170.ソフィアとグロリア② (7月29日)
ソフィアが語ったところによれば、軍を除隊した彼女はしばらくの間は商人の家に居候していたらしい。
娘達に気を遣ってくれたのだろうか。ソフィアは敢えて“居候”と表現したが、実際には囲われていたというのが本当だろう。
女一人を囲うほどの商人である。それなりに優雅な生活を送っていたようだが、本人曰く「飽きた」そうだ。
「私、見た目がこんなじゃない?どうしても“お高く”見られてしまうのだけれど、生まれは良くはないの。だから召使さんに傅かれても困るのよね」
「そうなのですか?どこかの御令嬢かと思いました」
「貴族の娘が国軍に入るわけないじゃない。騎士団か、いっそのこと魔物狩人になった例は多々ありますけど。ね、ビビアナ オリバレス様」
「ビビアナで結構です。魔物狩人を志した時に家名は捨てました。もっとも家名が有効な時は便利に使わせてもらいますが」
「それでいいんじゃない?権力を使いたがる者は権力に屈するものよ。ねえグロリア様」
「ぐっ……お主等何やら似ておるの……さては姉妹か!」
「あら。もしかして私はオリバレス侯爵の隠し子なのかしら。だったらこの気品に満ちた立ち振る舞いも納得できますわね、カズヤさん」
そこで俺に話を振られても困る。
ソフィアに掴みかかろうとするグロリアを左手で制しながら話を戻す。
「ソフィアさん、子供を揶揄うのもほどほどに。それで、どうして神殿に?グロリアの教育係としてエンリケス家に雇われたとのことでしたが」
「そう。エンリケス家は商人上がりの一代男爵なのは皆さんご存じよね」
「聞いたことあります。でもあまり良い噂ではなかったと思いますけど」
「そうですわね。巷では爵位を金で買ったとか言われておりますが、爵位は爵位です」
「それで、その金持ちの男爵がどうしてあんたを教育係に?」
「一代男爵となれば、その子供達には特に何も残せない。いわゆる世襲する爵位がありませんもの。子供達が改めて功績を上げるか、貴族に見初められれば別です。ところがエンリケス家の子供達といったらそれはもうやんちゃ坊主ばかりで」
「それでも神殿に入れる理由にはならないだろう。そもそもグロリアは女だぞ」
「まあまあ話をお聞きなさいな。エンリケス家当主、レオン エンリケス男爵はいろいろ考えたのでしょう。思案の結果、4人もいる娘達を貴族に嫁に出すことにしました。男爵家の娘を嫁がせる相手なら同格の男爵か一つ上の子爵家にと相場が決まっております。子爵家ともなれば、まあ子孫も安泰でしょう。息子たちは軍か騎士団に入れて、恥ずかしくない程度の功績を上げればいい。そう考えたようですわ。もちろん貴族達との繋がりを強くしたいという思惑はあったのでしょうけど」
「ふ〜ん。お貴族様ってのも大変ね」
「一代男爵を名誉号だとだけ思っていればいいのですよ。変な欲を出すから、無理をするのです」
「花嫁修行のために神殿に入れるってのはよくある話よね。それで、グロリアお嬢様は敢えなく神殿送りになりました。めでたしめでたし。あんたの出番はないじゃない」
「ところが神殿に入ったは良いものの、グロリア様はこの性格です。すぐに追い返されたそうなのです」
「まあこのチビならそうなるわよね」
「それでも尚食い下がるエンリケス男爵に対して、神殿からはキツくこうお達しがあったそうなのです。多額の寄付も貰ってることだし、5年間だけは預かってやろう。ただし、身の回りの世話をする使用人をエンリケス家で用意し、監督せよ。とまあそんな感じね」
「足元を見られたものね。それで、ふらふらしていたあんたが男爵家に潜り込んだと」
「家庭教師といいますか、そういう方は何人か雇われたようですわ。もっとも一週間も経たずに去られたようですが。ですが私には固有魔法がありますから。言うべき事はビシッと言いますわよ、ビシッと」
大袈裟なジェスチャーの割には、我儘なお嬢様が普通のお嬢様になったようには見えないが。もしかしてもっと酷かったのだろうか。
「でも、それならグロリアは賓客扱いなんじゃないの?それがどうしてバンピロー討伐なんぞに?」
「妾の意思じゃ!国と民を思う妾の高貴な血が、座して……痛いわ!」
視界の隅で仁王立ちしたグロリアの後頭部をポカリと叩くアイダの姿が見える。
「年長の御三方がお話になっておられます。口を挟まないように」
「ふぁい……」
冷たい眼差しのビビアナに萎縮したか、グロリアは文字通り首を竦めて着席した。斜め向かいに座っているルイサが差し出したドライフルーツを今度は受け取り、大人しく食べている。
「あらまあ。我儘なお嬢様を躾けるには最適な環境ですわね」
「自分の仕事を他人に押し付けるな。で?」
「面倒くさい幼女を手放したい神殿側と、功績を挙げたいエンリケス家の思惑が一致したのですわ」
「遠ざけるではなく手放す?ってことは、神殿としてはグロリアが任務に失敗してもいいって考えてるのか?」
「さあ。どうでしょう。“狩猟の女神アルテミサ”の御加護を持つ神官達にとっては、バンピロー討伐は簡単なことなのでしょう。もっともアルテミサ神殿の神官達が優秀な狩人だなんて話は聞いたことありませんけど」
フフッと笑うソフィアの真意が読めない。
狩猟の女神アルテミサへの深い信仰心から神殿に入ったわけではないのは確かなようだ。
俺の正面に座るイザベルの表情がいつになく険しい。
俺が警戒を解いていないせいだろうか。
そんなイザベルを他所に、ルイサはすれ違う行商人や旅人に手を振っている。その度にグロリアも後方を振り返り会釈したりする。
高飛車なお嬢様ではあるが、根は真面目で素直な子なのかもしれない。或いは環境に影響されやすいお年頃なのか。
そういえばこの世界も左側通行なのだな。
ふとそんな事を思う。
2頭立ての馬車の御者が手綱を取る位置で右側通行か左側通行かが決まるらしい。御者台の中央に座る英国式では、利腕である右手が中央に近くなるように左側通行、御者が左側の馬に跨って馬車を引くフランス式では、御者が中央に近くなるように右側通行になった。そんな雑学をぼんやりと思い出す。
よし、決めた。
ソフィアの真意を探るのはひとまず置いておこう。
女性の真意を聞き出すようなテクニックが俺にあるわけがないではないか。
それより大事なのは、娘達を無事にアルカンダラへ連れ帰ること。ついでにグロリアお嬢様も無事なら尚良い。それ以外のことは副産物に過ぎないのだ。
俺達を荷台に乗せた馬車は力強く進んでいく。
すれ違う行商人達の数が減り、道はやがて森へと入っていった。





