149.校長先生に報告する③(7月16日)
校長室の扉を開けた先に詰めかけていたのは、4人娘と同じ制服を着た学生達だった。
まさかの展開に思わず扉を開けたまま固まってしまった俺の体越しに、集まっていた学生達が口々に叫ぶ。
「ビビアナ様!ようやくお目にかかれましたわ!」
「突然ご卒業なさるなんて!せめて一言だけでも!」
「アイダ様!またあの凛々しい剣技をお見せください!」
ビビアナとアイダに向けた黄色い歓声に混じって、後方からはイザベルやアリシアを呼ぶ野太い声も聞こえる。
どうやら娘達のファンクラブに、彼女等が校長室にいるとバレたようだ。騒ぎにならないようにと早朝の時間を選んで校長室を訪れていたのだが、すっかり長居をしてしまったらしい。
「お前達!もう講義が始まる時間だろう!さっさと部屋に向かわんか!」
バルトロメが学生達を散らそうとするが、さほど効果がない。何人かでスクラムでも組めば或いは押し返せるかもしれないが……
「こうなっては抑えられないでしょうね。カズヤ君、それにみんなも、今日の夕方に時間貰えるかしら。学生達とあなた達がきちんと話せる機会を与えてあげてほしいのだけど」
扉の前で立ち尽くす俺と娘達に、校長先生が言う。
4人娘は養成所では有名人だったらしい。
学生達の模範である監察生ビビアナ、剣士アイダ、魔導師アリシア、魔法師イザベル。全員が魔物狩人の卵ではあるが、探索任務に就くぐらいには優秀だったのだ。加えてこのルックスである。人気が出ないほうがおかしいだろう。
「ええ。わかりました。まずはこの場を収めましょう。お前達もそれでいいな?」
「はい。出来ることは協力します」
アイダを筆頭に全員が頷く。
「決まりですね。では……」
校長先生が扉に近づき、両手を胸の前でパンっと打ち合わせる。
騒々しかった学生達が一瞬で静まりかえった。
校長先生の圧ってやつだろうか。
何が起きたか把握できない俺に、アリシアがそっと耳打ちする。
「暗示系魔法の一種、Susurro de la diosa、“女神の囁き”です。静寂の神メルセゲルの力を借りる事で、場を鎮め自分に意識を向けさせる効果があります。私も時々使ってますけど、みんなには秘密ですよ」
これも魔法の使い方なのか。
なんとまあ効果覿面なこと。
学級崩壊に悩む先生方なら是非とも習得したい魔法の一つかもしれない。
そういえば娘達と一緒に掃除をしたりする時に、アリシアが時折手を打合せて鳴らしている。彼女が言っているのはそれか。手を打ち鳴らすことそのものは至って普通の行動だから、それに魔法が込められているとは思いもしなかった。
「いいですか皆さん。あなた達がこの養成所にいる目的は、学び、訓練を積み、一日も早く人々を守る存在になるためではないのですか?ならば、講義に遅れる事は許されません」
「でも!校長先生!」
学生達から湧き上がる抗議の声を押し留めて、校長先生が続けた。
「ですが先輩達から学ぼうとするその姿勢は評価します。今日の講義が全て終わったら、中庭にいらっしゃい。そこで存分に指導してもらうといいでしょう。皆さんそれでいいですね?」
集まっていた学生達が次々に頷く。
「では解散!」
校長先生が再び手を打ち鳴らすと、学生達はぞろぞろと引き上げていった。
いやはや、暗示系魔法の効果絶大なこと。機会があれば習得しておくべきだろうか。
◇◇◇
「さて、夕方まであなた達は時間が空いたのですよね」
俺達の方に向き直った校長先生の片眼鏡がキラリと光ったように見えたのは、きっと気のせいではない。
「あなた達の魔力量を測定します。カミラさん、よろしくね」
「はい。承知しました」
カミラ先生が頭を下げる。カミラさん?そう校長先生は彼女を呼んだ。今までは“カミラ”と呼び捨てにしていたはずだ。いったい何の心境の変化だ。
「その間にカズヤ殿にはお話があります。モンロイ先生に水を渡したら、戻ってきていただけますか?」
そして俺にも敬称を付けて呼びかける。これはきっと良からぬ事に違いない。
違いないが拒否することもできない。
まさか“胸のカラータイマーがぁ”なんて言っても通じるはずもないし、そもそも拒否する合理的な理由もない。
「わかりました。お伺いします」
「ありがとう。モンロイ、カミラさん。あとはよろしくね」
その言葉を合図かのように、俺達もぞろぞろと校長室を後にした。
◇◇◇
モンロイに連れられて彼の研究室に案内された俺に示された容器は、木製の樽だった。ワインやウィスキーが詰まっている、あの樽である。
てっきりペットボトル1本か2本ぐらいの水を渡せばいいと軽く考えていた俺は少々面食らった。
「どうしましたかな?さすがにこの大きさを満たすのは無理とか?」
モンロイは悪戯っぽい笑顔を見せる。どうやら面食らったのが顔に出ていたらしい。
まあ俺にとっては100ℓ弱の水を水魔法で生み出すぐらいは容易いことではある。
なんでそんな樽が研究室に鎮座しているのか若干気になりはしたが、もっと気になったのは大量のサンプルをどうやって使うのかという点である。
まさか転売目的ではあるまいな。
なにせペットボトル1本分で金貨1枚、それも信徒価格である。信徒以外に転売すれば、末端価格は数倍に跳ね上がるだろう。
モンロイ師がその気になればひと財産稼げるだろうが、そこは彼の良心を信じるしかないか。
あっさりと樽を水で満たし、拍子抜けした表情のモンロイを残して校長室へと引き返す。
校長室の隣の部屋からは、魔力量の測定をしているらしい娘達の声が聞こえる。
どうやら魔力量がまた増えているようだが、詳細は娘達から直接聞けばいいか。
校長室の前に立ち、重厚な木の扉をノックする。
数秒の後に扉を開いてくれたのはサラ マルティネス女史、この部屋の主である校長先生その人だった。
「お入りなさい。ダナさんはお茶を淹れなおしてくださるかしら」
校長先生に導かれるまま、テーブルへと案内される。
校長室に校長先生と2人きりというシチュエーションでなくて、正直ほっとした。どれだけ年齢を重ねても、長と肩書きが付く人とサシで向かい合うのは緊張するのである。
「さて。今回のイビッサ島への遠征は、本当にご苦労様でした。アリシアさん達だけでなく、カミラさんまでも面倒をみていただく形になってしまいましたね」
校長先生はそう言うが、実際に面倒をみてもらっていたのは俺のほうだ。
この世界に来て2ヶ月が過ぎようとしているが、俺が一体何のためにここにいるのかさえ正直よくわかっていない。当然のことながらこの世界のこともほとんど知らないに等しい。娘達に出会わなかったら、今頃は自宅に引きこもっていたことだろう。
「実はカミラさんから逐一報告書が届いていましたし、各連絡所からも早馬で報告が上がってきていたのです。ですからアルマンソラで足止めに合っていたところまでは、まあ知ってはいたんですよ。それにイビッサ島での顛末も一通りはカミラさんから聞いています。さすがに一角オオカミを手懐けているとは思いもしませんでしたが」
娘達の報告を校長先生だけが余裕たっぷりに聞いていたのは、そういう理由だったか。
カミラ先生が俺達のお目付役として同行していたのは自明の理であるし、昨日のうちに先触れに訪ねるようカミラ先生に頼んだのは俺だ。カミラ先生がどういう報告をしていたのかは気にはなるが、別に秘密にしておかねばならない事も無かったはずだ。
「そうでしたか。道中での報告を失念していましたが、カミラ先生が報告してくれていたのですね」
俺がそう言うと、校長先生は少し意外そうな顔をした。
「あら?まだそんな他人行儀な呼び方をしているの?案外奥手なのねえ」
奥手とは誰についての評価だ。
俺か、それともカミラ先生か。





