132.イビッサ島に到着する(7月5日)
「島だ!島が見えるよ!」
「ようやくだな。長い旅だった……」
「わふっ」
「うへえ……なんでみんな平気なの……」
「ほら、遠くを見るといいらしいですわよ。顔を上げてください!」
4人娘と1匹がキャッキャと談笑しながら、船の舳先に集まり前方を見ている。
俺とカミラ先生は船体中央部のマストにもたれかかったまま、周囲をテキパキと動き回る水夫を眺めている。
カミラ先生の傍らには着剣したままの三八式歩兵銃が立て掛けてある。彼女の愛槍は収納魔法を付与した硬い革のケースに納められ、彼女の腰にぶら下がっている。知らない人が見れば短刀のようにも見えるだろう。
俺達が向かっているイビッサ島は漁業が盛んな島らしい。だが最近、漁網が立て続けに破られる被害が出ており、何か未知の魔物が海中に潜んでいるのではないかと懸念されている。その情報がアルカンダラの魔物狩人養成所に伝わり、調査の為に巡検師である俺と巡検師補佐の娘たちが派遣されてきたのである。
カミラ先生はお目付役。旅の途中で出会った一角オオカミの子供フェルは、まあマスコットだろうか。
「若いっていいわねえ……」
4人娘を見ながらぽろりと漏れたようなカミラ先生の言葉に、俺はどう反応すればいいのやら。
少なくとも“そうですね”と言ってしまったら終わりだとは思う。
「ねえイトー君。網が切り裂かれる原因、心当たりある?」
反応に窮している事を察したのか、カミラ先生の方から話題を変えてくれた。さすが大人の女性だ。
「どうやって網を使っているのかにもよると思いますが、普通に考えれば沈み根なんかに引っ掛けているか、サメのような大型魚類の仕業でしょう」
「そうよね。それぐらいの事、漁師だって分かっていると思うのよ。にも関わらず報告が上がってきた。ということは普通の破れ方ではないって事よね」
「イビッサ島と行き来している船乗り達が何も知らないというのも不思議ですね。そういう話は噂となって広まるものだと思います」
「それは私も気になったのよね……まさかとは思うけど、全部嘘だったりね」
はい?漁網が破られる被害が出ているのが嘘ということか。嘘って誰の嘘だろう。
考えられるのは島民が嘘をついているか、あるいは俺達を遣わした校長先生が嘘をついているかのどちらかだ。
あとは伝聞を広めた誰かが話を盛った可能性もあるか。
街を旅する吟遊詩人が、酒場を盛り上げるためにある事ない事織り交ぜるのはどこの世界でも同じだろう。だが、そのあたりは当然複数の角度から調査したうえで校長先生は指令を出したはずだ。
例えば島民の死亡率が上がっているなどの直接的な結果でなくとも、イビッサ島の漁獲量が落ちているとか、税金の徴収が滞っているとか、魔物の影響が圧迫する事による何らかの結果は出ているはずなのだ。
だがイビッサ島の玄関口であるはずのオンダロアではそのような話は聞かなかった。
島と行き来するための航路はカラレオナにもあるはずだが、カラレオナだけそういった情報が伝わっているというのも不自然だ。
とすると、海の男達が全員口を噤むほど恐ろしい事態なのか、あるいは校長先生にいっぱい食わされたかのどちらかだ。
いや、騙されたと捉えるのは不適切だろうか。さっさと任務を与えてアルカンダラから離れさせたかったのだと前向きに捉える事にしよう。
それに、“嘘かも”と口にしたカミラ先生本人も深刻に気にしている様子はない。
少なくとも4人娘達はバカンス気分で楽しんでいるようだし、まあいいではないか。
カミラ先生と話している間にも島影はどんどんと近づいてきていた。
◇◇◇
たどり着いたイビッサ島は、まさにリゾート地の景色だった。
濃い緑に覆われた山、白い砂浜を囲むように切り立った崖。砂浜に打ち寄せる波を送る海は青く煌めいている。海中にはサンゴ礁こそないが、それでも色とりどりの魚達が泳いでいるのが透けて見える。
白い石を積んだ船着場に降り立った俺達は、とりあえずイザベルを休ませる場所を探した。吐きはしないまでも、普通に歩ける状態ではなかったのだ。こういう時いろんな部位が小柄なイザベルはさほどの負担にはならない。これがアリシアだったら背負おうにもお姫様抱っこしようにもいろいろ困ったコトになっただろう。
◇◇◇
街中の家々の壁が白いのは漆喰が塗られているからだ。跳ね返された初夏の日差しが、容赦なく俺達を襲う。
この島の人口はこの世界にしては少なくなく、島全体で400人ほどは暮しているようだ。
にも関わらず、道を行き交う人々の姿は疎らだ。久々に入港した船の周りには島民達が集まっていたから、荷揚げを手伝いに行っているか漁に出ているか、あるいは絶賛昼寝中か。
イビッサ島に宿屋が無いことは予め聞いている。観光客が来るでもなく、立ち寄るのは買い付けの商人が仕立てた船の船乗りと、便乗してやってくる行商人ぐらい。何軒かの料理屋と酒場、男達の相手をする店がある程度で、あとは民家と商店らしい。
だから屋根がある場所で寝泊まりする事は早々に諦めていた。個人的には娼館に泊まるのもアリなのだが、それをカミラ先生が提案した時の4人娘の顔を思い出すと、そんな気は失せる。
「そんなのダメって言ったって、貴女達何にもしてないじゃない。イトー君を止める権利が貴女達にあるのかしら?」
「何もしていないなんて失礼ですよ先生。ちゃんと毎晩お供させてもらっています」
「同衾してるだけで、他には何にもないんでしょう?ビビアナから聞いてるわよ」
ビビアナは先生に何を言っているんだ。
それはともかく、先生にそう言われた娘達はそれぞれの表情で俺を見たのだ。
アリシアは泣きそうな顔で、アイダは半分怒ったような顔で。イザベルは船酔いで青白い顔で、ビビアナは困った顔で。
そんな表情を向けられたら、娼館に泊まるなど言えないではないか。
◇◇◇
「っぷは〜。生き返るねえ!」
「甘くて美味しいね!」
酒飲みが夏の日の夕方にビールを流し込んだ時の感想めいた事を口にしたのはイザベルだ。
街路沿いに広いテラス席を持つ料理屋を発見した俺達は、迷わずその店へと入った。
カミラ先生は迷わずぶどう酒の白を注文したが、酒を飲む習慣のない娘達と俺はフルーツジュースで割ってもらった。いわゆるサングリアってやつだ。
船酔いでダウンしていたイザベルはもちろんのこと、船の揺れと照りつける日差しに参っていた娘達も一気に息を吹き返した。
「久しぶりの若いお客さん達だねえ。商人の見習いさんかい?」
そういいながら女将さんが大皿の料理を運んできた。
前評判どおり、メインディッシュには皿からはみ出さんばかりの伊勢海老が乗ったパエリア。伊勢海老の周りにはアサリやムール貝が散りばめられ、香ばしい香りを漂わせている。
更には焼きエビの乗った皿と、魚介類とニンニクのオイル煮が続く。焼きエビに使われているエビはクルマエビに似ているが、もっと大振りで殻は真っ赤だ。
「うまそ〜!いただきます!」
「イザベルお行儀良く!すいません女将さん。私達はカサドールです。訳あって島にお邪魔しています」
イザベルとアイダのやり取りを聞いて、女将さんが嬉しそうに手を振った。
「お行儀なんていいのよ。お貴族様が食べるような料理でもなし、熱いうちに召し上がれ」
それでは遠慮なくいただこう。
「それにしても魔物狩人って随分と若いうちから仕事を始めるんだねえ。島の若いのなら漁師見習いとして船に乗り始めるぐらいの歳だと思うけど」
女将さんの目は明らかにイザベルに注がれている。だが訝しがっている様子ではない。どちらかといえば孫か娘を心配しているような目だ。
「それで、カサドールが来たってことは、やっぱりアレかい?」
女将さんが娘達を見ながら不思議な事を言い出した。





