117. Another side:校長室にて(6月10日)
「聞きましたか校長!彼らがまたやってくれたようです!」
ノックも無しに養成所の一室に飛び込んできたのは、養成所の魔法師教官であるダニエル モンロイだ。ツルツルした頭頂部までほんのりと赤みを帯び、顔も上気している。
「ええ。報告は上がってきていますよ。ちょうどその事を話していた所です。ダナさん、モンロイ先生にもお茶をお願いします」
部屋の中心に据えられた長方形のテーブル。その1番奥に座っているこの部屋の主人が、傍の老婦人に声を掛ける。
「はいはい。モンロイ先生もいい年なのですから、もう少し落ち着きをお願いしますね」
「いやあ。若い学生達に講義なんぞしておると、いつまでも若いつもりになってしまいますなあ。ねえカミラ先生」
椅子に腰かけながら、モンロイは先に来ていた若い女性に話しかける。
若いつもりなどと言っているが、モンロイは初老といってもいい年齢である。その割には貫禄がないため、学生の前ではわざわざ口調を変えている。
「私は実際に若いですから!それにしても、もうちょっと早くイトー君が現れていたら一緒に功績を上げたのは私だったかもしれないのに……」
そうぼやくのはイネス カミラ。20代後半とおぼしき、真っ黒な髪の魔導師だ。切れ長の瞳をチラッとモンロイに向けたあとは、物憂げに窓の外を見ている。
「功績を上げる機会はこれからでもあるだろう。それよりも彼らをどうするかが問題だ」
スキンヘッドの男が、その巨躯を小さく屈めるようにテーブルの上で手を組んだまま呟く。養成所付属の寮の寮監、バルトロメ アロンソだ。
「待遇ですか?養成所の教官として採用し、住むところまで与えた。その待遇では彼らが納得しないと仰るのですか?」
「そうですよね。ノレステの森の猟師小屋を貸与するって書類を渡した時も、彼は特に不満は口にしませんでした。私も最初は贈与だって聞いていたので、校長先生から預かった書類を読んだ時には驚いたんですけど。あの時は細かく聞かなかったんですけど、どうして贈与ではなく貸与になったんですか?」
モンロイがアロンソに尋ねた疑問に更にカミラが重ねる。
「待遇の問題では無い。多いとは言えないが給金もあるし、そもそも給金目当てで教官になったわけではあるまい。どちらかと言えば我々は彼の身分を保証したにすぎん。贈与ではなく貸与になったのは俺の入れ知恵だ。そのほうが彼を繋ぎとめる軛になると思ってな。問題なのは我が国と、衛兵隊や国軍、それに騎士団との関係だ」
アロンソはここで大きくため息をついて天井を仰ぐ。
「まったく……たった一晩で衛兵隊を包囲していた小鬼と大鬼を撃滅しただと……1週間で北方の森の魔物を狩り尽くし、カディスを解放した今はトローを探索していると報告には書かれている。このままトローの巣でも壊滅させた暁には、間違いなく中央に引き抜かれる。そしてそのまま北方の戦場へ動員されるのだ」
「そうならないように教官にしたのでしょう?もし軍に引き抜かれたとしても最前線で泥濘に塗れるようなことがない地位に就けるように配慮したということだと思っておりましたが」
「教官であれば最前線に出ることはないと思っているのかねモンロイ君」
身体を起こしたアロンソが放つ低い声に気圧されるように、モンロイが姿勢を正す。
「いえ。そのような事は。10年前の大規模な会戦、これには私も参戦していましたが、その時に戦死された教官の代わりに私が採用されたわけですから」
「そうだったな。炎陣のアダン。あいつが張った炎の障壁は誰にも破られることはないと思っていたのだが……まあそれは置いておいてだ。恐らく奴は過酷な戦場でも生き残る。それもとんでもない戦果を上げてだ。そうなったときに彼の立場はどうなる。彼だけでない。あの駆け出しの幼い狩人達は、あの者達の今後の人生はどうなってしまうのか。考えるだけでも恐ろしいとは思わんか」
「そうですねえ。狩人であり続ける限り、いつかは人を殺める時が来るでしょう。戦さ場でなくとも、例えば護衛していた隊商を盗賊が襲ってきたりとかね。私も貴方も、最初に人を殺めたのは護衛任務の時でした」
「ダナの言うとおりだ。だが誰かを守るために剣を振るうのと、戦場で剣を振るうのとでは意味がまるで違う。あの若者達に戦さ場はまだ早いと思う」
「今となってはアイダさん達も同じように目を付けられるでしょうね。ただでさえ桁外れの魔力量に成長しているのですから。ついこの前までは普通の学生だったはずなのに……」
「ですが寮監殿。先程のお話では、彼らが招集されるのも時間の問題なのでは?招集を免れるには街を出て隠遁するか狩人を辞めるぐらいしか……」
重苦しい沈黙が室内を満たす。
「でも彼らはナバテヘラとイリョラ村の英雄ですよ。それに今回のカディス解放の功績が加わります。そんな彼らをいきなり軍には動員しないでしょう。まずはルシタニアの御領主様が御召し抱えになるとか、或いは一足飛びに国王陛下直属の魔導師になるなんて道もあるのではないですか?」
「その可能性はあるが、いずれにせよ彼らが狩人ではなくなるのは間違いない。彼らの能力は民を守る事にこそ行使されるべきだと思う。大襲撃が明日にでも始まるかもしれない今の時期だからこそだ」
「それは私も同じ意見です。ですがそんなことが可能なのでしょうか」
「あることはあります。要は彼らを騎士団や国軍の手の届かない立場にしてしまえばいいのです」
重い雰囲気に一石を投じたのは、今まで黙って皆の話を聞いていたこの部屋の主人、サラ マルティネスだ。片眼鏡を外し、軽く銀髪を揺らして大きくため息をつく。
「彼を巡検師に指名したいと思います。皆さんのご意見はいかが?」
先ほどまでの重い雰囲気とは違った、凛と張り詰めたような空気が室内を満たす。
「巡検師ってあの巡検師ですか?でも巡検師が指名されるのは国難に際してのみなのでは?」
「カミラ先生の仰ることはもっともです。タルテトス王国の、それに近隣諸国の長い歴史の中でも、巡検師が指名されたのは大襲撃や疫病の蔓延、大規模な飢饉などが起きた時でした。それでは現状はどうでしょう。大襲撃はいつ起きてもおかしくありません。バルトロメが言うように、明日にでも始まるかもしれません。私は今こそ国難の前夜だと考えます」
「もう一ついいですか?巡検師の任命権限は、国王陛下かその代理人または王家に連なる方々のみのはずです。彼を巡検師に任命するとして、一体誰がその任命権者に……まさか……」
カミラが口を手で押さえて黙る。
「カミラは知らないのだったな。サラは、いや、本来はサラなどと呼ぶべきではないのだが、サラは王妹殿下であらせられる」
「いいのですよバルトロメ。私自身が王宮を離れカサドールとなることを選択し、皆さんにも伏せているのですから。カミラ先生を責めてはいけませんよ」
頭を下げて畏まるカミラの髪にそっとサラが触れる。
「私は王宮を離れた身ではありますが、王家に連なる者としての義務と権利は保有しています。せっかくですからその義務を行使させていただきましょう」
サラが立ち上がり、厳かに宣言する。
「サラ アラルコン マルティネスの名において、イトー カズヤを巡検師に指名します」





