岸という意味かもしれない。地名なんて割といい加減なのである。
通行税ぐらい取られるのかと思いきや、特に何もなく馬車は進んで行った。
「この橋もカステリーリャ師、あの偉大な土魔法師様がお作りになったと言い伝えられています。以来300年間一度も流されることなく、ニーム川流域の人々の往来を支えているそうです」
「マヌエル デ カステリーリャ様ですね。知っています。幾つかの街の礎をお作りになったとか」
「へえ。ルイサあんた物知りなのね」
「グロリアが知らないだけでしょ。もっとお勉強しなきゃね!」
「え〜。ソフィアと同じこと言わないでよ」
ソフィアが時折挟んでくれる解説に、年少組の二人は興味津々の様子だ。その度にルイサとグロリアは馬車の右に行ったり左に行ったりして身を乗り出すように見物するのである。
その姿はさながら社会科見学でバスに乗った小学生だ。二人とも打ち解けてくれたようで助かる。
魔物狩人として各地に派遣されていたビビアナや、最近まで養成所の学生として活動していたアリシア達はこの辺りまで来ることもあったらしい。
アイダとイザベルはそもそもがルシタニア出身ではないから、養成所に入所するためにこの道を通ってアルカンダラに来たとの事だ。よって馬車から見える風景もさほど物珍しくもないのだろう。ともすれば荷台から飛び出しそうになる年少組二人の世話を焼いてくれている。
ずっと不機嫌というか警戒を解かなかったイザベルの表情もすっかり元に戻り、ルイサに見せる世話焼き姉さんと同じ顔をグロリアに見せるようになった。
ルイサがいなければこう短時間に俺達に打ち解けることはなかっただろう。まったくルイサ様様である。
橋を渡った先のノーデル近郊の森の中で、今夜は野営することになった。
街道から少し入った森の中ではあるが周囲に魔物の反応はなく、特に危険はなさそうな場所だ。
元軍人のソフィアはともかく街育ちのグロリアお嬢様が嫌がるかと思ったが、むしろ喜んでいるように見える。
グラウスまでのおよそ1週間の行程を全て野営すると言ったらどんな反応になるか見物ではあるが、そんなにカツカツの旅をする理由は実は無い。
今夜の野営はルイサとグロリアに野営に慣れてもらうためのイベントだ。
◇◇◇
馬車から解いたカミラの愛馬を労い、テントを2張り設置する。この世界での狩人や商人の野営と言えば、木の影を利用した所謂ビバークが主流である。火を焚き、毛皮か織物を敷いてその上に座ったまま寝るというやつだ。荷馬車があれば荷台の下に潜り込むか荷台の上で寝る。
国軍の高級将校ともなれば簡易的な屋根付きの建物を即席するらしいが、一般兵は良くて天幕、無ければ地面にごろ寝するらしい。
そんなだから張られたテントと敷かれた寝袋を見てソフィアが思いの外喜んだのも当然である。
早速片方の寝袋に潜り込み歓声を上げている。
「カズヤ殿!この寝袋というもの、なんとか売り物になりませんこと!」
テントから顔だけ出してそんなことを言い出す始末である。
「作ることができたらな。目の詰まった布で水鳥の綿毛を包めば、まあ似たような物が出来るんじゃないか?」
別に突き放したつもりはない。昼間のうちにソフィアに敬語を使わなくなっただけの事である。
「そういえば、西方の砂漠の民がcamelloの毛皮に包まって寝るという話を聞いたことがあります」
寝袋の話になって、ビビアナがそんな事を言い始めた。話し相手はグロリアと食料調達から戻ったイザベルとルイサである。
「カメーロ?なにそれ?」
「私も実物を見たことはありませんの。なんでも大きくて首と足が長く、背中に大きなコブが1つか2つある四つ脚の獣だそうですわ」
「うへ。想像したらちょっと不気味だ」
三者三様の想像図を描いたのだろう。3人が顔を見合わせて大袈裟に身震いする。
「それって魔物?」
「さあ。私は。ソフィアさんはいかがですか?」
「その話は私も存じ上げておりますわ。砂漠の民は馬の代わりに乗りこなすというので、普通の獣ではないでしょうか」
「ふーん。じゃあ私達が相手することはないね。ちゃんと馬がいるし」
「グロリアは馬に乗れるの?」
ルイサの素朴な疑問はグロリアに突き刺さったらしい。薄い胸を張りながら高らかに宣言する。
「妾には馬車という文明の利器がある。何故に馬に跨る必要があろうか」
「決めた。あんた明日から歩きなさい。馬車に近づきでもしたら矢を射ることにする」
「……ごめんなさい。許してください……」
「じゃあこれを捌いたら認めてあげよう。ルイサは出来るんだけど」
すっかり年少組の親分に収まってしまった感のあるイザベルが、自分のポーチから何かを取り出した。
二羽のウサギだ。
やや黒みがかった赤褐色の背中には矢が刺さったままである。
「ヒッ!!」
分かりやすい悲鳴を上げてグロリアが後退りする。
「私とルイサで1匹づつ狩ったんだ。いやあルイサも腕を上げたなあ」
「イザベル姉さんに比べたらまだまだです。ちゃんと首元を狙ったはずなのに腰の辺りに当たってしまいました。獲物の動きを読み切っていない証拠です」
イザベルは“腕を上げた”などと軽く表現しているが、ルイサが狩人としての訓練を本格的に始めたのはほんの1週間前である。一言で言えば凄まじい上達を遂げているのだ。
「さ、グロリアちゃん。私も練習するから一緒に頑張ろう。自分のナーサを持ってきて。私はこの旅のために買ってもらったのがあるから……」
ルイサも獲物の解体や料理を覚えられるようにと、アイダとアリシアが見繕ってきたらしい。
そういえば救出後の3人娘も最初は俺が持っていた包丁やナイフを使っていたが、結局は自分好みの小ぶりのナイフを買い求めていた。野外で過ごすことも多い狩人にとっては、道具としてのナイフは必需品なのだ。
だがグロリアお嬢様にとってはそうではなかったらしい。
「そんなモノ妾が持っているはずなかろう!そんなことは使用人がすることじゃ!」
「へえ。んで、その使用人ってのはどこにいるの?ここで1番下っ端なのは、私とグロリアだけど」
ナイフを持ったままのルイサが柔かに微笑む。その笑顔はあくまで柔和ではあるが、手にしたナイフの切先が傾いた夕陽を反射して妖しく光る。
「わ……わかった。わかったからこっち向けるな!向けるでない!怖いではないか!」
更に後退りするグロリアの背後にイザベルが立つ。
「ねぇグロリア。“働かざる者食うべからず”って言葉知ってる?」
抵抗虚しくウサギの前に立たされるグロリアが少々不憫でもある。
結論を記しておこう。
グロリアはやり遂げた。
イザベルが文字通り手取り足取り教えた成果ではあるが、グロリアお嬢様は立派にウサギ1羽を捌き切り、その肉はウサギ肉のシチューになって皆の胃袋を満たしたのであった。





