160.アユダンテ(7月18日)
バンピローなる何かが何処ぞに現れた。そのためアルテミサ神殿の神官が出動する。その神官が何やら曰く付きのようなのだが、俺にはさっぱりわからない。
わかっているのは出動する神官がグロリア エンリケスということと、その者が“エンリケス家の娘”として語られたことだけだ。
その名を聞いて校長先生が頭を抱え、ダナが眉を顰めて呟く。
「あのエンリケス家の四女……それはまた神殿も思い切ったことを……」
「テイのいい厄介払いですね。討伐そのものは私達に押し付けるつもりなのでしょう」
校長先生が不穏なことを言う。
厄介払いとはどういう意味だろう。どうやらエンリケス家というのは地方貴族か有力者のようだが、その四女の評判は芳しくないらしい。
「それで、バンピローが出たのは何処なのです?ルシタニア領内ですか?」
校長先生の質問はモンロイに向けられたものだ。
そのモンロイは頭をペチンと叩いて答えた。
「それがバルバストロなのです。バルバストロの南東域、ニーム山脈の裾野にあるグラウス近傍の村にて、身体中の血が抜かれた遺体が多数発見されたとの事でして」
血が抜かれた遺体だと。
単純な失血死ならば、例えば首を落とされたとか心臓を一突きされたとか、そういった死に様ならばわざわざ“血が抜かれた”などとは表現しないはずだ。
“遺体の血を抜く”という行為そのものはミイラを作る過程などでは行われはするだろうが、そんな風習を言っているのではないだろう。
バンピロー。南米で目撃されるというチュパカブラのようなUMAだろうか。
いや、言葉の響きからすれば吸血鬼か。
「そう……バルバストロねえ……それでエンリケス家の娘に白羽の矢が立ったと」
「そういえば、エンリケス家の四女様には付き人がいるのではなかったかしら?それはもう甲斐甲斐しく世話を焼いてるって噂になってたわよね?」
「寮母殿の仰るとおりですな。もちろんお付きの者もご同行されるようで、今回の噂もお付きの者から伝わってきた話なのです」
エンリケス家がどういった家なのか知らないが、仕えている主人の情報をポロポロと外部に漏らすような組織はいかがなものかと思うが。
あるいは噂の形で養成所の中枢に話が伝わるよう仕組んだとすれば、大層な策士ということになる。
「サラ。誰か派遣するつもり?」
「誰かと言われても……相手はあのグロリア エンリケスよ。誰が面倒見れるって言うのよ……あ」
“あ”とはなんだ。そして何故こちらを向く。
嫌な予感しかしない。
◇◇◇
「適任者がいるじゃない!獅子狩人にしてカディス解放の英雄、しかも女の子の扱いが上手い。もうカズヤ先生しかいないわね!」
やっぱりこうなるのか。
そもそもだ。“女の子の扱いが上手い”なんて過大評価もいい所だ。確かにうちのパーティーは女だらけだが、別に俺が選り好みしているわけではない。
「あのですね……全く状況が飲み込めていないんですが……俺に何をしろと?」
今度は俺が頭を抱える番である。
だがそんな俺を意に介さず、ダナが続ける。
「そうね。カズヤ先生が行くとなればカミラも他の娘達もついて行くでしょう。とすれば戦力は十分。神殿に恩を売る絶好の機会ですね」
2人の腹黒そうな笑いが怖い。
「まあ、今日明日にも出発ということはないのでしょう。モンロイ先生は引き続き情報収集を。神殿からの正式な要請書が来れば、こちらに回してくださいな。それまでにカズヤ先生はバンピローとこれから向かうバルバストロについて、学んでおいてくださいね」
どうやら俺に拒否権はないらしい。
そもそも俺を教官として採用しているのも巡検師に指名したのも校長先生である。特段の理由でもない限り、上司の指示には従うのがサラリーマンなのだ。
しかしである。言うべき事が言えない組織はダメだ。言うべき事は言い、主張すべき事は主張する。そうやって組織は成り立つのだ。
「きちんと説明してください。いったい……」
俺が言いかけたところで、再び校長室の扉がノックされた。
◇◇◇
校長先生の誰何の声に応えたのはビビアナであった。
「カズヤさんは此方においでではありませんか?」
つまり俺を探しているらしい。
「カズヤ先生ならいるわよ。入ってらっしゃい」
応対してくれたダナに促されて入室したビビアナの後ろには、青みがかった髪の学生がいた。
ルイサである。
虹の加護を持つ、いや虹の加護しか持たないという幼い少女が、どうしてビビアナと一緒に校長室を訪れたのか。まさか中庭にいたところをビビアナにインターセプトされただけでもあるまい。
そしてビビアナが手に持つ巻物は何だ。
猛烈に嫌な予感がする。
そのビビアナはルイサを扉近くに残したまま校長先生に歩み寄り、手にした巻物を差し出した。
校長先生が巻物の封を切る。
「ビビアナさん。本気なのよね?」
巻物を読み終えた校長先生の第一声がこれであった。
元監察生、成績優秀で全学生の模範であったビビアナに本気か否か尋ねなければならないような事が、巻物には書いてあるらしい。
今の話の流れからすれば、バンピロー出現の噂を聞きつけてルイサを伴って討伐に志願するのか。
いや、イザベルならともかく、ビビアナがそんな無謀なことをするとも思えない。
「もちろんです。ルイサも納得しています」
「そう。ルイサの口からも聞きたいわね」
校長先生に促されたルイサが口を開こうとした瞬間、ダナが咳払いをした。
その仕草に何か思い当たったのだろう。校長先生がモンロイを見る。
「モンロイ。あなたは自分の仕事をなさい。この件の情報収集を」
弾かれるようにモンロイが室外に出て行く。入れ違いにルイサが手招きされた。
「それで。あなた自身の意思はどうなのかしら?」
ルイサが長い前髪の奥にある瞳で、校長先生を真っ直ぐに見る。
「はい。私はビビアナさんにアユダンテになっていただき、修行を続けたいと思います」
アユダンテ。聞かない響きの言葉だが、いったい何だ。スポンサーということもないだろうが……
「そうですか。決心は固いようですね。書類にも不備はなさそうですが、ダナ、あなたはどう思う?」
巻物を手渡されたダナが記された文章を目で追う。
「問題ありませんね。アユダンテになるにはアイダさんは少々若いですが、まあカズヤ先生もいることですし実力も実績も十分です。署名は私が?」
「ええ。一番下の欄にお願い。カズヤ先生にも署名をいただきたいのだけれど……」
署名しろと言われてもな。何が何だかさっぱりわからないのに署名などできない。
逡巡する俺の元へルイサが巻物とペンを持ってきた。
分厚い羊皮紙に書かれた文字を追うが、さっぱり意味はわからない。
「カズヤさん。この子の面倒は今後私が見ますわ。立派な魔物狩人にしてみせますとも。どうかお認めくださいな」
「面倒を見る?それは養子に迎えるという意味か?」
「アドプシオンとは少し違いますわ。別にルイサを私の子や後継者にするつもりはありません。この子が一人前になるまで教育し必要な援助を与える、そう申しておりますの。アユダンテがいれば養成所にいる必要もありませんから、ルイサにとってもその方がいいかと」
つまりだ。ビビアナはルイサの後見人になると、そう言っているのだ。





